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2010.04.30

ライディングリポート 香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 ② 屋島飛行場へ急げ。

 『高松空襲戦災誌』(高松空襲戦災誌編集室。高松市役所。一九八三年三月三十一日)には、陸軍屋島飛行場のことが書かれていました。
 「屋島飛行場は、飛行場を秘匿[ひとく]している屋島神社参道の西側の畑を整地拡張した。また、参道を出た付近の観光道路を約千㍍にわたって拡張し、戦闘機が離着陸できるようにした。
 これは本土決戦の際、特攻機の中継離着場になるとともに、参道に秘匿疎開した飛行機を、高松飛行場[陸軍林飛行場のこと]に秘匿した飛行機を、高松飛行場まで運ぶことなく、直ちにここから発信できるようにしたものと思われる。
 これらの作業は、昭和二十年[一九四五年]春ごろから開始され、林村の飛行場作業場に当たっていた高松中学校の生徒が、付近の住民と共に作業に従事した。
 工事は道路を滑走路幅に広げ、両側に道路と平行して深い溝を掘って、その土を道路との間に盛りあげ、同じ高さにして固めていった。
 基礎には、牟礼や庵治から手ごろな大きな砕石を運んできて敷石した。拡張した部分は芝でおおい、周囲の田畑と見分けがつかないようにした。
 しかし米軍機による偵察で、この所在と目的が察知され、米軍の高松攻撃計画には、指定番号二六〇二標的としてキライ・エアフィールド(キライは帰来で付近の地名)と明示されている。
 この飛行場も使用されないまま終戦となった。」
 高松中学校関係の文献をあたると何かわかるかもしれません。
 また、こうした場合、朝鮮人が使役されていることがあるので、その方面の文献をあたってみる必要がありそうです。
 ほかに、このことを書いている資料はないか。五つの図書館を探しました。
 こんなことを書いた本がありました。
 『牟礼町史』(牟礼町史編集委員会。牟礼町。一九九三年三月二十日)です。
 「本町を縦断する国道一一号の元になった道路は、江戸初期に設けられた浜街道(志度街道)である。そのころの幅員[ふくいん。道路・橋・船などの、はば]は約三・八㍍ぐらいで、高松市高松町東端から小松歯科医院(王墓)の前を通り、柴野製菓の前を右折神櫛王墓前を牟礼川に沿って西林寺前へ出、赤坂を経て皿池の堤防を通り堀越へ、西門寺跡といわれる所で直角に左折し牟礼小学校横を通った。川東の農協大町出張所前から元結峠の一里松を右に見て、幡羅八幡神社前を直進海岸近くに出て、宮前・原浜の家並みの間を志度町に入っていた。
 大正九年(一九二〇)四月の道路法の施行によって、この道路が国道二二号となった。その後観光道路の名称で旧一一号線が中新町から屋島の馬場先を経て白羽神社馬場先近くまで新設された(太平洋戦争末期には、高松町から春日町にかけては飛行機の滑走路として使用するため沿線の民家は疎開し、橋の欄干も切り取られた)。」
 これは、地図を見ながら読み返すと、これは屋島飛行場のことのようです。
 まずは、屋島飛行場へいってみることにしました。

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