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2009.10.11

『歌集 永国寺町の夜の教室から』 藤原義一   【二〇〇九年度後期】

 二〇〇九年九月二十四日、県立高知短期大学は後期に入りました。受講科目は「国民所得論」、「地域史」、「英語Ⅲ(会話初級)」、「国際法Ⅱ」、「経済学Ⅰ」、「英語Ⅱ」、「経営情報システム論Ⅱ」、「社会科学演習Ⅰ・Ⅱ」、「芸術文化論」、「キャリアデザイン」。
 九月●日から●日まで台湾にいってきました。二十代、三十代、六十代の男性三人の旅行でした。

 九月二十六日、岡山県からいらっしゃった高知県須崎市の人間魚雷・回天の基地にいた男性と、その家族(妻、娘、その夫)を案内して元の回天基地に。
 九月二十七日午後、高知市の高新文化ホールで「県立高知短期大学存続を求める音楽とトークのつどい」(主催・高知短期大学学友会 、同存続を求める学生の会)。
 十月一日、高知大学が二〇一〇年度人文学部の第三年次編入学の合格者を発表しました。わーっ、県立高知短期大学存続運動を熱心にやっているUさん(女性)も合格していました。
 十月三日、十四歳で日本帝国海軍に志願したOさん(高知市在住)の話を聞きました。大分県の宇佐海軍航空隊で、あの特別攻撃機・桜花(おうか)に乗るための訓練をしていたとのことです。訓練の様子をくわしく教えていたただきました。
 十月五日、高知新聞の読者の欄に県立高知短期大学を今年卒業したばかりの杉本由美さん(53。本山町大石)の「不登校と短大存続」という文章を書いていました。県立高知短期大学のことを「温かい優しい希望の光」と表現しています。
 同日、県立高知短期大学の同学年の女性が、僕とピンポン部で一緒の一年生の女性のことを教えてくれました。彼女は、僕が卒業した高知県の伊野小学校、伊野中学校の同学年生だとのことです。俊敏な動きで、「僕より十歳以上は下の人かな」と思っていました。
 十月六日、携帯電話に、未知の「高知県下の高校二年生」の女性から電話をいただきました。彼女は、前日、十月五日に高知新聞に載った杉本由美さんの投書を読んだようです。彼女の電話の要旨は、つぎのとおりです。「大検に合格しました。さ来年、高知県立高知短期大学を受験したいと思っています。高知短期大学から四年制大学に進み、将来は教師になりたいのです。でも、そのころまで、高知短期大学はあるでしょうか」。いま、存続のための「つめ」をしているところです。残したいです。あなたのような後輩のために。
 十月七日、台風十八号接近。一時間目の「経済学Ⅰ」は、やりました。窓ガラスが風でガタガタいっています。二時間目の「英語Ⅱ」は休講に。
 十月八日、香川大学法学部、経済学部が二〇一〇年度三年次編入試験の合格者を発表。同学年のIさんも合格しました。
 十月十一日、十二冊目の歌集を出そうと決意。仮の題名は『藤原義一歌集 六十三歳。大学三年生』です。僕のブログ「短歌の花だより」に枠組みを打ち込みました。できるところから完成させていくという方式です。さて、どうなるか。
 十月十四日午後、高知市大津乙の田辺島公民館で「健康講座 ボケは予防できます」が開かれました。主催は、田辺島の隼人老人クラブ(藤原義一会長)です。
 十月十六日、FUさんと香美市土佐山田に行き、ある男性のシベリア抑留体験の話をビデオに撮らせていたただきました。
 十月十六日、「あの素晴しい愛をもう一度」の加藤和彦(かとう・かずひこ)さんが自殺しました。
  十月二十日、仕事も学校も休んでしまいました。夕方、起き上がって郵便受けを見ると高知県下のTUさんからの手紙がきていました。この間、電話で「私が受験する二年後にも高知短期大学はあるでしょうか」と問い合わせてきた高校二年生の女性とです。その後、彼女に高知短期大学存続運動などの資料を送りましたが、それへの返事でした。高知短期大学存続を求める(学生)の会のさまざまなご活動素晴らしいです。遠くからですが私も応援しています」。封筒にあめ玉が二つ入っていました。ありがとうTUさん。
 十月二十六日、通いつめている病院で心房細動(しんぼうさいどう)と診断されました。「ほっておけば小渕さんや長嶋さんのようになる」。脳梗塞(のうこうそく) のことです。一年以上前から症状が出て、何回も検査してもらいましたが、そのたびに「特に異状なし」でした。治療を開始しました。
 十月二十八日、パソコンのソフト・ピーシートーカービスタ(高知システム開発)を買いました。テキストなどを読み上げるソフトです。夜、授業をを休みました。風邪が治りません。
 十月三十日、高松市で開かれた香川高知県人会総会に参加。「来春からは香川県人になるから」とお誘いを受けたのです。約二百二十人も来ていました。
 ●●●
 二〇一〇年三月二十二日、卒業式。

   初めての台湾旅行

 リアカーの 甘蔗(カンショ)売りの
 日本語の うまさにとまどう
 台北の街

   編入試験に合格した学生たち

 何となく うつむき加減の 二十歳
 「合格しました」
 いい顔である

 合格し 重しのいたか
 女子学生
 笑い、このごろ のびやかである

 

   高知の戦争を聞く

 「あの壕(ごう)は 弾薬庫だった」 元水兵
 須崎の海辺
 足早に行く

 空襲の 弾痕(あと)三つある 低い塀
 「そのとき」のこと
 聞き入っている

 「東條の 馬鹿とわめいて 捕まった」
 海軍幹部の
 父語る娘(ひと)

 シベリアに 拉致された日々
 聞きながら
 金網の中 ワープしている

   キンモクセイの香

 キンモクセイ
 胸いっぱいに 入りこみ
 モヤモヤぜんぶ 吸い取っていく

 キンモクセイの 香吸い
 「やっほー、帰るぞ」
 夜学のわれは

 「曼珠沙華(マンジュシャカ)」
 二十歳の百恵 思い出す
 あのLP(エルピー)が も一度ほしい

   病弱の女子学生のこと

 病弱の 女子学生が 休んでて
 胸痛めてる
 「苦悩のさなかか」

 「私もね。昔の高知、知りたいの」
 娘の歳と
 気が合っている

   英作文の楽しみ

 二時間も あれやこれやと こねまわし
 英作文が
 一つできた夜

 英作文 添削のペン なめらかで
 易しく伝わる
 文が生まれる

   歌を歌う人たち

 「曲できへん」
 苦悩抱きしめ 逝った人
 僕もあんたが 好きだったのに

 「死ぬもんか」
 「生きる」を歌う 堀内桂
 涙ぐんでる 輪の中にいる 

 「やっぱりな。山崎ハコが一番だ」
 晴れない夜に
 次々と聴く

 踊り出す 元娘いて
 受けている
 生協まつりの ビートルズたち

   僕の脈拍の異常

 躍らない 心暴れて 持て余す
 何だかどこかが
 つまっているよな

 六十五が 百三十に 飛びあがる
 僕の脈拍
 もしかして恋?

  クークーと
 朝から晩まで 寝ちゃったよ
 何んもかもが 頼りなくってさ

 やまい得て
 やるべきことの 順番を 考えこんでる
 秋の夜のこと

 「あが心、恒(つね)に虚(そら)より翔(かけ)り行かむ」
 きょうも思いて
 明日の準備す

   それでも、やっぱり学びたい

 二日寝て
 夕陽に向けて 走ってる
 夜の学校 喜びだもの

 庭採れの イチジク二つ 腹に入れ
 夜学に走る
 わが楽しみの

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