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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その十三

 【日本国憲法第九条の平和への思い】

 窪田一郎さんは、終戦の翌年二月に朝倉の部隊長の息子だった級友が「(アメリカが日本に落とした)原子爆弾に勝る新兵器を発明してアメリカ、イギリスに報復する」という作文を書いた時のことを覚えているといいます(二〇〇七年五月十七日、中四国版)。
 国語の時間に教師がこの作文を読み上げ「日本の軍国主義は間違っていた。こういうことをやってはいかんのや」と平和の日本の道を説きました。
 その教師の思いが、その年十一月三日に公布された憲法の交戦権を否定した九条に実っていました。
 憲法ができてから学校で黄色い表紙の『あたらしい憲法のはなし』を学びました。教師は熱心に解説してくれました。
 「みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう」と書いてありました。
 このころ、夕刊を出していた高知日報社が新憲法キャンペーン用の標語を募集しました。
 岡崎桜雲さんは、これに応募してました。
 「みんなの憲法 明るい日本」
 この標語が三等に入選しました。
 川村高子さんは、一九四七年五月三日、日本国憲法施行の日の出来事を鮮明に覚えています。
 「当時、私は、高知県大杉村(現・大豊町)の村立大杉小学校の教師でした。
 その日の一時間目、講堂に全校児童、教員が集められ、校長先生が『日本の国は戦争に負けて、いままでと全然変わった国の決まりができました。それは憲法というもので、それには、これからは日本は絶対に戦争はしません。平和を求めていきます。いままで兵器や軍事に使っていたお金は、これからは、みなさんの教育費や国民の暮らしに使うことにします。これから日本は戦争のない平和な国になります』と話しました。
 その時の校長先生の少し上を見つめ、希望に満ちた輝かしい面持ちが目に焼きついています。
 『ああ、これから戦争はないんだ。暮らしも豊かになるんだ』と思いました。いまも、その感激が忘れられません。」(二〇〇七年七月十九日、中四国版)。
 ここに登場した人たちは、いま、戦争放棄、戦力保持の禁止、交戦権の否認を定めた日本国憲法第九条を守っていこうと、それぞれの場で努力しています。
(おわり)

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