« 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その一・はじめに | トップページ | 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その三・問題をつくり出したソ連、アメリカ、イギリス、日本政府 »

2009.08.01

高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その二・千島列島、歯舞、色丹は日本の領土です

 千島列島は、かなり前から日本の土地でした。ロシア帝国(ロマノフ朝)の海軍士官・ゴロブニン(一七七六年四月十九日~一八三一年七月十一日)の『日本幽囚記 全三冊』(井上満訳。岩波文庫。一九四三年五月三十日)でも、そのことがわかります。彼は、一八一一年、軍から千島列島の測量を命じられ、みずからが艦長を務めるディアナ号で択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)を訪れます。しかし、国後島で松前藩の役人に捕縛され、箱館で二年三カ月間、幽閉されます。この本は、その体験を回想として一八一六年に発表したものです。それによると、その当時でさえ、彼は、日本人の足跡があった択捉(えとろふ)、国後(くなしり)からサハリンまでも「正当なところ、日本の植民地と云える」としています。
 日本とロシア間の国境と領土をとりきめたのは徳川幕府と帝政ロシアが結んだ「日本国露西亜(ロシア)通好条約」(一八五五年=安政元年=二月七日、伊豆下田で)、明治政府と帝政ロシアが結んだ「樺太・千島交換条約」(一八七五年=明治八年)です。
  「日本国露西亜(ロシア)通好条約」で、択捉(えとろふ)と国後(くなしり)の南千島は日本領、それ以外の北千島はロシア領になりました。その間を国境とし、樺太(からふと)には国境線を引かず“雑居の地”にしました。その二十年後の「樺太・千島交換条約」では、全千島列島を日本領、樺太(からふと)全体をロシア領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。
 千島列島は北端の占守(しゅむしゅ)から南端の国後(くなしり)まで、日ロ間の平和的な外交交渉によって画定した日本の歴史的領土です。
 その後、日本にとってもロシアにとっても帝国主義的な戦争であった日露戦争(一九〇四年二月六日~一九〇五年九月五日。朝鮮半島と満州=中国東北部=の南部が主戦場)のとき、日本軍はロシアの樺太(からふと)全島を占領しました。この結果、後の講和条約・ポーツマス条約(一九〇五年九月五日)で南樺太(みなみからふと。樺太の北緯五〇度から南)が日本の領土になりました。
 歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)は、地理的には千島列島に入らず、歴史的にも北海道本島の一部として扱われてきました。

|

« 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その一・はじめに | トップページ | 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その三・問題をつくり出したソ連、アメリカ、イギリス、日本政府 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/45798780

この記事へのトラックバック一覧です: 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その二・千島列島、歯舞、色丹は日本の領土です:

« 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その一・はじめに | トップページ | 高知市 千島列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)問題を考える その三・問題をつくり出したソ連、アメリカ、イギリス、日本政府 »