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2009年2月

2009.02.04

高知市 妻に「明日、二人で飲むか」と誘ったら……。

 二〇〇九年二月五日。

 義 「明日、二人で飲むか」
 尋 「二人で飲むって、すごく息苦しい。息が詰まる。話題もないし。飲むなら誰かと、せめてもう一人と一緒に飲もうよ」
 義 「えーーーーーん」

 せめて「女房、酔わせてどうするのよ」なんて、粋なことをいってほしかった。

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2009.02.06

高知県 月刊誌『高知の戦争 証言と調査』は、あなたの寄稿を、お待ちしています。僕の熱い思いを聞いてください。

 月刊誌『高知の戦争 証言と調査』(戦争遺跡保存ネットワーク高知)は、二〇〇九年一月に創刊しました。
 基本は六十ページ前後、二百円です。
 いま、三月号の編集の校正作業をしていてます。

 あなたも、ご執筆いただけませんでしょうか。
 徴兵、志願や訓練、従軍の体験。
 戦争に反対した人のこと。
 戦死した父や兄弟のこと。
 教育現場(国民学校、中学校、高等女学校、高校、大学)でのできごと。
 学徒勤労動員のこと。高知では風船爆弾もつくっていましたし、県外の兵器工場に動員されました。
 そのころの暮しのこと。
 高知空襲などアメリカ軍の残虐な空襲での被害。
 「外地」でのこと。
 「外地」からの引き揚げのこと。
 高知の戦争遺跡の紹介。
 高知の戦争についての研究……。
 あなたのテーマで結構です。
 締め切りは「毎月15日」です。
 原稿はできるだけメールで、お願いします。

 僕自身は、戦後生まれ。
 兵庫県明石市で漁師をしていましたが、陸軍に徴兵され、朝鮮、中国に従軍した男性。
 最初の夫を陸軍に奪われ、徴用されて高知市で風船爆弾の紙をすかされていた女性。
 戦後、この二人が大阪市で結婚して、その後、僕が生まれました。
 その後、僕たちが住んでいた高知市いの町の母の姉の家には、母の姉の夫の遺影が飾ってありました。三十歳過ぎてから海軍に徴兵され、フィリピンで戦死していました。
 僕は、二十三歳で結婚しました。
 妻の父は、戦争中、水中の特別攻撃隊の訓練をしていました。
 アメリカ軍の攻撃で瀕死の重傷を負い、終戦を海軍病院のベッドで迎えました。
 戦後、高知市で結婚して妻が生まれました。

 僕らは「中継ぎの世代」だと思っています。
 僕らは戦争は知りませんが、終戦直後の「におい」は身につけています。

 父母たちの世代が、侵略に動員されていた時代のことを書き残していきたい。
 そのことで、平和のために役にたちたい。
 なんか、このことが、僕を突き動かしています。

       『高知の戦争 証言と調査』編集担当
     
     藤原 義一
     メール  bqv01222@nifty.com

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2009.02.10

高知市 「あ、あれだ。原稿を出だしてないな」。

 二〇〇九年二月十日。

 夜、何か気になって高知短期大学に立ち寄りました。
 顔見知りが何人か来ていました。
 文集の校正作業だとのことでした。
 「あ、あれだ。原稿を出だしてないな」
 で、そのことには触れないで「さようなら」。
 家で、雑誌の校正をしていたら、その文集の担当者から電話がかかってきました。
 「藤原さん。出していないんですね。出さないとだめですよ」
 優しく、たしなめる声でした。
 この人って、いい人だなぁと思いました。前から、そう思っていたけど……。
 二時間ほどかけて書いてメールで送りました。
 見捨てないでくれてありがとうございます。
 ご迷惑かけました。

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高知市 「あ、あれだ。原稿を出だしてないな」の続き。

 二〇〇九年二月十日。

 その原稿を妻が校正してくれました。

 その原稿を読んで妻が感じたことは「あなたって、純、ピュアー、まっすぐ」。
 えーーっ。
 「では、大好き?」

 妻、いわく。
 「キャッというばあじゃないわねー」

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2009.02.11

高知市 短歌「戦争を歩く」。

和歌山の 青年ツアー 迎え入れ 高知の戦争 語る正月

月刊の 『高知の戦争』 生まれ出る 「平和の思い、あなたに届け」

「高知から 来た原料も ありました」 毒ガス島の 解説を聞く

「ここにもだ」 掩体壕跡(えんたいごうあと) 次々と発見してる 窪川の奈路

特攻の 訓練していた 義父たちと 基地跡めぐる 戦後の四人

須崎でも 竹槍訓練 やっていた 手記の一節 繰り返し読む

開発の 波に飲まれて 戦争の 遺跡消えてく 「何とかせねば」 

手つかずの 戦争壕を 照らし出す 何を語るか 薬瓶など

三時間 戦争鼓舞する 「朝日」読む 巻き込まれそで 怖くなったよ 

「あの山に 機関銃座が 残ってた」 次の世代の 電話受けてる

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2009.02.12

高知市 風邪っぴきの妻を看ないで風邪っぴきの夫は……。

 二〇〇九年二月十二日。

 朝起きたら、のどがいかれていました。風邪です。
 妻も風邪。寝ています。
 でも、妻はテレビを見に二階からおりてきました。
 「ま、ほっといても大丈夫そう」
 と、いうことで、二人分のおかずをつくって、自分だけで食事して、外へゴー。

 いやぁーっ、こまかく動きました。

 ● 午前、高知市旭町の陶芸教室に。湯呑を二つつくりました。来週、これを「整形」する予定。

 ● そして、若い友人と待ち合わせて高知市朝倉の陸軍連隊の施設の残っている所へ。じっくり見学しました。

 ● 平和資料館・草の家に。

 ● そして、午後一時、県庁へ。一時半から副知事への高知短大存続の署名簿提出です。
 そのあと、参加したみんなと食事。

 ● 高知県立図書館にいって、時間ぎりぎりまで一九四〇年の大阪朝日新聞高知版を読んで必要なものをコピーしました。いくっか発見がありました。関連の本二冊を借りました。

 ● 夜、家に帰って、風邪をひいていた妻に、あることで説得(うまくいっていません。SAさん、電話で説得してください)。

 ● ずいぶん遅くなっていた短歌関係の原稿を執筆。妻に校正してもらったうえでファクスで送りました。

 ● そして、高知短大関係の記事を執筆。

 ● 沖縄からメールでいただいた『高知の戦争 証言と調査』の原稿を読ませていただきました。うん、すごい。

 そして、さーて、もうすぐシンデレラ時間です。

 ぬかったこと。
 英語の勉強。
 ハングルの勉強。
 歴史学(通史)の勉強。
 経済学の勉強。

 「明日がある」

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高知市 ここにはニュートンの法則はないのか。ネコ、軽々と高くとぶ。

 二〇〇九年二月十二日。

 「ニュートンの 法則なんぞは 知らないよ」
 ネコ、高く飛び
 はたと見すえる

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高知市 妻の質問、「雲呑って、なーに?」。

 いつも妻に漢字の読み方を教わっているのですが、今晩は、妻に聞かれました。

 「雲呑って、なーに?」

 ワンタンのことでした。

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2009.02.14

高知市 風邪が治りかけたので新しい企画をと‥‥。

 妻に続いて僕も風邪をひいてしまいました。

 昨日は午後から仕事を休ませてもらって、家でとにかく寝ました。

 きょう午前九時に起きたら、まだ声ががらがらしていますが、熱はひいていました。

 さっそく、新しい企画について知り合いに三人に電話しました。

 月曜日から、それの実現に向けて法律とか手続きとかの調査をしようと思っています。

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2009.02.16

美内すずえさん。お元気ですか。

 美内すずえさん。お元気ですか。
 いつぞや、何度も大変お世話になった藤原義一です。
 いま東京を離れ、高知市に住んでいます。

 二月十四日に東京都の娘が送ってくれた『ガラスの仮面 42』、『ガラスの仮面 43』を読んで「ウーン。すごい」とうなりました。
 内容もすごいのですが、このように長期に、この作品をかき続けている迫力には頭が下がります。
 確か始まりは隔週誌『花とゆめ』(白泉社)の一九七六年一号でした。
 単行本にするときには改稿していますね。
 42が二〇〇四十二月十六日の発行となっています。
 二〇〇八年七月二十六日発行の月刊誌『別冊花とゆめ』九月号から続きが連載されはじめました。
 そして、43が、ことし一月二十六日に発売されました。
 ずーっと読んできました。
 44、ゆっくり楽しみにお待ちしています。

 いま漫画家で一番尊敬している人は、美内すずえさんです。

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高知市 高知県特高課の防諜の取り締まりと副読本『高知読本』。

  「ものを書くためには基礎的なデータの調査が大事だ」と、いまさらながら気づいて、戦前の大阪朝日新聞の高知版を読みはじめています。

 以下、その作業の中での発見です。

 大阪朝日新聞の高知版の一九三九年八月二日付に、当時の防諜の取り締まりの様子の一端がわかる記事が載っていました。

  『高知読本』取締令抵触問題です。
 高知県特高課が、高知市初等教育研究会が編集し、市内十三校の五年生以上の児童の副読本として使用している『高知読本』の写真や内容の一部が戦時下の現在、防諜上面白くないといいだしたのです。
 問題とされた箇所は、つぎのようなものでした。
  巻頭一ページ大の空中から撮影した高知市の写真、そのほかの空中および高所から撮影した写真四枚、その他の写真など約二十枚近く。
 凸版使用の図解では上水道や食塩分解などの説明用のもの。

 この『高知読本』(二百九ページ)が高知県立図書館にありました。
 一九三五年四月十日発行。発行者は高知市教育会代表者・濱田稔さん。発行所は、高知市役所構内の高知市教育会です。
 「はしがき」によると、これは高知市内小学校児童五学年以上向けの「郷土的読物」です。高知市教育会が高知市初等教育研究会に委嘱して編纂を計画したもので、一年にわたって三十人の教師が委員になって研究調査して、「関係各方面の方々」指導、援助を受けて編纂したものだということです。
 写真が九十五枚載っています。山内一豊の銅像の写真は供出に出される前の姿として貴重です。高知城天守閣からのながめ、飛行機から見下ろした高知城付近を見ながらアメリカの空襲で焼かれる前の高知市に思いをはせます。
 あれれ、破られているページがあります。百三十三ページから百三十八ページまでです。百三十三ページの右隅に「一三三頁-一三八頁マデ削除(八月二十日)」とペンで書かれていて、その下に「検収」というハンコが押されています。
 何が書かれていたのでしょうか。「目次」などから推察すると破られているのは「第二十 鏡川と上水道 二、上水道」の一部です。

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2009.02.17

高知市 「『最大の 経済危機ぞ』 子ネコにも いって聞かせて 身を引き締める」。

 「最大の 経済危機ぞ」 子ネコにも いって聞かせて 身を引き締める

 こんなこ中でも笑っているやつらがいるんだよね。 

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高知市 みぞゆうの 泥酔会見 画像見る。

 みぞゆうの 泥酔会見 画像見る 「昼から飲とは。あんまりことぜよ」

 おまん。仕事中やろう。

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高知市 中川さん辞任。「夕刊、トップよ」。

 午前中、仕事。午後、刷りあがった月刊誌『高知人』二月号をもらいに印刷所へ。そして、少し回り込んで神社見学。高知短大で英語の勉強。先日の「やぶこぎ」で失くした眼鏡の新調。……と、こまかく走って夜七時半に帰宅。

ふーっと息をついて、妻に「中川さんは、もう辞任したかい」と聞くと「とっくに辞任したわよ。夕刊、トップよ」。「へーっ。やっぱり」。 

 深酒の 疑惑の渦中(うずちゅう)

 三日目に

 大臣のイス 飛んで行ったよ

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2009.02.19

高知市 高知短期大学の後期の成績通知日です。

 二〇〇九年二月十八日。

 「成績は?」
 「良かったですよ」と うれしそう
 一生懸命 やっていた学友(とも)

 高知短期大学の後期の成績通知日です。
 やっぱり不可が一科目。
 八科目は満足。
 一科目は「もっととれていると思ったけれど……」。

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2009.02.20

高知市 日本史を古代からてのひらに乗せたい。

 二〇〇九年二月十九日。

 勉強=英語、日本史。

 日本史を古代からてのひらに乗せたいと思い、勉強を始めました。

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高知市 さすらいの卒業旅行のライダーに会ったよ。

 仕事の帰りに高知市内の大型電器店に寄りました。
 ある本を探していたのですがありませんでした。

 とぼとぼと駐車場にやってきたら、どっさり荷物を積んだ多摩ナンバーの二五〇CCのオートバイが、青年が乗るしたくをしていました。

 「ツーリングかい?」
 大学(化学)の卒業旅行だといいます。四日前に東京都を出たといいます。これから四万十市に行ってテントを張って寝るとのことです。
 「僕も何回かツーリングしたけど、九州もいいよ。ぜひ」
 高知の「おすすめ」を聞かれましたので、四万十市なら四万十川の女流の西土佐、四万十市に行く途中の梼原町(ゆすはら)の千枚田が素敵といいました。
 「今晩は、ぼくんちに泊まっていったら」という言葉が出そうになりましたが「連れて行ったら女房が『掃除をしていないのに』と怒るだろうな」と思って口に出せませんでした。

 ライダーさん。
 もし、この記事を見たら、ご連絡ください。
 帰りに「お宿」が必要なら、それまでに掃除しておきますから……。

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高知市 日本史、ほんとかな その一 百残って、倭って……。

 「高句麗好太王碑文」によると。
 百残(ひゃくざん)と新羅(しんら)は、高句麗の支配下にありました。しかし、三九一年、倭は百残と新羅を破って臣民となしたとあります。

 百残とはどこのことでしょうか。
 百済という説があります。なぜ、そうといえるのでしょうか。
 倭は、日本のことだとう節があります。その根拠は。

  で、倭国って、どのエリアだったのでしょうか。

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高知市 日本史、ほんとかな その二 興(こう)、武って誰のことなの……。

 『宋書』倭国伝。
 倭国王の名前として興(こう)、武という名前が出てきます。

 興は、安康(あんこう)天皇のこと、武は雄略天皇のことというふうになっているようですが、そんなことが、なぜわかるのでしょうか。

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高知市 日本史、ほんとかな その三 ワカタケルノオオキミ、武、雄略天皇が同一人物だと、なぜわかるのかなぁ。

 稲荷山古墳出土鉄剣銘。
 四七一年七月の文章です。
 ワカタケルノオオキミという名前が出てきます。

 この人を武つまり雄略天皇としているようですが、それは、どういう根拠なのでしょうか。

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高知市 日本史、ほんとかな その四 アメタリシヒコ=女帝の推古天皇って……。

 『隋書』倭国伝。
 六〇〇年のこととして、倭王のアメタリシヒコのことが出てきます。

 アメタリシヒコを推古天皇としている本があります。
 そういえる根拠は、どんなことでしょうか。
 推古天皇って女帝ということになっていますよね。その名前がヒコですかねえ。

 この本によると、六〇七年、アメタリシヒコは隋に朝貢します。

 六〇八年、隋は、文林郎裴清(ぶんりんろうはいせい)を倭国に派遣したとあります。

  『日本書紀』は、推古天皇の六〇八年九月、唐の客・裴世清(はいせいせい)が国へ帰ったとあります。

 彼は、隋でなく唐の人ですし、名前が違います。

 もっとも唐ができるのは六一八年です。

 なんかちぐはぐですねー。

 しかし、ここいらはちぐはぐのまま、ちぐはぐと表現したほうがいいと思いますが、いかがでしょうか。

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2009.02.21

高知市 終戦のとき、朝鮮にいた女性の話を聞きました。

 午後、高知市で、朝鮮で終戦を迎えたという女性に会いました。
 彼女は、三人きょうだいの真ん中。
 当時、五歳。
 父は、高知市の城東中学校を出て、その後、警察官に。そして、朝鮮に赴任したといいます。
 そこで一九四五年六月に召集されて、フィリピンで戦死しています。
 朝鮮人のお手伝いさんが二人いて、おひな様も七段重ねという暮らしぶりでした。
 それが終戦で一変しました。
 彼女の家にも朝鮮人が押し寄せ、家の物を略奪しました。
 家にロシア兵がやってきたこともありました。
 引き揚げの船が出るときいて危険な長旅をしました。
 そして、日本へ‥‥。

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2009.02.22

高知市 やっほー。映画「窓辺に燃ゆる夕日影 高知短期大学で学ぶ」(前編)がインターネットで見られます。

映画「窓辺に燃ゆる夕日影 高知短期大学で学ぶ」(前編)がインターネットで見ることができるようになりました。

 ここです。

 ご覧いただければ幸いです。

 http://www.youtube.com/watch?v=p4UjvPilPVQ

 高知短期大学の教員、学生、OBの有志がつくった

 やっほー。

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2009.02.23

二月二十三日。六十二歳の誕生日の一日。

 わが住みかは高知市東部の農村です。
 広い田んぼが広がっていて一定の地域に広い家が密集しています。
 私の家は、田んぼのへりの二軒家です。
 一軒には私たち夫婦とメスネコ、もう一軒には独身の私の弟が住んでいます。

 で、きょう二月二十三日は、私の六十二歳の誕生日です。

 悪夢で目覚めました。
 「『物体を瞬時に他の場所に移送することに成功した。記者会見をします』という告知に気づいて、翌朝、取材にいきました。ところが、午前八時半に記者会見は終わっていました。『でも、せっかく来ていたいただいたので』とトップの四人が私を囲んで説明してくれることになりました。『あの、僕は、この件については基礎知識がありません。イロハから質問させていたただきます』。『物体を移送するときに、途中、どこかにぶつからないのかなぁ』などの質問を繰り出す僕。背筋からタラーッと冷や汗が流れてきました」
 で、目覚めました。
 ネコが胸の上に乗っかって悠然としていました。
 苦しいわけです。
 「また、悪い夢を見た」
 「夢って、つらいわね」

 そして、妻に続いて、いつもの朝風呂を楽しみました。
 ネコが、私の朝風呂姿をじーっとのぞきこんでいます。
 「おーい。ネコを風呂に入れるぞ」
 「やめて、やめて。ネコが風邪をひくから。もっと温かい日にして」

 食事をしながら、新聞を読みました。
 そして、朝八時二十分、オートバイでわが家を出発。九時に職場に到着しました。

 九時四十九分に山口県の娘の世代の女性から「おめでとうメール」をいただきました。
 「日々前進を続けられる藤原さんをみていると私も年齢を重ねるのが何だか楽しみに感じます」
 うっれしーーっ。あなたは優しい人です。
 優しい二児の母です。少林寺拳法をやっていて、いま足首を負傷中とか。お大事に。

 職場では、いま日中戦争、太平洋戦争の時代の高知の様子を描く映画をつくろうとしています。二十五日(職場の休みの日)、三月一日(日曜日)と取材先にいく約束をとりつけました。

 記事を二つつくって一つをブログにアップ。もう一つは、明日にまわしました。 

 職場の帰りに本屋で英文法の教材を買いました。

 家に帰りついたら妻がバースディケーキを用意してくれていました。
 弟と三人のバースディパーティです。
 私と弟がビールをがんがん飲んでいます。
 下戸の妻はサービス係です。
 「三月十九日から三人で台湾にいこう」
 しきりに提案する私。私の研究テーマもあって、台湾には行っておきたいのです。
 妻が「いや」というので話が進みません。
 話題は地域のことに。
 「きのうの町会の集まりでも出たけど大津バイパスは危険だから、信号などを何とか改善したいね」と私。
 ひとしきり議論が弾みました。
 その後、弟が吠え始めました。
 「この地域で、祭りをやろう。地域の楽しみがない。農業まつりでできたものを売ってもいい」
 「大津バイパスは危険だからなんとかしたい」
 「この(わが家の)前の道路もガタガタだから直してもらおう」
 「一度、真夜中に二匹見たけど、庭の畑にきて荒らしているいるのは、どうもハクビシンではない。アナグマなのかもしれない」
 もう午後十時近くです。

 私はCDで英語の勉強をし始めました。
 帰りに買い込んできた英文法の教材です。
 弟と妻はとめどなく話しています。

 ところで、東京の、宮沢えりさんと同世代の娘も私の誕生日に反応してくれました。
 美内すずえさんの漫画『ガラスの仮面』の単行本二冊をお祝いに送ってくれたのです。
 感謝。
 同じく東京在住の息子は無反応。携帯電話に電話しても出てきません。
 息子は役に立たんのう。ま、そんなもんやろう。
  やっと電話がきました。

 「なに? なに?」

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2009.02.24

高知県 高知県本山町でアメリカ軍機の低空飛行訓練がひんぱんになっています。見に行きませんか。

 高知県本山町でアメリカ軍機の低空飛行訓練がひんぱんになっています。見に行きませんか。

 高知市、二十七日(金曜日)午前八時半出発で計画しました。
 参加されるかた、メールをいただけませんか。

 本日の昼休みに青年二人、老人一人の対話から生まれた急な行動です。

 よろしく、お願いいたします。

 メールをいただければ詳細をお伝えします。

  bqv01027@nifty.com

 

 事務所に昼休みに訪れた娘さんと、事務所の青年、私が話していて、こういうことになりました。

 「藤原さん、生きいきしてますね」

 このことを話しているときに娘さんからいただいた言葉です。


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2009.02.25

高知県 ヘーヘーハーハー。越知町の山の尾根の聴音壕をビデオ撮影したよ。  

 本日は職場は休み。
 高知市内で午前八時半に待ち合わせしてFUさん(38)のジープで県下越知町へ。僕は登山靴をはいています。同町の山の尾根に残るアジア・太平洋戦争中の聴音壕をビデオ撮影するためです。

 約一時間半で越智町に到着しました。

 まず、地元の歴史研究者のお宅を訪ね、この件についてお話を聞きました。
 この聴音壕について本に執筆しておられました。すごいです。

 さて、最近、この聴音壕にいったことがあるFUさんと二人で山登り。
 始めは幅数十センチで三十度ほどの傾斜の山道でした。
 しかし、例のごとく五十メートルほど歩くとヘーヘーハーハー。汗がだらだらと流れおちます。
 僕はの肺活量は、なぜか普通の人の半分しかないのです。医者に対策を聞くのですが「太りすぎ。やせなさい」というばかりです。
 歩いて休んで、休んで歩いて……。
 見かねたFUさんが「荷物、持ってあげましょうか」。
 持ってもらいました。
 「僕は、もう無理。先にいって。このカメラで撮ってきて」
 「もう半分きました。ゆっくりいきましょうよ」
 谷に着きました。
 谷の水をゴクゴク飲みました。
 「うへーっ、うっまーーーい-」
 つえをつき、はうようにしながら登りました。
 しばらく登ると四十五度の道なき所を上ることに。
 僕にとってはエベレストです。
 休み休み、休み休み。ついに到達。
 聴音壕のわきに座り込んで一息ついてから撮影開始。
 急に足が軽くなったから不思議です。

 午後二時前に高知市へ到着。
 二時から英語の勉強の時間に間に合いました(先生一人、生徒三人で中学英語の文法から学びなおしています)。

 FUさん、ありがとうございました。お世話をおかけしました。

 【参考 聴音壕についての記事】

 http://www.city.midori.gunma.jp/bunkazai/azuma08.htm

 http://www.kanshin.jp/kusatsu/index.php3?mode=keyword&id=680066

 http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn011/ootukibo/ootukibo.html

 http://www.arakawas.sakura.ne.jp/backn012/tomogasi/tomogas3.html

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2009.02.26

高知市 ノーベル賞の益川教授の発言に感激。「本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す」。

 朝日新聞一月三十一日の記事を、いまごろになって読みました。

  感動しました。

 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)が、昨年12月にストックホルムで臨んだ受賞講演でみずからの戦争体験に触れたというのです。
  「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に触れました。
  益川さんは1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災しました。
  「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。こんな経験は子や孫に絶対させたくない。……」
  作家・大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同して、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になりました。
  「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけないでしょ。いろんな理由をつけて自衛隊がイラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す」

  記事は、以下の所にあります。

 http://www.asahi.com/science/update/0131/OSK200901310014.html

http://www.asahi.com/science/update/0131/OSK200901310014_01.html

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高知県 アメリカ軍機来襲、一日に三回。本山町からの急報。

 高知県本山町の年下の友人から電話やメールで連絡がありました。
 アメリカ軍機の本山町への来襲についてです。

 一回目。午前十時過ぎ。
 三回目。午後三時過ぎ。
 

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高知市 高知商業学校の兵庫県尼崎市のヤンマーディーゼルでの武器づくり、高知県での風船爆弾製造の研究……。

 何かを知りたいと思って動いていると、次々とデータを持った人がやってきてくれるという感じを受けています。

 昨日は、高知商業学校の生徒だった人から、兵庫県尼崎市のヤンマーディーゼルの工場で潜水艦の部品をつくらされていたという話を聞きました。

 本日は、陶芸教室で湯呑をつくっているとき、たまたま、その家を訪問した人と対話。父が高知県で風船爆弾製造の研究をしていたというのです。

 うれしい。
 今後、きっちり聞かせていただこうと思っています。

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高知市 オートバイで「全国制覇」の夢。

 本日、自動二輪の免許を更新しました。
 三年有効です。
 というと、六十五歳までです。
 日本でツーリングしていないのは、北海道、中国地方、沖縄など、オートバイで「全国制覇」したいと思っています。

 せめて七十五歳まではオートバイに乗っていたいと思いますが……。

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2009.02.27

高知市 平和資料館・草の家のブログに同館の収蔵物が紹介され始めました。

 平和資料館・草の家のブログに同館の収蔵物が紹介され始めました。
 いまのところ、次の四点です。

 ● 子ども向け雑誌『ツヨイコ ヨイコ』一九四四年一月号。 

 http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50211875.html

 ● 紙芝居「銅像物語」-回収された小使いさんの銅像。

 http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50214551.html

 ● 「貯蓄戦でも米英打倒!」をアピールする生命保険統制会のビラ。

 http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50211872.html

 ● 一九四四年十二月発行の紙芝居「無名の母」。

 http://blog.livedoor.jp/kusanoie/archives/50214765.html

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2009.02.28

高知市 四歳男の子の愛唱歌「Take me home, Country Roads」。

 午後、四歳の男の子と話していたら、いま好きな歌は「カントリーロード」だということでした。
 「知り合いのお母さんが歌っていて好きになった」とのこと。
 彼は、日本語で歌っていましたが……。

Take me home, Country Roads

詞・曲 Bill Danoff, Taffy Nivert, John Denver 歌 John Denver

Almost heaven, West Virginia
Blue Ridge Mountains, Shenadoah River
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountains, growin' like a breeze

Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads

All my mem'ries gather'round her
Miner's lady, stranger to blue water
Dark and dusty, painted on the sky
Misty taste of moonshine, teardrop in my eye

*repeat

I hear her voice, in the morning hours she calls me
The radio reminds me of my home far away
And drivin' down the road I get a feelin'
That I should have been home yesterday, yesterday

*repeat

Take me home, country roads

 【ここで聞くことができます】

http://www.iknow.co.jp/lists/11364

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