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2009.08.18

高知県 東津野村上空の空中戦、日本軍機の墜落……。

 昨夜、アジア太平洋戦争中の高知県東津野村のことをYAさん(女性。一九二五年六月十一日生まれ。八十四歳)に聞きました。そのなかに日本の軍機がアメリカ軍機に撃墜されたという話がありました。

 「何回か、大古味の近くの山の上からアメリカ軍の艦載機が飛んできて行き過ぎました。真黒な艦載機です。『ゴー、ゴー』と大きな音でした。そのころは『目立つき、白いものは着られん』といわれました。祖母の家に白壁の蔵がありましたが、それも炭で黒くぬってありました。炭ですから、むらむらでしたが……。

 ある日、二機の飛行機が飛んでいました。一機が、別の一機を撃ちました。撃たれた飛行機は天狗高原の手前に落ちました。この様子を多くの人が新田(しんでん)のまちから見ていました。村の人が駆けつけました。落ちたのは日本の飛行機でした。一人か二人かわかりませんが、若い人が乗っていたそうです。飛行機にはきれいなままの白いおむすびがあったそうです。それを見た人は『何ともあわれなかった』といっていました。遺体は、山の上の新田(しんでん)中学校で火葬したそうです。

 ある日、上空に飛行機が飛んで来ました。私は、それを事業所の庭で見ていました。ビラが舞い降りてきたので、『こら、なんじゃろう』とワーワーゆうて、みんなで拾いました。その白い紙には、前に出した両手をひもでくくった絵が描かれていました。両手の爪先から血がしたたっていました。『この戦争は、もうやめないかん』という意味のことが書いてありました。敵、アメリカ軍ががまいたものとわかりました。誰かが『こりゃぁ、おおごとじゃ。(ビラに)毒がついているかもわからん。手を洗え』といいました。急いで、水でどんどん手をあらいました。石鹸は、そのころにはありませんでした」

 この墜落機のことは高知県高岡郡東津野村教育委員会編『東津野村史』(高知県高岡郡東津野村教育委員会。一九八九年三月))に書かれています。
 「この戦中本村に直接関係のあったでき事は枝ヶ谷に撃墜された高田機のことである。
 枝ヶ谷友軍機殉難について
 昭和二十年三月十九日彼岸の墓参日であった。轟然たる爆音と共に不入の上の方から西に向かう飛行機の編隊その数何十機とも知れない--「日本に飛行機がないないというけんど、えらいもんやのうし、こりゃ日本のとっておきの飛行機じゃろうか。」と見ていると、西方より只(ただ)一機その編隊に突入した飛行機がある。敵か味方か大胆な行動よと見る中『パンパンパン』どっちの撃った音かわからない銃声がした。と見る見るその機体は火を吹いて空中分解をして墜落した。
 落ちた所は現在天狗高原の登山道山王の岩屋の標示ある所の近くで駆けつけた村民はそれが友軍機であるのに驚きその天晴(あっぱれ)な勇戦振りを讃え且(か)つその戦死を悼(いた)んだ。
 機体はサンノヲ一三ノ一八番地にその残骸(ざんがい)を残し影浦無線士は一番上方セニハナ三七〇八ノ五番地に、機長高田少尉はサンノヲ一三ノ二六番地、遠藤操縦士はその下サンノヲ一三ノニ二番地にその死体を残した。(現在この附近に「三魂の塔」が建ってる。)
 その時この死体は現在東津野中学校々庭になっている所で荼毘(だび)に付して、その遺骨を清福寺で供養したが二~三日の後軍に移管した。」

 ビラのことですが、この図柄でしたら、一九四五年七月末に投下された「国民の血に染められた軍閥の手を縛れ!」という文字が書かれたビラだと思われます。

 ビラの写真が平和資料館・草の家(高知市)のホームページに載っています。ここです。

 ttp://ha1.seikyou.ne.jp/home/Shigeo.Nishimori/material/material3.htm

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