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2008.07.06

小説『浮雲』(二葉亭四迷)に刻まれた新しい日本語表現創造の過程

 二〇〇八年七月六日

 小説『浮雲』(二葉亭四迷)に刻まれた新しい日本語表現創造の過程

 日本語に句読点が現在のように使われだしたのはいつのころでしょうか。あるかたが、二葉亭四迷(一八六四年四月四日~一九〇九年五月十日)小説『浮雲』に、その過程が刻み込まれていると教えてくださいました。『浮雲』を読み直し、その過程をたどってみました。

 『浮雲』第一編は、一八八七年六月に発表されています。
 そして、第二編は一八八八二月、第三編は一八八九年七~八月に発表されています。
 この作品の読点(、)、句点(。)、せりふ部分のカギカッコ(「」)の使い方を見ていきます(テキストは岩波文庫の『浮雲』です)。

 第一編では、読点がときどき使われています。
 しかし、本文の最初の十四行の間には九カ所、次の十四行には四カ所とあまり多くはありません。

 せりふは書き出しにカギカッコがあるだけで受けのカギカッコはありません。
 たとえば、つぎのような使い方です。

  「叔母(おば)さんは
  「先程(さつき)お嬢さまと何処(どち)らへか
  「そう

 句点は使っていないようだなと思いつつ読んでいると第一編第三回の途中からときどき句点が出てきます(最初は四十一ページ)。
 それは、気が向いた所に試しに読点をいれてみるといった使い方です。
 ほーほーと読み進んでいくと、この第三回の途中からせりふのカギカッコ
の受けも登場し、いまのような「○○」の形になります(最初は四十三ページ)。
 と、思っていると、またカギカッコの受けがなくなったり、受けがないもの、あるものと混在しながら物語が進行していきます。
 彼の日本語表現が確定するのは、第三編からです。
 第三編の書き出しを抜き書きしておきます。

 心理の上から観れば、智恵の別なく咸(ことごとく)面白味はある。内海文三(うつみぶんぞう)の心状を見れば、それは解(わか)ろう。

 読点の代わりに読点の文字の読点の中がくり抜かれて白くなっている白ゴマ点も使われています。これは、読点と句点の中間的な意図に使うとされています。
 せりふのカギカッコ、カギカッコの受けの中身の最後には「、」や「。」
「……」や「!」と多様です。

 もう一つのリポートで、一九一二年六月二十日発行された石川啄木の第二歌集『悲しき玩具』の短歌には、「、」「。」「!」「ーー」「()」「「」」が使われていることをあげました。
 これは、啄木が二葉亭四迷の全集(一九一〇年。朝日新聞社)の校閲をしたことと無縁ではないのではないでしょうか。

 こうして確立された日本語表現を現代人は使っています。
 私も、その一人として二葉亭四迷の創造力に敬意を表明します。

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