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2009.09.09

高知市 大原幽学の共同・共助の思想と実践を考える。

 江戸時代の農民指導者・大原幽学(おおはら・ゆうがく。一七九七年四月十三日~一八五八年四月二十一日)の共同・共助の思想と実践についてのべます。

 大原は、一八三八年、下総国香取郡長部(ながべ)村(現千葉県旭市)を拠点に、先祖株組合という農業協同組合を世界で初めて創設しました。

 大原は、武士階級の出身で、十八歳のとき、故あって勘当され、関西・四国を長く放浪。一八三五年、下総国香取郡長部村(しもうさのくにかとりぐんながべむら)の名主(みょうしゅ)・遠藤伊兵衛に招かれてからは、ここを拠点としました。

 大原の指導によって、一八三七年、子孫永々相続講が発足しました。九十二人の門人が年二度の会合の際、一回百文を掛け、これを積み立てます。掛金は無限に続け、やむおえない事情で生活の困った門人に分相応の助成をします。つまり、共有財産に家の子孫永々相続をはかろうというものです。

 この相続講が、一八三八年、先祖株組合に発展します。これは、長部村など村単位で門人が、それぞれ金五両分の地株を差し出し、これを先祖面(先祖代々の土地)として共有制にする、その土地からの利得は無期限にこれを積み立て、子孫の相続に備えるという定款(ていかん)になっていました。
 当初は名主(なぬし)役筋の上層農民に限定されていましたが、大原の指導で下層農民にまで加入者が広がります。その際に自力では地株を拠出できない下層農民のために、大原門下の裕福な門下が、その土地の質主になって出資しました。
 この農村改革では、共有地だけでなく、農民の私有地においても、共同労働によって土地の集団化や耕地整理を実施しました。家屋も交換分合で整理された農地に接して建てられました。

 一八四八年、長部村の村役人、農民一同、領主清水氏から長部村は模範村として表彰されました。

 しかし、一八五二年、大原は、門人の急増、教導所の建設(一八五〇年)などを疑った関東取締出役の取調べを受けます。さらに、幕府評定所吟味(ぎんみ)に移されます。
 そして、一八五七年、評定所から大原のに百日押込(おしこめ)、教導所の取り壊し、先祖株組合の解散を言い渡されます。

 「当時の農民指導の限界を超えた発展が権力側の忌避するところにな」ったといいます(『甦れ土と協同』。北九東部農業協同組合)。

 大原は、江戸で謹慎していましたが、翌年、長部村に帰村し、墓地で切腹しました。

 「大原幽学の指導した先祖株組合は、その時代を超えるものであったがため、時の権力に圧殺されてしまった」(『甦れ土と協同』。北九東部農業協同組合)。

  しかし、現代の協同組合の運動を考えるにあたって、もう一度、光を当ててみていい実践だと思います。

 

  【参考文献】

 原田伴彦ら『人物日本の歴史 十四 豪商と篤農』。小学館。一九七五年十月三十一日。
 深谷克己『日本の歴史 六 江戸時代』。岩波書店。二〇〇〇年三月十七日。

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