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2008.12.02

「赤虫が蝶なて飛ばば遺念ともて 琉球の悲劇の文学者 平敷屋朝敏覚書」 沢村 昭洋 【その九】

 
   和歌に込められた思い

 朝敏にはたくさんの和歌があるが、そこには彼の思い、思想がにじみ出ているのでいくつか紹介したい。
 「誰のほれ者の 筆とやい書ちゃが 酒や昔から 恋の手引き」。
 どこのバカ者が筆をとって書いたのか、酒は昔から恋の手引きであるのに、という意味だ。当時、禁酒という尚敬王の直筆の碑文に対して、朝敏が風刺したものという。
 「四海波立てて 硯水なちも 思事やあまた 書きもならぬ」。
 四方の海を波立つ海水をずべて硯(すずり)の水にしても、なお思うことは多すぎてとても書きつくせないという意味である。それほど世のあり方に言いたいことが山積していたのだろうか。
 「乱れ髪さばく 世の中のさばき 引きがそこなたら あかもぬがぬ」。
 乱れ髪のような世の中の乱れをきちんとさばかなければ、さばき損ねたらはかどらない、というような意味だろう。この時代、尚敬王の信任をうけていた蔡温の強引な政治に対する朝敏の批判が込められているようだ。
「たとひなま死じも 誰がつれて行きゆが この世やみなちゅて 一人さらめ」。
 たとえ今死んでも誰が死をともにしてくれるだろうか 政治が悪く世の中を闇にしているが 救済する者はいなく、自分一人で死んでいくだろう、という意味である。
 「赤木赤虫が 蝶(はべる)なて飛ばば 平敷屋友寄の 遺念ともれ」。
 赤木の赤虫が蝶になって飛べば、朝敏、友寄の無念の魂の化身と思ってほしい、という意味だろう。処刑が決まった時に詠んだ和歌だという。その昔、蝶は死者の魂、化身と思われていた。彼の処刑の日には、ハンタン山の赤木に蝶が天をおおうくらいに、飛びまわったと伝えられる。平敷屋、友寄ら15人の無念の気持ちを思い浮かばせる歌である。

 朝敏の妻まなびの詠んだ和歌もある。妻は、朝敏が処刑されたあと、身分を士族から百姓に落とされ、娘とともに、高離島に流されたという。
  「高離島や 物知らせどころ にや物知やべたん 渡ちたぼうれ」。
  この島はさまざまなことを教え悟らせてくれたところ。離島の苦しみ、人の情けはもう十分に知ることができました。私の生まれ育った彼の地へ命あるうちに帰り付けることを願っていますというような意味であり、その思いを込めた歌だ。母とともに流された幼い長女は、栄養失調で間もなく亡くなった。まなびは、先島に流された男の子どもたちとは、ついに会う機会をえないままこの島で亡くなったという。
 こうした和歌を読んでも、感じるのは、朝敏の和歌にも、小説にも、組踊にも、彼が何を考え、何を思い、何を主張し、どのように生きたかったのか、共通の土壌があることである。だから、組踊の作品だけを切り離して、他の者が創ったと考えるのは無理があるというか、朝敏だらこそ創作できたのだということがいっそうよくわかる。彼がみずからの信念を実践に移したことで、悲劇的な結末を迎え、自分の人生に幕を引く結果となった。
 この朝敏の悲劇は「当時の封建支配の原理道徳に背を向けようとする、人間としての優しさゆえの到達点であった」(朝敏の追悼碑文から)といえるだろう。組踊は、琉球王朝の時代は、首里王府の独占物であったが、明治維新とその後の廃藩置県によって、琉球王朝は解体され、地方へ、離島へと流れて行った士族たちによって、組踊、歌三線なども広がっていった。村踊りなどで組踊が上演されるようになり、「手水の縁」もよく上演されたという。大正時代に一時、上演禁止になったことはあるが、再び上演を許され、沖縄民衆の熱い共感と支持を得たのである。今日でも人気の組踊の一つであり、高い評価をうけていること自体、その先駆性を示している。朝敏は、34歳の若さで短い生涯を終えたが、その作品は永遠の生命を得て生き続けているのである。

(終わり。くしくも6月26日、平敷屋朝敏の命日に)

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