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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その四

 【第一乙種合格者も徴兵されて……】

 土佐市の小川健次郎さんが語ります。
 「私は高知県立弘岡農業学校の助手をしていましたが、四四年一月、陸軍に志願し高知の連隊に入隊しました。十九歳でした。そして、四五年二月、福岡県の基地で独立迫撃砲大隊の小隊長として服務しました。
 衛生状態が悪く、入隊して幾月もたたない若い兵隊がチフスやコレラに倒れました。
 同年七月ころ、福岡第一陸軍病院に亡くなった兵隊の遺体を受領しにいきました。
 病棟はほとんどつぶされていて、連隊の武徳館らしき建物の中に五百人近い患者がいました。寝台は五つくらいしかなく、板張り床に毛布一枚を敷いた上にやせこけて目がうつろになった兵隊がぎっしり横たわっていました。上半身はシャツ一枚をはおり、下半身はなにもつけていませんでした。腰の下には血の混じった汚物がへばりついていました。毛布にも通路にも汚物がいっぱいでした。」(二〇〇六年一月十二日、中四国版)。
 十九歳のとき徴兵検査を受け、近視で第一乙種合格だった高知市の渡邉進さんも、一九四五年八月十三日、高知市朝倉の西部第三四部隊に入隊しました。
 「いずれ戦死するのだ、死ぬのは時間の問題だと思っていました」(二〇〇五年八月十八日付、中四国版)。

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