御前会議でのアジア・太平洋戦争開戦決定の過程 その一
『大元帥 昭和天皇』(山田朗。新日本出版社。一九九四十月三十日)は、日本のアメリカ、イギリスなどにたいする戦争が「一九四一年後半の四回の御前会議をへて決定されていった」(百三十七ページ)としてのべ、その過程をのべています。この指摘にそって御前会議でアジア・太平洋戦争の開戦が、どのように決定されたのか、その過程を私なりにあとづけてみました。
【昭和天皇のもとでの御前会議の開催状況】
まず、御前会議とは何でしょうか。
「御前会議とは、大日本帝国憲法[一八八九年発布]の定めで統治権の総攬者(そうらんしゃ)の地位にあり、また陸海軍の最高統帥者=陸海軍大元帥でもある天皇の臨席のもとで、天皇の国務大権を輔弼(ほひつ)する国務大臣(政府)と統帥(とうすい)権を補佐する幕僚(ばくりょう)長(参謀総長・軍令部総長)らが列席し、対外戦争について国家の最高方針を決定・確認する会議である。」「国務の担当者は統帥にかかわることができず、統帥の担当者は国務を扱えない。天皇のみが国務大権と統帥大権とを一身に兼ね備えていた。そこで、開戦あるいは終戦といった重大な議案については、国務と統帥のそれぞれの代表担当者が天皇=大元帥のまえに列席し、審議し決定するという方式が必要となった。」(『1941年12月8日 アジア太平洋戦争はなぜ起こったか』。江口圭一。岩波書店。一九九一年十一月二十日。百四ページ~百五ページ)。
昭和天皇のもとでの御前会議の開催状況は、以下のとおりです。( )内は、決定された国策文書名など。
1 一九三八年一月十一日 (支那事変処理根本方針)
2 一九三八年十一月三十日 (日華新関係調整方針)
3 一九四〇年九月十九日 (日独伊三国同盟条約)
4 一九四〇年十一月十三日 (支那事変処理要綱に関する件ほか)
5 一九四一年七月二日 (情勢の推移に伴=ともな=う帝国国策要綱)
6 一九四一年九月六日 (帝国国策遂行要領)
7 一九四一年十一月五日 (帝国国策遂行要領)
8 一九四一年十二月一日 (対米英蘭開戦の件)
9 一九四二年十二月二十一日 (大東亜戦争完遂の為の対支処理根本方針)
10 一九四三年五月三十一日 (大東亜政略指導大綱)
11 一九四三年九月三十日 (今後採るべき戦争指導大綱ほか)
12 一九四四年八月十九日 (今後採るべき戦争指導の大綱ほか)
13 一九四五年六月八日 (今後採るべき戦争指導の基本大綱)
14 一九四五年八月九日 (ポツダム宣言受諾の可否について)
15 一九四五年八月十四日 (ポッダム宣言受諾の最終決定)
この原稿では「5」から「8」の御前会議を見ていきます。
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