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2010.03.16

女性「九条の会」高知第五回平和の旅 その四 柏島の震洋隊(しんようたい)の碑。

Photo

Photo_2

 柏島(かしわじま)の続きです。

 震洋隊(しんようたい)のことが胸にどしんときました。
 こんな碑を見ました(写真)。
 震洋の壕の跡につくられたもののようです。
 碑の所に島娘(しまご)の花が咲いていました(写真)。
 島娘は、シャリンバイのことだといいます。
 ここから向かって右手に、あと五つの壕の跡がありました(下の方は、コンクリートでおおわれていますが)。 
 夕方、ふたたび、ここにいたら、青年がやってきました。
 話していたら台湾の中部で土木作業をしていた人で、三千メートル級の山の登山道の左右に日本軍の円形のトーチカがいくつもあるということを教えてくれました(そこへの行き方も教えてくれました)。

 特攻震洋基地跡碑

太平洋戦争の末期昭和二十年六月本土決戦に備え特攻震洋隊員四十八名がここに配置されこの丘の麓[ふもと]の六本の横穴に震洋艇二十四隻を格納し迎撃の機会を待った
危急存亡の時に当って決死殉国[けっしじゅんこく]の盟を結ぶ若い隊員の真心とこれを優しく見守って呉[く]れた島の人々の温情は筆舌に能[よ]く表[あらわ]す事が出来ない以後四十三年戦後の悲惨な荒廃から立ち上がった日本の今日の繁栄は当時生き残った青少年の力に因[よ]ることが大きい
各地の特攻に散華[さんげ]した多くの英霊に無限の感謝を込めて冥福[めいふく]を祈ると共に永遠の世界平和を願う一つの灯火として茲[ここ]にこの碑を建てる
         昭和六十三年十月吉日
         元第一二四震洋隊搭乗員有志

 【碑の裏面】

 柏島震洋隊歌

   半谷達哉 作詩

 二人乗りたる 震洋の
 四十八人 決死隊
 紅顔可憐 颯爽[さっそう]と
 襟[えり]に白絹 搭乗服

 出撃待機の 夜は更[ふ]けて
 しばしの夢は 父母よ
 先立つ不孝 許されよ
 み国の為に 征[ゆ]く生命

 黒潮寄せる 南国の
 夏の渚[なぎさ]に しるしたる
 涙の痕[あと]の いじらしや
 若き誓の なつかしや

 震洋(しんよう)の 碑のわきに咲く 島娘(しまご)花 死に追いつめた あの人のこと

 生きたいの 思いを秘めた 震洋歌(しんようか) 「先立つ不孝」 声あげて読む

 震洋の 隊員たちの あれこれを 語る女性ら 目に涙ため

 「この二階 隊長たちが 寝起きした」 海の近くの 郵便局舎

 兵、予科練 ここにいたのか ブランコが 風に揺れてる 廃校にいる

 【参考】

http://blogs.yahoo.co.jp/repairkitjp/31338192.html

http://blogs.yahoo.co.jp/kita198211/7561577.html

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