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2008.08.19

「大東亜戦争」の時代 高知県の二十二人に話を聞きました その十二

 【帰ってこなかった多くの人々のこと】

 戦地から帰ってこなかった人たちもいました。
 高知市の今井光枝さんの夫も戦争にとられました。
 「高知市の製紙工場の事務をとりながら詩誌『南方文学』、『南方詩脈』などをだしていました。私たちは詩作が縁で一緒になりました。夫は、昭和十八年(一九四三年)、三十四歳のとき、軍の紙をつくるために事務員としてフィリピンのマニラにわたり、現地召集で陸軍二等兵として比島派遣軍10686部隊に配備されました。
 昭和二十二年(四七年)秋、戦争が終わってルソン島から帰還したという数人の兵に夫の消息を尋ねました。彼らは骨と皮、日焼けした黒い肌で、目ばかりぎょろりと光らせてぼそぼそと話してくれました。
 その部隊は、マニラより山奥へ敗走し、爆弾やマラリアで多数死んだ、ヘビ、ミミズ、草の根まで食べたと…。
 同年冬、高知県知事名の「死亡告知書」が届きました。四五年六月三十日、フィリピンルソン島ラグナ州イボで戦病死したということでした。
 「昭和二十二年 冬/還ってきた遺骨箱の軽さに愕然(がくぜん)/ひと握りの土が白紙に包まれて/ひっそりと何かを語っていた…」
 昨年書いた「抗(あらが)い」という詩の一節です(詩誌『花粉帯』五号に掲載)。
 娘は十二歳。息子は三歳。夫は息子の顔を見ないまま亡くなりました。」(二〇〇七年六月三日、中四国版)。
 高知市の中内理津子さんは「私は父の顔を覚えていません。父は私が生まれる前に徴兵され、そして、戦死しました」といいます(二〇〇七年七月十七日、中四国版)。
 「父・阿佐義盛の長男あての『戦死の公報届きし後開くべし』とした遺書が十二年前、『妻よ、子どもたちよ、最後の祈り 昭和の遺書②』(辺見じゅん編。角川書店)に載りました。兄が提供したものですが、私は、この本で初めて遺書のことを知りました。
 『お父様は世紀の変革、東亜を否之(いなこの)日本を征服して我々を、そして子や孫を奴隷の様に扱かわうとする横着(おうちゃく)な奴等(やつら)を退治する為の聖い尊い戦に行つて…』とのべ、『一億の我も一人ぞ 大君の/醜(しこ)の御盾(みたて)と往(いゆ)き散りなん』の短歌を書いていました。
 侵略戦争だった太平洋戦争を聖戦とし、昭和天皇のために死ぬなんて…、すごくだまされていたんだなぁと思います。
 父は、徳島県出身で、高知県大川村の日本鉱業株式会社白滝鉱山に勤めていました。母、母のおなかの中の私、五つ上の長兄、三つ上の次兄を残して徴兵されました。
 終戦後の四八年、父の戦死の公報が届きました。陸軍フィリピン派遣威第一八九一六部隊野村隊上等兵で四四年九月二十四日、フィリピンで戦死したと。三十三歳でした。」
 高知市の川村高子さんが、語ります。
 「私は、五人きょうだいです。私が一番上で、次が弟・河野春生(こうの・はるお)。陸軍に召集され朝鮮で猛朝部隊に入隊しました。四三年ころから便りがこなくなり心配していました。
 その下の妹・勝巳(かつみ)は結婚して岡山市にいましたが、四五年六月二十九日午前二時四十分ころから約二時間のアメリカによる岡山大空襲で殺されました。
 高知から妹を捜しに出かけた父が妹の遺体を発見しましたが、全身黒こげだったといいます。脇の下に焼け残った小さな布で妹と確認できました。妊娠二か月、二十二歳でした。
 四六年七月、高知地方世話部長名で、春生の『死亡告知書』が父のもとに届きました。四四年一月二十九日、『東部ニューギニアガリ方面』で戦死、腹部砲弾破片創とありました。亡くなった時は、二十四歳でした。
 父と私で高知市の昭和国民学校に遺骨をとりにいきました。受け付けで『お見舞金です』と五百円を渡されましたが、父は『大事な総領息子と五百円を引き替えにしたか』と大粒の涙をぽたぽたと落としました。
 父母の悲しみを見るにつけ、私は、子どもの片手、片足をもいででも戦争にはいかさないと思いました。「戦争は絶対反対」の思いで生きてきました。」(二〇〇七年七月十九日、中四国版)。
 国民学校の教師だった森本憲二郎さんは、いいます。
 「終戦後の四五年十一月、元の学校に復職しました。そこで、私たちが戦地に送った少年兵が二人、満州開拓戦士のうち一人が帰らぬ人となっていたのを知りました。」(二〇〇六年十一月十六日、中四国版)。

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