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2009年3月

2009.03.01

高知市 映画「高知の戦争」、撮影、少しずつ進んでいます。

 日曜日です。
 午後、映画「高知の戦争」の二つ目のシーンを撮り終えました。
 「中国東北部の満州で戦死した兄」についてのインタビューです。
 家に帰ってからビデオ映像をパソコンに取り込み、借りてきた写真、手紙六つをスキャンして画像にしました。
 そして、その部分のシナリオをつくりました。

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2009.03.02

高知市 ロボットが「心」を持ち、家族を形成して人間と同じように暮らす時代になりました……。

 ロボットが「心」を持ち、家族を形成して人間と同じように暮らす時代になりました。
 しかし、ロボットたちの仕事は一方的に人間に奉仕することに留まっています。
 人間たちのロボットにたいするべっ視は根強く、乱暴に扱っています。

 藤原も同じでした。
 しかし、ロボットたちと一緒に、ある社会運動に参加したことをきっかけに藤原は人間・ロボット平等論に立つようになりました。
 幸い藤原には十分なお金があります。「そうだ、テレビ局をつくって人間・ロボット平等論のキャンペーンをしよう」
 実行しました。
 人間たちはほとんど反応しませんでしたがロボットたちは反応しました。人間とロボットの平等を求めるロボットたちの社会運動が起こりはじめました。

 で、いつものように、ここで目覚めました。
 「いま何時?」
 「五時半よ」
 妻が答えました。
 夢の内容を話しました。
 なぜか東京にいるはずの娘もいました。
 「何か、そのストーリー聞いたことあるなぁ。ああ、あれだ」
 娘は僕の枕もとにある短編小説集を指さしました。
 その中の一編が、同じようなストーリーでした。
 でも僕は「前に読んだ手塚治虫さんのマンガの影響かな」と思っていました。

 とにかく、もう一眠り。
 また、さきほどの夢の続きを見ました。

 今度起きたら午前七時。
 「おっと。起きなくては」
 あれれ、娘は、やっぱりいませんでした。

 あれも夢だったんだ。
 お金があるどころか年金暮らしの藤原がそこにはいました。

 さあて、きょうは仕事。

 ある行事の企画を練る。

 ニュースの原稿集め。

 映画の取材先の選定。

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2009.03.03

高知市 アジア・太平洋戦争の時代につくられた、 お寺の数十メートルの横穴壕(ごう)。

 午後、Oさんと高知市内のお寺へ。

 アジア・太平洋戦争の時代の、一九四三年か四四年につくられた横穴壕(ごう)に入るためです。
 僕はビデオ撮影の係です。

 寺の庭の山側に井戸を中心に数十メートル離れて二つ穴がありました。
 中に入ると岩がむき出しになっています。
 天地、左右二メートル以上です。
 暖かくて、湯気でレンズが曇ってぼけてしまいました。
 途中で崩れてストップしていますが、当時はU字形でつながっていたといいます。
 長さは数十メートルあります。

 当時を知る人によると一九四五年七月四日のアメリカ軍機の高知空襲のときには多くの人が、ここの井戸の水を求め、この壕に逃げ込んだそうです。

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高知市 高知短期大学存続を求める会のホームページで映画「窓辺に燃ゆる夕陽影 高知短期大学で学ぶ」を見ることができるようになっています。

 わっおーーっ。

 高知短期大学存続を求める会のホームページで映画「窓辺に燃ゆる夕陽影 高知短期大学で学ぶ」を見ることができるようになっています。

 すっごーーーい。

 このホームページ、「短大存続」で検索していただければ見つかります。

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高知市 妻のいう「所定の位置」ってどこ……。

 「○○ない?」
 と、妻に聞くと、
 「所定の位置」
 という返事が返ってきます。

 ○○は、ときどきに
 「綿棒(耳ゴゼゴゼ用)」
 「ズボンのベルト」
 「ビールのせん抜き」
 「ビデオの三脚」
 と変わりますが、
 返事はいつも
 「所定の位置」
 
 つまり、彼女が勝手に決めた場所に
 移動しているのです。
 しかし、「所定の位置」にないことが多いのですよ。
 これが……。

 「また、ネコがどっかに持っていったかよ」
 僕のせいいっぱいの
 「妻への反抗」です。

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2009.03.04

高知市 つれあいの名言。「順調に加齢が進行しているということよね」。

 つれあい妻を見ていると「おいおい、大丈夫かい」と心配になることがあります。
 その点を指摘すると
 つれあいいわく。
 「順調にカレイが進行しているということよね」
 カレイって。ああ、加齢のことですね。
 何か負けてはいない人です。

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2009.03.06

高知市 短歌。「このごろの思い」。

 戦争下 高知の姿 映像で 復元しよう 壕(ごう)めぐってる

 毎月の 二つの雑誌の 校正が 終わった夜中 ビールがうまい

 教えられ 「保険料が 半額の法、見つけたよ」 生活の知恵

 大学で 日本の歴史 学びたい 六十二歳の 受験勉強

 英語をね なんとかしなくちゃ 中学の 教科書学ぶ 六十二歳が

 「あきらめず。大学編入、一緒にね」 年下の女性に 演説してる

 「制限は 四十分です」 短さに あせっているよ 夜の模擬試験

 「わーっ、すごい」 講義に感激 その教師 娘、息子と 同じ世代

  
 妻寝てて ネコが迎えて くれました 「気高い顔だね」 ほめてあげてる 
 

 「低額」の 給付金だね 馬鹿にすな せめて百万 戻しておくれ

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高知市 「メフィストフェレス」で「うたごえ」。

 今夜、初めて高知センター合唱団喫茶部のやっている月一回の「うたごえ喫茶」にいきました。会場は、高知市の喫茶「メフィストフェレス」の三階です。  参加者は四歳からウン十歳まで二十数人。途中から、つれあいも参加しました。

 演奏はピアノとギター、司会者は二十歳代の男女二人です。
 数曲、みんなで歌ってから「リクエストボックス」に入った希望の歌をうたいます。
 僕がジーンときた歌は、「ケサラ」、「わが母のうた」、「ウラルのぐみの木」。
 四歳と六歳の男の子がマイクを持って「カントリーロード」を歌いました。
 パチパチでした。

 僕は亡くなった友人・中西英治さんが作詞・作曲した「ドン・ドン」を歌わせていただきました。
 ♪赤いトンボを 知ってるかい/ボクがおまえの年頃は/一番星の空の下/スイスイとんでいたんだぜ/トンボになって そらをとぶ/ゆめをこんやは みておきな……
 「中西さん。あんたの歌はうたいつがれているよ」

 次回は四月三日(金曜日)午後七時から、喫茶「メフィストフェレス」の三階で。
 「メフィストフェレス」は、高知市帯屋町2の5の2。路面電車「大橋通り」下車、すぐ。

 中西英治さんについては、以下のページに。

 http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2007/04/post_e7bf.html

 http://hibakusha50.noblog.net/blog/10336193.html

 http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10037845446.html

 メフィストフェレスって何。ここにありました。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%82%B9

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2009.03.08

高知市 「田役」、三時間でヘロヘロに……・ 

 日曜日です。

 午前八時から地域の「田役」に参加。
 内容は農業用水路(幅一メートルから二メートルくらい)にたまって「ヘドロ」などをかききあげ、撤去する作業です。
 数十人が参加したと思います。

 水路の中に島になっている所をスコップなどでくずして、撤去します。
 カメやコイなどの魚、二枚貝などに出合いました。
 ハーハー、ヘーヘー。
 カメラとパソコンしか持ったことのない「青白きインテリ(?)」には、つらい作業です。
 途中で、お茶などが出ました。
 「ふーーーっ、生き返った」
 五〇CCのバイクがはまっていました。
 ロープをかけて、みんなで引き上げました。
 暗きょになっている所にもはいって「奮闘」。
 気がついたらダンプカー、ショベルカーもいました。
 三台ずつ借りているそうです。
 人と機械が有機的に動きます。
 すごい「地域力」です。

 三時間の作業が終了。
 汚れ切り、体力もヘロヘロ。
 先に帰っていた妻に聞くと
 「私たちは九時に終わった」
 何なんだ。
 風呂に入って午後一時まで爆睡。

 日本史を少し勉強して、今度は高知短期大学に。

 受験生募集を成功させるための集まりです。
 二十人ほどが集まってくれました。

 そして、夜は、ある「飲み会」に参加。
 帰宅は夜十時半。

きつい日曜日でした。

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2009.03.09

高知市 短歌十首「このごろの思い」改善版。

「映像で、あの戦争を伝えよう」 尾根の遺構にビデオ持ち立つ

検閲をかいくぐってきた亡き兄の手紙を示す男の目の奥

「肉迫」でタンクを壊す訓練の日記の記述 高知の戦争

毎月の二つの雑誌の校正が終わった夜中 ビールがうまい

大学で日本の歴史学びたい 六十二歳の受験勉強

「英語をね、なんとかしなくちゃ」 中学の文法ぶ六十二歳が

「制限は四十分です」短さにあせっているとこ 夜(よ)の模擬試験

妻寝てて、ネコが迎えてくれました 「気高い顔だね」ほめてあげてる 

両手挙げ「春だ。春だよ」叫んでる 高知の街路のモクレンたちは

「払い過ぎ」教えてもらい保険税半値になりそう 春の日のこと

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高知市 昨日の「田役」の影響で本日は腰がパンパン。というより、痛い。

 昨日の「田役」の影響で本日は腰がパンパン。

 というより、痛い。

 うーん。

 明日には治っていたいものです。

 本日は、夜八時までビデオ取材。

 帰って妻に印刷を命じられてやりました。

 そして、原稿を二つつくりました。

 いくつかのことが積み残しになりましたが、まぁ、「明日、明日」。

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2009.03.10

高知市 いま注目。加藤雅友弁護士の曲「底冷えの工場から」。 

 夜、あるかたから電話をいただきました。加藤雅友弁護士(仙台市在住)のつくった歌「底冷えの工場から」が、注目されているというのです。

 一九七八年の歌です。
 埼玉県狭山市の日本電波工業が、百五十人を大量解雇し、それに抵抗した青年グループの中の二十七歳の男性を製造ラインからはずしてグラウンドの穴掘りに、二十五歳の女性を便所掃除にまわすという業務命令をしました。
 その措置の撤回を求めるなかで加藤弁護士が、この歌をつくりました。

 その「底冷えの工場から」のことを、二月二十七日のTBSテレビの「ニュース23」が放映したそうです。
 いまの時代とのからみです。
 三番は、こんな歌詞です。

 底冷えのする工場から
 さびしく去った仲間たち
 家族かかえて 寒空に
 いまごろ 何をしているだろう
 希望退職 150人
 切り捨てゴメンの 人べらし
 闘う心は くじけない
 働く仲間よ 胸をはれ
 底冷えのする街に 太陽がのぼるまで
 闘う心は くじけない
 働く仲間よ 胸をはれ
 底冷えのする街に 太陽がのぼるまで

 【「底冷えの工場から」を聴くことができるページ】

 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/sokobienokoubakara.html

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2009.03.12

高知市 撮影したビデオテープの整理。うーん。

 昨日、一昨日、一昨年から撮っていたビデオテープを整理しました。

 「撮りっぱなし」でしたりで見直して「何が入ってるか」を記録し、整理するというのはかなりの作業でした。

 やっぱり一本一本整理していくということが大事だなと痛感しました。

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2009.03.13

高知市 月刊『高知人』四月号、月刊『高知の戦争 証言と調査』四月号の原稿のことで夫婦で作業。

 午前九時から夕方までは仕事。

 一日中、強い雨でした。オートバイでの通勤ですが帰りは雨具を着ているのにびしょぬれになってしまいました。

 本日夜は月刊『高知人』四月号、月刊『高知の戦争 証言と調査』四月号の原稿のことで夫婦で作業。
 いまさっき『高知の戦争 証言と調査』の夫婦の記事の一稿が完成。妻は、『高知の戦争 証言と調査』の別の記事の入力作業を続行中です。
 何とか十五日夜中には、二つとも原稿がそろいそうです。
 月刊『高知の戦争 証言と調査』五月号の原稿は、本日入稿しました。

 そういえば昨日午前に二つの雑誌を送ってあった男性から「ぜんぶ読みました」という電話がありました。
 「高知工業学校のときの、高知市桟橋の工場に動員されて催涙ガスをつくっていた」とのことでした。

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2009.03.14

高知市 アジア・太平洋戦争中の馬用の毒ガス防止の覆い。

 わが職場にアジア・太平洋戦争中の馬用の毒ガス防止の覆いがあることがわかりました。

 午後は、それをどう展示するかに腐心しました。

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2009.03.16

高知市 トーイックの試験を受けました。

 二〇〇九年三月十五日。

 休み。

 トーイックの試験を受けました。
 初めてです。
 二時間で二百問。
 最初はヒヤリング。
 うわーっ、考えているうちに次の問題って感じです。
 そして、リーディング。
 問題をさっと読み回答でないと間に合いません。
 もちろん結果は満足できるものではありません。トホホホホホ……。

 終わってから、早速、本屋に走り、次回のための参考書を買いました。

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高知市 近所のパソコン教室に寄りました。

 二〇〇九年三月十五日。

 夕方、妻の通っている近所のパソコン教室に寄りました。
 ビデオの編集を習うためです。
 早速、一時間目を受講。
 あすの夜から二時間ずつ受講することにしました。

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高知市 「ぜひ、母の話を聞いてください」。九十七歳の空襲体験。

 二〇〇九年三月十五日。

 夕方、初めて会った女性に、高知の戦争のときの様子をビデオ番組にしようとやっていると話したら、「ぜひ、母の話を聞いてください」ということになりました。
 九十七歳だそうです。
 高知の、僕の妻の父たちが住んでいた所の近所に住んでいたそうで、高知空襲のときには鏡川に逃げたそうです。
 「川の中で恐怖のあまり、一歩歩くごとにちびった」と話しているそうです。

 何か、やりたいことが、どんどん前に進みそうでうれしい。

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高知市 わーっ、締め切り。月刊誌『高知人』四月号、月刊誌『高知の戦争』四月号。

 二〇〇九年三月十五日。

 今夜は月刊誌『高知人』四月号、月刊誌『高知の戦争』四月号の締め切り。

 『高知人』
 高知高校卒の茨城県の男性からの原稿、県下本山町の女性の原稿をメールでいただき、編集、印刷担当にメールで転送。

 『高知の戦争』
 南国市の先輩の男性の原稿を打って校正。
 南国市の青年の原稿を整理し校正。
 僕たち夫婦の原稿を整理して校正。
 こちらのほうは妻の援助も得て、かなりの時間をかけました。

 妻は「なんで私が、こんなことをせないかんが」。

 「夫婦は一つ、一対で夫婦ながやき」

 「そんながは、いや」

 何万回となく同じ会話を繰り返している手ような気がします。

 「おまんの仕事の手伝いも、かなりしゅうけんぞと……」

 妻とは彼女が十八歳のときからの付き合いです。

 えっ、もう六十一ですか。

 僕も六十二ですが……。

 次号は『高知の戦争』が四月十五日締め切り、『高知人』が四月二十三日締め切りです。

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2009.03.17

高知市 わーっ、毎月一、二人の脱走兵ですか。「日本一の逃亡兵連隊」、高知陸軍四十四連隊の「秋山二等卒」のこと。

 三月十七日のことです。
 一九三二年一月から四月の土陽新聞を見たくて高知県立図書館に。
 しかし、マイクロフィルムを見ると欠版になっていました。

 そのかわり一九二八年十月十四日付、十六日付の「逃亡兵 後日物語」という連載の「二」、「三」に出合いました。
 高知市朝倉の陸軍四十四連隊のことです。
 「一ヶ月に一人二人と云(い)う割合で、逃亡兵の濫造(らんぞう)を行った高知連隊は一躍して日本一の逃亡兵連隊となって了(し)った。」
 おーっ、すっごい。兵隊の脱走ってあったんだ。
 「三月から六月迄(まで)の間に毎日一人乃至(ないし)二人の割合で逃亡した」
 逃亡兵のほとんどは連隊に連れ戻されているといいます。
 しかし、「秋山二等卒」は、いまだに行方不明とか。
 この秋山さん、二度目の脱走中といいます。

 秋山さんは脱走しおおせたのでしょうか。
 調べてみたいと思っています。

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高知市 「第十一師団動員下令と反戦ビラ撒布」の記事。

 高知県立図書館での、もう一つの「戦果」。

 『日本憲兵昭和史』(昭和十四年刊、憲兵司令部)を読みました。

 「第十一師団動員下令と反戦ビラ撒布」の項がありました。

 読み込んで、のちほど詳細をお伝えしたいと思っています。
 もう、シンデレラ時間ですので、これまでに。

 月刊『高知人』四月号の校正をしていた妻は、さっき「もう、だめ」といって二階の寝室に上がっていきました。

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2009.03.18

高知県 南岩改から日露戦争に十二人出征し全員が戦死。

 以下のようなメールをいただきました。

 日露戦争は、日清戦争とは比較にならないほど多くの死傷者が出ましたが、そのことを象徴するような事例が南岩改(現在の香美市香北町南岩改)にあります。当時は美良布村南岩改です。ここに明治四十年に立てられた「戦功紀念碑」が残っていますが、南岩改から十二人が出征し、全員戦死したことが刻まれています。

 メール、ありがとうございました。
 見に行って映像に収めたいと思います。

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高知市 「昭和拾参」の「輓駄馬防毒覆」について。

 この間から気になっている史料があります。
 高知市のある所が所蔵している「輓駄馬防毒覆」です。

 「昭和拾参」、○阪などの文字が刻印されています。
 モスグリーンのゴム製です。
 三パートからなっているようです。
 見かけは馬用のレインコート。
 頭の所は耳を入れる所が二つあります。
 両目の所にはセルロイド(?)で目の形のものが着いています。
 戦争中に兵士だった高知市の男性が持っていたものです。 
 しかし、その男性は亡くなっていて、このことについて聞くことができません。

 たぶん、大日本帝国陸軍が侵略した土地で毒ガス作戦をやるときに、自陣営の馬に着せた防毒の覆いだと思います。

 ある男性によると、第一次大戦中の毒ガス戦訓練の見ると、その作戦に参加している馬も犬も、こうした覆いをしているとのことです。
 これについは、僕は写真を見ていません。
 
 「輓駄馬防毒覆」についてご存知のかた、教えていたただけませんでしょうか。

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高知市 「薬師丸(ひろ子さん)をそろえようよ。あんたが昔、『僕の○○に響く』とかいいよったやないの」。真夜中の妻のひとことです。

 夜中のテレビで薬師丸ひろ子さんが歌っていました。

 突然、妻がいいました。
 「(山口)百恵より薬師丸をそろえようよ。あんたが昔、『(薬師丸ひろ子さんの歌声は)僕の子宮に響く』とかいいよったやないの。亭主の好きな赤烏帽子(あかえぼし)よね」

 僕は山口百恵さんの大ファン。

 CDの全曲集もそろえています。
 確かに薬師丸ひろ子さんも大好きです。
 確かに「僕の子宮に響く」といったことがあります。
 たぶん、妻にだけだと思います。
 何か名言だと思いますが、非論理的な発言でありました。

 ま、せっかくだからそろえることにしましょう。
 CD、DVD……。

 実は、CD、ビデオは、それなりに持っているのですが、なぜか、妻は、それを知らない。

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2009.03.21

高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その一 バスはまがりくねった道をぬって‥‥。

 二〇〇九年三月十九日。

 雨です。
 一泊で高知県土佐清水市へのビデオ取材にいきます。

 午前八時台の高知駅発で中村駅へ。
 中村駅につくと右手のホーム沿いのサクラがきれいに咲いていました。

 中村駅前からバスで足摺のバスターミナルへ。
 乗客は巡礼が目立ちます。
 清水のバスターミナルからは地元の人らしいかたが何人か乗りました。
 ほぼ満席です。
 小さなまがりくねった道も走ります。
 年配の男性が、外を見ながら「雨もええねえ」。
 「うーん、やな撮影日和だなぁ」と思っていたのですが、「そうか、雨もいいかもしれない」に。
 おとしよりたちは、途中で都合のいい所でバスを停めてもらっています。
 男性が、もう一人の男性の介護を受けて下車。
 買出しでしょうか、大きな手荷物を持っています。
 つぎは、女性の二人組です。
 そのうちの一人が降りてから運転手に「気をつけてね」。
 運転手は「(危ないから)バスを離れて、バスを離れて」。
 
 足摺のバスターミナルで、八十歳の男性が迎えてくれました。
 何度か電話で話したことがありますが、会うのは初めてです。

 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その二 陸軍、海軍のレーダーサイトがあったといいます。

 二〇〇九年三月十九日。

 その男性YAさんは、「ケープ」という食堂へ連れて行ってくれました。

 向かって左のこんもりした所にアジア・太平洋戦争中、日本帝国陸軍のレーダーサイトがあったとのことです。
 YAさんも、それをつくるのに一時動員されたといいます。

 足摺には、そのほか海軍のレーダーサイト、防空監視所、陸軍の兵舎、壕などがあったとのことで、その一部の形跡は今も残っているといいます。
 YAさんは「アメリカのB29爆撃機が室戸岬沖に結集して、そこから分かれて日本の各地の攻撃に飛んでいったというが、このレーダーサイトを電波灯台がわりにしていたのではないだろうか」。

 これらの戦争遺跡については、もう一度、日をあらためて来て撮ることにしました。

 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その三 「今から突っ込む」という無線信号を懸命練習していた少年兵のこと。

 二〇〇九年三月十九日。

 YAさんは十四歳で海軍の兵になっています。
 自身の特別攻撃の経験などを詳しく語ってくれました。
 また、九州の陸軍基地で飛行機で特別攻撃する直前の少年の兵隊たちが「今から突っ込む」という無線信号を懸命に練習していたさまを話してくれました。
 
 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その四 晴れ上がりました。展望台から足摺を見ました。

 二〇〇九年三月二十日。

 晴れました。
 朝、ここ、小高いところにある二階建ての民宿「青岬」の屋上の展望台に上りました。
 岬と海の景色がきれいです。

 三十歳台と思われる女性も上がってきて景色を楽しんでいました。大阪市の人で「歩き巡礼三回目」とのことでした。

 帰りは、歩いてバス停まで降りましたが、その間に見えた海の景色もよかった。
 バスで清水のバスセンターへ。
 その近くの男性Uさんに戦争体験を聞かせていただく予定です。

 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その五 「今から突っ込む」という無線信号を懸命練習していた少年兵のこと。

 二〇〇九年三月十九日。

 YAさんは十四歳で海軍の兵になっています。
 自身の特別攻撃の経験などを詳しく語ってくれました。
 また、九州の陸軍基地で飛行機で特別攻撃する直前の少年の兵隊たちが「今から突っ込む」という無線信号を懸命に練習していたさまを話してくれました。
 
 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その六 Uさんに話。航空兵がアメリカ軍戦車に爆弾を抱えて突入していく訓練を‥‥。

 二〇〇九年三月二十日。

 Uさんに話を聞きました。
 土佐清水の奥津の出身。
 中村中学校の途中で甲種飛行予科練習生に志願。
 松山海軍航空隊から高知海軍航空隊へ。
 一九四五年春から高知海軍航空隊も本土決戦態になり、Uさんたちは明見(今は南国市)でアメリカ軍が上陸してきたときの戦闘のための壕掘りに。
 その後、野市に移り、アメリカ軍戦車に爆弾を抱えて突入していく訓練をしています。

 (つづく)

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高知県 土佐清水市へのビデオ取材旅行 その七 奥行き二十数メートル特別攻撃ボート「震洋(しんよう)」の壕群。

 二〇〇九年三月二十日。

 Uさんに案内していただいて、土佐清水市内の特別攻撃ボート「震洋(しんよう)」の壕群を見ました。

 風景が土佐市宇佐の「震洋」の壕群の場所とそっくりなのにびっくりしました。

 高知市みませにも「震洋」の壕群が残っていますが、土佐清水市のは、より大きくて奥行きも深いというのが特徴です。
 奥行きは二十数メートルもあります。
 三隻格納していたといいます。

 撮ってきた映像を文献で調べていきたいと思っています。

 (終わり)

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高知市 僕が消えてしまう前までに。

 二回の書斎の窓から夕暮れの田園を見ています。
 妻は、まだ、帰ってきません。
 僕が彼女に「やっかいなこと」を任せているせいです。

 ふいに、考え込んでしまいました。
 「これから、どう生きていこうか」
 
 昨夜、わが家を訪れた二回り下の女性の率直な人生観を聞いたせいでしょうか。
 「私たち『やっちゃった婚なの』」
 その経過をくわしく話してくれました。
 愛がいっぱいの夫婦のようです。
 三人の子どものお母さんです。
 一番下は小学生の男の子。
 妻は、「やっちゃった婚」という言葉を聞いて「新しい単語を学んだ」としきりに感心していました。

 僕は、六十二歳です。
 女の子と男の子の父。二人の女の子の祖父です。

 いくらなんでも七十歳までは生きていたいと思います。
 「でも、いつかプチンと命が途切れるのだな」
 心の中で再確認してます。

 僕を「息子のように」愛してくれて自由にさせてくれた妻とも、多くの老若男女の友人たちともバイバイ。
 あなたとも……。
 何か、それが、たまらないのです。
 消えていくのが。

 三十歳代のことでした。
 そんな思いを小学生の女の子に語ったことがあります。
 何ててひどいおとなでしょうか。
 その子は、
 「私も、そう思っている」
 と、いいました。
 その子は、いろんな曲折を経て、児童文学者になりました。

 いつか消えていくんだ。
 そんな思いが僕を「表現」にかきたてています。
 活字、写真、ブログ、インターネット……。
 そして、このごろは動画にも挑戦しています。

 何年後かには、消えてしまう。
 その時までに、なんとかしたい。
 そんな思いが僕の心を突き上げ、僕を走らせています。
 競争で優位に立つ。
 お金をもうける。
 名誉をえる。
 そんなことは、僕には一切関係ありません。
 何かいい言葉はないのですが、
 「よりよく生きたい」

 この文章を書いているうちに、窓の外は闇になってしまいました。
 妻は、まだ帰ってきません。

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2009.03.24

高知市 午後九時半から午前一時まで借りてきた従軍日誌のスキャン。

 三月二十三日。

 朝から職場。

 午後六時半から八時半までビデオ編集の教室。

 帰ってから午後九時半から午前一時まで借りてきた従軍日誌のスキャン。

 けっこうしんどい作業です。

 いつかは、この努力が実る。そう思ってやっています。

 妻は、「緊急事態」で、二十一日に続いて実家で泊まり。

 MIさん、高知市から山口市へ。新生活のアパート探し。いいスタートを切ってほしいと願っています。

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2009.03.25

高知市 昼休みに城西公園で花見。

421

 昼休みに高知市の城西公園で花見。

 計五人の参加。

 十九歳の男性や、ひょっこり顔を見せた四万十市の二十二歳の女性も。

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2009.03.30

高知市 二泊三日の沖縄への旅 その一 アメリカ軍の戦車のキャタピラ。 

Photo

 二〇〇八年三月二十八日。

 総勢八人で高知市から沖縄県へ。二泊三日の旅です。
 この旅で印象に残ったことを順次書きます。
 
 まずは、糸満市摩文仁六一四番地の一の沖縄県平和祈念資料館。

 屋外に展示してあったアメリカ軍の戦車のキャタピラに注目しました。

  以下、沖縄県平和祈念資料館のホームページです。

 http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/index.html

 この日、同館で見た花です。

Photo_5

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高知市 二泊三日の沖縄への旅 その二 アメリカ軍の上陸・皆殺し作戦の「証言者」、伊江島の公益質屋跡。 

 二〇〇八年三月二十九日。

 沖縄県の二泊三日の旅です。

 伊江島。
 沖縄戦の後、伊江島にただ一つ残った建物の、公益質屋の跡です。
 アメリカ軍の上陸・皆殺し作戦の「証言者」です。

 【解説と写真は、以下のページに】

  http://www.iejima.org/ieson/index.php?oid=40&dtype=1000&pid=100

 この日、この島で見た花です。

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高知市 二泊三日の沖縄への旅 その三 アメリカ軍の普天間基地。 

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 二〇〇八年三月三十日。

 宜野湾市です。
 沖縄国際大学の、アメリカ軍普天間基地ヘリコプター墜落現場を見ました。
 そして、同基地の写真を撮影にいきました。
 しかし、基地内の深い森に隠れて滑走路などは撮影できませんでした。

 【墜落事故の経過については、以下のサイトあります】

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%83%98%E3%83%AA%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 【普天間基地のサイトです】

 http://www.kanji.okinawa.usmc.mil/Installations/futenma.html

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高知市 二泊三日の沖縄への旅 その四 高床倉。 

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 二〇〇八年三月三十日。

 おっと、二十九日には、沖縄美(ちゅ)ら海水族館にもいきました。
 国頭郡本部町字石川四二四番地です。
 印象に残ったのは高床倉。

 ねずみ返しもあります。

 説明板では「かつて波照間島にあったものをモデルにしており」とあります。

 「かつて」がいつのことかはわかりませんが……、これは例えば静岡県登呂遺跡に復元で建っているものと同じようなとものです。

 【登呂遺跡の高床倉、ねずみ返しについては、こちらに】

 http://www.city.shizuoka.jp/deps/kyoikusoumu/torohaku_sub3.htm

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF%E8%BF%94%E3%81%97

花もいっぱい見ました。

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高知市 二泊三日の沖縄への旅 その五 三板・サンバ・さんば。 

 二〇〇八年三月三十日。

 二十九日の夕食は那覇市の民謡酒場で(鳩間島という所でした)。

 鳩間島出身グループ、私たち高知グループと埼玉グループなど客は多様。

 食べて、飲んで、歌って踊って……。
 三板(さんば)という楽器に出合いました。
 気に入って買いこんできました。
 これから楽しみです。

 この店ではウミブドウも食べました。
 何か感激する触感でした。

 【三板については、こちらに】

 http://www.arakaki34.com/index.php?%E4%B8%89%E6%9D%BF%E3%81%AE%E5%8F%A9%E3%81%8D%E6%96%B9#z22071af

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2009.03.31

高知市 二泊三日の沖縄への旅 その六 本を買い込んできました。

 二〇〇八年三月三十日。

 本を買い込んできました。

 ● 『ふれあい感動体験 沖縄修学旅行 ガイドブック』(ふきのとう書房)。

 ● 『沖縄の博物館ガイド』(沖縄県博物館協会編。編集工房東洋企画)。

 ● 『ジュニア版 琉球・沖縄史 沖縄をよく知るための歴史教科書』(新城俊昭)。

 ● 『沖縄人はどこから来たか 琉球=沖縄人の起源と成立』(安里進・土肥直美。ボーダーインク)。

 ● 『古代琉球語の旅』(具志堅敏行。那覇出版社)。

 ● 『沖縄口(うちなーぐち)死語コレクション』(新垣光勇。郷土出版)。

 ● 『沖縄歴史人名事典』(島尻地区小学校社会科研究会。沖縄文化社)。

 ● 『沖縄戦と『集団自決』 何が起きたか、何を伝えるか 世界臨時増刊』(岩波書店)。

 ● 『沖縄の戦争遺跡』(沖縄県平和祈念資料館編。沖縄時事出版)。

 ● 『おきなわの戦跡と基地』(すくえあ出版)。

 ● 『伊江島 平和ガイドマップ解説書』(財団法人わびあいの里)。.

 ● 『沖縄の野山を楽しむ植物の本』(屋比久壮実。アコアコーラル企画)。

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