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2009.01.07

御前会議でのアジア・太平洋戦争開戦決定の過程 その二

 【日本がぶつかった日米関係悪化の現実】

 このテーマを考える上で、当時の日米関係をスケッチしておきます。
 日米関係の悪化の根源は、一九三一年九月十八日の柳条湖事件に始まる日本の中国への侵略戦争にありました。
 しかも、その日本は、一九四〇年七月に成立した第二次近衛文麿(このえ・ふみまろ)内閣のもと、「大東亜新秩序」「大東亜共栄圏」の建設を宣言し、武力南進の方針を決めます。
 この状況を見て、これまでは輸出制限などの経済制裁を手控えていたアメリカが、これ以上侵略国への経済支援はできないと、禁輸などの措置を強化してきました。
 七月、航空機用ガソリンを、九月にはクズ鉄の日本への輸出を禁止する措置をとりました。
これが、日本がぶつかった日米関係悪化の現実でした。 
 日本は、なおも、九月二十三日、北部仏印(ハノイ、ハイフォン地域)の武力占領を強行し、九月二十七日にはヨーロッパでの侵略国ドイツ、イタリアと軍事同盟を結びました。
 一九四一年(昭和十六年)一月、松岡外相は、野村吉三郎元外相を大使としてアメリカに送りました。
 アメリカのコーデル・ハル国務長官は、四月の野村との会談で、今後の日米協議の基礎として、(1)領土保全・主権尊重、(2)内政不干渉、(3)機会均等、(4)太平洋現状維持の四原則を提起しました。
 これは、これまでの侵略政策の根本的な再検討を日本に求めたものでした。
 その後の、五月~六月の交渉でも、ハルは「日本は太平洋の西南区域で征服のための武力行使はしないことを保証する用意があるか」「日本政府の心中に中国からの軍隊撤退の時期についてなんらかの決定的な計画はあるか、その撤兵の実際の保証はあるか」「『防共』を名目として日本軍を無期限に駐留させる政策は極度に重大な点だ」など、日米協議の核心にかかわる問題を次々と提起しました。
 しかし、日本の政府・軍部の側には、これらの問題提起に対応する用意はありませんでした。
 そうしたなか、一九四一年六月二十二日、ドイツがソ連攻撃を開始し、独ソ戦が起こりました。

 【一九四一年七月二日の御前会議】

 独ソ戦開始の十日後の一九四一年七月二日、御前会議が開かれました。
 ここでは、事態に対応するための方策として「情勢の推移に伴(ともな)う帝国国策要綱」を決定しています。
 「方針」。
 「一、帝国は世界情勢変転の如何(いかん)に拘(かかわ)らず大東亜共栄圏を建設し以(もっ)て世界平和の確立に寄与せんとする方針を堅持す
 二、帝国は依然支那事変処理に邁進し且(かつ)自存自衛の基礎を確立する為(ため)南方進出の歩を進め又(また)情勢の推移に応じ北方問題を解決す
 (後略)」
 「要領」。
 「(前略)
 二、帝国は其(そ)の自存自衛上南方要域に対する必要なる外交交渉を続行し、その他各般の施策を促進す。
 之(これ)が為(ため)対英米戦準備を整へ、先(ま)ず『対仏印泰(たい)施策要綱』[一九四一年一月三十日連絡会議決定])及(および)『南方施策促進に関する件』[六月二十五日連絡会議決定]に依(よ)り、仏印及(および)泰に対する諸方策を完遂し以(もっ)て南方進出の態勢を強化す
 帝国は本号目的達成の為(ため)対英米戦を辞せず
 (後略)」
 南方と同時にソ連に向かうという南北並進という結論です。
 そして、南方進出のためにアメリカ、イギリスとの戦争も辞せずとしています。
 なお、ここで使われている「自存自衛」という言葉は、日本が南方進出作戦を問題にしだしたころから使われだしました。
 この御前会議のあと、外相が松岡から豊田貞次郎に交代します(七月十八日。第三次近衛内閣)。
 御前会議が決定した戦争準備は着々とすすみました。
 北進については、七月に「関東軍特種(とくしゅ)演習」の名で大軍を「満州国」に結集します。
 南進については、七月二十八日、南部仏印進駐を強行しました。
 南部仏印進駐はアメリカの反撃を招き、アメリカは、八月一日、日本にたいする石油の輸出を全面的に停止しました。
 また、イギリス、オランダも自国内の日本資産を凍結しました。
 日本は、これらから三国で物資を買い付けできなくなりました。
 八月六日、近衛首相は、野村大使を通じて、近衛=ルーズベルト首脳会談での局面打開を提案します。
 この時期は、ルーズベルトが大西洋上でイギリス首相のチャーチルと会談し、世界戦争を終結させる国際的原則について協議している最中でした(大西洋会談)。
 この会談の結論として八月十四日発表された「大西洋憲章」は、いっさいの侵略行為とその結果を認めないことを、「両国国策の共通原則」として内外に明らかにしました。
 「第二に、両者は、関係国民の自由に表明する希望と一致しない領土変更の行われることを欲しない。
 第三に、両者は、すべての国民に対して、彼らがその下で生活する政体を選択する権利を尊重する。両者は、主権及び自治を強奪された者にそれらが回復されることを希望する」
 これは、日本にその侵略政策そのものの再検討を迫るものでした。

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