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2008.09.10

第二次世界大戦の構図    九月二十日、誤字訂正

 第二次世界大戦の構図

 第二次世界大戦は、一九三九年九月一日から四五年八月十五日にかけて世界各国をまきこんでたたかわれました。この世界大戦の構図はどうなっていたでしょうか。あらためて、私なりにまとめてみました。

 【火付け役は、ナチスドイツとソ連】

 一九三九年八月二十三日、ドイツとソ連は不可侵条約を結びました。これには秘密協定があり、ポーランド、バルト三国について勢力圏分割を決められていました。
 同年九月一日早朝、ドイツがポーランド侵攻しました。
 これが第二次世界大戦の始まりだとされています。
 これを受けて、翌々日の九月三日、イギリス、フランスがドイツに宣戦布告をしました。
 ドイツとの密約どおり、ソ連も九月十七日にポーランドに侵入。引き続き、ソ連軍はバルト三国に駐屯しました。十一月三十日、フィンランドに侵入しました。
 この事態が示すように第二次世界大戦の火付け役はドイツとソ連でした。
 なお、当時のドイツの首相は独裁者・アドルフ・ヒトラー、ソ連の最高指導者は「社会主義」を口にしながら、それとはまったく違う独裁、国民抑圧、対外侵略の政治を指導するヨシフ・スターリンでした。

 【ドイツ、ソ連、イタリアの侵略が猛威をふるう】

 ドイツは、引き続き、一九四〇年四月九日、デンマークを占領し、ノルウェーを侵略。五月十日には北フランスとベネックス三国に侵攻を開始しました。
 六月十日にはイタリアが、イギリス、フランスに宣戦を布告しました。
 六月十四日にはドイツ軍がパリを占領、六月十五日~十七日にはソ連軍がバルト三国に追加駐屯します。八月三日にはソ連がリトアリアを併合、八月六日にはエストリアを併合します。九月七日にはドイツ軍がロンドンへの爆撃を開始。十月十二日には、ドイツ軍はルーマニアに進駐します。
 四一年にもドイツ軍は、三月二日にブルガリアに侵入し、四月六日にはギリシャ、ユーゴスラビアに侵攻します。
 こうして、ドイツ、ソ連、イタリアの侵略は猛威をふるっていきます。
 なお、イタリアの首相は独裁者のベニート・ムッソリーニでした。

 【ドイツ軍のソ連侵攻で構図が変わりました】

 ここで、この戦争の構図を変える出来事がおきました。
 四一年六月二十二日、ドイツ軍が、ソ連の不可侵条約を破ってソ連に侵攻、ドイツとソ連の戦争も始まりました。

 【ドイツ、イタリア、イギリスのブロックと、アメリカ、イギリス、中国などの国のブロックとの対決に】

 当時の日本は、明治以来三代目の天皇・裕仁(ひろひと)が支配していました。
 天皇絶対の先制政治でした。「大日本帝国憲法」(一八八九年二月十一日発布)では、天皇が神から授けられて国を統治する権限を持っている、天皇の統治を助ける補助機関してて議会・政府などをおく、軍隊と戦争の問題は天皇の大権で議会も政府も口出しできない、国民は天皇の家来とされていました。
 明治、大正の二代の天皇も侵略戦争を続けていました。
 裕仁は、一九二六年十二月二十五日、天皇になりましたが、彼のもとで、中国への侵略戦争が拡大していきました。
 一九三一年の満州事件、三二年のカイライ政権・満州国づくり、三七年の中国への全面侵略の開始です。
 アメリカは、日本の中国侵略戦争をやめさせようとして四一年八月一日、対日石油輸出を全面禁止しました。引き続き、十一月二十六日、日本軍の中国撤退を求める「ハルノート」を提示しました。
 こうした中で日本はアメリカ、イギリスなどの準備を進めていました。
 大元帥・昭和天皇と政府、軍などの首脳が集う「御前会議」の経過を見るとつぎのとおりです。
 四一年七月二日、「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」を決定。対ソ戦を準備し、南方進出のためにアメリカ、イギリス戦も辞せずという内容です。
 十一月五日、十二月初旬のアメリカ、イギリスへの武力発動を決定。
 十二月一日、アメリカ、イギリス、オランダとの開戦を決定。
 そして、十二月八日、日本軍はアメリカ自治領・ハワイ真珠湾を攻撃し、マレー半島に上陸。天皇が開戦の詔勅を出し、アメリカ、イギリスに宣戦を布告しました。
 同日、アメリカ、イギリスも日本に宣戦を布告しました。
 十二月十一日、ドイツ、イタリアがアメリカに宣戦を布告しました。
 こうして、第二次大戦は、ドイツ、イタリア、イギリスという戦争をしかけた国のブロックと、アメリカ、イギリス、中国などの受けて立つ国のブロックとの対決という構図になりました。
 日本は最初は「快進撃」しましたが、すぐに失速し、負け戦に。アメリカ軍の本土空襲にさらされ、物資も武器も枯渇し特別攻撃にたよる状態になりました。

 【イタリア、ドイツは、つぎつぎに敗北】

 イタリア、ドイツは、つぎつぎに敗北しました。
 四五年四月二十八日、イタリアのムッソリーニは処刑されました。
 二日後の四月三十日、ドイツのヒトラーは自殺しました。
 日本では、二月十四日、天皇側近の近衛文磨(このえ・ふみまろ)
が、敗戦を必至とみ、天皇に「共産革命」に備えることを説いた上奏文を提出しました。しかし、天皇は戦争継続を主張しました。

 【日本列島はソ連、アメリカに分割されました】

 一方、アメリカ、イギリス、ソ連などは「戦後」の準備をしていました。
 四三年六月十四日、ソ連共産党は、外部には公表しない秘密の部門、国際情報部をつくりました。
 四日前の六月十日に解散させたコミンテルンの書記長だったディミトロフが部長になり、イタリアのトリアッチ、フランスのトレーズ、スペインのイバルリ、ドイツのピークらを指導下におきました。これは、ソ連共産党が上にたって各国の共産党に介入し支配するための部門でした。これは、スターリンの戦後の覇権のための布石でした。
 四三年十一月二十二日~二十六日、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、中華民国の蒋介石主席によってカイロ会談がおこなわれ、その内容を踏まえて十二月一日に「カイロ宣言」が発表されました。
 主要な内容は以下のとおりです。

 米英中の対日戦争継続表明
 日本の無条件降伏を目指す
 日本への将来的な軍事行動を協定
 第一次世界大戦により占領した、太平洋の全島を中華民国へ返還(例として満洲、台湾、澎湖諸島)
 日本は強欲と暴力により獲得した全領土の剥奪(はくだつ)
 朝鮮の独立(朝鮮人の隷属状態に配慮し)

 四五年二月四日~十一日、クリミア半島のヤルタで、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリンが会談開き、対ドイツ戦処理、ソ連の対日参戦と千島列島の引き渡しを決めました。
 ドイツ降伏後の七月十七日~八月二日、ベルリン郊外のポツダムに、アメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり、第二次世界大戦の戦後処理と日本の終戦について話し合われました。
 そして、その結果を七月二十六日、アメリカ、イギリス、中国の名でポツダム宣言として発表しました。
 八月八日、ソ連が対日宣戦布告。九日、ソ連軍がソ連と「満州(中国東北部)」の国境をこえて対日参戦し、千島、歯舞、色丹を占領しました。
 八月十五日、日本の天皇制政府はポツダム宣言を受諾して連合国に降伏しました。
 戦後、日本は、台湾、朝鮮、「満州」、南洋の諸島などを失いました。
 また、ソ連の千島、歯舞、色丹を占領は継続しました。
 日本列島の他の地域はアメリカの占領下におかれました。
 その後、占領の時代、半占領の時代が続きます。

 【資料 「ポツダム宣言」全文】

 一 吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート、ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ

 二 合衆国、英帝国及中華民国ノ巨大ナル陸、海、空軍ハ西方ヨリ自国ノ陸軍及空軍ニ依ル数倍ノ増強ヲ受ケ日本国ニ対シ最後的打撃ヲ加フルノ態勢ヲ整ヘタリ右軍事力ハ日本国ガ抵抗ヲ終止スルニ至ル迄同国ニ対シ戦争ヲ遂行スルノ一切ノ聯合国ノ決意ニ依リ支持セラレ且鼓舞セラレ居ルモノナリ

 三 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程更ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破壊ヲ意味スベシ

 四 無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国ガ引続キ統御セラルベキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国ガ履ムベキカヲ日本国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ

 五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ
 吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

 六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ

 七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破碎セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合國ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

 八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
 九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ

 十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

 十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ

 十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

 十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

 【参考文献】

 ○ 不破哲三『新・日本共産党綱領を読む』。新日本出版。二〇〇四年十二月十五日。
 ○ 日本共産党中央委員会『日本共産党の七十年 党史年表』。一九九四年五月五日。

(二〇〇八年九月十日)

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コメント

長大な論文なので、パスしてました。先日こちらでも不破さんの本をテキストに学習会をやり、資料として「ポツダム宣言」を読んだので、あらためてこの欄が目につきました。
余計なお世話ながら、誤字発見!!戦前の日本の支配体制のくだりで、「軍隊と戦争の問題は天皇の“体験”」→“大権”

投稿: 和田英作 | 2008.09.20 07:38

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