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2010.05.05

ライディングリポート 香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 28 「Takamatu」(陸軍林飛行場)、「Kirai Airfield」(陸軍屋島飛行場)も標的に。

 前述しましたが、アメリカ軍は、高松市(陸軍屋島飛行場をふくむ)、陸軍林飛行場を空撮していました。
 一九四五年五月二十八日に高度約一万メートルから連続撮影した写真です。
 「40 3PR5M246 1V 5-28 F-1531 35000」、「41 3PR5M246 1V 5-28 F-1531 35000 REST」です。
 こうした資料にもとづいてアメリカ軍は高松市とその周辺への空爆を準備していました。
 「アメリカ戦略爆撃調査報告書」・第二十航空軍司令部の「第二十一爆撃隊本部作戦任務報告書」を見てみましょう。
 これは、一九四五年七月三日から四日にかけておこなわれた「高松、徳島、高知、姫路焼夷弾(しょういだん)攻撃報告」です。
 テニアンから飛び立った第五十八航空団は高松に向かいました。
 編成は、十二機の案内機、百二十機の爆撃機、二機の大型飛行艇をふくむ計百三十四機でした(実際に高松上空に達した機数は、案内機をふくめて百十六機でした)。
 この航空団は、陸軍林飛行場、陸軍屋島飛行場も標的にしていました。
 標的の指定番号付で「Takamatu」、「Kirai Airfield」と、書かれているのがそれです。
 「Takamatu」は、陸軍林飛行場のことです。
 「Kirai Airfield」は、陸軍屋島飛行場を意味します。Kiraiは、帰来。陸軍屋島飛行場のあった帰来(古高松の一部の地名)のことです。
 同航空旅団は、松到着の午前二時五十六分から攻撃を開始、一時間四十六分間、焼夷弾、爆弾を投爆し、帰還しています。
 屋島で、この空襲を体験した屋島国民学校一年生男子の手記があります。 
 「入学後の[屋島国民]学校で、敵機来襲の『警戒警報』が出ると、防空頭巾を被って地蔵寺東側や屋島登山道沿いの谷間に身を隠し、爆音が近づくと、身をかがめ下向姿勢で頭を抱え息を殺すようにひそめ合ってた。
 学校の授業も程[ほど]なく中止。各地区の集会所へ机・椅子などを運び込み、午前は一年生~四年生、午後は五~高等科二年生による学年混在の分散授業方式になった。
 戦況はいよいよ厳しさを増し、『高松の街も遅かれ早かれ危ないぞ』の風評で不安も高まる六月二十九日未明、対岸の岡山市が[アメリカ軍の]空襲を受けた。その日は、夕暮れ時になっても真っ赤な火炎で西空が暗くならない程であった。
 『高松もいよいよぞ!』の噂は、ますます現実味を帯び、『どこどこの納屋には高松から家財が運ばれてきた』とか、『家財類を運ぶ大八車を借りに来た』という噂が飛び交う様[よう]になった。
 昭和二十年[一九四五年]七月三日、田植えも終えた半夏(はんげ)の猛暑で寝苦しい夜半。十一時頃に警戒警報が出てB29の爆音が十二時頃まで続くも、何故か空襲はなく解除。(中略)
 やっと寝床につき熟睡した七月四日の午前三時前。『空襲や!』の声で叩き起こされ自宅裏の屋島山中へ避難しました。上空は異様な爆音が響き、高松市街のあちこちからは次々と火の手があがり、所々で大きな建物火災をあげて崩れ落ちていくのが見えた。『あれは赤十字病院じゃ…ああ、四国ドッグの寮も』。
 周りで人々の嘆き声の様なつぶやきが聞こえた。そんな中で、高松築港の東側からは高射機銃砲弾が三十発程あがり、上空でしばらく円形状になって点々と輝きを放った後、花火空の様にポッポッと次々に消えていった。
 その時である。エタバイ(現健康ランド)辺からも、タンタンタンと重硬く高い音を立てて、三十発程の火玉が夜空に上がっていった。『高射(機銃)砲や!』。誰かが叫んだ。『全然当たらんな』。上空では砲弾をからかう様に敵機の爆音が鳴り響き続けていた。
 高松と屋島の両方から、何度か砲撃が行われたが敵機を撃ち落とす様な事はなく、上空では爆音と炸裂音が続いた。
 と突然頭上がピカッと異様な光と炸裂音が同時にして、焔の大玉がふんわりと浮き落ちる様に落下してきた。『爆弾や!』。小刻みにガチガチ歯音が鳴り全身の震えが止まらない。大きな焔の玉は火玉状で分散し、ゆっくりと南方向に流れ落ちていった。
 空襲の爆音は、それからも延々と続き、夜もしらむ五時前にやっと消えた。」(『屋島風土記』。屋島風土記編纂委員会。屋島文化協会。二〇一〇年三月二十五日)。
 七月三日、十一時ころから十二時ころまでのB29の爆音は、姫路、徳島空襲の通過飛行音でした。
 七月四日の空襲時に屋島に落とされた焼夷弾(しょういだん)は、現在地にすると、屋島小学校あたりから、東南方面の浜中集会所周辺を通って東行き山沿いの中筋集落~地蔵寺まで、おおよそ、南北百メートル幅、東西八百メートルの地域で投下されました。ほかにも、山上霊巌の旅館、潟元駅西側の家も被災。焼失家屋は、およそ二十戸(浜中一、中筋六ほか)でした。
 「第二十一爆撃隊本部作戦任務報告書」は、「Takamatu」、「Kirai Airfield」については「Non visable」(目に見える損害なし)としています。
 「(陸軍林飛行場の部隊は)特攻機援護を任務とする戦闘部隊であったうえ、本土決戦に備えて飛行機の温存を命じられていたため、七月四日の空襲にも、以後の艦載機の来襲にも三十機の飛行機は一機として飛び立つことがなかった。そのため被災した市民から非難を受けた。」(『高松空襲戦災誌』。高松空襲戦災誌編集室。高松市役所。一九八三年三月三十一日)。

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