高知市 二〇〇八年の僕。
二〇〇八年十二月三十一日。
昨年十二月に四十年勤めた職場を退職しました。持病の睡眠時無呼吸症が悪化したためです。
高知市に、いつきました。
そして、退職二日後に二〇〇八年。
二〇〇八年は僕にとって、どんな年だったのかか。
肯定的なことのみのべます。
○ 高知市の平和資料館・草の家の研究員にさせていたただきました。
○ 土をこねてつくるということを始めました。彫塑の教室に行き、女性の頭像を一つ完成させました。その後、週一回の陶芸の教室に行き始めました。
○ 春、短歌集を発行しました。
○ 春、弟と韓国の済州島、牛島へいきました。
○ 四月、県立高知短期大学に入学しました。夏には韓国でのホームスティという、すばらしい体験しました。前期は、一科目以外は、「まあまあ」の成績でした。後期の試験は、これから。なかなか厳しい状況です。
○ 高知県の月刊短歌誌の編集委員になりました。
○ 五月七日。東京都で公立中学校の教師をやっていた妻が、定年退職して高知市の「わが家」にやってきました(実は、妻が買った家ですが……)。結婚してから四分の一の時間は、僕が単身赴任し、別居生活でした。一応、これで別居は終わりです。
○ 夏休み前に「高知短期大学存続を求める学生の会」に入りました。会のホームページづくり、ビラづくり、知事との話し合いへの参加、存続をの街頭署名でのハンドマイクでの演説、映画づくりへの参加と、いろんな新しい体験をしました。
○ 高知市で開かれた戦争展で、高知県四万十町の高知海軍航空隊第三飛行場についての展示を担当させていただきました。
○ 平和資料館・草の家が、僕が前年に発見した高知県南国市片山の山中の日本軍陣地について記者会見してくれました。
○ 東京から娘、孫娘二人、息子と、その「つれあい」が遊びにきました。
○ 地域の老人会の副会長になりました。
○ 小論文、エッセイの本を出版しました。
○ 高知短期大学の友人宅から子ネコが養女に。クニョ(韓国語で彼女と名付けました)。
○ 九月から、高知市の平和資料館・草の家に勤務するようになりました。
○ 『高知の戦争 証言と調査』という雑誌の編集長になりました(来年一月に一号を発行)。
○ 『高知人』という雑誌の編集長になりました(来年一月に一号を発行)。
○ ハングル学習の先輩が「ハングル日記」の添削をしてくれることになりました。うれしーっ。
○ 高知大学の後輩が「英語日記」の添削をしてくれることになりました(十二月三十一日に)。
○ この一年、新しい友だちがたくさんできました。
さて、二〇〇九年は……。
(写真は、わが家と、隣の家の境界線のエノキの木です)
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