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2009.06.28

日本史あれこれ ⑪ 桓武天皇

 桓武天皇(かんむてんのう。737年~80649日)は、日本古代の天皇(在位781806)。白壁王(のちの光仁天皇)の第一皇子。母は百済(くだら)系渡来氏族の出の高野新笠(たかののにいがさ)です。

 白壁王の天皇即位後、侍従、大学頭、中務卿などを歴任しました。藤原氏などを巻き込んだ政争によって異母弟である皇太子・他戸親王(おさべしんのう)とその母であった皇后・井上内親王が突如廃されて、77312日に立太子しました。

 781415日、即位。平城京における奈良仏教各寺の影響力の肥大化をきらい、784年、山背(やましろ)国(京都府)の長岡京への遷都を断行しました。

 翌年、造営の中心人物・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)が造宮監督中に矢で射られ、翌日亡くなりました。暗殺犯として大伴竹良らが逮捕され、取調べの末、大伴継人、佐伯高成ら十数人が捕縛されて首を斬られました。事件に連座して五百枝王、藤原雄依、紀白麻呂、大伴永主などが配流となりました。事件は桓武天皇の皇太子であった弟早良親王(さわらしんのう)の廃嫡、配流と憤死にまで発展します。

 その後、親王の怨霊(おんりょう)の所為とされる近親の死亡が相次いだため、794年には同じ山背の葛野(かどの)に遷都、平安京と命名しました。

 蝦夷(えみし)の支配する東北地方に侵攻し、802年には胆沢(いさわ)城(岩手県)を築き、蝦夷を平定しました。

 造都と征夷の二大事業には惜しみなく人民の労力と国家の財力とを投入しました。しかし、晩年、蝦夷平定と平安京の建設の政策は行き詰まりました。805年、参議・藤原緒嗣(おつぐ)の「今、天下の人々が苦しんでいるのは、蝦夷平定と平安京の建設です。この二つを止めればみんな安心します」という建議によって造都と征夷の事業を中止しました。

 この翌年70歳で死亡しました。

 今の天皇が、20011218日、天皇誕生日前の記者会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と発言し、注目されました。

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