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2009.06.28

日本史あれこれ ⑰ 島原の乱

 江戸時代初期、肥前国島原と肥後国天草の領民による大規模な一揆です。

 島原は松倉氏、天草は肥前国備前唐津藩寺沢氏の領地で、ともに年貢などの収奪強化が進められていました。

 過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、武士身分から百姓身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化、密かに反乱計画を立てていました。肥後天草でも小西行長、佐々成政、加藤忠広の改易により発生していた浪人を中心にして一揆が組織されていました。島原・天草の一揆の首謀者たちは湯島で会談をし、キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた16歳の少年天草四郎(本名・益田四郎時貞)を一揆軍の総大将とすることを決めて決起しました。

 一揆軍は、一時、優勢でしたが、幕府側の討伐軍の攻撃、長崎奉行の依頼を受けたオランダ船デ・ライプ号、ベッテン号が島原の砲撃の前に鎮圧されました。

 幕府側の攻撃とその後の処刑によって一揆軍は最終的に老若男女37,000人が死亡しました。

 『細川家記』『天草島鏡』など同時代の記録は反乱の原因を年貢の取りすぎにあると書いていますが、領主・勝家はみずからの失政を認めず、反乱を起こした一揆がキリシタン信仰を結束の核としていたことをもってこれを反抗的なキリシタンの暴動と主張しました。幕府も以後、島原の乱をキリシタン弾圧の口実としました。

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