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2009.10.23

アジア太平洋戦争後の日本の B級戦犯、C級戦犯とA(エイ)級戦犯は、どう違うか。

 B、Cで 死刑になった 一千人

 大元帥は

 「あ、そー」「あ、そー」

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 一九四五年七月ニ十六日、ポツダム会談での合意にもとづいてアメリカ、イギリス、中国が、大日本帝国に発したアジア太平洋戦争にかんする十三条からなる降伏勧告の宣言(ポツダム宣言)がおこなわれました。
 第十項の中に「我らの俘虜(捕虜)を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰が加えられるであろう」とありました。
 同年八月八日、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連が「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」(ロンドン協定・戦犯協定)を締結。ここで「平和に対する罪」という新しい戦争犯罪の概念が登場しました。
 同年八月十日、日本がポツダム宣言を受諾。十五日、終戦。
 大日本帝国と戦争した連合国は、「極東国際軍事裁判所条例」をつくり、戦後、大日本帝国を裁いていきました。

 極東国際軍事裁判所条例第五条

人並ニ犯罪ニ関スル管轄 本裁判所ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ訴追セラレタル極東戦争犯罪人ヲ審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス。
 (イ)平和ニ対スル罪
 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。
 (ロ)通例ノ戦争犯罪
 即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。
 (ハ)人道ニ対スル罪
 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
 上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス。

 【B級戦犯、C級戦犯】

 B級戦犯、C級戦犯とは、アジア太平洋戦争の戦勝国である連合国によって布告された国際軍事裁判所条例および極東国際軍事裁判条例における戦争犯罪類型ロ項「通例の戦争犯罪」、ハ項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪または戦争犯罪人とされる罪状に問われた一般の兵士らのことです。
 A級と同様に、B、Cは刑の重さではありません。
 日本のBC級戦犯は、ポツダム宣言の執行のために日本に設置された連合国の機関である連合国軍最高司令官総司令部により横浜やマニラなど世界四十九カ所の軍事法廷で裁かれ、のちに減刑された人も含め約千人が死刑判決を受けたとされます。
 極東国際軍事裁判(東京裁判)においてもA項目の訴追事由では無罪になったが、B項、C項の訴追理由で有罪になった人がいました。
 BC級戦犯の中には、旧植民地出身の朝鮮人・台湾人がいました。その数は、朝鮮人が百四十八人、台湾人が百七十三人でした。
 A級戦犯約二百人が、巣鴨拘置所に逮捕監禁されたのと同時にCB級戦犯約五千六百人が各地で逮捕投獄されました。
 横浜、上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々南方各地の五十数カ所の牢獄に抑留され、約千人が軍事裁判の結果、死刑に処されました。

 【A級戦犯】

 A級戦犯は、 極東国際軍事裁判所条例第五条(イ)項により定義された戦争犯罪にかんし、極東国際軍事裁判により有罪判決を受けた者です。
 罪状は東條英機首相を始め日本の指導者二十八人を「文明」の名によって世界征服の責任を裁くというもので、通常の戦争犯罪に加えて「平和に対する罪」でも起訴されたました。 東京都市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂にて裁判がおこなわれました。一九二八年から一九四五年、すなわち満洲事変からアジア太平洋戦争(大東亜戦争)までの期間を被告等が全面的共同謀議をおこなったなどとして起訴。起訴は一九四六年四月ニ十九日(四月ニ十九日は昭和天皇の誕生日)におこなわれました。
 昭和天皇は大元帥であり、戦争の第一の責任者でしたが、連合国軍最高司令官総司令部の最高指令官ダグラス・マッカーサーが当時の日本の統治において天皇の存在を必要と考えたため、天皇の退位・訴追はおこなわれませんでした。
 一九四六年四月二十九日に起訴された被告人は、昭和天皇の命令で戦争を遂行した人々でした。

 関東軍関係
 板垣征四郎 - 南次郎 - 梅津美治郎
 特務機関
 土肥原賢二
 陸軍中央
 荒木貞夫 - 佐藤賢了 - 鈴木貞一 - 木村兵太郎 - 橋本欣五郎 - 畑俊六 - 武藤章 - 松井石根
 海軍中央
 嶋田繁太郎 - 岡敬純 - 永野修身
 総理大臣
 東條英機(陸軍) - 広田弘毅(外交官) - 小磯国昭(陸軍) - 平沼騏一郎(司法官僚)
 大蔵大臣
 賀屋興宣
 内大臣
 木戸幸一
 外務大臣
 東郷茂徳 - 重光葵 - 松岡洋右
 企画院総裁
 星野直樹
 駐ドイツ武官
 大島浩
 駐イタリア大使
 白鳥敏夫
 思想家
 大川周明

 一九四六年五月三日から審理が開始し、当初五十五項目の訴因があげられたましが最終的に十項目の訴因にまとめられました。判決に影響しなかった訴因のうち、「日本、イタリア、ドイツの三国による世界支配の共同謀議」「タイ王国への侵略戦争」のニつについては証拠不十分のため、残りの四十三項目については他の訴因に含まれるとされ除外されました。
 上記のニ十八人が一九四六年四月二十九日に起訴された。うち、大川周明は梅毒による精神障害が認められ、訴追免除となり、永野修身と松岡洋右は判決前に病死していました。
 一九四八年十一月四日、判決の言い渡しが始まり、十一月十二日に刑の宣告を含む判決の言い渡しが終了しました。
 判決は、以下のとおりです。

 絞首刑(死刑) 七人

 板垣征四郎 - 軍人、陸相(第一次近衛内閣・平沼内閣)、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長。(中国侵略・米国に対する平和の罪)
 木村兵太郎 - 軍人、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣)(英国に対する戦争開始の罪)
 土肥原賢二 - 軍人、奉天特務機関長、第一二方面軍司令官(中国侵略の罪)
 東条英機 - 軍人、第四十代内閣総理大臣(ハワイの軍港・真珠湾を不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪)
 武藤章 - 軍人、第一四方面軍参謀長(フィリピン)(一部捕虜虐待の罪)
 松井石根 - 軍人、中支那方面軍司令官(南京攻略時)(捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京大虐殺))
 広田弘毅 - 文民、第三十二代内閣総理大臣(近衛内閣外相として南京事件での残虐行為を止めなかった不作為の責任)

  終身刑 十六人

 荒木貞夫
 梅津美治郎
 大島浩
 岡敬純
 賀屋興宣
 木戸幸一
 小磯国昭
 佐藤賢了
 嶋田繁太郎
 白鳥敏夫
 鈴木貞一
 南次郎
 橋本欣五郎
 畑俊六
 平沼騏一郎
 星野直樹

 有期禁固刑 二人

 重光葵 (七年)
 東郷茂徳 (二十年)

 一九七八年、靖国神社が死刑および獄中死の十四人を「昭和時代の殉難者」として合祀しました。靖国に戦死者以外が合祀されることは例外的でした。広田弘毅など非軍人を合祀したことでも例外的な措置でした。死亡の理由は「法務死」となっています。

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