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2009.07.25

千島問題について私が考えていること。

 千島問題についてのべます。

 【議論されているのは全千島と歯舞、色丹です】

 この問題の議論されているのは全千島と北海道根室半島のすぐ近くにある歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)です。
 日本とロシア間の国境と領土をとりきめたのは一八五五年(安政元年)二月七日の「日魯(にちろ)通好条約」(伊豆下田で)、一八七五年(明治八年)五月七日の「樺太・千島交換条約」(ロシアのサンクトペテルブルクで)です。
 千島列島は北端の占守(しゅむしゅ)から南端の国後(くなしり)まで、日ロ間の平和的な外交交渉によって画定した日本の歴史的領土です。
 徳川幕府と帝政ロシアが結んだ「日魯通好条約」で、択捉(えとろふ)と国後の南千島は日本領、それ以外の北千島はロシア領になりました。その間を国境とし、樺太(サハリン)には国境線を引かず“雑居の地”にしました。
 その二十年後に、明治政府と帝政ロシアが「樺太・千島交換条約」を結び、全千島列島を日本領、樺太全体をロシア領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。
 日露戦争(一九〇四年二月六日~一九〇五年九月五日。朝鮮半島と満州=中国東北部=南部が主戦場)のとき、日本軍はロシアの樺太全島を占領しました。この結果、後の講和条約・ポーツマス条約(一九〇五年九月五日)で南樺太(樺太の北緯五〇度から南)が日本の領土になりました。
 歯舞、色丹は、地理的には千島列島に入らず、歴史的にも北海道本島の一部として扱われてきました。地質的にも、択捉(えとろふ)、国後(くなしり)を含む千島と異なります。
 なお、以下、ロシアについて、歴史的に国がらが変わっていますのでさまざま表記が出てきます。近世から一九一七年まではロシア帝国、一九二二年~一九九一年十二月まではソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)、その後、曲折を経て、現在はロシア連邦(ロシア)となっています。

 【問題をつくり出したソ連、アメリカ、イギリス、日本政府】

 第二次世界大戦にあたり、連合国は戦後処理の原則として「領土不拡大」の公約を掲げました。日本、ドイツ、イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、そのほかの土地の割譲は求めないというものです。
 対日戦の戦後処理でも、一九四三年十二月一日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国主席の蒋介石が発表した「カイロ宣言」で「自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない」と明確にされました。
 一九四五年七月二十六日、アメリカ合衆国、イギリス、中華民国の首脳が、大日本帝国に対し発した戦争の終結に関する「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、ソ連を含む連合国全体のものとなりました。
 ところが、アメリカの.ルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンによる首脳会談、ヤルタ会談(一九四五年二月、ソ連のクリミヤ半島のヤルタで)で、ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連の対日参戦を促しました。ヤルタ会談ではこれが秘密協定としてまとめられました 。ヤルタ協定では、ドイツ降伏後九十日以内にソ連が日本との戦争に参戦すること、モンゴルの現状は維持されること、樺太南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益確保、などが決められました。千島列島のソ連への引き渡しは、「領土不拡大」という戦後処理の大原則をふみにじるものです。
 ソ連は、第二次世界大戦の末期の一九四五年八月八日に対日参戦しました。そして、ソ連は、日本の敗戦(八月十五日)後の八月十八日から千島列島などの占領を開始しました。その際、南北全千島列島と北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、その後、一方的に自国領に併合してしまいました。
 他方、日本がアメリカなどと一九五一年九月八日に調印したサンフランシスコ講和条約(一九五二年四月二十八日、発効)は、二条C項で「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。この条項の千島列島の項目は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。
 南樺太については、日本がロシアから暴力的に割譲させたものですので、ソ連に返還するのには理があります。しかし、千島については、性格の違うものです。同条項の千島列島放棄は、ヤルタの密約と同様、第二次世界大戦の戦後処理原則を示したカイロ宣言の「領土不拡大」の原則や同宣言「履行」を明記したポツダム宣言などにてらしても、不当なものです。
 以上の経過から千島を日本から切り離した問題の責任をおうおうべきはソ連、アメリカ、イギリス、日本政府です。

 【ロシアは日本に全千島列島に返還すべきです】

 こうした経過に照らして、私は、一九六五年ころからロシアは日本に全千島列島に返還すべきだと私は、考えてきました。
 領土問題では、歴史や法に照らして、筋の通った、国際的に通用する道理ある立場に立つことが大切です。
 日ロ領土問題解決の出発点とすべきなのは一八七五年の「樺太・千島交換条約」です。一八五五年の「日魯通好条約」は、国後、択捉を日本領とし、樺太(サハリン)島上の国境を未画定とする、いわば中間的条約でした。全千島列島の日本帰属を定めた「交換条約」が、日ロ間で平和的に領土を画定した最終的条約であり、千島全島が日本の領土である根拠となります。
 日ロ間の領土問題を解決するには、ロシアはスターリンの領土拡張主義の誤りを是正せよと正面から提起し交渉する必要があります。
 サンフランシスコ平和条約二条C項を不動の前提にせず、ソ連の無法な領土占有と、これを追認した誤った戦後処理を正す立場でのぞむことが必要だと思います。
 ソ連崩壊のさいに、スターリンのバルト三国併合の誤りは正されました。第二次大戦の時期のソ連による領土拡大や併合などの誤りは、ほとんどが解決されました。残るのは歯舞、色丹と千島の問題です。

 【日本政府の四島返還をの議論について】

 ところが、日本政府は、一九五〇年代なかばの対ソ交渉以来、ヤルタ秘密協定とその内容をもりこんだサンフランシスコ平和条約の千島放棄条項を前提にしながら、“国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の南千島は千島ではないから返せ”と千島の解釈を変えることで返還要求を根拠づけてきました。
 しかし、一九五一年のサンフランシスコ平和条約の批准国会で、政府はサンフランシスコ平和条約の解釈を示し「条約にある千島の範囲については、北千島と南千島の両者を含む」(西村条約局長)とのべていました。
 それを一九五五年になって択捉(えとろふ)、国後(くなしり)は放棄した千島ではないといい始めました。
 その後、一九五六年に合意した日ソ共同宣言の交渉のなかで日本政府は、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の二島が北海道の一部であることを主張。それをソ連側が認めたことから、宣言では、平和条約締結後という条件つきながら、「歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」と規定されました。
 歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)はサンフランシスコ平和条約二条C項で放棄した千島には含まれない島ですから、平和条約締結前にも必要なら中間的条約を結んで返還させるのが当然です。
 しかし、それを日本政府が放棄した択捉(えとろふ)、国後(くなしり)と歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)を抱き合わせにして返還を求めているために、問題解決を難しくしています。
 その上、四島についても、国境線を画定するだけで、施政権はロシアに残すという譲歩提案をするなど、一方的に譲歩を重ねてきています。
 一九九〇年代以降、「東京宣言」(一九九三年)、「モスクワ宣言」(一九九八年)、「イルクーツク声明」(一九〇一年)など、領土問題をめぐって多くの合意文書が日ロ間で交わされてきました。
 しかし、今日まで領土問題の解決の糸口すら見いだせていません。
 ロシアのプーチン大統領は、一九五六年の日ソ共同宣言を根拠に「考えられうる二島(歯舞、色丹)引き渡しの必須の前提条件は平和条約締結だ」(二〇〇四年十二月二十三日)と、ソ連の立場を継承しています。

 【日本共産党は、全千島の返還を主張してきました】

 これにたいして全千島の返還を主張してきたのは日本共産党です。
 「領土問題も民族主権にかかわる基本的問題であり、国際法の原則に立って、千島問題の公正な解決をはかる。中間条約の締結による歯舞、色丹のすみやかな返還、日ロ平和条約の締結による全千島の返還をめざし、ロシアと交渉をすすめる。」(日本共産党の「自由と民主主義の宣言」。一九九六年七月十三日一部改定)
 「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす。
」(「日本共産党綱領」、二〇〇四年一月十七日の第二十三回党大会で改定)
 日本共産党は、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の南千島と得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島の、全千島返還を求めています。また、北海道の一部である歯舞・色丹は平和条約成立以前にも、必要なら中間的条約を結んで返還すべきだと主張してきました。
 なお平和条約は、交戦国間の戦後国境を画定する条約であり領土問題解決まで結ぶべきではありません。
 二〇〇五年二月七日の「北方領土返還要求全国大会」での日本共産党の志位和夫委員長は、つぎのようにあいさつしています(「しんぶん赤旗」、二〇〇五年二月八日)。

 日本の歴史的領土の返還を求めるみなさんの運動に、心からの敬意と、ともにたたかう決意をこめて、ごあいさつを申し上げます。
 私は、日ロ領土問題を解決するにあたって、何よりも大切なことは、日本国民がロシアに領土返還を求める大義―国際的に通用し、ロシア国民も納得させうる大義を、堂々とかかげて交渉にのぞむことにあると思います。その大義とは、スターリンによる領土拡張主義を正すということであります。
 スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。
 このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。
 ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。
 北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とともに、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)から得撫(うるっぷ)、占守(しゅむしゅ)までの千島列島全体が、一八七五年の樺太・千島交換条約で平和的に決まった日本の歴史的領土であり、その返還を堂々と求める交渉が切にのぞまれます。
 この問題が道理ある解決をみるようにするため、力をつくすことをお約束し、ごあいさつとします。

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