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2010.07.31

歴史の自習の時間 ナチス党の御用教育学者、エルンスト・クリーク。

  教育学概論のノートを見直していたら、クリークのことが出てきました。
 あのエルンスト・クリークです。
 詳しくメモしておくことにします。

 ● クリーク [ 日本大百科全書(小学館)]

 Ernst Krieck(1882―1947)

 ドイツの教育学者。(中略)ヘルバルト以来の従来の教育学を個人主義的、規範的、技術的教育学であると批判し、それに対して現実的、客観的事象としての教育事実の叙述、認識を目的とする教育科学(中略)の樹立を唱えた。彼によれば、教育とは、他の社会機能と密接な連関をもつ社会の根源的機能であり、社会が生活秩序、価値などの文化を通してその成員を類型同化する過程であるとされた。しかも、社会の包括的、本源的母体を民族国家と考え、これを諸機能の統一原理とすることにより、その教育科学は民族主義的、国家主義的性格を濃厚にした。
 主著『教育の哲学』(1922)、『文化民族の教育組織』(1927)などにおける彼の教育理念や、『自由ドイツ学校』誌上での中央党、社民党への攻撃は、ナチス政府の迎えるところとなり、彼はその理論的イデオローグの役を果たすこととなった。

[ 執筆者:舟山俊明 ]

 ● 以下、データは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

 エルンスト・クリーク(1882年6月6日 - 1947年3月19日)は、ドイツの教育者で、著述家、大学教授。ナチス党の御用教育学者として知られる。
 フェーゲルスハイムの生まれ。
 実科学校を卒業後、カールスルーエの教育養成所に進む。
 その後、国民学校の教師になり、教育のあり方を機械的で、官僚的過ぎると批判。この時期、独自に自身の教育観を築き上げていく。
 1910年、最初の著述『人格と教育』を出版。1917年には『ドイツの国歌理想』、1920年には『科学の革命』、そして1922年に『教育の哲学』が出る。この本により、ハイデルベルク大学で名誉博士号を取得した。
 その後4年間、自由な著述家として専念し、1928年フランクフルト・アム・マインの教育養成大学に招聘される。しかし、1931年の夏至祭りで「第三帝国万歳」と叫んだことで、ドルトムントの教員養成大学に懲戒転任させられる。
 それでもなおルール地方でもしばしば政治的な発言を繰り返す。
 1932年クリークはドイツ国家社会主義教員同盟の一員となり、合わせてナチス党員となる。
 その年、フランクフルト・アム・マインのフランクフルト大学の学長となる。そこで哲学と教育学の教授職を担当した。この地位に、第二次世界大戦の終結まで留まっている。

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