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2009.01.07

御前会議でのアジア・太平洋戦争開戦決定の過程 その四

 【一九四一年十二月一日の御前会議】

 十二月一日、御前会議が開かれ、「対米英蘭開戦に関する件」が決定されました。
 「十一月五日決定の帝国々策遂行要領に基(もとづ)く対米交渉遂(つい)に成立するにに至(いた)らず
 帝国は米英蘭に対し開戦す」
 杉山は、この御前会議について、つぎのように書き残しています。
 「本日は会議に於(おい)て、お上は説明に対して一々頷(うなず)かれ何等御不安の御様子を拝せず、御気色(けしき)麗(うるわ)しきやに拝し、恐懼(きょうく)[おそれかしこまること]感激の至(いた)りなり」(『1941年12月8日 アジア太平洋戦争はなぜ起こったか』。百十六ページ)。

 【十二月八日、アジア・太平洋戦争を開始】

 こうして、十二月八日、日本軍は、東南アジア全域にわたる侵略戦争を開始するとともに、アメリカにたいしては真珠湾に先制攻撃による奇襲をくわえ、太平洋戦争に突入することになりました。
 この日、昭和天皇名で「米英両国に対する宣戦の詔書」が発表されました。

 最後に、太平洋戦争開始をめぐる昭和天皇の統帥と東条首相の関係における出来事について書いておきます。
 先にのべたようにハワイの真珠湾急襲の任務を受けた海軍の機動部隊は、十一月二十六日、真珠湾に向かって出港しました。
 しかし、東条首相は、そのことを知りませんでした。
 「東京裁判での東条自身の証言によると、[一九四一年]一二月の一日か二日ごろ、参謀総長から、『実はこうなっているんだよ』と知らされたとのことです。しかし、首相は、内閣の誰にも話しません。だから、東条内閣の官僚たちは、一二月八日、攻撃が終わって、アメリカ艦隊壊滅という戦果が分かってから、臨時閣議ではじめてそのことを耳にしたのでした。小学生だった私なども、臨時ニュースを朝聞きましたから、真珠湾攻撃を知った時間は、大臣たちも、小学生[実際は、国民学校生]の私とあまり違わなかったのです。」(『新・日本共産党綱領を読む』)七十六ページ。

 文中の[ ]内は藤原の注です。
 一連の御前会議の決定は、『日本外交年表竝主要文書 下』(外務省編纂。原書房。一九六六年一月十五日)から引用しました。ただし、片仮名まじりの文章を平仮名まじりにし、現代仮名遣いにしてあります。

 【文中で紹介していない参考文献】

 ○ 『シリーズ日本近現代史⑥ アジア・太平洋戦争』(吉田裕。岩波書店。二〇〇七年八月二十一日)。
 ○ 『御前会議 昭和天皇十五回の聖断』(大江志乃夫。中央公論社。一九九一年二月十五日)。
 ○ 『天皇の勅語と昭和史』(千田夏光。汐文社。一九八三年二月十五日)。
 ○ 「日本の戦争―領土拡張主義の歴史 不破哲三さんに聞く 第4回 南進作戦と日米交渉」。「しんぶん赤旗」二〇〇六年九月二十四日付。

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コメント

生々しい御前会議ですね、

産官政の癒着とか、産業がどのような意見具申、
其れを行政官が対外にぶっつけたか、政治も
覇権の為に扇動されなかったか?

この歴史は一言では語り尽くせないでしょうが、
一生の仕事とは関係ありませんが、知ることで
トンボさんにも言い伝えできます。

軍は行政官とは全く別の権力ですかね、
シビルコントロール以前の問題ですね?

ぜひぜひ勉強させてください。

投稿: Fujichuu777 | 2011.11.30 00:13

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