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2009.06.28

日本史あれこれ ⑦ 奈良市の興福寺の阿修羅立像

 奈良市の興福寺の阿修羅(あしゅら)立像(奈良時代の734年にできています。国宝)についてのべます。

 藤原家出身の光明皇后は、母・橘三千代が7331月に亡くなると、1周忌の供養のため興福寺に西金堂を建立し、釈迦如来、釈迦の十大弟子、四天王、八部衆像などの28体の像、また菩提樹や金鼓(こんく)などの荘厳具を安置しました。釈迦の浄土を立体的にあらわそうとしたものです。堂づくりは、皇后に仕える役所であった皇后宮職をあげての仕事であったといいます。

 阿修羅像は、八部衆像の一つです。阿修羅像は、インド神話では軍の神です。

 この阿修羅立像の造像は百済(くだら)からきた仏師・将軍万福(しょうぐんまんぷく)、彩色は画師・秦牛飼(はたのうしかい)とされています。

 脱活乾漆造(だっかんかんしつづくり)、彩色で、像高1534センチ。髪と首が1つで、顔が3つ、耳が4つ。細い胴体から細く長い6本の腕を空間に差し伸べて立っています。写実性のある像です。なお、脱活乾漆造はつぎのような技法です。木製の芯木(しんぎ)で骨組みをつくる→その上に粘土を盛りつけて原型をつくる→この上に麻布をウルシではり重ねて像の形をつくる→できた張り子の像の上にウルシを盛り上げて細部を形づくる→形が完成した後、目立たない部分を切開して粘土をかき出す→補強と型崩れ防止のために内部に木枠を組む。

 三つの顔には、同じ男性の成長の過程が刻み込まれているといいます。成長の順にいくと、つぎのようになります。

 1 下くちびるをかみしめています。くやしいという表情です。

 2 うつむきかげんで悩んでいる様子です。

 3 何かを訴えている表情です。まゆを寄せ遠くを見つめる目をしています。。真っ直ぐ世の中を見つめる少年のような表情です。

 阿修羅像は、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の像に激しさはどこにも見られません。私には、3の表情は、「たたかいはもうやめなさい」と訴えているように見えます。

 この時代に、このように思想性の高い作品をつくった作家がいたことに驚嘆します。興福寺には何度も足を運びましたが、可能なら何時間で見つめて心の中で対話していたい像です。

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