« 短歌「一九三二年の高知を歩く」。 | トップページ | 仁智栄坊(にちえいぼう)さんの俳句。 »

2010.02.07

坂本龍馬さんは、千葉佐那子さんと婚約していたはずでは……。

  二月三日夜のNHK総合テレビの「龍馬伝」を見ました。

 千葉佐那子さんが、すごくチャーミングに描かれています。

 ところで、坂本龍馬さんは、千葉佐那子さんと婚約していたはずでは……。
 土佐藩を脱藩し、土佐藩からすれば犯罪者であった時期もあったので、結婚にいたらなかったのでしょうか。
 しかし、婚約者がありながら「おりょう」と結婚し……というのは、どういう事情でしょうか?

千葉さな子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から

 千葉 さな子(ちば さなこ、1838年 - 1896年10月15日)は、北辰一刀流剣術開祖千葉周作の弟・千葉定吉の二女。北辰一刀流小太刀免許皆伝。長刀師範。学習院女子部舎監。漢字では佐那子と書く。佐那とも呼ばれる。また、初名を乙女といった。
 小太刀に優れ、10代の頃に早くも皆伝の腕前に達した。美貌で知られ「千葉の鬼小町」あるいは「小千葉小町」と呼ばれたという。16歳のころ、北辰一刀流桶町千葉道場に学びに来ていた坂本龍馬と知り合い、後に婚約を交わしたとも結婚したとも言う。龍馬の死を知った後も彼を想い続け、一生を独身で過ごした。
 維新後は学習院女子部に舎監として奉職した後、千住にて家伝の針灸を生業としてすごした。死後、身寄りがなく無縁仏になるところ、山梨県の民権運動家として知られる小田切謙明が哀れみ、小田切家の墓地のある山梨県甲府市朝日5丁目の日蓮宗妙清山清運寺に納骨されたという。墓石には『坂本龍馬室』と彫られている。
 千葉家息女と龍馬との恋については、すでに龍馬に関する最初の伝記小説である坂崎紫瀾『汗血千里駒』に見えている。龍馬と佐那との関係は坂本家でもある程度認められていたものと考えられる。また、龍馬の妻となったおりょうによる千葉佐那評が悪意に満ちていることを考えると、龍馬と佐那との関係はかなり深いものであり、坂本家での佐那への認識が相応のものであったと推定される。また、龍馬の実家宛書簡には佐那に対する好意にあふれた表現が見え、少なくとも龍馬が千葉佐那へ大変な好意を寄せていたのは確実視されている。

 【参考】

 http://www.hpmix.com/home/seiunzi/E3.htm

 http://yamanashi-kaientai.com/tibasanako.htm

 http://www.bakusin.com/sanako.html

|

« 短歌「一九三二年の高知を歩く」。 | トップページ | 仁智栄坊(にちえいぼう)さんの俳句。 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/47506808

この記事へのトラックバック一覧です: 坂本龍馬さんは、千葉佐那子さんと婚約していたはずでは……。:

« 短歌「一九三二年の高知を歩く」。 | トップページ | 仁智栄坊(にちえいぼう)さんの俳句。 »