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2008.12.02

「赤虫が蝶なて飛ばば遺念ともて 琉球の悲劇の文学者 平敷屋朝敏覚書」 沢村 昭洋 【その四】

   組踊「手水の縁」の誕生

 波平村の大主(村の支配者)の息子・山戸(やまと)という若者が瀬長山で花見した帰り波平玉川で髪を洗っている美しい娘・玉津(たましん)と出会う。玉津にひかれた山戸は、昔から男女の縁結びの行為といわれた手水で水を汲んでほしいと玉津に頼む。いったん断った玉津も山戸の熱い思いを受け入れる。二人は心が結ばれ、やがて忍びあう恋人になる。山戸は玉津の家に忍び込むが、門番に見つかってしまう。玉津の父親は、親の認めない恋に落ちた、娘を許すことができず家来に殺すことを命じる。いま処刑にされようとするその時、山戸が駆けつけて、玉津を助けてほしい。もしできないなら一緒に殺してほしいと命がけで訴える。二人の純粋な愛情に心うたれた家来は、二人を逃し、二人は結ばれる。
  山戸が語るセリフにこうある。「いかな天竺の 鬼立の御門も 恋の道やれば 開きどしゆゆる」。どんな天竺の鬼といえども、命をかけた若い男女の恋の道はとどめられない、という意味だ。山戸は「恋忍ぶことや世界にある習い」とも叫ぶ。若い男女が恋慕うことは世界で当たり前のことではないか、という主張だろう。こういうセリフにも、この組踊の主題が集約されているようだ。
 最初テレビで観た時に、二人の馴れ初めに戸惑いがあったが、最後まで観ると、これはすごい物語だと驚いた。琉球でも封建社会は、「士階級に恋愛の自由はなかった」のだ。「士にとって逢い話す自由も得られる異性は遊女だけであった。親の承認しない恋愛には女は足枷(あしかせ)をかけて圧服され、男は一門親類の訴えによって、平等所(裁判所)で遠島を申し渡された」(比嘉春潮氏)という時代だった。親が認めない恋愛は不義そのものであった。それが儒教の道徳であり、社会的な秩序でもあった。
 それは、恋に落ちた二人が陥った危機になにより表れている。つまり、親の許さない不義をした彼女は、たんに無理やり引き離されるのでない。親によって斬り殺される。命を奪われるのである。恋をしただけで、自分の愛する娘まで殺さなければ親の世間体がない。そこに、この時代と封建社会の道徳支配の非情な貫徹をみることができる。
 山戸が自分の危険をかえりみず、命を賭して彼女を処刑から救い、自分たちの恋愛を成就させるというこの作品の内容は、いつくかの点で、同時代の組踊、文学とは次元を異にする画期性を有している。
 朝敏は、「手水の縁」を書き上げると尚敬王に差し出したが、封建的義理の否定が主題となっているため、王は非常に驚き、重大な問題として下臣に謀ったところ、秩序を乱す者として処刑と決定したが、彼の和文学の指導を受けたことのある一五人役(各長官で構成)の一人の多嘉良(たから)親方(うぇーかた、間切の領地を有する)の弁明でやっと助かった、というといういきさつがあったとも伝えられる(玉栄清良著「組踊 手水の縁の研究」)。
 この「儒教道徳思想が最も忌み嫌い、法度とする恋愛を声高らかに唱えて、組踊化した朝敏の姿勢は、敬服に値するものである」と當間一郎氏は強調している。
 ここには、理不尽な儒教道徳、倫理を否定しようとする姿勢がある。それはまた、その道徳を基本的な支柱としている封建社会の秩序に対する抵抗にもつながる。その道徳と秩序とは、人間が本来的に持っている愛情、その一つである男女の恋愛という、もっとも豊かな人間感情を押し殺すことにたいする根本的な異議申し立てである。そこには、本来、誰も奪うことのできない人間の本性に対する自覚がある。自我への芽を見ることができる。「人間は誰でも恋愛の自由をもっているんだぞ!」という朝敏の叫びが聞こえてくるようだ。
 重要なことは、封建的な縛りを超えた男女の愛情を、この世では成就できないからと、死出の旅に出るとか、来世で成就するとかという現実逃避に終わらせていないことである。つまり二人の強い意志によって、封建道徳と秩序をも突き動かし、打ち破って恋愛を現世で成就させていることである。恋愛の自由に対する大らかな讃歌が読み取れる。この点で、近松門左衛門の心中物の浄瑠璃などでの限界をはるかに超えた地点に立っているといって過言ではない。ただし、あくまでも、戯曲としての芸術的な完成度、評価は無視して、その主題についてだけで言えばということではある。
 このような封建社会の秩序をなす儒教道徳にたいする挑戦とこれを乗り越えることを公然と主題にした作品世界を作り上げるということは、時の支配者に対する朝敏の感覚にも深いかかわりがあるだろう。首里王府の政治に対する批判精神なしには書きえない内容である。ただし、「手水の縁」も、玉津が処刑されようとする際に、遺言をのべる際に、山戸が男として生まれたからには「国王にご奉公を」というセリフがある。組踊は国王に差し出しており、その限界を当然、認識した上での表現であるだろう。

(つづく)

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