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2008.08.25

高知短期大学 韓国チンジュ(晋州)市、二泊三日のホームステイ

 高知短期大学韓国語受講生とチンジュ(晋州)市のチンジュ産業大学との交流に参加しました。二〇〇八年八月のことです。一番感動したのは、この中の二泊三日のホームステイでした。

    韓国語がほんの少ししかわかりませんが……

 八月二十日午後、私たち高知短期大学の一行は韓国プサンの金海国際空港(キメクッチェゴンハン)に到着しました。メンバーは十七人。教員、学生、履修生、卒業生です。
 空港には産業大学の先生や学生が迎えにきてくれていました。私たちの学校の韓国語の先生(女性、プサン出身)、先生の娘さん(東京の大学の四年生)、高知短期大学で韓国語を履修した後、プサン大学に留学中のNさん(男性。六十歳)もいて、安心しました。
 学生たちのうち十一人が十軒のお宅に二泊三日のホームステイをすることになっています。
 なお、私は、まだ韓国語がほんの少ししかわかりません。

    ホームステイ先のIさんと英語での会話に

 産業大学の大型バスに乗って、産業大学→チンジュ城→産業大学へ。
 産業大学に帰って教室で休んでいるとホームステイ先の人たちが迎えに来てくれました。
 私を泊めてくれるIさん(男性。一九六四年生まれ)も来て、早速、対話が始まりました。
 私が韓国語ができないことを知って、Iさんは、英語で話し始めました。私もカタコトの英語でおうじました。
 Iさんは製造会社のマネージャーをしています。
 私は四七年生まれですが、彼にも四八年生まれの長兄がいるそうです。
 「メクチュ(ビール)は好きですか」と聞くと「好きだ」とのこと。二度、日本に行き、そのときに日本のビールも飲んだとのことです。何だか安心しました。 

    「自己紹介の用紙の二枚目、三枚目がない」

 この日夜、レストランで産業大学長招待の夕食会。Iさんも参加してくれました。
 学生たちが演壇で自己紹介することになりました。もちろん韓国語で。
 なぜか、私が最初です。
 A4三枚に書いてきているので安心です。
 で、始めました。
 「チョウム ペッケッスムニダー。マンナソ パンガプスムニダー。
 チョヌン フジワラヨシカズ イムニダー。チョヌン イルハンニョン イムニダ(はじめまして。お会いできてうれしいです。ふじはらよしかずです。私は、一年生です)」
 一枚目オーケー。
 しかし、二枚目、三枚目をあけてびっくり。用意してきたのとは違う用紙ではありませんか。たくさん持ってきたので、別の原稿をとってしまったのです。
 で、後はムニャムニャ。
 大失敗でした。
 続く学生たちは立派に自己紹介をやってのけました。発音が正確で拍手がわくケースも。

     高校一年生の娘さんの日本語が素敵でした

 夕食会の後、Iさんの乗用車でIさんのお宅へ。
 三十分ほどの所でした。高層の団地です。
 暗証番号を押して中へ入り、エレベーターで十五階へ(ぜんぶで十六階)。いくつも部屋のあるお宅です。
 奥さん、娘さん、息子さんが出迎えてくれました。
 Iさんは、私の十八歳からの友人・空手をやっていた「平川くん」のような顔で、しゃべりかたもそっくり。奥さんは「平川くん」の奥さんのような目のぱっちりした素敵な人です。娘さんは高校一年生。息子さんは小学校六年生。
 Iさんは、ビールと、キキョウの根をつけこんだ酒を出してくれました。
 それをいただきながらテーブルをはさんで床に座り込んで話をしました。
 娘さんが電子辞書を持ってきました。
 日本語ができることがわかり、通訳をしてもらいました。素敵な発音です。
 ほとんど辞書は必要ありません。
 学校で習っていて、いま二年目だといいます。
 日本のアニメ、NHKテレビ、フジテレビ(これはインターネットで)を見ているとのことです。

   『万葉集』って……、娘さんが調べました

 まずは、私がホームステイ先の自己紹介用に韓国語で書いてきた三枚のメモを見せました。
 以下のような内容です。

 私の名前は「ふじはらよしかず」です。
 高知短期大学社会科学部一年生です。
 一九四七年二月二十三日生まれ。六十一歳です。
 私が、いま一番関心を持っていることは日本の天皇の侵略戦争の実際について、もっとリアルに知りたいということです。
 天皇の侵略戦争が、海外にどんな爪跡を残しているかを見聞してきました。そのために、私は、数年前から、テニアン、フィリピン、マレーシャ、タイ、ベトナム、中国、内モンゴル、韓国などを訪れています。
韓国は、今度で四回目の訪問です。
 日本の国内、とくに、私たちが住んでいる高知県で、その時代にどんなことがあったかも調べています。
 高知県は、この春、訪問した済州島と同じで、海岸線や山の中に当時の日本軍の特別攻撃のための基地の跡がいくつも残っています。
 もう一つ。私は、短歌が大好きです。
 七世紀から八世紀に日本の支配層がつくった『万葉集』についての、韓国のイヨンヒさんの本を何冊か読みました。
 『万葉集』は、その当時の朝鮮の言葉で書かれているんですよ、当時は、朝鮮からやってきた人たちが日本を支配していたのですよということを書いています。
 いつか朝鮮の当時の言葉を学びたいと思っています。
 そして、私も、『万葉集』を新しい視点で読みなおしてみたいと思っています。
 私の得意はボディランゲージで、韓国語は、まだほとんどできません。夢だけは大きいのが私の特徴です。
 よろしく、お願いいたします。

  「『万葉集』って何だろう」と、Iさん。娘さんがインターネットで調べ、Iさんに教えました。
 私の本、『この星に同じ時代にやってきて 藤原義一歌集』を贈呈しました。
 娘さんが、この表紙に刷り込んだ「この星に 同じ時代に やってきて おもしろかったね 『さぁ、これからも』」の意味を、お母さんたち説明してくれました。
 「『短歌の花だより』というブログをやっています」というと、娘さんがインターネットで検索。すぐ到達しました。
 「このブログの藤原さんの写真がいいですねー」と、娘さん。

   バスでは娘さんが横に座ってくれました

 個室を貸してくれました。
 ベッドで朝までぐっすり寝ました。
 遠くからのコケコッコーの鳴き声で目覚めました。
 Iさん、奥さん、息子さんと朝食。
 娘さんの姿が見えません。まだ寝ているのでしょうか。
 Iさんの乗用車で四人で産業大学へ向かいます。
 途中、女子高校の所で待っていた娘さんを乗せました。
 朝、一時間授業があったとのことです。
 五人で産業大学に。
 この日は、みんなで、産業大学の大型バスに乗せてもらって全羅北道のマイサン(馬耳山)、全州市の伝統的韓屋村へ。
 奥さん、娘さん、息子さんも同行してくれました。
 奥さん、息子さんは私の斜め右の座席、娘さんは電子辞書を持って私の隣の座席です。
 ふかしたトウモロコシやジュースのサービスがありました。
 「トウモロコシは何ていうんですか」
 「オクススです」
 と、いった感じでいろいろ教えてもらいました。
 私が「韓国映画『ヨッキー チョギン クニョ』(猟奇的な彼女)を見て韓国映画が大好きになりました。その映画は二十回くらい見ています」というと、奥さんが乗り出してきて「私は、その映画の最後のシーンで泣きました」。
 テーブルの下で彼女と彼氏が手をつないでいるシーンです。
 チョン・ジヒョンのよく変化する表情が素敵でした。
 昼食のシクタン(食堂)でも四人でテーブルを囲みました。
 「箸(はし)は」
 「○○です」
 私がチッターラとメモ帳に書くと、娘さんがボールペンで「タ」を「ガ」に直してくれました。
 茶色の豆腐のようなものは、トットリム(ドングリのゼリー)。
 スイカは、スーパク。
 鍋に残ったご飯に水を入れてゆっくり炊いたスープがスンニュン。
 息子さんも食事の後、みなにヨウジを配るなど気配り。
 韓屋村で何だか後ろが涼しいなと思ったら彼が扇子であおいでくれていました。
 息子さんが、ここで買ったお面の小物をプレゼントしてくれました。
 帰りのバスの中でも勉強が続きました。
 途中で娘さんに「私たちの対応で何か不足していることがありませんか」と聞かれ、何だか涙が出そうになりました。

   「Тhe life is studying.I think」というIさんの言葉

 夜は、日本側とホームステイ側の数組が集ってレストランで夕食会。
 Iさん、奥さん、息子さんも一緒でした(後で知ったのですが娘さんは夜は「学園」で勉強だったそうです)。
 Iさん宅に帰ってビールを飲みながら対話。
 そのうち娘さんも帰ってきました。
 Iさん、奥さんからチョンチョンヒー(急がずに)、パリパリ(急いで)という言葉を教えていただきました。
 Iさんは産業大学を卒業しているそうです。「大学院へ行きたい」といっていました。
 「Тhe life is studying.I think」
 Iさんの素敵な言葉でした。
 Iさんや娘さん、息子さんはテコンドーをやっているそうです。
 娘さんは三段、息子さんは初段です。
 娘さんは「歴史が好き。韓国やヨーロッパの歴史を学びたい。将来は先生になりたい」と、いいます。
 きっと素晴らしい先生になることでしょう。

   「ピーガ オンミダ」 別れの雨です

 二十二日朝は、Iさん、奥さん、娘さんの四人で出発。
 娘さんは毎日、午前零時に寝て、午前六時に起きる生活だといいます。「睡眠時間が短いですね」と心配すると、休みのときは午前九時ころまで寝ることがあるといっていました。
 途中、女子高校で娘さんが下車。
 「藤原さん、お元気で」
 美しい日本語の別れのあいさつを残して彼女は登校していきました。
 Iさんによると「一時間目にイングリッシュのエグザミネーションがある」のだということでした。
 雨が降ってきました。
 「ピーガ オンミダ」と、Iさん。
 「雨が降っています」という意味です。
 別れの雨です。
 車のラジオからは「サラゲー」という歌声が流れています。
 Iさんと奥さんと三人で市場へ。
 食堂で「おじや」を食べました。
 完食。
 その後、三人で産業大学へ。
 ここから産業大学の大型バスに乗ってプサン方面へ向かいます。
 奥さんから、お土産をいただきました。
 例のキキョウの根のお酒二本、お茶でした。
 Iさん、奥さんたちに見送られてプサン方面へ。
 ありがとう。みなさん。

   今度、Iさんたちとお会いできるときには韓国語で

 二十二日、二十三日はプサンのホテルに泊まりました。
 そして、二十四日、関西国際空港着。
 高知に向かう途中、大阪市の梅田の古本店で『韓国語変遷史』、『人物 朝鮮の歴史』などをごっそり買い込みました。
 来年二月には産業大学の人たちが高知市に来られます。
 今度、Iさんたちとお会いできるときには韓国語で話せるようになっていたいと思います。

                (二〇〇八年八月二十五日)

「ハングルは、しゃべれません」に

驚いて

英語で話す 新しい友

「ハングルで あいさつするぞ」と 張り切るが

メモが失せたよ

言葉が、言葉が……

高一の 巧みな日本語 聞いている

韓国教育

実力を知る

「人生は、勉強ですね」の 言葉聞く

ホームステイの

宿の二日目

高一が 付き添い通訳 してくれて

ホームステイの

三日が終わる

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