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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その八

 【一九四五年六月七日の空襲で高知女子医学専門学校予定地が全焼】

 前出の下司孝さんは、七月八日に高知市に開校する高知女子医学専門学校の教授にと請われ、出向することになりました。戦地に取られて人手不足になった内地の医師養成です。
 しかし、校舎に予定していた所が六月七日の空襲で全焼しました。
 「空襲を予感した私は前夜に佐川町の知人宅に疎開していました。校舎焼失を知り、すぐ町内の国民学校、青年学校、寺を探して医専疎開を交渉しました。高知市に引き返し城東中学にいた知事と校長に報告して即決で佐川で開校となりました。」(二〇〇六年八月十日、中四国版)。

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