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2010.06.07

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 55 陸軍端岡(はしおか)・国分飛行場は、ここにありました。

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 陸軍端岡(はしおか)・国分飛行場について、前に書いたことと少しだぶりますが、紹介します。
 『さぬき国分寺町誌』(国分寺町誌編纂委員会。国分寺町。二〇〇五年三月)の「終戦後の村」の項に、こうあります。
 「(国分寺町国分字東滑走路、国分寺町国分字西滑走路は)戦争中に道路を滑走路として使用することを目的として作られたものだという。東端が端岡山で、西へ約一㌔㍍、幅五〇メートルの道路であった。今は県道33号となっている。多くの田がつぶされ、宅地も壊された。」
 「戦後耕地整理組合がつくられ、この道路を元の田に帰すことになった。昭和二十三年(一九四八)から昭和二十七・八年(一九五二・三)ごろまでかかった。道を田に帰すということで、引揚者や近くの農家の人が出て、水路も残して元の田に作り上げた。」
 なお、高松市の四国財務局に行き、香川県の陸軍の林飛行場、屋島飛行場、国分寺飛行場、飯野山飛行場について開示を求めていた行政文書を開示していただきました。結論は、林飛行場の土地は国有財産になっていたが、他の三つの飛行場の土地は国有財産になっていませんでした。
 高松市国分寺支所にお願いして、「国分寺町国分字東滑走路地図」とを「国分寺町国分字西滑走路地図」を見せていただきました。
 前者は、「綾歌郡端岡村国分耕地整理組合 確定図 弐枚内壱号 縮尺六万分ノ一」と書かれたものです。
 後者は、「綾歌郡端岡村国分耕地整理組合 確定図 縮尺六万分ノ一 弐枚ノ内二号」と書かれています。
 添付資料では、後者は長いので二枚にしてあります。
 上が東です。

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コメント

 財務局へ質問状を出して、回答を求めてみるのも、一つのテではないかと思います。
 海軍の秘匿飛行場は国有財産台帳の記載があるが、陸軍の秘匿飛行場は国有財産台帳へ何故記載されていないのか?除外されている理由は何か?
 ①陸軍省所轄の国有財産は1945年11月30日付で大蔵省へ移管されているが、移管されなかったのか?②移管されたが国有財産台帳へ記載されなかったのか?

投稿: 池田 | 2010.06.08 07:23

シンポでは忙しくて何もお話できませんでしたが、資料紹介や分析などについて、色々お話ができたらと思います。先日、福井さんとも、そういう話をしました。自分がしている調査について、情報交換をしあいたいですね。

投稿: 池田 | 2010.06.08 12:53

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