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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その一

 二〇〇五年七月から二〇〇七年七まで、戦争中、高知県の子どもや青年は、どういう状況に置かれ、何を考えていたのかを知りたいと何人もの人たちから話を聞いてきました。まとめてみたら二十二人から聞いていました。こんな話です(引用は、いずれも「しんぶん赤旗」です)。

 【召集され中国戦線に投入された人】

 土佐清水市の矢野川俊喜さんは召集され中国戦線に投入されました。
 「一九四四年に徴兵検査を受け、同年九月に陸軍二等兵(歩兵)で中国にいきました。
 行って民衆の苦痛を目の当たりにし『ああ、これがはたして聖戦か』と思うことが多々ありました。
 中国人虐殺の現場にも立ち会いました。
 いった直後、初年兵教育を受けている時でした。上官から、後ろ手にされて立っている中国人の心臓を銃剣で突けといわれました。誰も応じる者がなく古い兵隊が突きました。
 行軍の途中、食料の補給がないものですから、中国の農家から食糧を奪いました。
 何回も日本軍が通過していますから大きな道の周辺の家にはもうとるものがありませんでした。
 武装して何キロも離れた山あいの集落へ略奪にいったことが二度ありました。子どもと年寄りの女性しかいませんでした。倉庫に入ってひっくりかえして米をさがしました。すると年寄りの女性が出てきました。私は彼女に銃剣を突きつけました。『食料は出すから命だけは助けてくれ』と彼女はいいました。
 戦争というのは勇ましいことしか宣伝されませんが、実態はこれかと思いました。その時にふるさと、三崎(現・土佐清水市)を思い出しました。三崎がこういう目にあったらと思い、『勇敢なる戦士』が戦意を喪失しました。」(二〇〇五年十月二十八日、中四国版)。

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