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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その九

 【一九四五年七月四日、アメリカ軍爆撃機の高知市空襲】

 一九四五年七月四日、アメリカ軍のボーイングB29爆撃機百二十五機は、高知市を空襲しました。午前一時五十二分から約一時間、じゅうたんをしきつめるように焼夷弾(しょういだん)を落としました。
 高知市の仁尾京子さんは、六十一年前の一九四五年夏、五歳で高知市弘岡町(現・南はりまや町)に住んでいました。母と赤ん坊の弟と三人暮らしでした。父は、四二年に海軍の兵隊として出征していました。
 アメリカの空襲がひどくなり、毎日のように空襲警報が出ました。
 「七月四日夜中、『空襲警報発令』の声でとび起きました。母、弟と一緒に鏡川の河原の町内の共同の防空壕(ごう)に逃げ込み、奥のほうに座り込んでほっとしました。
 壕の外はズドーン、バリバリという音がしていました。その時、壕の外の戸を激しくたたきながら『開けて、開けて。熱い、熱い』という女性の叫び声がしました。男性が「もう戸は開けれんき、外と内の戸のすき間にもぐり込め」と、怒鳴りました。みんな黙り込み、私は『開けちゃったらいいに』と思いながらもすくみあがりました。
 戸をたたく音、『開けてくれ』の叫びが続いていました。『あっ! あの声は電車通りの女学生のお姉さんだ』
 やがて、空襲が終わり、二重扉が開けられました。熱風が吹きつけてきました。向こう岸の土手の木がごうごうと音をたてて燃え上がっていました。鏡川は人々で埋めつくされていました。
 母に手をひっぱられて、倒れている人につまずきながら下ばかり見てヨロヨロ歩きました。そんな時、倒れている誰かの目が動いた気配がしました。真っ黒に焦げた人間が、私の目をじっと見ていました。
 お姉さんでした。私の目を見たまま『水、水ちょうだい』と、つぶやいて目を閉じました。
 自宅も焼け、市内の借家に引っ越しました。」(二〇〇六年八月十三日、中四国版)。
 高知市の岡村正弘さんは、高知市立第一国民学校二年生でした。空襲を受けた体験を聞きました(二〇〇六年六月月二十三日、中四国版)。
 その夜、正弘さんは、市内掛川町の家で父、母、商業学校二年生の兄、国民学校六年の姉、二歳の妹と一緒に寝ていました。空襲が始まり岡村さんは母、妹と五十㍍ほど先の畑の中の町内の共同の防空壕(ぼうくうごう)へいきました。
 ぎゅうぎゅうづめで息苦しくなった正弘さんは「ここにおらんといかん」という母の手を振り切って家に帰りました。家では父、兄が火を消していました。父の「川へいけ」の声で、姉と一緒に近くの鏡川の北の河原に逃げました。
 河原は人でいっぱいでした。ここで初めて空を見ました。飛行機の音、爆弾の落ちてくるゴーという音、バーンという爆発音。対岸は、ぜんぶが焼け上がり、背後の炎が迫ってきます。川でも焼夷弾が燃えています。「おかあちゃーん。おかあちゃーん」と泣きながら河原をさまよいました。
 目の前を体に火がついた人が走ってきて川に飛び込みました。まわりの人が引き揚げ、戸板に乗せました。共同の防空壕の責任者の男性でした。父が「防空壕には、まだ人がおったか」というと「おった」とうなずいて亡くなりました。
 まだ地面が熱いうちに、その防空壕にいきました。焼けて、つぶれて煙が出ていました。まわりの人や兵隊が掘ると、出入り口の階段に十人くらいが重なっていました。
 正弘さんは、すぐ近くで息を殺して見ていました。母の遺体も出てきました。焼けただれて誰かわからない状態でしたが、着物の一部が残っていて母とわかりました。妹を抱きしめていました。
 高知市の穂岐山禮(ほきやま・れい)さんは、当時、高知県立第二高等女学校二年生。一家は、高知市小津町の寺田寅彦邸の一棟を借りて住んでいました。
 「突然、頭上で爆音が響いて六角形の焼夷(しょうい)弾が、かやぶき屋根を貫いて、寝ていた母と私の布団の周りの畳に何発も突き刺さりました。逃げおおせて火の手が収まってから帰ってみると、街は焼け野原でした。わが家は焼けてしまっていて、百五十坪余りの敷地に二百発以上の焼夷弾が落ちていました。
 道端は焼けただれた死体でいっぱいでした。市内九反田の親せき宅にいったら、母の母、母の姉、その姉の息子が焼け死んでいました。」(二〇〇六年六月二十一日、中四国版)。
 国民学校三年生の植田幸作さんは、この空襲で、高知工業学校建築科一年生だった兄を失いました。アメリカが高知市に落とした焼夷(しょうい)弾の不発弾が破裂し、その破片が兄の腹に刺さったのです(二〇〇六年十一月十日、中四国版)。

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