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2010.01.03

坂本龍馬(さかもと・りょうま)は「勤皇の志士」ではなくて……。

 この間、坂本龍馬(さかもと・りょうま)の果たした役割を考えてきましたが、自分の中ではっきりしたことは世に出てからの龍馬は「勤皇の志士」というのではなく別の言葉が与えられるべきではないかということです。

 彼は、三つの役割を果たしたと思います。

 一、【幕府の海軍づくりに尽力】 江戸時代の1864年5月に、軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に神戸海軍操練所を設置しました。海軍士官養成機関、海軍工廠です。土佐藩脱藩後の龍馬の果たした役割は、勝の部下として神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開設された神戸海軍塾の塾頭をつとめました。

 二、【薩摩藩の援助で武器商人として】 その後、薩摩藩の援助により、土佐脱藩の仲間と共に長崎で社中(亀山社中・のちに海援隊)を組織し、物産や武器の貿易をしました。龍馬は、長崎のグラバー商会(イギリス武器商会のジャーディン・マセソン商会の直系)の信用を得ていたましので、薩摩藩名義で香港のジャーディン・マセソン商会の信用状により長崎のグラバー商会から買い付けた銃器弾薬を長州藩に転売することに成功しました。亀山社中の船・ユニオン号(グラバー商会から薩摩藩名義で買い入れ「桜島丸」となり、長州藩に引き渡され「乙丑丸」となります)で長州藩海軍を支援しました。

 三、【在野の政治家として】 1866年1月、坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟(薩長盟約)が結ばれました。このとき龍馬は桂に求められて盟約書の裏書をしています。後藤象二郎とともに新政府の構想・船中八策を策定しました。これにもとづいて後藤象二郎が土佐藩の山内容堂を説いて土佐藩の進言による大政奉還を実現させました。

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