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2010年2月

2010.02.01

高知県 宿毛市の幡多ゼミナールでの一夜。

Photo   一月三十一日夜、高知県宿毛市の幡多ゼミナールに行きました。

 宿泊客が、庭でマキを割っていました。

 マキ割って、久しぶりに見ました。

 僕が、高知県伊野町の小、中学校のとき、会社の作業着のままの父が、ばしばしマキ割りをしていて、「父は、カッコいいなぁ」と思いました。

 僕もときどきやりましたが、父のようにはうまくいきませんでした。

 一緒に行った宿泊者の一人が魚をさばいていました。

 それを「いろり」で焼きました。

 その館の奥さんが、かまどでご飯をたいていました(写真)。

 二十歳まで住んだ伊野町の家にも、かまどがありました。

 一気に、頭が、そのころに戻りました。

 マキの五右衛門風呂、マキのストーブがありました。

 すごく、いい感じ。

 食事後、男性陣の五人は二階の一室で寝ました。

 僕は、二番目に就寝。

 かわいそうだったのは、僕とOさんにはさまれて寝たMAさんです。

 二人の、「メガトン級」のいびきで寝れなかったそうです。

 僕も、Oさんのいびきで、ときどき起きていましたが……。

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高知県宿毛市に、また、またアメリカの「黒船」が来ました。

 高知県宿毛市に、また、またアメリカの「黒船」が来ました。

 ブッシュ大統領がオバマ大統領にかわりましたが、アメリカ帝国主義の侵略体質は引き続いています。

 「黒船」が押し寄せてきたとき、どうするか。

 坂本龍馬は、「黒船」事態に、その問題を解決しようと奮闘しました。

 いま、わたしたちも!!

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2010.02.02

Sukumo Assembly members wishing to protest against the visit of the Aegis cruiser, the USS Lake Erie to the port of Sukumo. → To:  The President of the United States, Barack Hussein Obama

To: The President of the United States, Barack Hussein Obama
To: Mr John V. Roos, U.S. Ambassador to Japan

We wish to protest against the visit of the Aegis cruiser, the USS Lake Erie (CG-70), to the port of Sukumo.

We, the members of Sukumo Assembly, wish to protest against the visit of the Aegis cruiser, the USS Lake Erie (CG-70), to the port of Sukumo.  The USS Lake Erie has refused to submit any guarantee or certification to confirm that it will not be carrying nuclear weapons during its visit to Sukumo port.  We feel compelled to point out how this comes across as insulting and as a demonstration of arrogance.  This country has suffered the atomic bombing of Hiroshima and of Nagasaki.  Further, the U.S. hydrogen bomb testing at Bikini Atoll caused loss of life.  We are deeply opposed to allowing any nuclear weapons into Japan.  Further, we are committed to the future elimination of all nuclear weapons and a nuclear-free world; a position happily shared with the current U.S. administration.  However, the U.S. government has refused to clarify whether nuclear weapons will be carried by the USS Lake Erie during its unwanted visit to Sukumo.  This is not an act of friendship or of goodwill.  Thus, we must protest against the visit of the USS Lake Erie, which we suspect is carrying nuclear weapons.

We are greatly concerned and angered by the fact that this visit by the USS Lake Erie is the third such visit within the space of only four years; the USS Russell (DDG-59) and the USS O’Kane (DDG-77) having already visited four years ago and two years ago respectively.  This fact naturally leads us to suspect and fear that it is the intention of the U.S. government to use Sukumo as a permanent U.S. military base in the future.  As can be seen in the case of Futenma base in Okinawa Prefecture, a U.S. presence means, amongst other things, low flying practice, touch-and-go landings at night, and additional forms of noise pollution, which, it should be noted, would not be tolerated on the U.S. mainland.  Further, the manner in which U.S. service personnel committing crimes within Japan benefit from the protection of the extraterritoriality agreement is a source of grave concern.  Unfortunately, these issues come across as displaying the same arrogance and lack of sensitivity towards the Japanese people as does the visit of the USS Lake Erie.

Japanese people are not subjects of the U.S. government.
We firmly reject any plan to turn Sukumo into a U.S. military base.
We request that you return to your home base of Pearl Harbor without stopping at Sukumo.
We demand in the strongest possible terms that visits by U.S. navy ships to Sukumo bay cease.

February 1st, 2010

Sukumo Assembly members wishing to protest against the visit of the Aegis cruiser, the USS Lake Erie to the port of Sukumo.

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高知市 十九歳の恋は、一直線に……。

 「思い過ぎ 睡眠不足で クマできた」

 十九の恋は

 一直線に 

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2010.02.06

フィンランドの教育は、すごくいいらしい。

 二月五日夜、久しぶりにSUさんと会いました。

 娘は、いまフィンランドの高校に留学中。

 その様子を聞いていたら、そこでは、僕が理想としている教育がおこなわれているようです。

 この件、もう少し調べてみたいと思っています。

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短歌「一九三二年の高知を歩く」。

「青年よ。『生ける銃架』になるなかれ」 槇村浩(まきむら・こう)の韻律の中

「上海に往(い)くな」のビラが八回も 憲兵隊の記録に見入る

連隊へ反戦ビラを入れた群れ 中学生も その中にいて

「上海に出兵するな」の青年の手記が載ってる 『大衆の友』

吉永の平凡堂の父親の名も載っている 『運動史』読む

祖父、母の丸一、片倉登場し 青年走った 「昭和七年」

当事者の食い違う言載っいて 「本当」に迫る 面白さ知る

神奈川の青年たちも軍隊に反戦ビラまく 『特高月報』

「残ってる倉庫というは火薬庫だ」 連隊の図が教えてくれる

核兵器なくせの署名 青年ら帯パラに立つ風寒い午後

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2010.02.07

坂本龍馬さんは、千葉佐那子さんと婚約していたはずでは……。

  二月三日夜のNHK総合テレビの「龍馬伝」を見ました。

 千葉佐那子さんが、すごくチャーミングに描かれています。

 ところで、坂本龍馬さんは、千葉佐那子さんと婚約していたはずでは……。
 土佐藩を脱藩し、土佐藩からすれば犯罪者であった時期もあったので、結婚にいたらなかったのでしょうか。
 しかし、婚約者がありながら「おりょう」と結婚し……というのは、どういう事情でしょうか?

千葉さな子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

 千葉 さな子(ちば さなこ、1838年 - 1896年10月15日)は、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟・千葉定吉の二女。北辰一刀流小太刀免許皆伝。長刀師範。学習院女子部舎監。漢字では佐那子と書く。佐那とも呼ばれる。また、初名を乙女といった。
 小太刀に優れ、10代の頃に早くも皆伝の腕前に達した。美貌で知られ「千葉の鬼小町」あるいは「小千葉小町」と呼ばれたという。16歳のころ、北辰一刀流桶町千葉道場に学びに来ていた坂本龍馬と知り合い、後に婚約を交わしたとも結婚したとも言う。龍馬の死を知った後も彼を想い続け、一生を独身で過ごした。
 維新後は学習院女子部に舎監として奉職した後、千住にて家伝の針灸を生業としてすごした。死後、身寄りがなく無縁仏になるところ、山梨県の民権運動家として知られる小田切謙明が哀れみ、小田切家の墓地のある山梨県甲府市朝日5丁目の日蓮宗妙清山清運寺に納骨されたという。墓石には『坂本龍馬室』と彫られている。
 千葉家息女と龍馬との恋については、すでに龍馬に関する最初の伝記小説である坂崎紫瀾『汗血千里駒』に見えている。龍馬と佐那との関係は坂本家でもある程度認められていたものと考えられる。また、龍馬の妻となったおりょうによる千葉佐那評が悪意に満ちていることを考えると、龍馬と佐那との関係はかなり深いものであり、坂本家での佐那への認識が相応のものであったと推定される。また、龍馬の実家宛書簡には佐那に対する好意にあふれた表現が見え、少なくとも龍馬が千葉佐那へ大変な好意を寄せていたのは確実視されている。

 【参考】

 http://www.hpmix.com/home/seiunzi/E3.htm

 http://yamanashi-kaientai.com/tibasanako.htm

 http://www.bakusin.com/sanako.html

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仁智栄坊(にちえいぼう)さんの俳句。

  仁智栄坊(にちえいぼう)さんの俳句を紹介します。

 『京大俳句』に載ったものです。

一九三六年十月号
・九月二十三日 大阪句會 大阪學士會クラブ
  戰艦の鋼鐵(かね)の窓より白き吐瀉
・三角点
  地の果に黑き兵士と血の砂字
  戰艦の鋼鐵(かね)の窓より白き吐瀉 
  戰闘機ばらのある野に逆立ちぬ
  金星(ヴイナス)とナポレオンこそ西へ行く
  コンムニスト丘上(おか)のキリスト射落としぬ
  昨夜二時レーニン棺を脱出しぬ

一九三六年十二月号
・十月二十一日 第二十三回大阪句會 大阪学士會クラブ
  狙撃兵パトリオツトを突き刺しぬ

一九三七年一月号
・十一月二十五日 大阪句會 大阪学士會クラブ
  ビードロの靑き光に誰ぞひそむ

一九三七年二月号
・會員集
     コウモリの辯
  屹然と白堊の議事堂(やかた)、威嚇せり
  議事堂は、氷柱(つらら)の如く、民は燃え、
  議事堂にアポロ嗤ひし、その前夜
  われは唯、魚の目ほじり焼鳥(とり)を嚙む
     その父
  子の問ひに、何に成れとは、答ふでき
  その子供、へいたいさんと、勇みたり

一九三七年三月号
・會員集
    村の居酒屋
  でつぷりと居酒屋主人(あるじ)愛想に不景氣(しけ)でさあ
  チョビひげがにたりこぼして不景氣でさあ
  濁酒をごくり通してお若いの
  生娘がへへへ奇蹟で御座んしよ
     都會の旅人
  ゆめはない濁酒のんでゆめつくる
  峠茶屋泣きたい程に旅人(ひと)を留め
  その一人東の道へ默し去る
  お客さん最終バスはいきました

一九三七年五月号
・會員集
    無字幕
  パパイヤのきつい飛沫(しぶき)が夢にしみ
  泥濘に銀馬の躍る靑の影
  生白き花の少年抱きあげ
     飛行機
  南方へ夜間飛行のゆめとなる
  旅客機のルームに白い花がしむ
  プロペラにガラスの風がさけてちる

一九三七年八月号
・七月二十四日 神戸京大俳句創立句會 元五會館
  勳章が顔一ぱいに迫りくる
・四月二十八日 大阪句會 大阪学士會クラブ
  墓地ふかく石屋の神話(ミトス)白くとけ

一九三七年九月号
・八月二十日 神戸句會 元五會館
  献金の悲壮の街よぼくは下痢
・會員集
     海邊にて
  白雲のふはりと少女脱衣せり
  人まばら海靑々と風立ちぬ
      ○
  戦争が波のまにまに脱けて行く
  街暑く蒼白の手に陽がしみる
      ○
  うつろひはピンで留めねば逃げて行く
  浴槽に靑い魚が泳いでる
      ○
  献金の街の男に貸がある
  秋となりぼくの頭にふけ多く

一九三七年十月号
・會員集
     戦 ひ
  翼折れわれ戦闘機は落ち行くよ
  爆撃の機上にわれは日輪と
  人ななめ野も亦ななめ空馳けるよ
  射撃手のふとうなだれて戰闘機
     馬
  陽は落ちて馬馬の顔ながくして
  徴達に親方酒のんでゐる馬
  戰ひに馬默々と兵と征く
  馬とある兵士知性の餓ゑひしと
  泥濘を兵らひた征く馬も征く
     軍事郵便
  夕あめ忰は戰に征きて候(そろ)
  哨兵よそなたの嫁は自害して

一九三八年一月
・(三七年)十二月九日 第二回神戸新興俳句會 三菱クラブ
  黄なる街黄なる河あり人は飢ゆ

一九三八年二月号
・會員集
     市 街 戰
  銃聲硬く白堊ずずと歪み
  タンク蝦蟇(がま)の如く街に火を噴きつ
  銃聲直線に街ううと起つ
  機關銃いたつけり右へ右へ
     クリスマス
  クリスマスつあーるの金貨店にあり
  クリスマスサ聯公館灯は赫く
     男 爵(一)
  男爵魚肉の如き指もてり
  男爵ユダの如く逞しき
  男爵伊達者なり金粉をふき
  街の男爵なかなかオセロなり

一九三八年三月
・會員集
     海  戰
  旗手起ち艦隊風を止めたり
  砲手いま秒を待てり海鳴りの
  海怒る驅逐艦は硬直し
  水平飛び砲口がばと裂け巨く
  砲身動き波狀線を硬らしむ
  砲口裂けり海劫火を吐きあぐる

一九三八年四月号
・會員集
     塹壕の墓標
  炸裂の大地しづかに墓標みる
  戰なく大地は深く傷つきぬ
  戰なく骸骨の街ゆれ立てり
  塹壕の墓標蝶々に囁きぬ
  塹壕の墓標が二つ語りゐる
     海の戰(續)
  裂帛の戦闘機なり海震ふ
  波浪來ぬ旗艦マストに人うたれ
・一月二十六日 第三十四回大阪句會 大阪學士會クラブ
  ネオン裏和尚猫を抱きしむ
・第四回神戸新興俳句會
  旗手起ち艦隊風をとどめたり

一九三八年五月号
・會員集
     戰  死
  銃聲はたと止み嬰兒の細き息
  空遠く遠く耳底をうつ彈丸
  一つづつ影が消え陽が落ちて行く
  十萬の眼を凍らしむ榮光とはに
      ○
  戰闘機甲蟲となり潰えゐる
  裸木あさ枝の翼に霖雨あり
  裸木あさ滑車まるく傷つけり
  霧の夜を僚機が低く舞ひきたる
     海 戰(續)
  サカナ三ツニ裂ケ魚雷ノ白き放光
  魚雷トンデ靴ノアシ喰ハレユク
  海底ノ聲帶切レ魚雷トブ
     戦線日記(Ⅰ)
  砲弾ガ風ヲ切ル鶯ヲ探セ
  喝采ト愁歎ニアル彈丸ノ痛ミ
  ソノ仇敵ニモ降ル彈丸ト勳章

一九三八年六月号
・會員集 
     P大佐の凱旋
  シャンペンとオムレツに大佐の嘔吐
  市長の頭はげ大佐目をつむる
  ロビーの月大佐影の群に饒舌
  大佐を撃つ眼眼灰色の眼月は右
  沛然と雨大佐夫人分娩す
     戦線日記(續)
  戰火光らない頭が撃たれてゐる
  毒瓦斯を道化役者(ピエロ)がひとり突いて出る
  砲彈が砲彈が來て眠つてゐた
  壊れた花瓶血泥の兵が窓に
  あかいあかいベット軍靴重く低く
  戰火血泥の女の顔をふく
  戰火掘り出された女の白い脚
・四月 神戸新興綜合句會
  燦然とカツラがとび支那人の笑ひ

一九三八年七月号
・會員集
     兵士のゐる風景
  蠅窓に傷兵三人ゐる小夏
  酒保の午后蠅が窓をうつてゐる
  水仙茶ほのかなるを傷兵ら吸ひ
     ×
  佐渡おけさ異様に愁し露營なり
  占領地區胡弓が胸うち發砲す
     戦線日記(續)
  失語症慰問袋に花がある
  堅パンにぽろり齒が折れ生きてゐた

一九三八年八月
・會員集
     女の心
  戯れの男がいくさに行くと云ふ
  兵となり男の噓がふと消える
  兒を殘し男はいくさに逃げてツた
     或る風景
  理髪店將軍とスパイが剪られゐる
  靑髯がマリヤの薔薇を撮影つてゐる
  赤十字べんぎん紳士の胸にあり
     捕虜の日記①
  砲弾にがばと嚙みつく捕虜われは
  爆撃の空にも躍る捕虜われは
  わが怒り敵も味方もなきものぞ

一九三八年九月号
・會員集
     戰 爭
      Ⅰ
  新聞の活字が一つゞつ尖り
  街角に男が二人聲ひそめ
  國境線鼠一匹出た傳令
  破れた勘定書(ビル)も地圖に見える國境
  國際電話しきりなり大使とスパイ
  將軍髭を閉ぢ兵士の鼻ひらく
  ぎらぎらと秘密室の地圖が赤く
  愴惶と大使館閉められ晝も夜も
  慌しき外交官ら燕尾ぬぎ
  大使館武官音なき機銃に武者振ふ
      Ⅱ
  戰爭だどうでもケリをつけるは女
  戰爭だ早いとこ行け街の髭
  リトヴィノフは葡萄酒じやないぞ諸君
  カイゼルなんて髭の名だァ諸君
      Ⅲ
  落下傘彈道にゆれゆれて生き
  落下傘喝采と憎惡の間に生き
  落下傘風が素知らぬ彈丸をうつ
  落下傘人を落して飛びゆけり
  地の機銃しばしは止みぬ虹空に
  虹空を斜に白き落下傘
      Ⅳ
  戦死しぬ馬の脚黑く太くみつ
  戦死しぬ白熱球のそのさきに
     捕虜の日記(續)
  じつとりと屍臭にさめる眞夏の夜
  空想の翳にひそむは捕虜の罪
  かくれんぼ見つけられたる捕虜の夢
  射貫かれし胸ひしと捕虜の眼のわらひ
  折れ斃れ叫びしは今の捕虜
  たゞ一つ澄んだ空氣がそとあれば
  たゞ一つ白い女がそとあれば

一九三八年十月号
・會員集
     妻
  妻の瞳がきらり銃劍を掠め去る
  妻と兒が銃眼に來て砲火あり
  砂のごと抱けば妻は崩れゐぬ
     馬
  新戰場馬を脊負ひて征く兵士
  幾山河越え來し馬のもの言はぬ
  蹄鐡の灼けしに馬は泣くならず
  馬の瞳が馬曳く兵士の瞳に問へり
  馬と泣き馬とわらひて征く兵士

一九三八年十一月号
・會員集
     日本人(一)
  征く學徒たゞひたぶるの愛國歌
  驛頭は燃え學生の愛國歌
  日本人なれば三三拍手せり
  三三の拍手ちれり花とちり
  拍手舞ひ狂ひて兵の眼の澄める
  愛國歌やがて愁しき校歌終へ
     寫 眞
  輕氣球二人の兵を吊りあげぬ
  輕氣球つけて艦體急角す
  輕氣球かごの兵士の眼の高さ

一九三八年十二月号
・會員集
     靑龍展を観る
  靑龍展けんらんとして壁に炎え
  靑龍展金粉の綾惜しからず
  靑龍展黑き熖の詩を得たり
  靑龍展炎々護國降魔祈る
     川端龍子の繪
  源義經ラクダの中に居らしむは
  石佛の眉根の行方美しく
  蒙古にて野の像象をみし龍子
     蘭の花
  上海のとある小路に咲く蘭花
  蘭の花支那靑年の掌にこぼれ
  黄河遠く靑年蘭花捧げゐる
  白き雨蘭花をうけし兵に降る
  風琴のほろ〱蘭花かげり行く
  蘭の花戰火に映えて夜ひらく

一九三九年二月号
・會員集
     ニュース館
       1、
  ニュース館夫の眼はたと見し
  髭の彼ふるへつ觀たり胎動に
  かの五月軍帽なくて抱きし腕
  三十の夫の汗をふとおもふ
  ニュース館夫の汗の嗅がれたり
       2、
  わが傍にニュース映畫を観る姑娘
  姑娘の眼を探らんとして撃たれ
  われの虚にニュース映畫の銃聲が

一九三九年三月号
・會員集
     出 發
  霧の朝憂愁夫人北へ發つ
  五番ホーム防寒の兵ら發ちゆけり
  その一人白き手を北へ指しゐたり
  霧やみに拳銃の音耳にせり
  霧やみの都市眼底に懸垂す
  霧やみに女みえ戰火みえ消ゆ
     ホ テ ル
  雪つむるホテルよりしも兵征けり
  兵發てりホテルの夫人に便なく
  雪の香にバラの木を焚き待つ夫人
  暖爐燃ゆ夫人の顎の白く炎え
  夫人の眼ペルシヤ猫やう媚態せり
  暖爐燃ゆ憂愁夫人の肌にふれ
  レモン茶と夫人を憎むにはあらず
  レモン茶とつくづく思ふ虚し夫人

一九三九年四月号
・會員集
     花一輪
  黑絹のトバリにかくれ花を吸ふ
  花の蔭はだか男が立つてゐる
  埒外に喪服紳士が落した花
  サクラサクラと小切手をむしる紳士
  ばらの花むしつて街にまきたいが
  雷鳴の曉にふた〱花を吐く
     夢一夜
  砲口にがばり吸はれてゐた自分
  きしきしと砲車が額を突出づる
  シルクハツトころり落ち砲車走る
  砲火(いくさ)凍つ敵らもねむるその上に
  敵ねむりわれもねる戰場の起伏
  夢に撃ち現に撃たれゐた自分
  白骨の敵が一時に立ちあがる

一九三九年五月号
・會員集
     支那の壺
  苦力が破れた英旗縫うてゐる
  牧師の指鉤形に支那は起伏す
  がつがつとワンタンが消え療養院(サナトリウム)
  黄なる支那人の胃袋にある硝子
  支那の壺の軋る牛車と苦力と
  苦力の皺深くある支那の傷痕
  ぎざぎざと牛車支那の花嫁と
  ユニオン・ジャックひらり支那聖女に

一九三九年六月号
・會員集
     黑い海
  さらさらとさらさらと來る黑い海
  黑い海のかすかなる彼方に汽笛
  黑い黑い海の底なる叫びよ
  黑い黑い海にアラブの太鼓
  黑い黑い海の無數なる醜聞
  あゝさるにても吾が失ひし愛は
  人果てし夜の輝く海水浴場よ
  打寄す波のあゝ何と白い
      ◇
  海遠くほのほほのほとわれ呼べり
  ひらひらとカードの如き白い波
  夏の夜の焔の中に愛をなげ

一九三九年七月号
・會員集
     運 命
  一發の彈丸たかく低く微かに
  一兵士の聲たかくたかく消ゆ
      ◇
  運命的なサイレンが官吏の上に
  白い花を撒き感冐のやうに私語
      ◇
  ゆつくりと「乗り遲れた」と泣く男
  驚いたボク人生の只乗りだ

一九三九年八月号
・會員集
     朝
  鐡兜の下からぷんとくる歯磨
  銃に油しきしきし靴鳴らすぼくら
  默々と手早にゲートルまくぼくら
  軍嚢をしかとふん張つて起つぼくら
  ラッパ鼻に彈け自轉車の様なぼくら
  駈けくる軍靴は硬く健康だ
  隊長の聲よレールの様に白い
  わくわくと帶皮(バンド)しめしめ戰場へ

一九三九年九月号
・會員集
     晝 家
  きし〱とカンバスにぬる黄な記憶
  地平線カンバスにも白く埋れ
  晝家の手が埋れし大地掘りゐたり
  陸の名がはたと思ひ出せない晝家
  ハーモニカ高く低く晝家の手の硬き
  カンバスがとつ裂け兵の一人出づ
     再 會
  ふくらんだ櫻の下で兒とふたり
  兒を離し求人廣告マークしつ
  乳房しむ情炎の陽の時にあり
  かく靜か海みる如く生きんとし
  兒の聲に動かぬ眼ふとみたり
  兒を殘し捨てた男が立つてゐる
      ○
  愛憎の間(ま)にある男の白衣なり
  母のごとほころび行けり瞬かず
  男の鼻兒がつめりたり相見し日

一九三九年十月号
・會員集
     支那の胡瓜
  ころ〱と苦力の臍から出た胡瓜
  黄な胡瓜二つユニオンジャックの上
  胡瓜は靑く冷かつた萬國橋
  萬國橋くるりと陽傘の巴里娘(パリジャンヌ)
  下痢症のロンドン紳士立つてゐる
  漫々的支那大人の大き口
     ロマンス
  王飛(ワンヒー)々呼べば楊柳河明り
  哀れ切王飛々にもある媚態
  王飛々と一夜明しぬ星占ひ
  王飛々云はず靑玉は掌にこぼれ
  王飛々が朝の微熱のふと通ふ

一九三九年十一月号
・會員集
     獨裁者
  シルクハツト一つづつ射つ獨裁者
  モノクルが碎け双手は白く垂れ
  最後通牒を藥包のごとモーニングに
  シガーたちこむる中に獨裁者の眼
  球面にチエスの馬が儈を蹴る
  獨裁者に武器商人の注ぐシヤンパン
  シヤンパンが彈けわつと來る突撃兵
  獨裁者やをらキリストに指禮す
  獨裁者の扉を一人づつ白き影
  文化都市に獨裁者の黑き脱糞
  巴里燈の下で破れた獨裁者の髭
  巴里の雨男二人の赤き下痢

一九三九年十二月号
・會員集
     紅 夫 人
  馬の背を兵が夫人にふれしめぬ
  紅夫人微かに震へ兵の胸毛
  紅夫人ウヰスキーをくめり兵の瞳に
  夫人の香馬と兵士を對はしめ
  馬の脊でくやしき嫉妬たてがみに
     埴輪の武士
  寒月に埴輪の武士がむくり起つ
  ぽろ〱と土を落して武士の私語
  月なゝめ埴輪の武士の瞳がひらく
  炎々と炎々と月に土の武士
  足踏めり埴輪をくづす雲來り

一九四〇年一月号
・會員集
     惡 魔(デモン)
  酸つぱな夜明けに殘る白い體溫
  椿の花が亂れた寢台の上に二つ
  花瓣は閉ぢぷん〱と殘る人生
  壁に爪磨ぐ惡魔は白く白く
  石鹸をぬりレゾールで拭いて消えぬ惡魔
  微かなる檸檬(れもん)もとめぬ情痴の果
     盲女
  盲女坐す庭の柘榴の赤きほど
  盲女彈く琴にサクラは咲かざるや
  雪の雪月出て盲女の眼のひらく
  春近き盲女の怒りうけて母
  誕生日盲女の乳房微熱あり

一九四〇年二月号
・會員集
     目撃者
  ひらひらとサーカスのごと破産者が
  立止つた葬儀屋の落した白銅
  デパートの支配はしかとスイス時計を
  執達吏の鞄は喪色であつた
  二十五歳の新聞記者は怜悧に笑ふ
  老婆ひとり枯葉のごとすゝり泣く
     電光ニュース
  カポネは出戰闘機は歐洲へ
  白い兵が來てウオール街紳士録を突く
  ウオール街を行く白いマントの元帥が
  カーニバル華かに銀行黑字は歪む
  一刹那カーニバルに出た病院船 

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2010.02.08

短歌「二〇一〇年二月八日という日」。

  「学び舎(や)を 守れの意見書 出しなさい」 「私は出した」と突き上げられて

 ターゲット 七十八年前 高知県 資料の中に 入り込んでる

 年上が 「忘れるから」と チョコレート 事前にくれてる バレンタイン前

 笑顔撮る 僕の表情 むっつりで うまくいかない 笑顔の写真

 韓国の 友の訪問 迎えきる 準備の会議 今夜も熱して

 千葉佐那(さな)と 龍馬の関係 問いつめる 興味の欲の 意気込みやよし

 初めての メールをくれた 女性あり 追っかけをした わが十九歳

 夜十時、妻の携帯 通じない 昨日も今夜も 走りぬいてて

 炊飯器 何かお米が 入ってて スイッチ入れてる 夜十時半
 
 テレビ見て 踊っているよ ひっとりで もう真夜中に 近い時間だ

 朝食の 鍋にいくつか つぎたして 夜中の晩飯 かずつくってる

 妻帰り 最初の一言 ネコの名で 夫、しょんぼり パソコンの友

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2010.02.09

今月、二月十二日が締切りです。高知県が「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)について」の意見を公募しています。

 チャンスです。
 高知県が「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)について」の意見を公募しています。
 2月12日までです。

 「報告書(案)」は、県立高知短期大学に否定的ですが、僕は、県立高知短期大学は県立の独立した夜の短期大学のままで、存続・発展をという意見書を出すつもりです。
  高知県の西部、東部にも、同校の分校をつくってほしいほどです。いまは、夜の短期大学が県下に一つしかなくて、西部の室戸市からも通ってきているのですから。
 働きながら学びたいという人々、大学に進学できなかったけど短期大学で学んで四年制大学に編入したいという人々(今年は二十代の人、四十代の人、六十代の人二十人が編入試験に合格しました)、定年になったけど学びなおしてもうひとがんばりしたいという人など、みんなが懸命に学んでいる短期大学です。 県当局は、高齢者の存在を邪魔者あつかいにしていますが、歳をとっても学ぶということは人類史の上で非常な進歩です。

 あなたも、あなたの意見を提出しませんか。

 以下、高知県庁のホームページから。

 http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/140901/eikokuji.html

 ○ 意見公募する対象
 県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)
 ○ 意見の提出方法
 電子メール 140901@ken.pref.kochi.lg.jp
 郵送 〒780-8570 高知市丸ノ内1丁目2番20号 高知県文化生活部私学・大学支援課
 FAX 088-823-9058
 ○ 意見書様式は、つぎのとおりです。

   意見書

         年 月 日

 高知県文化生活部私学・大学支援課あて

 「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)」について

 住所  郵便番号

 氏名

 電話番号

 電子メールアドレス

 御意見

 注 法人又は団体にあっては、その名称及び代表者の氏名を記載してください。

 ○ 意見の提出にあたっての留意点
 ・個人の場合は、氏名・住所・電話番号等の連絡先を、法人の場合は、法人名・所在地・電話番号を記載してください。
 ・提出していただく意見は日本語に限ります。
 ・意見が1000字を超える場合、その内容の要旨を添付してください。
 ・ご意見に対して個別には回答いたしかねますので、あらかじめご了承ください。
 ・電話による意見の受付は行っていません。
 ○ 個人情報の利用目的
 ご意見については、氏名、住所、電話番号を除いて公表します。なお、氏名、住所、電話番号については、御意見の内容に不明な点があった場合の連絡以外の用途では使用しません。

 「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)」は、以下のようなものです。

   1 はじめに

 高知県の県立大学の改革については、県立大学改革プランが知事から示され、平成20年7月と9月の県議会での議論を経て、県は、高知女子大学の池キャンパスを保健・医療・福祉のキャンパスとして、隣接する高知医療センターと連携し、日本一の健康長寿県を目指して人材育成を行うこととした。また、永国寺キャンパスについては、社会貢献する「知の拠点」として社会科学系教育や社会人教育、生涯教育を充実することとし、その中で、人づくり、特に県内産業の振興に貢献する経営能力の高い人材育成をすることとした。さらには、公立大学法人高知工科大学の香美市キャンパスを工学、産業振興のキャンパスとして、産業振興による県勢の浮揚に寄与する人材を育成することとし、県が関与する大学の3つのキャンパスの方向性が位置づけられた。(資料1「県立大学改革について」参照) 
 この方向に基づき、池キャンパスでは、平成22年の充実に向けて施設整備が進められており、香美市キャンパスでも工学部が工学群に再編された。一方で、永国寺キャンパスにおける社会科学系教育や社会人教育、生涯教育のあり方については、今後の検討課題とされた。そこで、これらの課題を検討するために、県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会が平成20年11月に設置され、次の事項について8回にわたり審議を行ってきた。
 1 新たな社会科学系学部に関すること
 2 社会人教育に関すること
 3 高知短期大学のあり方に関すること
 4 その他、永国寺キャンパスのあり方を検討するために必要な事項
 この報告書は、その審議結果を取りまとめたものである。
 県、県立大学、公立大学法人高知工科大学が、これまで以上に力を合わせながら、この報告書に沿った具体的な取り組みを進めることによって、高知県の高等教育機関が少子化の進行や社会経済情勢の変化の中でも、競争力をもち、将来に亘り、県民にとって魅力のある高等教育機関となることを期待する。

 県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 委員長 西山 昌男

   2 提言

 (1)新たに設置する社会科学系学部について

 ○永国寺キャンパスに新たに設置する社会科学系学部は、県内高校生の進学先の拡充と大学進学率の向上を図るため、高校生アンケートでニーズの多かった経済・経営系をベースとする。
 ○高知工科大学から提案のあった経済・経営系をベースとするマネジメント学群の構想を中心に、高知女子大学、高知短期大学の提案にあった地域づくりの視点等を取り入れて、地域の再生や発展に貢献できる人材育成を目的とする社会科学系学部構想案を策定した。今後、この構想案を基にさらに検討を進めることを期待する。

 (2)社会科学系学部における社会人教育について

 ○高知県の産業振興に貢献する人材、地域再生や地域活性化に貢献できる経営能力の高い人材等を育成するために、夜間開講や土日開講、長期履修制度、科目群履修制度の導入などにより社会人教育を充実することが必要である。
 ○新たに設置する社会科学系学部だけでなく、県内の大学がそれぞれに、また共同して社会人教育や生涯学習機能を一層充実していく必要がある。

 (3)高知短期大学のあり方について

 ○高知短期大学については、新たな社会科学系学部の設置状況を踏まえて、そのあり方を検討することが適当である。
 ○ 今後も存続させる場合、独立して存続させるのではなく、社会科学系学部を設置する大学の短期大学部として組織を再編することも考えられる。

 3 社会科学系学部の設置について

 (1)社会科学系学部設置の必要性

 ① 高知県の進学状況

 ア 大学進学率

 県内高校生の4年制大学への進学率は、年々上昇しているものの、全
国平均は本県を上回るペースで上昇しており、本県と全国との差は拡大
している。(資料2「大学・短期大学進学率(浪人含む)」参照)
 ※大学進学率/平成8年:本県25.8% 全国33.4%(7.6 ポイント差)
 平成14 年:本県32.2% 全国40.5%(8.3 ポイント差)
 平成20 年:本県39.2% 全国49.1%(9.9 ポイント差)

 イ 大学の収容力

 本県の大学の入学定員は、人口10万人当たり、18歳人口当たりの
いずれでも、全国のほぼ1/2にとどまっている。(人口10万人当たり
全国444人に対し高知県221人、18歳人口当たり全国0.51人、
高知県0.25人(平成19年度)) (資料3「大学の収容力」「18
歳人口で見る大学の収容力」参照)
 また、高知工科大学の開学により、工科系学部への県内進学者数は伸
びたが、一方で進学者の多い社会科学系学部は、高知大学人文学部社会
経済学科(入学定員118人)と高知工科大学マネジメント学部(入学
定員100人)が設置されているにも関わらず、毎年700 人程度が県外
の大学に進学しており、社会科学系学部の県内収容力は不足している。
(資料4「大学学部系統別進学者数(浪人含む)」参照)

 ② 高校生の進学希望調査

 県立大学の新学部設置を検討するにあたり、平成20年12月に県内
10高校(安芸、高知追手前、高知小津、高知西、中村、高知、土佐、土
佐塾、土佐女子、高知学芸)の1年生全員(2,520 人)を対象に、進学に
対する意向調査を実施した。
 その結果、県外の大学に進学希望する者の割合が全体の約7割を占め、
その主な理由として、「県内の大学等に魅力を感じない」、「県内に行きた
い分野の大学等がない」が挙げられており、県内大学の学部構成が、県内
の高校生の進学希望に応えられていない状況にある。
 そこで、進学を希望する学部について尋ねたところ、いわゆる社会科学
系学部と呼ばれる商学・経済・法律・政治分野を希望する高校生が最も多
く、その中でも商学・経済が多かった。
 また、県内の公立大学に社会科学系学部が新設された場合に進学を希望するまたは検討すると答えた者は、県内大学への進学希望者の24パーセント、県外大学への進学希望者の18%で合計463人いた。その中で、
社会科学系学部のどういった分野に進学を希望するかと聞いたところ、こ
こでも経済・経営系を希望する者が半数近くいた。
 (資料6「永国寺キャンパスの社会科学系学部の設置に関するアンケート
調査結果(概要)」参照)

 ③ 社会科学系学部設置の必要性

 今回の県内高校生の進学希望調査と学部系統別進学者数(実績)から、
社会科学系学部に対する進学希望者が多いことが明らかとなっている。こ
のため社会科学系学部を設置することで、県内高校生の選択肢が広がり、
県内大学への進学機会が増え、大学進学率の向上に寄与することが期待される。
 また、景気の回復が望まれる中でも、県内企業の人材確保の点から、社
会科学系の大卒者の採用ニーズは存在しており、同学部の設置は県内就職を促し、若者の県外流出の防止と人口定着に効果が期待できる。
加えて、学部を設置することで県外からも進学希望者を集める効果も考
えられ、本県の経済や地域の活性化といった点でもメリットがある。

 (2)高知県にふさわしい社会科学系学部の教育研究内容

 新たに設置する社会科学系学部で行う教育研究内容は、以下の点に配慮すべきである。

 ① 教育研究領域

 経済・経営系をベースとしながら、他の領域との連携を視野に入れた学
際的な教育も行い、学部の特色を出す。研究活動においては、学際的な研
究に取り組むとともに、地域の再生や発展につながるような新たな研究分
野も開拓していく。また、研究の成果を県内の産業にフィードバックし、地域社会に積極的に貢献する。

 ② 養成する人材

 経済・経営系の教育をベースとしながら、社会人として必要な基本的な
素養、積極的に課題を見いだし、取り組む力、説得力等などを身につけた、
県内だけでなく全国で問題解決や発展の仕組みづくりができる人材を養
成する。
 地域再生に貢献する経営能力の高い人材を養成する。

 ③ 学生確保

 県内高校生の進学先の拡充に配慮するとともに、ビジネスの世界や地域
の抱える課題に高い関心を持ち、積極的に学ぶ意欲のある学生を確保する。
 そのためには、就職しやすい、資格に結びつく、教育内容に特色がある
ことなどの魅力づくりが必要である。

 ④ 県内大学の連携

 学際的教育研究によって特色づくりを行うため、また、一つの大学では
不足する専門分野の教育を補完するため、県内大学の連携が望まれる。

 (3)社会科学系学部の構想案の検討

 社会科学系学部の設置と大学連携の在り方を検討するうえで、複数の委員から、高知女子大学、高知工科大学、高知短期大学から提案を受け具体的に検討する方が望ましいとの意見があり、3大学に、学部名称、大学の理念と目的、学部構成とその内容、定員、教育の特色、専任教員の6項目について提案をお願いした。(資料7「3大学の社会科学系学部の構想案」参照)
 提出された3大学の社会科学系学部構想案については、県内高校生の進学先の確保と本県の産業振興への貢献を前提としながら、(2)に記載する教育内容や経営面も考慮しつつ、県内大学の連携のあり方、卒業後の就職先、定員、設置場所、専任教員の数と確保策、学部設置の手続など多角的に検討を行った。
 その結果、本県の産業振興に貢献する人材育成を目指すといった点で共通点が認められるものの、社会科学系学部の設置にあたっては、すでにマネジメント学部を設置し、社会科学系学部の運営に実績のある高知工科大学の提案を中心に考えていくことが望ましいとする意見が多数であった。
 その他に、高知工科大学の提案内容に高知女子大学、高知短期大学から提案のあった地域づくりの視点を加えることや、県が関与する3大学が連携し、柔軟に取り組むことを望むと言った意見があった。(資料8「3大学の社会科学系学部構想案についての主な意見」参照)

 (4)社会科学系学部の構想案と今後の検討

 高知工科大学から提案のあった構想案を中心に、検討会での議論を踏まえて、社会科学系学部構想案(別紙)を作成した。
 この構想案は、県内高校生の進学の受け皿となることを重視するとともに、県内の産業振興に貢献する人材を育成することを前提に、社会人に対しても教育の機会を保障するものとしている。
 教育内容は、経済・経営系をベースとし、経済学概論や経営学などの基礎的な科目を幅広く履修したうえで、地域活性化論や経営戦略などの専門的な教育を行う、経済系と経営系からなる学部とし、高知工科大学の提案に高知女子大学、高知短期大学の構想案の地域づくりの視点や法学系の教育を取り入れたものにした。入学定員についても、県内高校生の進学機会の確保という観点から計200 名とした。加えて、社会人に対しても、実践的でかつ高度な専門教育を行うことにより、本県の地域再生を支える人材を育成できるよう大学院を設置することを提案した。
 今後は、この構想案を基に新たな社会科学系学部について、具体的な検討を行うことを期待する。
 また、社会科学系学部の設置を進めるにあたっては、高知女子大学、高知工科大学、高知短期大学の連携が必要である。高知工科大学は、既に公立大学法人となっていることから新学部の検討をスムーズに行い、実効あるものとしていくためには、高知女子大学、高知短期大学の公立大学法人化を早期に決定し、同一の設置形態の立場から検討していくことが望まれるとの意見もあった。

 (5)社会科学系学部における社会人教育について

 社会人教育は、高度な人材育成を目的とする専門的教育から、人生を充実させるための生涯学習までその内容は多岐にわたっている。高知短期大学は、勤労学生を対象に夜間の社会人教育を行ってきた。また、高知大学、高知女子大学、高知工科大学の学部、学群では、生涯学習の支援やリカレント教育を行うとともに、大学院においては、社会人も対象に、より高度な専門的知識の修得や研究を行っている。
 今後の社会人教育については、社会科学系学部を新たに設置することを契機として、その資源を活かしつつ、高知県の産業振興に貢献する人材、地域再生や地域活性化に貢献できる経営能力の高い人材等の育成をするほか、多様化・高度化する生涯学習ニーズにも応えられるように、以下のことにも配慮しながら充実させることが必要である。
 たとえば、以前は社会人教育と言えば2部や昼夜開講制の夜間主コースが主であったが、近年、全国の大学において、勤労学生の減少等により、 2部や夜間主コースが廃止されていることなども踏まえ、土日開講や長期履修制度の導入も検討するなど、より社会人が教育を受けやすい形態に設計してくことが必要である。
 その際には、誰もが気軽に大学で生涯学習の機会が得られるよう、単位制や科目群履修制度、聴講制度、遠隔地授業システムなどを導入するとともに、授業料等の軽減も検討すべきである。
 さらに、地域における高等教育機関の役割は、教育、研究、地域貢献と言われて久しいが、人材育成は大学の地域貢献のひとつであり、少子化が進み、若年層が少なくなる中で、高知県の地域や経済を活性化するためには、新たに設置する社会科学系学部だけでなく、県内の大学がそれぞれに、また共同して社会人教育や生涯学習機能を一層充実していく必要がある。
 そのための方策として、県内の各大学が連携して行う生涯学習センターなどを設置し、永国寺キャンパスを県民に開かれた「知の拠点」としていくこ
とも、今後、検討していくべきである。

 4 高知短期大学のあり方について

 (1)全国の短期大学の状況

 少子化、高学歴化の進展により、短期大学への進学者数は全国的に年々減少している。本県においても、平成8年に1,318 人いた短期大学への進学者数は、平成20年には4割以下の525人に減少している。(資料2「大学・短期大学進学率(浪人含む)(2)高知県」参照)
 18歳人口が減少し、大学志向が強まる中で、今後とも短期大学の学生確保は厳しい状態が続くと考えられる。
 このような状況を背景に、全国の公立短期大学は廃止、または4年制大学への移行がなされてきている。
 また、勤労学生に対して高等教育の機会を提供してきた2部や夜間主コースも次々に廃止されている。国立の夜間短期大学はすべて廃止されており、夜間開校している公立短期大学も、三重短期大学、鹿児島県立短期大学、高知短期大学の3校となっている。(資料9「公立短期大学の状況」参照)

 (2)高知短期大学の状況

 高知短期大学の入学試験のデータを見ると、近年、志願者が顕著に減少しており、志願者のほぼ全員が入学している。入学者もここ10年間で、2カ
年を除いて定員割れの状況が続いている。
 また、高知短期大学は、昭和28年に「勤労者のための大学」を基本理念
として開学したが、入学者の有職率はこの5年を見ても、アルバイトを含
めても5割程度となっている。これは、入学者の年齢構成の変化や高知短
期大学への入学動機の変化に起因している。平成3年には、100名程度
いた18歳から20歳の若い層の入学者は、現在ではおよそ半分に減少し
ており、高知短期大学の調査によると、そのほとんどが4年制大学への3
年次編入を入学動機としている。また、一方で、60歳以上が全体の1割
程度にまで増えてきている。(資料10「高知短期大学について」参照)
このように高知短期大学での学習ニーズは、設立当初の「働きながら学ぶ」
から「4年制大学へのステップ」や「生涯学習」にも広がってきている。

 (3)高知短期大学のあり方について

 全国的には短期大学を含めた大学の夜間部や夜間主コ-スは、ニーズの減少によって廃止される傾向にあり、高知短期大学も、入学者は減少傾向にある。その中で、今後、同じく社会科学系の教育を行う学部を設置し、社会人教育も充実させることとしており、短大の持つ機能の一部が引き継がれる可能性がある。
 一方で、高知短期大学には毎年100人程度の入学者が存在し、70人を
超す科目等履修生が存在する。このため、高知短大については、新たな社会科学系学部の設置状況を踏まえて、そのあり方を検討することが適当と考える。
 また、短期大学として残すことになった場合も、新たな社会科学系学部と
の連携による社会人教育の充実や効率的で柔軟な大学運営の観点から、現行のように独立した短期大学として存続させるのではなく、社会科学系学部を設置する大学の短期大学部として組織を再編することも考えられる。
 その際には、入学定員(現行120人)についても、入学志願者の確保策
と合わせて、その妥当性を検討することが必要と考える。

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「四月から 独り暮らしで 学びます 目覚まし時計 買いこんでいる」。

 「四月から独り暮らしで学びます」 目覚まし時計 買いこんでいる

 店を一時間ほど見てまわり、やっと気に入った目覚まし時計を手に入れました。ラジオつきです。

 これを持って、高知から香川に引っ越します。

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2010.02.10

高知県 「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)」についての私の意見。

 意見要旨

 一 学問の府としての理念を持った大学づくりを。
 二 経済学、法律学、歴史学を学ぶ新たな社会科学系学部を。マネージメント学は香美市の工科大学にすでにあります。定員増が客観的に必要なら香美市の大学内で充実してもらってはどうでしょう。
 三 県立高知短期大学は、県民の貴重な財産です。県立の独立した短期大学として施設、授業科目もより充実させて存続・発展を。東部、西部に分校を。
 四 「意見書」をまとめる前に「県民の意見を聞く場」を持ってください。

 意見

 県立高知短期大学社会科学科の二年生です。
 「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)」について意見をのべます。

 一 県立大学の基本理念

 「はじめに」で県の意向として、永国寺キャンパスは「特に県内産業の振興に貢献する経営能力の高い人材育成をすることとした」、香美市キャンパスは「産業振興による県勢の浮揚に寄与する人材を育成することととし」と紹介していますが、まず、そういう観点に異議があります。
 県立大学は「学問の府として、大学固有の役割とその歴史的、社会的使命を確認し、その学術活動の基本理念」(「名古屋大学学術憲章」から)を持った大学とすべきです(「名古屋大学学術憲章」は別項)。
 どういう基本理念を持った大学にするか、まず、このことを県民的に議論して、方向性を定めてから、ことを始めるべきではないでしょうか。

 二、新たな社会科学系学部に関すること

 「提言」の「新たな社会科学系学部に関すること」についてですが「経済・経営系」とすることに異議があります。
 「経営系」というのは高知工科大学のマネージメント学部を意識してのことのようですが、二〇〇八年四月に発足した同学部は「高度なマネジメント能力を持ち、プロジェクトをより効果的に推進し問題を解決していける人材を育成する」(同大学のホームページ)としています。しかし、初年度は定数割れではなかったでしょうか。「経営系」は、需要の面からも同学部にまかせておいてはいかがでしょうか。
 「社会科学系学部」の教育の場としては、県内に県立高知短期大学社会科学科があります(一九五三年四月発足。定員百二十人)。
 以下の、「理念・目的」を掲げて、それを立派に実践しています。
 「(理念)
 高知短期大学社会科学科は、高知短期大学学則第1条に定める目的を達成するため、次のような理念の下に設置される。
 社会科学科の研究、教育を通じて、地域の文化の地域社会の発展と向上に寄与し、勤労者をはじめとする多様な学生に対して、将来の地域社会を主体的に担うことができる人材を育成する。
(目的)
  高知短期大学社会科学科は、理念の下、次のような目的を達成するために研究、教育を行う。
 ・ 豊かな教養を身につけるための基礎的な学力を養成する。
 ・ 社会科学の専門的な力量を養成する。
 ・ 地域社会の発展を主体的に担うことができる人材を養成する。」
 ここでつちかった伝統を生かし、県立高知女子大学の力も借りて、経済学、法律学、歴史学を学ぶ新たな社会科学系学部をつくってはどうでしょうか。
 社会科学としての歴史学を入れたのは現在、県下に、それを全面的に学ぶことのできる学科がないからです(かつては高知大学文理学部文学科歴史学専攻がありました。県立高知短期大学では、西洋史、歴史学、地域史、政治史の科目があります)。幕末の変革、自由民権運動、アジア太平洋戦争期など、研究者が多い県なのに不思議なことです。
 今年の県立短期大学の二年生のなかでも、県下の大学に歴史学科がないために他県の大学に編入した学生がいます。

 二、社会科学系学部における社会人教育について

 「提言」の「社会科学系学部における社会人教育について」でいわれている「夜間開講や土日開講、長期履修制度、科目群履修制度の導入」は賛成です。
 私も、ぜひ受講したいと思います。

 三、高知短期大学あり方について

 「提言」の「高知短期大学あり方について」では、県立高知短期大学について廃止がらみの表現になっています。
 せっかく、県民の運動、県議会の賛同を得て発足し、成果をあげてきた高等教育の場をなくすという発想は信じられません。
 破壊からは何も生まれてきません。
 とくに、高知県の「大学の収用力」は「全国のほぼ1/2にとどまっている」(「報告書 (案)」の「3 社会科学系学部の設置について」)のです。破壊でなく、「大学の収用力」を増やすことを考えるべきです。
 廃止がらみの表現は、貴検討会での議論の推移から見てもおかしなことです。
 私は貴検討会の議論を何度か傍聴し、議事録も読ませていただいていますが、検討会の委員からは県立高知短期大学の存続をという意見は出ても、廃止などという意見は一つも出ていません。
 議論の推移とまったく違うことが「報告書 (案)」としてまとめられるということに大きな疑問と憤りを覚えます。
 県立高知短期大学は、日本に三つしかない、夜間開講の公立短期大学です(「報告書 (案)」の「4 高知短期大学のあり方について」)。
 他に、このような短期大学であるため、私の知っている範囲でも、この二年間に、四国の他の県や九州、また本州からも学生を迎えています。その多くは、インターネットや高校教師のすすめで、県立高知短期大学を知っての受験です。
 貧困な教育行政のもとで全国各地の夜間開講の公立短期大学が減っているとき、高知県政が県民の負託にもとづいて県立高知短期大学を持っているというのは県民の誇りです。
 県立高知短期大学は、小さな大学ですが、大きな役割を果たしています。
 同短期大学社会科学科学生には、いくつかの層があります。
 ○ 仕事を持ちながら、学んだことを仕事に生かしていこうとしている学生たち。
 ○ 仕事は一度ひいたが、学びなおして、地域やボランティア活動であとひとがんばりしたいという学生たち(全学生から見ると少数ですが……)。
 ○ 卒業後も、専攻科や四年生大学で引きつづき学ぼうとしている学生たち(職場を持っていたり、アルバイトをしている学生も多い)。
 このような県立高知短期大学です。今後も、独立した、県立の短期大学として存続・発展をはかるべきです。
 「報告書 (案)」は、県立高知短期大学の存在を否定するために、いくつかのデータを意図的に取り出しています(「4 高知短期大学のあり方について)。
 ○ 入学の希望者が減少している。
 たしかに、入学者は、二〇〇八年度・百三人、二〇〇九年度・百四人と、定員の百二十人からすれば、十七人、十六人足りません。
 県は橋本県政の時代から長きにわたって県立高知短期大学廃止の方向を打ち出してきました。これが受験生の不安を呼び、進学をたじろがせてきました。希望者減少の主な原因は、こうした県の態度にあります。
 これをあらため、県立高知短期大学の存続・発展の方向を示し、各高校や企業に積極的に広報すれば、希望者は急増します。
 ○ 入学者の有職率が五割程度と少ないこと。
 これは、私の実感と違います。七割くらいの学生が働いていると思います。
 在校生には、会社員、公務員、看護師、介護士、農業者、自営業者、石油関係の経営者、介護関係の経営者などがいます。仕事場から息せき切って教室に走り込んでくる学生、授業が終わってからコンビニや酒場の仕事にいく学生、土日勤務が多くサークルなどの活動に参加しにくい学生たち……、多くの学生が働いているからこその姿です。
 なお、「報告書 (案)」の「資料10」の県立高知県立短期大学の「学生の有職率」の表には注書きがあります。「データは、1、2年生共に入学手続き時点に把握した数字で計算(入学後の数字はないが、多くの学生が仕事を始める)」とあります。
 たとえば、私のケース。私は、一昨年末に退職しました。一昨年四月の入学時には仕事をしていませんでしたが、その後、午前九時から五時までの仕事をしています。
 ○ 十八歳から二十歳の入学者が半分になっていて、一方で六十歳以上が全体の一割程度まで増えてきていること。
 「報告書 (案)」には、二〇〇九年度入学者分のデータが載っていませんので、それを紹介します。
 それによると、十八歳から二十歳までは五十七人、54・8%です。
 つまり半分以上です。
 厳しい不況の中、今後も新卒の入学者は増えていくと思います。
 「六十歳以上」の学生の人数については「報告書 (案)」の「資料10」にはデータがありません。
 二〇〇九年度入学者分の六十一歳以上のデータは、七人6・7%となっています。
 それにしても、そもそも、なぜ「六十歳以上」の学生の存在を問題視するのでしょうか。
 「六十代も学問をする」というのは日本の歴史の進歩を語るさい、重要なことです。高知が、ここまで進歩したということを語っています。高齢化県・高知県を切り開く希望の一つです。
 尾崎正直知事がも、二〇〇八年四月六日、県立高知短期大学の入学式での「告辞」で、つぎのようにのべています(尾崎正直知事の「告辞」の詳細は別項)。
 「皆様方の先輩方の中には、ご夫婦や親子で、また八十歳を超えて通学されていた方もいらっしゃいますし、新たな目標をもって、卒業後、高知女子大学や高知大学などの四年制の大学へ編入された方もいらっしゃいます。
 仕事や家庭を持ちながら夜間に学ぶということは、大変なご苦労かと思いますが、皆様方は、この大学で勉強しようという決意をもって、本日、ご入学されたと思いますし、その苦労こそが本学において学ばれることの大きな価値だと思います。
 また、この春、高校を卒業されました方や様々な人生経験を積まれた方が、同じ学びやで、ともに学びあうこともまた、何ものにもかえがたいものだと思います。
 少子高齢化の進展、日進月歩の科学技術の進化に思いをはせる時、学ぶことの前に、年齢や日々の生活の壁が高くそびえ立つようであってはなりません。
 本学は、この点にかんがみた時、『学びたい気持ち』を一番大切に、時代の要請に応じた教育プログラムを、多様な方々に提供しうる優れた教育環境を有する学びやであると考えております。」
 ○ 学習ニーズが、設立当時の「働きながら学ぶ」から「四年制大学へのステップ」や「生涯学習」にも広がってきている。  
 これは、ためにする議論です。
 県政も大学も県民の必要によって変化発展していきます。
 「働きながら学ぶ」
 「生涯学習」
 「四年制大学へのステップ」
 こうした機能を持っているからこそ、県立高知短期大学はすばらしいのです。
 「生涯学習」については、「報告書 (案)」の「提言」も「社会人教育や生涯学習機能を一層充実していく必要がある。」としているではありませんか。
 県立高知県立短期大学が、そういう機能を持っていることは大学としての魅力の一つです。
 「四年制大学へのステップ」ということについて。
 県立高知県立大学の四年制大学への編入者の人数は、この間、三人、八人、八人、十人、十一人、十二人、二十一人と増え続けています。
 そして、ことしもすでに二十人が四年制大学の三年次編入試験に合格しました。
 合格者は、二十歳代が中心ですが、四十歳代、六十歳代もいます。
 通信制の四年制大学を目指している学生もいます。
 専攻科も加えると私が知っているかぎりでも、二年生の三割近くが進学します。
 県立高知県立短期大学で学び、その学んだ力を基礎に、学び続けていく。すばらしいことではないでしょうか。
 これも県立高知短期大学の魅力の一つです。
 もっともっと魅力的な県立短期大学にしていきたいと思います。
 ○ 経済学、法学の教育の内容を、「自分でテーマを見つけ、研究、調査して論文に仕上げられるようにする」ということを中心にすえていってはどうでしょうか。現在も、演習やリポートの提出などがありますが…。
 ○ 「地域史」では、いまは高知県の自由民権運動をやっていますが、これに加えて、高知の幕末史、高知県のアジア太平洋戦争史なども科目に加えてはどうでしょうか。在野の研究者など講師はたくさんいます。
 ○ 「情報処理」ですが、現在も科目がありますが、科目を増やし、ワード、インターネット・メール、パワーポイント、「お絵かき」、画像の処理、映像の編集などパソコンをつかっての基礎的な作業を総合的に身につけることができるようにしてはどうでしょうか。「情報処理」の教員や教室を増やすことが必要になります。
 ○ 重度身体障害者を、もっと受け入れることができるようにしてはどうでしょうか。現在は、全盲で車イスの青年が一人通っていますが、せめて数人は、受け入れてはどうでしょうか。現在、一階にしかない障害者用トイレを二階、三階にもつくる、重度身体障害者をサポートする教員を配置するなどが必要となります。
 ○ それと、県下の安芸市に東部分校、四万十市に西部分校を発足させてはどうでしょうか。現在も室戸市から通っている人がいます。仕事の関係で今春から四万十町に転居するので休学せざるを得ないという学生もいます。東部の人にも西部の人にも夜の短期大学で学ぶことのできる手だてを。
 私は、今春、県立高知短期大学を卒業しますが、県立高知短期大学の存続・発展を望んでいます。

 四、「意見書」をまとめる前に「県民の意見を聞く場」を
 
 県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会は、「意見書(案)」をまとめる前に、この問題について「県民の意見を聞く場」を持つことにしていましたもね。
 それが、実行されていません。
 世の中には書くのは苦手だが口ではいえるという人もいます。
 「意見書」をまとめる前に、こうした人々の意見を聞く場を持つことが必要ではないでしょうか。
 これは検討会の誠実さがためされることでもあります。

 【参考資料】

 ● 名古屋大学学術憲章

 名古屋大学は、学問の府として、大学固有の役割とその歴史的、社会的使命を確認し、その学術活動の基本理念をここに定める。
 名古屋大学は、自由闊達な学風の下、人間と社会と自然に関する研究と教育を通じて、人々の幸福に貢献することを、その使命とする。とりわけ、人間性と科学の調和的発展を目指し、人文科学、社会科学、自然科学をともに視野に入れた高度な研究と教育を実践する。このために、以下の基本目標および基本方針に基づく諸施策を実施し、基幹的総合大学としての責務を持続的に果たす。
 1.研究と教育の基本目標
 (1)名古屋大学は、創造的な研究活動によって真理を探究し、世界屈指の知的成果を産み出す。
 (2)名古屋大学は、自発性を重視する教育実践によって、論理的思考力と想像力に富んだ勇気ある知識人を育てる。
 2.社会的貢献の基本目標
 (1)名古屋大学は、先端的な学術研究と、国内外で指導的役割を果たしうる人材の養成とを通じて、人類の福祉と文化の発展ならびに世界の産業に貢献する。
 (2)名古屋大学は、その立地する地域社会の特性を生かし、多面的な学術研究活動を通じて地域の発展に貢献する。
 (3)名古屋大学は、国際的な学術連携および留学生教育を進め、世界とりわけアジア諸国との交流に貢献する。
 3.研究教育体制の基本方針
 (1)名古屋大学は、人文と社会と自然の諸現象を俯瞰的立場から研究し、現代の諸課題に応え、人間性に立脚した新しい価値観や知識体系を創出するための研究体制を整備し、充実させる。
 (2)名古屋大学は、世界の知的伝統の中で培われた知的資産を正しく継承し発展させる教育体制を整備し、高度で革新的な教育活動を推進する。
 (3)名古屋大学は、活発な情報発信と人的交流、および国内外の諸機関との連携によって学術文化の国際的拠点を形成する。
 4.大学運営の基本方針
 (1)名古屋大学は、構成員の自律性と自発性に基づく探究を常に支援し、学問研究の自由を保障する。
 (2)名古屋大学は、構成員が、研究と教育に関わる理念と目標および運営原則の策定や実現に、それぞれの立場から参画することを求める。
 (3)名古屋大学は、構成員の研究活動、教育実践ならびに管理運営に関して、主体的に点検と評価を進めるとともに、他者からの批判的評価を積極的に求め、開かれた大学を目指す。

 ● 二〇〇八年四月六日、県立高知短期大学の入学式での尾崎正直知事の「告辞」から

 本日、入学式を迎えられました本科生、専攻科生の皆様方、ご入学、誠におめでとうございます。
 自信と希望に満ちた皆様方の晴れやかな表情を拝見し、その学ぶ意欲の高さを確信するとともに、これからの学生生活の幸多からんことを心よりお祈りするしだいであります。
 高知短期大学は、昭和二十八年に県内唯一の夜間の短期大学として開学して以来、「働きながら学べる大学」、「地域に根ざした大学」として、高知県の高等教育の一翼をになってまいりました。
 この間、四千九百人余りの卒業生を送り出してまいりましたが、その多くの方々が、県内のさまざまな分野で活躍されておられます。
 このような本学に皆様方をお迎えすることができましたことを、本学の設置者として大変うれしく思っております。
 皆様方の先輩方の中には、ご夫婦や親子で、また八十歳を超えて通学されていた方もいらっしゃいますし、新たな目標をもって、卒業後、高知女子大学や高知大学などの四年制の大学へ編入された方もいらっしゃいます。
 仕事や家庭を持ちながら夜間に学ぶということは、大変なご苦労かと思いますが、皆様方は、この大学で勉強しようという決意をもって、本日、ご入学されたと思いますし、その苦労こそが本学において学ばれることの大きな価値だと思います。
 また、この春、高校を卒業されました方や様々な人生経験を積まれた方が、同じ学びやで、ともに学びあうこともまた、何ものにもかえがたいものだと思います。
 少子高齢化の進展、日進月歩の科学技術の進化に思いをはせる時、学ぶことの前に、年齢や日々の生活の壁が高くそびえ立つようであってはなりません。
 本学は、この点にかんがみた時、「学びたい気持ち」を一番大切に、時代の要請に応じた教育プログラムを、多様な方々に提供しうる優れた教育環境を有する学びやであると考えております。
 本学で学ばれたことが、長い人生の中で、忘れられない学生生活になりますことを、願っています。

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本日は休みでしたが……。アネモネに出合ったのがうれしかった。

Photo

 本日は休み。

 朝から懸案の文書を書きました。

 それが終わって花を買いに行きました。

 「うわーっ、きれい」

 アネモネに出合って三鉢買ってきました。

 帰ってから文書の整理など。

 結局、午後十一時までつめた作業をするはめになりました。

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2010.02.11

昨年のスイセンが、また咲き始めていました。

Photo  雨の中、オートバイを飛ばして家に帰ってきました。

 午後三時前のことです。

 するとすぐ、雨がやみました。

 庭を見ると昨年咲いていたスイセンが、また咲き始めていました。

 何か、春に向かっているようです。

 さてさて、遅い昼ごはんです。

 おかずは、ありあわせのものでつくりました。

 ご飯も、もうすぐ炊けそうです。

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英会話の時間に出席のときは……。

 この一年間、英会話の時間の出席のとき、「はい」といってきました。
 これからは、英語でいおうと思っています。

 ● 出席しています

 Yes.
  Here.

 ● 彼女は、来ていません。

  She is absent.

  She is not here.

 ● 彼女は、もうすぐ来ます。

  She is coming.
 
 ● 彼女は、交通渋滞につかまっています。

  She is in traffic jam.

 ● 彼女は、病気です。
 
  She is sick.

 ● 彼女は、急用です。

 She has something to do right now.

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He is smart. の日本語訳は……。

 He is smart.

 の日本語訳は……。

 彼は賢い

 だ、そうです。

 smart

[形](~・er, ~・est)

1 ((主に米))賢い, 利口な;〈演説・答弁などが〉才気のある, 機知に富んだ, 効果的な;(取引などで)抜け目のない.

a smart pupil
頭脳明晰(めいせき)な生徒

a smart politician
如才ない政治家.

2 〈人・話し方などが〉ずうずうしい, 生意気な, 小しゃくな

You are too damn smart.
おまえはまったく生意気だね.

3 ((英))(身なりなどが)きちんと整った, さっそうとした;おしゃれな;(社交的に)洗練された, あかぬけした;上流の;流行の

a smart restaurant
あかぬけしたレストラン

She wears smart clothes.
しゃれた服装をしている.

4 〈動作などが〉きびきびした, 活発な, 機敏な, てきぱきした

walk at a smart pace
きびきびした歩調で歩く.

5 〈痛みなどが〉鋭い, 激しい

I have a smart pain in my knee.
ひざがずきずき痛む.

6 〈打撃などが〉強い, 激烈な

She gave him a smart rap on the knuckles.
(罰として)指関節を強く打った.

7 〈機械などが〉スマートな:コンピュータ制御により状況に応じた対応をする

a smart building [house]
スマートビル[ハウス](空調・給湯・旋錠などを中央コンピュータ制御で行えるビルや家).

8 〈薬剤が〉頭脳の働きを高める, スマートな

a smart drink
スマートドリンク, 頭のよくなる飲み物

a smart bar
スマートバー(smart drinksなどを出すバー).

9 ((主に方言))かなりの, 相当の.

(as) smart as a whip

すごく頭が切れる.

Look smart!

急げ, 早く(make haste).

Nobody likes a smart-ass.

((米卑))利口ぶったことを言うな, 何を偉そうな.

━━[副]きびしく, 激しく;手早く;小ぎれいに;賢く

play it smart
((主に米略式))てきぱき行動する.

━━[動](自)

1 (言葉などで)感情を害する, 傷つく((from, at ...));(…のために)傷心する((under, over ...))

smart from a reprimand
懲戒を受けて憤慨する

smart at a person's remarks
人の言葉に憤慨する.

2 (…を)後悔する;(…の報いを受けて)苦しむ((for ...))

He will smart for his neglect.
怠慢を後悔するだろう.

3 〈傷・体の部分などが〉(…で)痛む, うずく((from, with ...))

His eyes smarted from the gas.
ガスがしみて目がちくちくした.

4 〈外用薬などが〉ひりひりする, しみる;〈打撃などが〉痛みを与える.

━━(他)…をずきずき痛ませる.

━━[名]

1 [U]心の痛み, 苦悩, 悲痛.

2 [U][C](傷・打撲などによる)痛み, うずき, 疼痛(とうつう)

the smart of the burn
やけどがひりひり痛むこと.

3 ((~s))((米略式))知性, 分別

Use your smarts.
頭を使え.

[ プログレッシブ英和中辞典 ]

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いよいよ、あす二月十二日締切り。高知県の「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会 報告書(案)について」の意見書公募。

 「出したわよ」「私も書いたわ」 学び舎(や)を 守れの意見書 県を動かせ

 県立高知短期大学存続をの意見書の提出、一つの流れになっています。

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「ぜひ県立高知短期大学社会科学科で勉強してください」。ある十九歳への説教。

  この間、ある十九歳に、こんな説教をしてしまいました。

 ぜひ、県立高知短期大学社会科学科で、しっかり勉強してください。
 あなたには芸術的な才能があって、すばらしいと思います。
 容姿もいい。
 がんばって、チャンスがあれば、その分野でやっていけると思います。
 しかし、勉強の面ではどうでしょう。
 これまで受けてきた教育のせいか、あなたは試験が極端にきらいです。
 人を試したり、選りわけしたりするいやーなものだと思っているようですね。
 しかし、県立高知短期大学の試験は、そんなものではないと思います。
 授業を受けて、自分でも勉強する、それがどれだけ身についているか、それを確かめるチャンスです。
 もちろん、それに向けて勉強すること、力をつけることがねらいです。
 私が見るところ、あなたは、理論的にものを考えることが不得意で、直感や思いつき、好き嫌いで行動に移すことがあると思います。
 しっかり、勉強で自分の行動を支えていく、そういうことが必要ではありませんか。
 若々しい才能、美しい容姿だけで勝負するというのでは、何年も持ちません。
 一生、自分の選んだ道で生きていく。
 そのために、いま、あなたに必要なのは、しんしな勉学だと思いますよ。

 大学に三年いって、「もうダメ」という感じでやめた六十二歳(おっと、二月二十三日には六十三になります)の説教が、どれだけとどいたでしょうか。
 その僕も、一か月後には県立高知短期大学を卒業します。

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妻(六十二歳)の夫についてのつぶやき。

 妻(六十二歳)の私についてのつぶやきです。

  つれあいは、退職後の、この2年間を県立高知短期大学の学生として過ごしてきました。
  はるか昔に、学問追求の生活がやむを得ない事情で中断されて以来、在職中ずっと果たせなかった夢を実現したわけです。
 それだけに、たいそうこの2年間の短大生活に入れ込み、十分にエンジョイしてきました。
  魅力的な先生方や学友たちとの出会い、新しい課目(教科)にチャレンジすることによる視野の広がり、今までになかった技能の獲得、昔学んでいた学問へのより深い理解などを通じて、一段と多彩な人間に進化した感じがします。
 つねに問題意識を持ち、前向きな発想で事象を観ることで、60歳を過ぎた年齢でも進歩・発展というものがあることを体現してくれました。
  同居するものとしては、退屈しない時間でした。
 比較的安い学費で、このような年配の者にも学びの場を提供してくださる県立高知短期大学――富裕層が少なく、高齢者の多い高知県には不可欠の学校です。
  これから先急増していく退職者のマンパワーを上手に県下の今後に活用していくためにも、より充実した内容で県立高知短期大学を独立校として存続させていただきたく思います。

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 「歳月は 情け容赦の ないものね」 という妻のつぶやき。

 「歳月は 情け容赦の ないものね」 妻も私も 六十二歳

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2010.02.12

高知新聞に県立高知短期大学一年生の須賀由佳さんの「高知短大の一年」という投書。

 高知新聞の「声 ひろば」に県立高知短期大学一年生の須賀由佳さんの「高知短大の一年」という投書が載っていました。

 「おっ、すごい」

 看護師、三人の子どものお母さん……。がんばって勉強をしています。

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「ブランコのある廃校」、高知県のどこかにありませんか。ツーリング始末記。

【春一番】

立春のころ、その年、初めて吹く強い南風。発達した低気圧が日本海を通るときに吹き、気温が急に上がる。はるいち。《季 春》
[ 大辞泉 ]

 本日、高知県地方で、これが吹いたそうです。
 午後一時すぎまでは、野暮用で家に。
 そして、撮影のために、高知県いの町吾北(ごほく)へ。
 YAさんに教えてもらったのですが、三つ小学校が廃校になっているとのことです。
 ほしい映像は、「ブランコのある廃校」です。
 二五〇CCのオートバイで出発。
 のっけから横なぐりの強風でオートバイが、ずずずと押されていきます。
 「こわい」
 でも、めげずに走りました。
 普通は、ヘルメットをしていて聞く風の音は「ビューッ」ですが、きょうは「ブオオオーッ」。
 しばらくいくと左手に仁淀川(によどがわ)。
 「四万十川にまけないくらいきれい」
 三校訪れましたが、ブランコはありませんでした。
 でも、いいツーリングでした。
 メーターを見たら百数十キロのツーリングでした。

 「ブランコのある廃校」、高知県のどこかにありませんでしょうか。

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2010.02.14

うーん、まだ撮れていないシーン……。

 「藤原少年」は、いま悩んでいます。

 軽く引き受けてしまいました。
 で、このテーマで、この写真をということで撮り始めました。
 一月下旬のことです。

 実は、注文されて撮るのは初めてです。

 まだシーンがたくさん残っています。


 ● 「少年」。
 ● 廃校のブランコ。
 ● 護憲派の宣伝車。
 ● スイセン。
 ● ナンテン。
 ● 屋台。
 ● 折りぐせのついた遺品の冬帽子。

 いくつかは挑戦したのですが、うまく撮れていません。

 いい、シーンを、ご存知ありませんか。

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ツバキの花って落ちてからも光を放っていますね。

Photo

 遍路道 落ちツバキあり 赤照らす

 高知市の五台山を歩いて。

 ツバキの花って落ちてからも光を放っていますね。

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2010.02.15

「やれること」が一つ増えました。テーマにもとづいて写真を撮ること。

Photo

 一月下旬、こういう写真をとってくださいと十六のテーマをあたえられました。
 走りました。
 そして、モデル探しとか、いろいろ苦労して、二月十五日夜、十五はできました。
 あと一つはあきらめました。
 なかなか、こういう作業はむつかしいものですね。
 でも、すごく、いい経験になりました。

 経験といえば、十三日、ある宣伝行動に参加しました。
 準備で、みなが風船をふくらませて棒にくくりつけていました。
 僕もやってみましたが、うまく棒にくくりつけることができません。
 「六十二年生きてきたのに、こんなこともできないのか」と、がく然としました。

 一つひとつ、「やれること」を増やしていきたいと思います。

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こういうときには、「愁嘆場」か「修羅場」か……。

 「老いた妻が、なぜか、若い男性と激仲良くしていて、そこに老いた夫が現れて……というときには、愁嘆場というのか修羅場というのか」
 この僕の質問に、妻は、「それは、修羅場というんでしょうね」。

 辞書で調べてみました。

 しゅうたん‐ば【愁嘆場】

 芝居で、登場人物が嘆き悲しむ所作のある場面。転じて、実生活上の悲劇的な局面にもいう。愁嘆。「―を演じる」
 [ 大辞泉 ]

 しゅら‐ば【修羅場】

 1 血みどろの激しい戦いや争いの行われる場所。しゅらじょう。「―をくぐりぬける」
 2 人形浄瑠璃・歌舞伎・講談などで、激しい戦いや争いの演じられる場面。
 [ 大辞泉]

 うーん、どちらでしょう。

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じっくり歌詞を聞いて、その世界にひきこまれていくような歌、Yaeさんの「恋の花」。

 じっくり歌詞を聞いて、その世界にひきこまれていくような歌が好きです。

 最近、ぞっこんかのがYaeさんの「恋の花」です。

 そよふく風の色
 何の色
 君の頬(ほほ) 春の色
 恋の花

 やわらかな思い出よ
 消えないで
 最後の花びらを
 惜しむかな

 草まくらの匂い
 懐かしき
 君の髪の匂い
 恋の花

 遠くに見えるは
 山の陰(かげ)
 遠くに聞こえるは
 汽笛かな

 茜色(あかねいろ)の空は
 唇(くちびる)を
 紅く染めてゆく
 恋の花

 やがて陽(ひ)が落ちる頃
 子供達(ら)の
 笑い声 駆けてゆく
 帰り道

 最後の花びらを
 惜しむかな

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2010.02.17

「きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」という議論についての疑問。

 新井喜美夫(あらい・きみお)さん(太平洋学会理事長)が、坂本龍馬さんを「薩長と幕府を内戦に導いた『武器商人』」だという記事を書いています(『週刊金曜日』。二〇一〇年二月十二日号)。
 龍馬さんの「実像」にせまろうとしたものですが、その中で、いろは丸事件で龍馬さんの果たした役割をのべた上で「きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」と断定しています。
 いろは丸は、土佐藩が、大洲藩から借り受けていた帆装の小型蒸気船です。一八六七年四月十九日、海援隊(坂本龍馬隊長)が乗り込んだ、いろは丸は、長崎から大阪に向かいました。女性をふくむ十三人の旅客も乗船していました。その、いろは丸が、紀州塩津浦から長崎に向かっていた紀州藩所有の蒸気船の軍艦・明光丸と、同月二十三日午後十一時に、瀬戸内海で衝突しました。破れた船腹から海水が流れ込み、いろは丸の船首は傾きました。いろは丸の腰越次郎さん、佐柳高次さん、小曽根英四郎さん、梅吉さんらが明光丸に飛び移りました。そのうち明光丸は船首を引いて九十メートル後退すると、ふたたび前進して、いろは丸の船腹に激突しました。いろは丸は、大きく傾き、旅客をふくむ乗組員はボートで明光丸に収容されました。このとき龍馬さんも明光丸に移ります。その後、ばらくして、いろは丸は、沈没します。これを、いろは丸事件といいます。このストーリーは「土佐守内海援隊長 才谷梅太郎紀伊蒸気船 明光丸応接書」などによってまとめました。
 「当たり屋」って何でしょう。

 1 運がよくて人気を得た人や、大もうけをした店。
 2 野球で、よくヒットの出るバッター。
 3 故意に走行中の自動車などにぶつかって、治療費や補償金をゆすり取る者。
 4 理髪店をいう忌み詞。ひげを「す(剃)る」を嫌ったもの。
 [ 大辞泉 ] 

 ここでは3の意味でしょう。
 新井さんは、この事件について、こうのべています。
 「四月二三日の真夜中、紀州藩所有の軍艦『明光丸』(八八〇トン、一五〇馬力)が、瀬戸内海を航海の鉄則に従って航行していた。
 突然、前方に、東北方向に航行中の大洲藩所有の商船『いろは丸』(一六八トン、四五馬力)を発見する。本来なら直進すべきところ、このままでは衝突の恐れがあると察して、急遽右側に針路を変えたがすでに遅かった。両艦船は福山沖の海上で衝突した。
 重量が五分の一に満たない『いろは丸』の方は、沈没し始めていた。『明光丸』は『いろは丸』の乗組員の援助を考え、一〇〇メートルほど後退、再度前進したが、すでに物資については救援する余地はなかったという。
 もっとも、ここに記述されている当夜の状況は、ほとんど無傷に航行し得た『明光丸』側からのものばかりで、沈没した側からの系統だった発言はほとんどなされていない。『いろは丸』側は何をしたいたのか。
 客観的にみて、このときもっとも冷静に行動をとっていたのは、『いろは丸』の隊長、坂本龍馬だった。
 本来からば部下の生死を確認し、その援助を行うべきところを、どういうわけか、龍馬はいち早く『明光丸』の甲板に乗り移った。
 航海日誌など重要な書類を取り上げ、突然のことで動転している『明光丸』の乗組員に、『当直士官が甲板にいなかっただろう』と誘導尋問をしたり、海に落ちた『いろは丸』の乗組員の援助を心がけたかどうかなどを問い詰めた。のちの賠償裁判を有利に進めるためである。
 しかし、甲板に当直士官の姿がなかったと龍馬は主張するが、むしろ本来なら船長室にいるべき龍馬が真夜中に偶然に甲板に出ているところこそ、不自然に思えてならぬ。
 またなぜ、龍馬は乗組員を助けなかったのか。その必要はなかったらしい。なぜなら全員無事に、『自分で救助されていた』のだから。
 さらに、このような事態への対応に相手が無知なことに乗じて、龍馬は『いろは丸』側の正当性と『明光丸』の不当性を証明する資料を集めまくっていたという。
 これではむしろ、衝突は『いろは丸』から計画的に仕掛けられたものではないかと、思いたくなるのも道理である。平たく言えば、もっとも悪質な、今で言うところの『当たり屋』のとった行動ではないかと思うのが、自然ではないか。 
 龍馬は[薩摩藩の]五代才助を調停にたてる。五代は紀州藩に、薩長土の三藩の軍事的同盟を仄(ほの)めかす。そして紀州藩に非ありとして、『いろは丸』の賠償金として亀山社中に、取りも取ったり八万三〇〇〇両(後に七万両)の賠償金の支払いを行なうよう裁定を下し、一件落着とした。
 きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」
 これだけの「事実」で、坂本龍馬さんを「当たり屋」と断じることができるのでしょうか。
 「故意に」走行中の船にぶつかってということは何も証明されていません。
 それに、衝突のとき、竜馬さんが甲板にいて、いち早く明光丸に乗り移っというのですが、そんなことを示す史料が、あるのでしょか。
 なお、文中の亀山社中は、当時、もうなくなっていて海援隊になっていたはずです。同誌の編集部が作成して掲載している「坂本龍馬 略年表」でも、そうなっています。

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沈没した、いろは丸には何を積んでいたのか。

 沈没した、いろは丸のことを調べていて、面白いサイトに出合いました。

 いろは丸には何を積んでいたのかについて書いています。

http://www.kyoto-arc.or.jp/leaflet/216.pdf#search='いろは丸事件 調査'

 http://sankei.jp.msn.com/region/chugoku/hiroshima/080412/hrs0804120310000-n1.htm

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さすがに朝帰りはつらい……。わが家のメスネコ。

Photo   わが家のメスネコです。

 本日は朝帰り。

 さすがに夜になっても、このありさまです。 

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2010.02.21

高知県 すごい。 「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会」の「報告書 (案)」に寄せられた県民らの意見、九十九通の意見書のうち県立高知短期大学について書かれたものが七十八件。

 二月十八日午前、高知市で「県立大学改革にかかる永国寺キャンパス検討会」が開かれ、その席上、同検討会の「報告書 (案)」に寄せられた県民らの意見書の概要が発表されました。
 これは、一月十四日から二月十二日まで県が募集したもので、県内外から九十九人、百八十件が寄せられました。
 「……夜間開講の高知短大に関するものが78件で、全体の4割以上を占めた。
 その多くは『働きながら学べる場、短大を現在のまま残してほしい』など短大存続を求める意見。……」(高知新聞朝刊、二月十九日付)
 ということは、九十九通の意見書のうち、県立高知短期大学について書かれたものが七十八件あるということです。しかも、その多くが県立高知短期大学存続をというものだったということです。
 「検討会は寄せられた声や各委員の意見を踏まえて報告書案を修正し、3月には報告書を尾﨑正直知事に提出する。」としています(高知新聞朝刊、二月十九日付)。
 なお、県の募集要項には「ご意見については、氏名、住所、電話番号を除いて公表します。」とありましたが、九十九人の意見の全文は、まだ公表されていません。

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この二年の僕 その一 退職、研究員に。

 二〇〇七年十二月、四十年勤めた東京都の職場を退職しました。

  かねてからの病気がひどくなって朝、起きれなくなったからです。

 六十歳でした。

 高知市に住むことになりました。 

 これからは、人生の下り坂だと思いました。

 ひどい場合は、朝から飲んでいるおっさんになってしまうのではないかと思いました。

 二〇〇九年一月、頼み込んで高知市の民間の博物館、平和資料館・草の家の研究員にしてもらいました。

 かねがね、アジア太平洋戦争のころ、高知県はどうなっていたのかを調べてみたいと思っていたからです。

 さいわい、この仕事は、いくつかの成果をあげました。

 ● 同年夏の資料展で、高知県四万十町宮内の高知海軍第三飛行場の調査を発表しました。

 ● 同年夏、私が発見した南国市片山の山中のアジア太平洋のときの陣地あとを、専門家たち、Iさん、草の家の協力で世に出すことができました。

 ● 二〇〇九年夏の資料展では、高知での風船爆弾製造について展示することができました。つくっていた「女学生」たちや関係者の協力によるものです。体験者のHIさんや二十歳代のMAさんが絵にしてくれました。

  ● この資料展では、高知の女子師範学校の生徒たちの愛知県半田市の中島飛行機への動員のことも展示できました。

 ● いまは、「一九三二年二月、三月、四月の高知での八件の反戦ビラ配布」について、まとめています。

 やっていて思ったのは、前館長の西森茂夫さんの取材の執念です。いろんなデータが草の家にそろっていました。これをまとめて発展させることをする必要があると痛切に思いました。

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この二年の僕 その二 戦争遺跡保存ネットワーク高知の会員に。

 戦争遺跡保存ネットワーク高知の会員にもなりました。

 二〇〇九年夏の戦争遺跡保存ネットワークの全国の大会では、四万十町の海軍飛行場のことをリポートさせていただきました。

 二〇〇九年一月からは、戦争遺跡保存ネットワーク高知で研究誌『高知の戦争 証言と調査』を出し始めました。編集の責任者にさせてもらいました。

 もう七号になります。

 Iさんと、お母さんが編集の実務、印刷などをやってくれています。

 六号は、草の家館長の岡村正弘さんの高知空襲の体験記、若い西森智恵子さんの漫画です。

 毎日新聞など各新聞がとりあげてくれました。

 NHK総合テレビ、ラジオ第一の朝のニュースでも紹介してくれました。

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この二年の僕 その三 県立高知短期大学に入学しました。

 二〇〇八年四月、県立高知短期大学に入学しました。

 成績は、いろいろです。

 一年生のときの、ある外国語は落第しました。

 自分で、一番成果があったなと思っているのは、英語です。

 一年生のとき、YA先生の英語Aを受けました。

 基礎からやっていただいて、ずいぶんためになりました。

 YA先生には、一九八四年に広島市で出会いました(先生は、覚えておられませんが)。

 それ以来、いつか教えを受けたいと憧れていましたが、ついに、それが実現しました。

 英語は、外書購読ふたつ、初級英会話、英語Bも受けました。

 そして、生徒が二人の英語塾にも通いました。

 「あと二年くらいしたら、ペラペラになっている」

 それを夢見てがんばっています。

 十八歳のとき入学した高知大学では、教科書もほとんど買えない状態でしたし、単位もほとんど獲得しないままで、四年生になるまえにやめてしまいました。それに比べると、すごい前進です。

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この二年の僕 その四 県立高知短期大学の存続運動に参加しました。

 県立高知短期大学では、同短期大学の存続運動に参加しました。

 ある政党の県議たちが、県立高知短期大学をつぶせと無理むっちゃくなことをいいはじめて、それが県政の仕組みに乗って……という感じの出来事でした。

 率直にいって何の道理もありません。

 県も、廃止の理由探しに苦労している感じでした。

 この運動に参加したのは、僕にもプラスでした。

 ● I青年の力をかり、存続運動のホームページをつくり、運営してきました。ホームページつくりははじめてでした。

 ● ビラもいくつかつくり、技術も向上しました。

 ● 高知市の中心部のハンドマイクでの宣伝も、「平気」のような顔をしてできるようになりました。

 ● 高知短期大学と存続運動をアピールする映画をつくろうと提案したら、仲間たちが「それはいい、つくろう」。資金を集め、スタッフを集め、専門家の岡田さんの撮影・編集でというぐあいにして完成しました。僕は、プロデューサーのような役割でした。これ、いまは、ユー・チューブでも見ることができます。

 存続運動は、「これから」というところですが、「県が、県民の意見も聞かないで猛スピードでやってしまう」ということにはブレーキをかけていてます。

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この二年の僕 その五 県立高知短期大学のYAさんが譲ってくれたメスの子ネコ。

 県立高知短期大学に通って、一番よかったのは、やっぱり「いろんな世代の友だち」ができたことです。

 僕が、「自分のことにだらしないこと」を知って、ある娘の世代の同級生がきつい「お小言」をくれたり、優しい手助けをしてくれました。

 同世代の学生との付き合いも愉快でした。

 YAさんは、生まれたばかりのメスネコを譲ってくれました。

 いまは、妻の「まなむすめ」として家族の一員になっています。

 妻は、彼女が夜中の三時に「ニャオニャオ」と泣いても、がばっと起きて飛んでいきます。

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この二年の僕 その六 写真、彫塑(ちょうそ)、短歌……。

 芸術方面にもウイングをのばしました。

 まず、わが家のブロック塀に、二十歳代前半の麦ちゃんに絵をかいてもらいました。

 みずからも高知市の彫塑(ちょうそ)の講座を二シリーズ受けて四つの作品をつくりました。これは、これからもやりたいと思っています。

 写真も、いろんな展示会に出品しました。

 前からやっていた短歌も三冊の歌集をつくりました(その二つはブログ上のものですが)。

 詩、小説、陶芸など、はじめたものの、ものになっていないものもたくさんあります。

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この二年の僕 その七 いやはや、いろんなことを企画しましたね。

 いやはや、いろんなことを企画しましたね。

 高知短期大学存続をめざす学生の会の「望年会」を二回。

 これは、いいだしただけでSAさんなんかにやってもらいましたね。

 二〇〇九年の正月の、わが家での宴会。

 二〇一〇年の正月の、高知市の朝倉ゼミナールでの高知大学関係者の、うたごえの会。

 これもOさん、NAさん、MO夫婦、妻が中心になってやってくれました。

 そうそう、二〇〇〇年五月には、タクシーで山口県のアメリカ軍岩国基地に基地開放を見にいこうということも提案しました。これはOさんが運営してくれました。

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この二年の僕 その八 実は、地域の老人会の会長でもあります。

 実は、地域の老人会の会長にもなりました。

 これは「妻とセットで」とお願いして就任したものです。

 ほとんどが妻が、その役割を果たしてくれています。

 感謝。

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この二年の僕 その九 いまは二十歳のつもりで……。

 で、四月からは他県の四年生大学の三年生になります。

 アパートは七畳半一室。

 昨年、一つ病気が追加されました。

 かなり危険なものです。

 でも、治療を開始していますので安定しています。

 体をかばいながらばたばたしないで勉強と向かい合いたいと思っています。

 県立高知短期大学に入ったのが十八歳。

 そして、いまは二十歳。

 そんな感じで学びたいと思っています。

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2010.02.22

高知県が、だんだんキナ臭くなっています。三月二日には防衛省の自衛隊駐屯地開設について講演会も。

 アメリカ軍の宿毛湾港への寄港攻撃、あらたな自衛隊駐屯地の開設にむけての動きなど、高知県が、だんだんキナ臭くなっています。

 三月二日には、中国四国防衛局が、あらたな自衛隊駐屯地の開設にむけての講演会を開きます。

 こんな、宣伝をしています。

http://www.city.kochi-konan.lg.jp/data/fd_20o28ok4j8h1so/downfile1980393174.pdf

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ハングルの写真資料集『延辺文化革命十年の約束』という本。

 ハングルの写真資料集『延辺文化革命十年の約束』という本が、本日、韓国からエアメールで届きました。柳銀珪(リュ・ウンギュ)さん著、図書出版土香。

 中国の延辺朝鮮族自治州で集めた写真をまとめた書です。
 中国の少数民族地域における文化大革命については、中国内ではこれまでほとんど語られることもなく、写真記録が発表されたことはなかったといいます。ベールに包まれた「あの時代」についての一冊です。
 日本語の対訳つき!!(実は、僕はハングルがほとんどできません)。

 送料込み三千円です。
 ほしいかた、声をかけていただければ私から注文させていただきます。もちろん私は手数料などは取りません。作者の意気に感じての仲介です。

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妻の口ぐせ、「所定の位置にあります」。「所定の位置って、どこよ?」。

 妻が定年退職してから、比較的に妻と僕とが一緒にいる時間が長くなりました。
 その妻の言葉で気になることがいくつがあります。
 その一つが「所定の位置にあります」。

 「僕のデジカメはどこ?」
 「所定の位置よ」
 「所定の位置って?」
 「ここよ」
 勝手に「しのべる」所を決めて、そこに収納しているのです。
 朝食のとき、聞きました。
 「しょう油は、どこ?」
 「所定の位置よ」
 「所定の位置って、どこよ?」
 「えーっ、どこだっけ……」

 妻の行為や言葉をメモしておいて、それを活用してシナリオを書いて、いつか「愛すべき●妻の物語」みたいなコミックな映画をつくってみたいと思っています。

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「お誕生日サービス」のはがきが来ました。

 高知市内のメガネ屋さんから「お誕生日サービス」のはがきがきました。

 そうか、僕の誕生日は、あす二月二十三日なんだ。

 しかし、僕のまわりは、なんの「反応」もありません。

 あたりまえでしょうが。

 イジイジ……。

 とにかく、あしたで六十三歳です。

 せめて、妻、娘、娘くらいは「何らかの反応をしてほしい」と願っています。

 高校時代には「三十過ぎて、肉体的にも精神的にもピュアーでなくなってまで生きていたくない」なんて思いつめていた人が、「あと十年は生きていたい」となって、それを重ねて、この歳になりました。

 いまも、「あと十年は生きていたい」と思っています。

 まだまだ、やりたいことがいっぱいあります。

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二月二十二日は、「ヘルメット記念日」です。

Photo  二月二十二は、ニャンニャンの日、ネコの日だそうです。

 これは、今夜の妻の発言です。

 僕にとっては、「ヘルメット記念日」です。

 アジア太平洋戦争のときの壕(ごう)に入るとき、岩が落ちてきたら危ないので、これを買いました。

 ついでに、岩が落ちてきても大丈夫なブーツも買い込みました。

 準備OKです。 

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2010.02.23

「フィギュアーを 僕と二人で やらないか」。妻の答えは……。

  「フィギュアーを 僕と二人で やらないか」

 妻の答えは

 「あんたにゃ、かつげん」

 わが誕生日、特別のごちそうがでることもなく終わろうとしています。

 グッスン。

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韓国政府の日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が『強制動員名簿解題集1』を刊行のニュース。

 こんな記事を見ました。

 韓国政府の「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」は[2010年2月]14日、日本の植民地支配下(1910~45年)で行われた強制連行の被害者名簿を収録した『強制動員名簿解題集1』を発刊しました。韓国メディアが伝えました。
 同委員会は、強制連行の真相を明らかにするために設置された国家機関で、被害者や遺族などから22万件を超える被害申告を受理。被害者名簿などの史料を収集してきました。
 収録された名簿の大部分は被害者が作成ないし所蔵していたもので、当時の状況を知ることができる資料だといいます。北海道の赤平炭鉱で働いていた労働者が植民地解放後に朝鮮半島に帰還する際に作った名簿や、旧ソ連によるサハリン連行の被害を立証する史料などが含まれています。
 解題集は、同委員会が所蔵する被害者名簿310種類のうち49種類について解説。植民地時代に、軍人や軍属、労働者などとして強制的に日本に連れて行かれた人たちの氏名や住所、職業が記載されています。
 同委員会は来年までに、日記や随筆、写真選集などの記録シリーズを発刊する計画です。
 韓国では、2003~08年の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権期に、過去の歴史の究明を求める世論が高まり、調査のための国家機関が相次ぎ発足しました。強制動員被害真相糾明委員会も04年に設立され、今年1月までに11万7510件(男性11万6868件、女性642件)を強制連行の被害者と認定しています。(中村圭吾)

 (「しんぶん赤旗」、2010年2月16日)

 この『強制動員名簿解題集1』、ぜひ入手したいと思っています。

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高知県 「やしべる」という言葉が通じない!!

 「やしべる」という言葉があります。
 「軽蔑(けいべつ)する。いやしめる」という言葉です。
 土佐弁です。

 きょう、二十歳代の人と話していたら、これが通じないのです。
 うーん。
 若い世代に土佐弁を継承していく必要がありそうです。

 いい言葉がたくさんありますよ。

 「のーがわりい」

 「いんげの」(いいえ)

 「水が、まける」

 「お茶わんを、かまえて」(準備して)

 「つばける」

 「しるい」

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高知市 地名「杉井流」の読み方は……。

http://maps.google.co.jp/maps/place?hl=ja&lr=&oq=&um=1&ie=UTF-8&q=%E9%AB%98%E7%9F%A5%E5%B8%82%E6%9D%89%E4%BA%95%E6%B5%81&fb=1&gl=jp&ftid=0x354e1ea8cbe13c23:0x7eeacbaa94ba4cc&ei=D8GDS9PDIY-OkQXF3a2mAQ&sa=X&oi=geocode_result&ct=title&resnum=1&ved=0CAgQ8gEwAA

 ここに高知市杉井流があります。

 杉井流って何と読むでしょうか。
 「すぎいる」だそうです。
 本日初めて知りました。
 
 こんなのもあります。

 一宮 いっく  (高知市)
 介良 けら   (高知市)
 百笑 どうめき (四万十市)

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2010.02.24

物理の試験の計算問題が解けないで……六十三歳二日目の夢。

六十三歳二日目は、いやーあな夢で目覚めました。

計算の 問題解けず 真っ白で 六十三が あせってる夢

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「高知市の無料定額診療所 困窮の重症患者救う」。きょうの高知新聞朝刊に高知市の高知医療生協潮江診療所のことが載っていました。

 きょうの高知新聞の朝刊に高知市高見町の高知医療生協潮江診療所のことが載っていました。

 高知市の無料定額診療所 困窮の重症患者救う

 5カ月で25人 即入院も

 制度なければ死んでいた 不況で失職 心不全の男性

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今夜、2月24日(水)22:00~22:43、小林多喜二さんに出会えます。【出会いました】

 今夜、小林多喜二さんに出会えます。
 以下、NHKのホームページから。
 2月24日(水)22:00~22:43 NHK総合

 歴史秘話ヒストリア
 たったひとりのあなたへ~『蟹工船』 小林多喜二の伝言~
 現在、日本の若者だけでなく、世界でも注目されている小説『蟹工船』。昭和の初め、人と人が違いを越えつながりあう強さを描いた作品を書いたのは、北海道・小樽で銀行員をしていた小林多喜二。過酷な労働環境で働く人々の苛烈な物語が、なぜ今、再び読まれるようになったのか。番組では、恋に人生に文学に悩み、29歳で命を落とした青年・多喜二の知られざる実像を紹介し、小説『蟹工船』に込められたメッセージを読み解く。

 【追記】

 出会いました。

 涙を流しながら見ました。

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「間島パルチザンの歌を読む」つどい、進行中。三月十九日、平和資料館・草の家の藤原義一研究員が「一九三二年二月~四月に、八回、陸軍歩兵四十四連隊など高知の各所で配布された反戦ビラと槇村浩」のテーマで話します。

 高知市の槇村浩(まきむら・こう)の会、治安維持法犠牲者国賠同盟、平和資料館・草の家が五回シリーズで「間島(かんとう)パルチザンの歌を読む」集いを開いています。
 「間島パルチザンの歌」は、高知県の詩人・槇村さんの、朝鮮人の大日本帝国の侵略戦争反対のたたかいに連帯した一九三二年の作品です。

 一回目は、二月十九日夜、開かれました。詩人の猪野睦さんが「槙村浩の詩のアジア」と題して約一時間の講義の後、草の家館長の岡村正弘さんが「間島パルチザンの歌」の詩を朗読。三十人ほどの参加者が聞き入りました。岡村さんは「最近、在韓の研究者から槙村についての問い合わせがあり関心の広まりが見られることを考えても、地元の私たちがいまこそ勉強を深める必要がある」と今回の企画を立ち上げたことを説明しました。猪野さんは、この詩が、雑誌『プロレタリア科学』や『世界地理風俗大系』(一九三〇年、新光社)などを資料に極東アジアの歴史、地理、風俗をしっかりと分析し、国際連帯の視点で構想大きく描き出していること、また、その地の抗日独立を願う朝鮮の青年のこころにぴったりと寄り添って描き出していることが感動を生みだしていると語りました。

 二回目は、三月十九日です。平和資料館・草の家の藤原義一研究員が「一九三二年二月~四月に、八回、陸軍歩兵四十四連隊など高知の各所で配布された反戦ビラと槇村浩」のテーマで話します。若い詩人が槇村さんの詩「生ける銃架」を朗読します。

 第三回は四月十六日、第四回は五月二十一日、第五回は六月十八日。いずれも会場は、いずれも平和資料館・草の家ホールで、後六時半からです。参加資料代・五百円。

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二月二十三日付の毎日新聞高知版の「支局長からの手紙」は「向学心が扉を開く」。

 やっぱり新聞って身近な人が出ているとうれしいですよね。

 二月二十三日付の毎日新聞高知版の県立高知短期大学で学んでいる織田千代子さんのことが載っていました。

 「支局長からの手紙」で見出しは「向学心が扉を開く」。

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朝から夕方までかけて「県立高知短期大学存続運動と二年間の私」という文章をまとめました。

 この二年の学生生活をまとめて、つぎへ旅立つ時期です。

 きょうは、朝から夕方までかけて「県立高知短期大学存続運動と二年間の私」という文章をまとめました。

 A4で三十ページにもなりました。

 そて、これから夕食のおかずを仕入れてきて、あすの英語の予習をして……。

 一日にやれることは少ないですねー。

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冬季オリンピックの女子フィギュアースケートのショートプログラム、「007(ゼロゼロセブン)」は強かった。 

 本日の冬季オリンピックの女子フィギュアースケートのショートプログラム。

 韓国のキム・ヨナさんは余裕の演技。

 最終シーンは映画「007」の音楽で……。

 すっごいのひとこと。

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いま、午後十一時過ぎ。妻はラジオに向かい合い中国語を勉強中。

 いま、午後十一時過ぎです。

 妻はラジオに向かい合い中国語の勉強をしています。

 妻は、元「残留孤児」で、中国から帰ってきた人たちに日本語を教えるボランティアを週一回やっています。

 しかし、生徒たちが「内輪」でしゃべるときは中国語。

 妻は、「???????」。

 で、少しはわかるようにということで始めたようです。

 六十二歳になって、この学ぶ意欲。えらいと思います。

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二月二十三日で六十三歳、でも誰も反応なしといういじけた記事を読んで二人が反応してくれました。

二月二十三日で六十三歳、でも誰も反応なしといういじけた記事を読んで二人が反応してくれました。
 二月二十三日で六十三歳、でも誰も反応なしといういじけた記事を読んで二人が反応してくれました。
 ありがとう。
 ● 大学の一年後輩の男性・NAさん。用事があって電話したら「誕生日、おめでとうございます」。
 ● 高知短期大学の同学年生の娘の世代の女子学生。用事で電話してくれて「誕生日、おめでというございます。でも、もっと早く、いつが誕生日と書いておいたほうがいいですよ」。

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藤原尋子(ふじはら・ひろこ)さんのブログができています。

 実は、藤原尋子(ふじはら・ひろこ)さんのブログができています。

 http://hirokonoga.cocolog-nifty.com/

 です。
 まだ、あまり更新していませんが……。

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まあるくなって……。今夜の、わが家の「娘ネコ」の写真。

Photo

 私たち夫婦がいすをならべてパソコン作業をしている、その間のいすを占拠して寝ているわが家の「娘ネコ」です。

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2010.02.25

第七回高知短期大学がくゆう文化展、三月三日までです。

Photo_2  第七回高知短期大学がくゆう文化展、あす二月二十六日からです。

 僕は「笑顔」の写真八点(六スペースしか確保できず。入れ替えになります)、小さな女性像の彫塑(ちょうそ)を出展します。

 写俳(十点)の写真も撮らせていただきました。

 出品者の一人として、ご来場を、お待ちしています。

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2010.02.26

アメリカのシンガー・P!NK(ピンク)さんの「Dear Mr. President Pink(親愛なる大統領)」。

   昨日、ある人にアメリカのシンガー・P!NK(ピンク)さんのことを教えていただきました。
 で、きょうはユーチューブで彼女の歌「Dear Mr. President  Pink(親愛なる大統領)」を聞いています。
 戦争屋、ブッシュ大統領にたいする批判の曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=4eRApNHSRRk&translated=1

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オリンピック女子フィギアーのフリー鈴木明子選手、一回ミスしたもののすばらしい演技。

 オリンピック女子フィギアーのフリー。

 鈴木明子選手、一回ミスしたもののすばらしい演技。

 入賞しそうです。

 ショートのときから、うーんという感じでしたが……。

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2010.02.28

性同一性障害 読んでみたい記事。

 性同一性障害について、日本共産党の記事を探しました。

 ● 2003年6月11日(水)「しんぶん赤旗」 性同一性障害者と懇談 党国会議員団 戸籍などの問題聞く

 性同一性障害をもつ者の戸籍変更についての特別立法の今国会提出が持ちあがるなか、日本共産党国会議員と当事者との懇談が九日、国会内で開かれました。
 性同一性障害は、男性(女性)の身体を持ちながら自分は女性(男性)であるという強い違和感をもち、体と心の不一致に悩む障害です。日本精神神経学会のガイドラインにより九八年からは国内でも治療の一環として性別適合(性転換)手術が行われています。しかし、手術が行われても戸籍の性別訂正を裁判所が却下しているため、当事者は住民票、年金手帳、雇用保険等の性別記載と外見が異なることから、正規の雇用契約を結びにくい、病院にもかかりにくいなどさまざまな生活上の困難をかかえています。
 懇談に出席した著述業虎井まさ衛氏、上川あや世田谷区議は「先進国には性別変更の立法がある。日本ではのべ二千人が医療機関でのカウンセリングを受けており、男性の三万人に一人、女性は十万人に一人の割合で起きるともいわれている。今国会でぜひ成立を」と訴えました。
 懇談には法務部会の木島日出夫部会長(衆院議員)、井上哲士、小池晃、宮本岳志、吉川春子の各参院議員、瀬古由起子衆院議員が出席しました。

 ● 2003年7月2日(水)「しんぶん赤旗」 性同一性障害特例法案提出へ 参院委が全会一致 戸籍上の性別変更認める

 参院法務委員会は一日、身体の外面的な性と内面的に認識している性が一致しない性同一性障害者が戸籍上の性別を変更できるようにする特例法案の参院本会議への提出を全会一致で決定しました。ふつうに社会生活を送りたいという当事者の切実な願いの実現にとって一歩前進であり、日本共産党も共同提案に加わりました。
 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法案」は、性同一性障害者が(1)二十歳以上(2)現に婚姻をしていない(3)現に子がいない(4)(性別適合手術などで)生殖腺がないか生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある(5)身体に他の性別の性器に近似する外観を備えている-のいずれにも該当する場合、本人の申し立てにより家庭裁判所が「性別の取扱いの変更の審判をすることができる」としています。
 性同一性障害者が性別適合(性転換)手術で別の性となり、身体を心と一致させても、戸籍上の性別はこれまで変更できませんでした。戸籍の性別表記は、住民票、健康保険証、年金手帳などの公的書類の性別記載と結びついています。手術後の外見上の性別と、公的書類に記載された性別が異なることから、性同一性障害者は就職をはじめ日常生活で差別的に扱われるなど、数々の困難を強いられてきました。
 子どもがいないことを要件としている点に関係者から反対の声もありますが、施行後三年をめどに施行状況や性同一性障害者などをとりまく社会的環境の変化をふまえ再検討することがもりこまれています。法律は公布日から一年後に施行されます。

 ● 2003年7月3日(木)「しんぶん赤旗」 性同一性障害特例法案を可決 戸籍の性別変更可能に 参院本会議

 参院は二日午前の本会議で、性同一性障害者の戸籍上の性別変更を可能にする特例法案を、全会一致で可決しました。同法案は衆院に送付されました。ふつうに社会生活を送りたいという当事者の切実な願いの実現に一歩前進であり、日本共産党も共同提案に加わりました。
 同法案は、男女のいずれの性に属するかの自己認識が肉体的性別と一致しない性同一性障害者について、家庭裁判所の認定によって戸籍上の性別変更を可能にすることが内容。裁判所への審判請求ができる人は、二十歳以上で未婚、子どもがいないなどといった条件を付けています。関係団体などが子どもがいないことを要件としないよう求めていることに配慮し、法律の施行後三年をめどに見直すことも盛り込んでいます。

 ● 宮本たけしさんのホームページんら 宮本たけんさんは現・日本共産党衆議院議員

 「セクシャルマイノリティ」について考える

 堺選出の大阪府会議員がレズビアンであることをカミングアウトしたことが話題になっています。彼女の本「カミングアウト」を読みました。同性愛者に対する差別と偏見の中で、彼女が歩んできた道と「自分を隠す」生き方から「ありのままの自分を肯定する」生き方への勇気ある踏み出しが良くわかる本でした。
 私は「セクシャル・マイノリティ」…つまり性的少数者の問題に深くかかわってきた議員です。私のこの問題に対する基本的な立場は「セクシャリティは人権であり、その多様性は認められるべきである」ということです。セクシャリティのあり方は、それが他人の人権や人格を傷つけるものでないかぎり、国家や社会によって、あれこれと強制されるべきものではありません。
 私がこの問題に取り組むきっかけになったのは、「性同一性障害(GID=Gender Identity Disorder)」をもつ人たちの性別変更に道をひらく「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」をつくる過程で当事者の方たちとお会いし、ともに運動をすすめてきたことです。
 今では「特例法」により性別変更が認められた上川あや世田谷区議会議員ともこのときご一緒し、今でも上川さんからはニュースを送っていただいています。当時、最大の問題は「性別変更を認める要件」についてでした。与党を中心に「既婚者や子どものいる者には認めるべきでない」という強固な意見が存在し、残念ながら成立した「特例法」はそういった制約を持つものでした。
 私は「そのような制約をもうける必要はない」という立場でしたが、反対派の言い分は「もし既婚者の性別変更が認められるならば、結果として同性婚を認めることになる」というところに最後まで難をしめしたのです。私は「当然、同性婚も認めるべきである」と考えています。(日本共産党は党としてはまだ「同性婚」については賛否を明らかにしておりません)
 「GID」に限らず「セクシャル・マイノリティ」の問題というものはいわゆる「LGBT」と言われるLesbian(女性同性愛者), Gay(男性同性愛者), Bisexual(両性愛車), Transgender(トランスジェンダー)と大きく分けて語られますが、その内容はいっそう多様です。それぞれ「性自認」と「性指向性」によってさらに複雑なバリエーションがありえます。
 わかりにくい話ですが、「性同一性障害(GID)」の人は心と体の性が食い違っているのだから、性別適合手術を受け、上川さんのように性別変更すれば普通の女性です。つまり「自分は女性だ」と心は「性自認」してるのですから「男性を好きになる」のは当たり前のことです。したがって「GID」は「同性愛」ではありません。
 それに対して「レズビアン、ゲイ」といった同性愛者は「自分は女だが女性が好きだ」「自分は男だが男性が好きだ」という「性指向」をもつのです。しかしもちろん「GID]の同性愛者の存在は否定されません。「自分の本来の性を取り戻した上で同性が好きだ」という人も厳然としていらっしゃいます。
 このように「セクシャリティ」とくに「性自認」と「性指向」はきわめて多様でデリケートなものなのです。それは何も「同性愛」に限ったことではなく、実は「異性愛」でも同じように多様なのです。このような問題に関してお上が一律に決めつけたり、マイノリティを「異常である」などと言うのはまったく時代錯誤もはなはだしいと言わなければなりません。
 私は何人かのレズビアンやゲイの人たちとのお付き合いをつうじて、彼らが真剣でいたって真面目な愛情をはぐくんでいるという事実をいくつも知っています。逆に、「異性愛」の夫婦でも風俗に行ったり、愛人をつくったり、不倫したり、夫が妻に暴力をふるい生命まで奪うような「ドメスティックバイオレンス」の事例も枚挙にいとまがありません。
 「まあフーゾクに行くぐらい男の甲斐性や」などと言いながら、同性愛者を「変態」呼ばわりする者を許せるでしょうか?「同性婚」を「種の保存という自然の摂理に反する」などと、もっともらしく言いますが、そのような論法がまかり通るなら、異性婚の夫婦でも「子どもをつくりたくない、生みたくない」という夫婦は、同じ論拠によって非難されることになり、女性の「リプロダクティブ・ヘルスライツ=(性と生殖に関する自己決定権)」などというものは否定されることになるでしょう。
 同時に、私はもちろん「セクシャリティの多様性」という言葉で「不倫や風俗も多様性の一つ」などとする俗論を免罪するつもりはさらさらありません。それは他人の人権と人格を傷つけるものだからです。その意味においては最初に述べた「それが他人の人権や人格を傷つけるものでないかぎり」という要件は絶対的なものです。
 ここに書いたことは、いま付焼刃に考え付いたことではありません。すでに昨年の参議院選挙の前に、同性愛の当事者たちでつくる「フォーラム・アクエリアス」のアンケートに答え、きっぱり「同性婚も認められるべきだ」と言明しています。(詳しくは「アクエリアス」のホームページ、http://members.aol.com/forumaquarius/2004kyosankaito.htm#miyamotoをご覧下さい)

 「性同一性障害」、子もちは性別変更ダメ 大阪高裁裁判長「議論が望まれる」

 報道によると性同一性障害(GID)と診断され戸籍上の性別を男性から女性に変更するよう申し立てた奈良県生駒市、森村さやかさんの即時抗告について、大阪高裁(田中壮太裁判長)は11日までに棄却する決定を出しました。
 私も国会でとりくみ、超党派で成立させた「GID特例法」は「子どもがいないこと」を変更条件にしていますが、森村さんには離婚した女性との間に子どもが1人います。田中裁判長は決定書の中で、この要件について「立法過程で最も議論になったことを思えば、維持すべきか、廃止すべきかなど具体的な議論が望まれる」と言及しました。
 2004年7月に施行された特例法には付則で施行3年後の見直し規定があり、参議院選挙後の国会で「見直し」議論が始まる予定です。私は最初から「非婚・子どもがいないなどの条件は必要ない」との立場でこの法律にとりくんできましたが、今回の裁判の結論は今後の議論に影響を与えそうです。
 GIDの当事者団体は「子どもがいない」という要件について、憲法が定める法の下の平等などに違反しているとして削除を求めています。森村さんは「高裁が要件見直しに言及したことは一定の成果。国会に法改正を働きかけたい」と語っています。

 ● いっせい地方選挙にのぞむ各分野の政策 2007年1月19日 日本共産党

 性同一性障害や性的指向による差別の解消をめざします。たとえば、住宅入居問題では、都市再生機構や大阪の住宅供給公社で、夫婦や血縁にかかわらず、同居する男女や同性のカップルにも入居を認める「ルームシェア」制度がはじまっています。雇用、住宅入居などにたいする不利益の解消をすすめます。

 ● 日本共産党 2007年参院選 個別・分野別政策/社会・教育・人権

 性的人権を守ります……07年におこなわれたあるアンケート調査によれば、国内の性的マイノリティは、人口の4%前後(約500万人)に相当すると推定されています。イギリス政府が06年公表した調査では、性的マイノリティが人口の6%に当たるとされました。日本共産党は、性的マイノリティの人権保障につとめます。
 性別や性自認、性的指向を理由とした、就労や住宅入居などのあらゆる差別をなくし、生き方の多様性を認め合える社会をつくります。公的書類における不必要な性別欄を撤廃するよう求めます。子どもがいても性別変更が可能となるよう、「性同一性障害特例法」を改正します。保険適用に性同一性障害をくわえ、治療のできるクリニックの拡充を求めます。
 公営住宅、民間賃貸住宅の入居や継続、看護・面接、医療決定の問題など、同性のカップルがいっしょに暮らすにあたっての不利益を解消するため力をつくします。

 ● 2007年7月5日(木)「しんぶん赤旗」 性的マイノリティーの人権をどう考える?

 〈問い〉 性的マイノリティーの人権について、日本共産党はどう考えていますか?(埼玉・一読者)
 〈答え〉 同性愛者や性同一性障害などのセクシャルマイノリティー(性的少数者)は、ことしおこなわれたあるアンケート調査によると、国内では、人口の4%前後(約500万人)に相当すると推定されています。イギリス政府が06年に公表した調査では、性的マイノリティーが同国の人口の6%に当たるとされています。
 日本共産党は、誰もが人間らしく生きられる社会をめざしており、その立場から性的マイノリティーの人権を保障していくことが大切だと考えています。先日(5月26日)には、日本共産党の谷川智行参院比例候補がセクシャルマイノリティーの方々と懇談会をおこなっています。そのとき、谷川氏は「誰もが自分らしく自由に生きていい、それを保障するのが政治の仕事です。今の政治は、それとは逆の方向に向かっています。『靖国』派と呼ばれる人たちは『国民はこうあるべき』と決めつけ、そこにはめ込もうとしています。男は男らしく、女は女らしくと男女共学さえも否定しています。憲法を変えて戦争をしようという動きと、マイノリティーの生きづらさは別々の問題のように見えて、実は同じ流れだと思います」と、あいさつしています。
 今回の「参議院選挙にのぞむ日本共産党の各分野政策の一つ「人権の尊重―政治・経済・社会のあらゆる面で人権が保障されるよう全力をつくします」の中で「とくに、社会的マイノリティーとされる人びとの人権が尊重される社会をめざします」として、次のような提起をしています。
 「性別や性自認、性的指向を理由とした、就労や住宅入居などのあらゆる差別をなくし、生き方の多様性を認め合える社会をつくります。公的書類における不必要な性別欄を撤廃するよう求めます。子どもがいても性別変更が可能となるよう、『性同一性障害特例法』を改正します。保険適用に性同一性障害をくわえ、治療のできるクリニックの拡充を求めます。公営住宅、民間賃貸住宅の入居や継続、看護・面接、医療決定の問題など、同性のカップルがいっしょに暮らすにあたっての不利益を解消するため力をつくします」(加)
〔2007・7・5(木)〕

 ● 日本共産党 2009年 総選挙 《各分野政策》

 性的人権を守ります……一人ひとりの人間の性的指向や性自認(心の性)は、実に多種多様です。社会のなかには、「異性愛者」のほかにも、「同性愛者」や「両性愛者」もいれば、心と体の性が一致しない人(性同一性障害)、両性具有(インターセックス)の人もいます。これらの人びとは、「性的マイノリティ」と総称され、現在の日本では、約500万人にのぼると推定されています。日本共産党は、性的マイノリティの人権保障につとめます。
 社会のなかには、いまだに性的マイノリティへの誤解や偏見が根強く存在します。そのもとで、自分の自然な性的指向や性自認を否定的にとらえ、強い疎外感や社会不信、自己否定の気持ちにかられる人もいます。こうした人たちも、同じ一人の人間として、自分らしく豊かに暮らせる社会をつくることが求められています。
 性別や性自認、性的指向を理由とした、就労や住宅入居などのあらゆる差別をなくし、生き方の多様性を認め合える社会をつくります。公的書類における不必要な性別欄を撤廃するよう求めます。未成年の子どもがいても性別の変更が可能となるよう、「性同一性障害特例法」を見直します。保険適用に性同一性障害をくわえ、治療のできるクリニックの拡充を求めます。
 公営住宅、民間賃貸住宅の入居や継続、看護・面接、医療決定の問題など、同性のカップルがいっしょに暮らすにあたっての不利益を解消するため力をつくします。

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各紙報道 一年生の女子に男子制服での通学認める 鹿児島県内の公立中学校

 【共同通信】 中1女子に男子制服認める 鹿児島、性同一性障害で

 心と体の性が一致しない性同一性障害と診断された鹿児島県内の公立中学1年の女子生徒(13)について、学校側が4月から男子制服で通学するのを認めたことが26日、学校と地元教育委員会への取材で分かった。
 名簿上の性別の扱いや、体育の授業をどうするかなどは今後、生徒や両親の希望を聞きながら対応を検討する。
 学校と教委によると、生徒は「セーラー服を着ると頭が痛くなる」と女子の制服を嫌がり、昨年7月に両親が「男子の制服で登校できないか」と相談。学校側は教委と協議した上で「前例がない」「診断が出ていない」として認めなかった。
 このため、生徒は同9月から体操服で通学。今月20日に医療機関で性同一性障害と診断されたのを受け、学校側が男子の制服着用を認めた。
 校長は「生徒と両親が男子の通称名での通学を望むなら、名簿も通称にすることを考えている。生徒が楽しく登校できる状態をつくっていきたい」と話した。

 2010/02/26 20:01   【共同通信】

 【読売新聞】  性同一性障害の女子「受け入れて」願い深く 理解や支援不可欠

 県内の性同一性障害に悩む中学1年の女子生徒(13)が、4月から男子学生服を着用して登校できることになった。女性から男性として学園生活を送ることは、生徒だけでなく、家族にとっても大きな決断だった。
 昨年6月、母親(41)は、娘から「ほかの人と何かが違う。僕は変なのかなあ」と打ち明けられた。さらに「好きな人ができた」と切り出され、口にしたのは、女の子の名前だった。動揺した母親は自分に言い聞かせるように、「大丈夫だよ、大丈夫」と娘に声をかけていた。
 小さい頃から男の子の服装を好み、アニメのヒーローになりきる様子は、明らかに2人の姉とは違っていた。
 「もっとしっかり、娘のことを知りたい」。母はインターネットなどで、性同一性障害のことを調べた。そして、翌7月、ブログを通じて知り合った性同一性障害の人に頼み、娘に会ってもらった。
 「好きな女の子がいるけど、どうやってつきあったらいいの」。娘はせきを切ったように悩みを質問し始めた。相手は女性と交際していると話し、胸の手術跡を見せてくれた。
 「お母さん、僕、初めて同じ人に出会えた」。その時、娘が抱えていた孤独の深さを思い知ったという。
 これまで「セーラー服を着ると、吐き気がする」と訴えていた娘は、これを機に、周囲に自分の悩みを打ち明けるようになった。
 理解されないこともあったが、「悩んでないで相談しろよ」と、好意的に受け止めてくれる友人もいた。「背中の重荷が取れて、なんだか息がしやすくなった」と、笑顔で学校から帰ってくるようになった。
 クラスで一人だけ体操服で登校するようになって約半年。4月からは、晴れて学生服で登校できるようになる。先日、家族で学生服を買いに出かけた際、娘は、ずらりと並ぶ学生服を前に、「これだよ、これ。僕には」とはしゃいだ。
 両親は「娘の判断は間違っていないと思っている。みんなに受け入れてもらって、まっすぐに育ってほしい」と話している。

 【解説】
 性同一性障害(GID)の児童、生徒に学校がどう向き合うのか。多感な時期だけに、学校の理解やサポートが必要不可欠だ。
 岡山大大学院の中塚幹也教授(保健学)らは2006年、過去10年間に同大のジェンダークリニックを受診したGIDに悩む661人を対象に、問題行動の発生率を調査したところ、不登校が24・4%、自殺を考えた人が68・7%、自傷・自殺未遂は20・6%に上った。問題行動は、2次性徴が始まる中学時代に時期が集中していた。
 はりまメンタルクリニック(東京都)の針間克己院長は、「教諭がきちんと理解し、子どもたちに教えることが大切」と話す。性に違和感を感じていた男子生徒に「男らしくしろ」などと教諭が頭ごなしにしかったことが、いじめにつながったケースもあるという。
 誰にも打ち明られず、心と体の不一致に悩む子どもたちがどれぐらいるのかは未知数だ。文部科学省も、まだ対応指針は定めていないのが実情だ。
 生徒の通う学校では養護教諭を中心に、定期的な勉強会を開くなど、支援に向けての活動を始めている。2月中旬、生徒の母は保護者会で、今回の決定を報告し、理解と協力を求めた。すべてが手探りの中だが、女子中学生が学生服での登校を認められたことをきっかけに、GIDを個性として受け入れる社会に向かうことを期待したい。(中西瑛)
             *
  【性同一性障害】 世界保健機関(WHO)で認める医学的疾患で、健全な身体でありながら、持続的な自分の性の違和感と異性への一体感を持つ。国内には1万~3万人いるとされ、原因は不明。通常、男性よりも女性の方が自覚症状が早く、物心ついた頃から自分の性別に違和感を感じる人が多い。
(2010年2月27日  読売新聞)

 【朝日新聞】 性同一性障害の女子中学生、男子制服で通学へ 鹿児島2010年2月26日17時46分
    
 心と体の性が一致しない「性同一性障害」と診断された鹿児島市内の公立中学校1年の女子生徒に対し、中学校側は4月から男子の制服を着て通学することを認めた。
 中学校などの説明によると、この生徒は入学後、「セーラー服を着ると気分が悪くなる」と教諭や両親に訴えていた。2、3歳ごろからままごとやスカートをはくことを嫌がっていたという。
 両親は昨年7月、中学校に「男子制服で登校することはできないか」と相談。同校はスクールカウンセラーや市教委と対応を協議し、「学校教育相談の範疇(はんちゅう)を超えている」などの理由で体操服で通学することを認めたうえで、専門家の判断を待っていた。
 生徒は昨年9月から体操服で通学していたが、今年2月20日に専門医療機関から「性同一性障害」の診断が出た。このため、同校は22日、生徒が4月から男子制服で通学することを認めた。在校生には3月16日の卒業式終了後、説明するという。
 校長は「課題はこれからたくさん出てくるだろうが、生徒には有意義に学校生活を送らせてやりたい」と話した。生徒の母親(41)は「同じように悩んでいる人はたくさんいる。今回は制服一枚で済むこと。相談機関の充実など市はできる対策をとってほしい」と話した。

  【毎日新聞】 性同一性障害:中1女子、4月から男子で通学--鹿児島 

 鹿児島市内の公立中学校が性同一性障害(GID)と診断された1年生の女子生徒(13)に対し、4月から男子として通学することを認めたことが26日、分かった。埼玉県で小2男児(8)が女児としての登校を認められたことに続き、学校現場の判断で本人の意思を尊重した形だが、当事者や保護者からは行政としての対策を求める声が上がっている。
 母親や学校によると、生徒は2歳ごろから体の性が女であることに違和感を覚え、中学入学後はセーラー服を着ると「気分が悪くなる」などと訴え、登校できない日も増えた。両親は昨年7月に学校に相談し、9月から体操服での登校が認められていた。
 さらに今月20日に主治医からGIDの診断書が出たことを受け、学校は新年度から男子制服での通学を認め、学級名簿での性別も変えることなどを決めた。トイレは職員用の女子トイレを、更衣室は他の生徒とは別の部屋を使うことなどを検討している。
 母親は今月24日にクラスの保護者会で事情を説明し、在校生には3月の卒業式以降に校長から話す予定。校長は「前例もなく対応に迷ったが、他県で同じようなケースがあったことから踏み切った。今後の課題にはその都度対応し、解決していきたい」と話す。
 家族によると、生徒は「やっと自分の望む制服を着ることができる。とてもうれしい」と喜んでいるという。母親は「本人はとても苦しんでいたので、学校に感謝している。周囲に理解されず悩んでいる子はもっといると思う。教育委員会や県は専門医療機関と連携して相談窓口を設置してほしい」と訴える。
 学校現場での対応が続いていることについて、文部科学省児童生徒課は「個々の事実関係をよく確認しながら、国としても対応を考えていきたい」としている。【村尾哲、丹野恒一】

 ■ことば

 ◇性同一性障害
 身体的な性別と心理的な性別が一致せず、体に強い違和感を覚えて悩む疾患。国内に少なくとも1万人以上いると推計される。04年、成人の戸籍上の性別変更を認める特例法が施行された。岡山大の調査では、半数以上が小学校入学以前に、約9割は中学生までに体への違和感を覚えていた。

 【時事通信】  「男子」で通学、学校認める=性同一性障害の中1女子-鹿児島

 鹿児島市内の公立中学校が、性同一性障害と診断された1年生の女子生徒(13)に対し、4月から男子生徒の制服で通学することを認めたことが27日、同校への取材で分かった。
 同校校長によると、昨年7月以降、両親からの相談を受け検討。生徒が今月20日、医療機関で性同一性障害の診断を受けたことを踏まえ、同校は男子生徒の制服での登校を認めたという。
 生徒はセーラー服を着ると気分が悪くなると訴えたことから、昨年9月以降は体操服での通学が認められていた。
 学校側は今後、生徒や両親からの要望があれば、名簿上の性別や名前の変更もするとしている。
 校長は「クリアしなければいけない問題もあるが、診断書や本人の気持ち、他県の例を考慮した」と話している。(2010/02/27-13:52)

なお、二月二十八日付「しんぶん赤旗」の記事にはつぎの記述もあります。

 性同一性障害をめぐっては、埼玉県内の小学校が2年生男児に女児としての通学を認めています。

 兵庫県内の小学校では男児を女児として入学させたケースもありました。

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午後二時三十分ころ、高知市に津波到達、高い所では二メートルの情報。(2010.2.28)

 いま午前十時半、スピーカーで放送がありました。
 「午後二時三十分ころ、高知市に津波到達、高い所では二メートル」

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第七回高知短期大学がくゆう文化展の受付の一員として。

 わが家は水害地域。本日の津波情報は、おおいに気になりましたが、第七回高知短期大学がくゆう文化展の午後の受付当番になっていたので出かけました。

 いろいろなことがありました。

 ● まずは展示されていた藍染。気に入りました。作者に、高知短期大学の卒業生に贈る藍染作品を作ってほしいとお願いしました。

 ● 人形の作品がありました。「どんま」をしている集団の人形が、とっても気に入りました。この作者と一度話をしてみたいと思っています。

 ● お客さんの中に高知短期大学の先輩がいました。僕の高校の英語の先生、間崎英夫さんの妹さんでした。感激しました。

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