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2009.08.17

高知市 御畳瀬(みませ)の海軍特別攻撃隊の震洋(しんよう)の基地。ここまでしか、私にはわかっていません。

 何回、高知市御畳瀬(みませ)にいったことでしょうか。
 かつての、ここにあった海軍特別攻撃隊の震洋(しんよう)の基地のことを調べるためです。第八特攻戦隊第二十三突撃隊第一二七部隊です。まだ、ほんの少ししかわかっていません。
 以下、いままでわかったことの概要です。

   一九四五年五月に配置されました。

 震洋は、日本海軍が開発した特攻兵器で、秘匿名称は「㊃金物」(マルヨンかなもの)です。小型のベニヤ板製モーターボートの船内艇首部に炸薬(約ニ百五十グラム)を搭載し、搭乗員が乗り込んで操縦。上陸しようとしている敵艦に体当たり攻撃することが目標とされました。のちに敵艦艇の機銃増加にともない、機銃を破壊、到達するために二発のロケット弾が搭載されました。また、二人乗りのタイプもあり、こちらには機銃一、二丁が搭載され、指揮官艇として使用されました。
 御畳瀬の基地には、震洋五型が配置されました(『須崎史談』の「須崎の第二十三突撃隊(四)」。橋田庫欣=くらよし。須崎史談会。一九九二年四月二十五日)。五型艇は、全長・六・五メートル、全幅・一・八六、全高・〇・九、排水量・二・二トン、機関・トヨタ特KC型ガソリンエンジン×2、馬力・百三十四HP、最高速度(特別全力)・ニ十七ノット(三十ノット)、兵装・爆装ニ百五十キログラムg、ロサ弾×2、十三ミリ機銃×1、乗員・二人です。

 部隊長・蒔田稔(まきたみのる)さん(海軍予備学生ニ)、第二艇隊長・月森隆一さん(海軍予備学生四)、第三艇隊長・三浦五郎さん(予備生徒)。搭乗員は、乙種飛行予科練習生一九期(土浦空)。編成・九州の川棚臨時魚雷艇訓練所(九次)。
 終戦時に第二十三突撃隊のつくった「兵器、舟艇、軍需品、施設目録」によると、海岸べりに艇格納の壕が七つ(十一メートル、同、七・五メートル、十メートル、十メートル、ニ十メートル、七メートル、六メートル)、発電所の壕(四メートル)が一つありました。震洋艇は、となりの浦戸基地(回天、魚雷艇)の図に六隻が描かれています。

 隊長だった蒔田さん(東京都大田区在住)は、戦後、「隊員は百八十七人、うち搭乗員は五十二人、艇は二十五隻でした」「搭乗員のほとんどは当時十八歳前後の若者でした。時々、隊を組んで浦戸湾内で訓練をしました。終戦後の八月十六日の誤った出撃待機の命令には緊張したことを覚えています。夜須町の隊員たちが戦争が終わった後で亡くなったことは今でも残念なことだと思っています」と語っています(高知市広報「あかるいまち」。高知市秘書広報課。一九九一年八月号)。「夜須町の隊員たち……」は、高知県手結の第一二八部隊の隊員たちことです。出撃準備中、爆発、百二十六人が死亡しました。

 戦後、高知市長浜に住んだ中村浩さん(旧姓・東久部良=ありくぶら)も、この基地の整備隊員でした。
 隊員たちは、寺や民家に分宿しました。炊事場に取られた民家もありました。御畳瀬町に一つあった銭湯も「海軍営」のようになっていました。民家の分宿していた隊員が柱に刀傷をつけた跡の残っている民家もあります。
 中村さんの話では、無線室、兵舎、食糧庫など七つの壕がつくられる予定でしたが、艇格納庫の一部や弾薬庫を除き建設途中で、一度も出撃することなく終戦を迎えたといいます(高知市広報「あかるいまち」。高知市秘書広報課。一九九一年八月号)。

 いまでもいくつか壕が残っています。

 実は、ここに住んでいた人たちへのインタビューのテープがいくつかありますので、そのうち、それを聞き直して、この概要をふくらませていきたいと思っています。

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コメント

こんばんわ
いつも突然ですみません。
現在も高知海軍第二飛行場のレポートを書いています。

〇過去に教えて頂きました、仁井田の共同墓地納骨堂の記事を引用させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?すみません。
明日、自分の目で確かめもしてきます。


〇御畳瀬の記事もすごいですね!取材された録音記録も聴きたくてたまりません。


〇先日は高知新聞の件で大変お世話になりました。有難うございました。

投稿: 福井康人 | 2009.08.17 23:45

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