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2010.02.17

「きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」という議論についての疑問。

 新井喜美夫(あらい・きみお)さん(太平洋学会理事長)が、坂本龍馬さんを「薩長と幕府を内戦に導いた『武器商人』」だという記事を書いています(『週刊金曜日』。二〇一〇年二月十二日号)。
 龍馬さんの「実像」にせまろうとしたものですが、その中で、いろは丸事件で龍馬さんの果たした役割をのべた上で「きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」と断定しています。
 いろは丸は、土佐藩が、大洲藩から借り受けていた帆装の小型蒸気船です。一八六七年四月十九日、海援隊(坂本龍馬隊長)が乗り込んだ、いろは丸は、長崎から大阪に向かいました。女性をふくむ十三人の旅客も乗船していました。その、いろは丸が、紀州塩津浦から長崎に向かっていた紀州藩所有の蒸気船の軍艦・明光丸と、同月二十三日午後十一時に、瀬戸内海で衝突しました。破れた船腹から海水が流れ込み、いろは丸の船首は傾きました。いろは丸の腰越次郎さん、佐柳高次さん、小曽根英四郎さん、梅吉さんらが明光丸に飛び移りました。そのうち明光丸は船首を引いて九十メートル後退すると、ふたたび前進して、いろは丸の船腹に激突しました。いろは丸は、大きく傾き、旅客をふくむ乗組員はボートで明光丸に収容されました。このとき龍馬さんも明光丸に移ります。その後、ばらくして、いろは丸は、沈没します。これを、いろは丸事件といいます。このストーリーは「土佐守内海援隊長 才谷梅太郎紀伊蒸気船 明光丸応接書」などによってまとめました。
 「当たり屋」って何でしょう。

 1 運がよくて人気を得た人や、大もうけをした店。
 2 野球で、よくヒットの出るバッター。
 3 故意に走行中の自動車などにぶつかって、治療費や補償金をゆすり取る者。
 4 理髪店をいう忌み詞。ひげを「す(剃)る」を嫌ったもの。
 [ 大辞泉 ] 

 ここでは3の意味でしょう。
 新井さんは、この事件について、こうのべています。
 「四月二三日の真夜中、紀州藩所有の軍艦『明光丸』(八八〇トン、一五〇馬力)が、瀬戸内海を航海の鉄則に従って航行していた。
 突然、前方に、東北方向に航行中の大洲藩所有の商船『いろは丸』(一六八トン、四五馬力)を発見する。本来なら直進すべきところ、このままでは衝突の恐れがあると察して、急遽右側に針路を変えたがすでに遅かった。両艦船は福山沖の海上で衝突した。
 重量が五分の一に満たない『いろは丸』の方は、沈没し始めていた。『明光丸』は『いろは丸』の乗組員の援助を考え、一〇〇メートルほど後退、再度前進したが、すでに物資については救援する余地はなかったという。
 もっとも、ここに記述されている当夜の状況は、ほとんど無傷に航行し得た『明光丸』側からのものばかりで、沈没した側からの系統だった発言はほとんどなされていない。『いろは丸』側は何をしたいたのか。
 客観的にみて、このときもっとも冷静に行動をとっていたのは、『いろは丸』の隊長、坂本龍馬だった。
 本来からば部下の生死を確認し、その援助を行うべきところを、どういうわけか、龍馬はいち早く『明光丸』の甲板に乗り移った。
 航海日誌など重要な書類を取り上げ、突然のことで動転している『明光丸』の乗組員に、『当直士官が甲板にいなかっただろう』と誘導尋問をしたり、海に落ちた『いろは丸』の乗組員の援助を心がけたかどうかなどを問い詰めた。のちの賠償裁判を有利に進めるためである。
 しかし、甲板に当直士官の姿がなかったと龍馬は主張するが、むしろ本来なら船長室にいるべき龍馬が真夜中に偶然に甲板に出ているところこそ、不自然に思えてならぬ。
 またなぜ、龍馬は乗組員を助けなかったのか。その必要はなかったらしい。なぜなら全員無事に、『自分で救助されていた』のだから。
 さらに、このような事態への対応に相手が無知なことに乗じて、龍馬は『いろは丸』側の正当性と『明光丸』の不当性を証明する資料を集めまくっていたという。
 これではむしろ、衝突は『いろは丸』から計画的に仕掛けられたものではないかと、思いたくなるのも道理である。平たく言えば、もっとも悪質な、今で言うところの『当たり屋』のとった行動ではないかと思うのが、自然ではないか。 
 龍馬は[薩摩藩の]五代才助を調停にたてる。五代は紀州藩に、薩長土の三藩の軍事的同盟を仄(ほの)めかす。そして紀州藩に非ありとして、『いろは丸』の賠償金として亀山社中に、取りも取ったり八万三〇〇〇両(後に七万両)の賠償金の支払いを行なうよう裁定を下し、一件落着とした。
 きわめて悪質な、日本で最初の『当たり屋』、それが坂本龍馬なのだ。」
 これだけの「事実」で、坂本龍馬さんを「当たり屋」と断じることができるのでしょうか。
 「故意に」走行中の船にぶつかってということは何も証明されていません。
 それに、衝突のとき、竜馬さんが甲板にいて、いち早く明光丸に乗り移っというのですが、そんなことを示す史料が、あるのでしょか。
 なお、文中の亀山社中は、当時、もうなくなっていて海援隊になっていたはずです。同誌の編集部が作成して掲載している「坂本龍馬 略年表」でも、そうなっています。

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