« 英語で日記 Cloudy,Tuesday,June.22,2010 優しい心遣いに「ありがとう」。 | トップページ | 英語で日記 Cloudy,Wednesday,June.23,2010 「本気で学ぶやつはいないのか!」。 »

2010.06.23

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 59 倉敷飛行機株式会社坂出製作所で、木製飛行機の製作をつくっていました。

 ところで当時、香川県の陸軍には、どんな飛行機が何機、配備されていたのだろうかと調べていました。
 そんななかで、とんでもないことを知りました。

 一九四五年一月から倉敷飛行機株式会社坂出製作所(倉紡坂出工場)で、木製飛行機の製作を開始したというのです(『坂出市史 年表』。坂出市史編さん委員会。香川県坂出市。一九八三年四月一日)。

 木製飛行機といえば、陸軍戦闘機のキ106(立川飛行機の設計。立川飛行機、富山の呉羽飛行機、北海道江別の王子航空機=王子製紙)、キ113(中島飛行機)が知られています。

 同社のことを調べました。

 倉敷紡績株式会社が航空機部を新設したのは一九四三年一月でした。
 同年十一月、同社は、大日本航空株式会社所有の東京飛行機の株式全部を譲り受けました。
 そして、倉敷紡績株式会社高松工場は、同年十二月四日、東京飛行機株式会社高松製作所になりました。
 同製作所は、四四年十月、倉敷飛行機株式会社高松製作所に名称を変更しました。
 四五年初め、倉敷紡績株式会社坂出工場は、倉敷飛行機株式会社坂出製作所になりました。
 市立高松高等女学校の四年生は、この高松市松島町の倉敷飛行機工場に動員されました。
 アメリカの空襲激化のなか、軍需省は倉敷飛行機株式会社高松製作所の工場疎開を指示しました。
 会社側は、疎開地として香川県牟礼村を選定し、ここに分散式半地下工場の建設を指示しましたが、工事半ばにして七月四日のアメリカ軍の空襲で高松製作所は全焼しました。

 【参考文献】

 ○ 『香川県史 第六巻 通史編 近代Ⅱ』。香川県。一九八八年三月三十一日。

 ○ 『回顧六十五年』。倉敷紡績株式会社社史編纂委員。一九五三年九月五日。

|

« 英語で日記 Cloudy,Tuesday,June.22,2010 優しい心遣いに「ありがとう」。 | トップページ | 英語で日記 Cloudy,Wednesday,June.23,2010 「本気で学ぶやつはいないのか!」。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

 残念ながら、第百飛行団の復員記録は、人員のみで、兵器などはありません。
 陸軍も兵器目録は作成されたと思われますが、何故か現存していません。不思議です。
 従って、アメリカ占領軍が作成した接収兵器目録が、一番の資料です。

 木製飛行機とは、練習機ではないかと思います。愛媛では、家具工場で「愛媛航空工業組合」を結成して、倉敷飛行機の下請工場となっていたようですが、囮飛行機も作っていたようです。
 宇和島の家具工場では、海軍機Y20(陸上爆撃機銀河)の実物大の囮機が作られています。
 終戦間際に、わざわざ囮飛行機を作っていた事が分かります。

投稿: 池田 | 2010.06.24 09:05

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/48703492

この記事へのトラックバック一覧です: 香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 59 倉敷飛行機株式会社坂出製作所で、木製飛行機の製作をつくっていました。:

« 英語で日記 Cloudy,Tuesday,June.22,2010 優しい心遣いに「ありがとう」。 | トップページ | 英語で日記 Cloudy,Wednesday,June.23,2010 「本気で学ぶやつはいないのか!」。 »