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2010.05.04

ライディングリポート 香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 12 林国民学校の講堂での説明会では……。

 陸軍林飛行場づくりのための移転対象は、林村六百戸のうち二百七十五戸で、面積は百八十ヘクタールにおよびました。十二の神社や寺も対象になっていました。
 一九四四年一月二十八日、林国民学校の講堂に関係者全員が集められ、軍の責任者・村田大尉が、飛行場をつくるから立ち退きを了承してもらいたい旨、通達がありました。
 出席者四百人のうちだれ一人として反対するものはいませんでした。
 農会会長・真鍋亀太郎が立って「戦争に勝つために、われわれは血涙をのんで軍の要請に応じよう。しかし、移転先もなく、一時に、この大事業についてできうるかぎりの、あらゆる援助をしてもらわなければ、できがたい」との発言がありました。
 これにたいして「移転補償、資材の配給などについて、軍県ともできうるかぎりの協力をする」確約がありました。
 その日のうちに承諾書の調印がなされました。
 この日のことを『林村史』(高松市役所内林村史編集委員会。一九五八年三月三十一日)は、つぎのように書いています。
 「戦争は残酷にして非情である。多くの若者は、召集され今また家族もろとも、宛[あて]なき立退きに泣く身に、旧正二日の風は冷たく、燈火管制の火は更[さら]に心を暗くする。茫然自失[ぼうぜんじしつ]とは正[まさ]に当時の村民の姿であろう。旧正というに誰一人、新年の挨拶をするものもない。」
 二月一日、小菅芳次県知事が阪本経済部長ほかを連れて林村をおとずれ、関係者一同に「犠牲になる諸君には、まことに気の毒であるが、国の状況やむおえないから、どうか国家の要請に応ぜられたい」とあいさつしました。
 阪本経済部長は、必要な物資は県においてできるかぎり、斡旋することを約束しました。
 
 【参考資料】

 ○ 『高松空襲戦災誌』。高松空襲戦災誌編集室。高松市役所。一九八三年三月三十一日。
 ○ 『高松百年の歴史』。高松百年史編集室。高松市。一九九一年。

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