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2009.06.28

日本史あれこれ ① 前方後円墳

 3世紀中葉過ぎから6世紀末までにつくり続けられた、平面が円形と方形の墳丘を組み合わせた形状の規模の大きい墳墓です。憤丘、埋葬施設、副葬品、封土固めの葺石、祭祀用の土器・埴輪など外表施設などから成っています。

 最も大きなものは大仙陵古墳(5世紀。大阪府堺市)です。墳丘の全長が486メートル、高さが36メートル、周りには、三重の周濠を巡らしています。

 日本列島の広範囲に分布しており、北は岩手県奥州市から南は鹿児島県にまで及んでいます。前方後円墳の存在が明確でないのは北海道、青森県、秋田県、沖縄県の4県です。他の43の都府県では数百基から12基の前方後円墳が知られています。離島の対馬、壱岐、隠岐などにも存在する一方で、これまでのところ淡路では存在が確認されていません。

 弥生時代末期には、北部九州を中心とする政治勢力と奈良盆地東南部を中心とする政治勢力が存在していたことがわかっています。このいずれかが母体となって3世紀半ばまでにヤマト王権が成立したと考えられています。前方後円墳はヤマト王権が倭の統一政権として確立してゆくなかで、各地の豪族に許可した形式であると考えられています。

 朝鮮半島にも前方後円墳が存在します。これらは、いずれも5世紀後半から6世紀中葉に成立したものであり、百済の国境沿いに近い伽耶の地のみに存在し、墳丘長は80メートルないし100メートル規模で、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室といった遺物をともなうことが知られています。

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