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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その二

 【エンジン部分の前に穴が開いている戦闘機】

 高知市の瀬戸鉄男さんは、海軍に志願します。
 「私は、兵庫県の川西航空機鳴尾製作所の工員でしたが、海軍に志願しました。一九四三年五月のアッツ島の日本軍守備隊が『玉砕』した直後でした。
 忠君愛国の思いからでしたが、一方では『どうせ軍隊に入るなら、せめて自分で兵科を選択したい。徴兵で陸軍にいって玉砕はたまらない。志願して海軍の整備兵になりたい』という思いでした。
 四四年九月、神奈川県の第二相模野海軍航空隊に入隊することになり、高知市御畳瀬(みませ)の自宅から出征しました。
 生きて帰れるようにゲンをかつぎました。北の方向から出なさい、家を出たら母が私の名を呼ぶが振り向いてはいけない…。『鉄男よーっ』の声に振り向かないでいきました。この時の悲壮感は生涯忘れません。
 第二相模野海軍航空隊で三カ月間、新兵教育を受けました。一人、逃亡者が出ました。みんなで探し出して、営倉に放り込まれました。もう一人は便所で首をつって自殺しました。
 翌年一月から隣の第一相模野航空隊へ変わりました。三カ月で練習生を卒業して修理の担当になりました。まともな戦闘機はありませんでした。弾丸を受けて胴体や主翼に穴が開いていました。
 エンジン部分の前に穴が開いている戦闘機もありました。
 班長に『これは穴の開いた個所が重要な場所だけに(ジュラルミンの)補強を当てても意味がないですよ。全体を変えないと』というと、『そんなことは、どうでもよい。片道だから』といわれました。
 『そうか。これに乗っていくのは特攻兵だな』と思いました。
 川西航空機にいた時、戦利品のアメリカ軍の戦闘機を見ましたが、撃たれても発火しないように分厚い生ゴムで燃料タンクを防護してありました。それとはえらい違いでした。」(二〇〇六年一月十二日、中四国版)。

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