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2010年8月

2010.08.01

行きたい所  香川県三豊市の宗吉瓦窯跡史跡公園・宗吉かわらの里展示館。

  香川県三豊市の宗吉瓦窯は、同市豊中町の妙音寺の創建にともない、七世紀中頃に瓦の生産を始めました。
 丸亀市郡家町の宝幢寺や持統天皇が六九四年に造った藤原宮でも宗吉瓦が使われています。

 【宗吉瓦窯】

 ① 十七号窯は長さが約十三メートルで、日本一長い瓦窯です
 ② 瓦窯が二十四基あるのは、当時としては日本一です
 ③ 藤原宮で使われている瓦で、日本一遠くの場所で焼いた窯です

 史跡公園…見学自由
 展示館…開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
 休館日…月曜日(祝日・振替休日の場合は開館。その翌日は休館)
 入館料
 中学生以下…無料
 15歳以上…100円、団体割引は70円(20人以上)
 入館料免除…65歳以上の方、身体障害者手帳、医療手帳、精神障害者保健福祉手帳をお持ちの方

  問い合わせ 宗吉かわらの里展示館 ☎0875-56-2301
(月曜休館、入館料 中学生以下・65歳以上無料、15歳以上100円)

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歴史の自習の時間 鸕野讚良(うののささら)が天皇になるまで。

 【三人の姉妹とともに父の弟の妻に】

 鸕野讚良(うののささら。六四五年~)の父は中大兄皇子(天智天皇)、母は遠智娘(おちのいらつめ)です。六五七年、十三歳のときに、父の同母弟の大海人皇子(後の天武天皇)に嫁しました。
 中大兄皇子は、彼女だけでなく大田皇女、大江皇女、新田部皇女の娘四人を弟の大海人皇子に与えました。
 [中大兄皇子の所業は、あまりにもひどい。]

 【壬申の乱(じんしんのらん)】

 六六一年、鸕野讚良は、夫とともに天皇に随行し、九州まで行きました。その地で六六一年、草壁皇子を産みました。
 翌年、大田皇女が大津皇子を産みました。 六六〇年代後半、都を近江宮へ移していた天智天皇は、弟の大海人皇子を皇太子に立てていましたが、天智天皇は、六七一年十一月二十六日、自身の皇子である大友皇子(おおとものみこ)を太政大臣につけて後継とする意思をみせ始めました。
 その後、天智天皇は病に臥せます。
 大海人皇子は大友皇子を皇太子として推挙し、みずから出家を申し出、吉野宮(奈良県吉野)に下りました。
 このとき、鸕野讚良は、草壁皇子を連れて従いました。
 十二月三日、天智天皇が四十六歳で死去します。
 大友皇子が後を継ぎますが、年は二十四歳でした。
 大海人皇子は、翌、六七二年に決起して乱を起こしました(壬申の乱)。
 この乱は、天智天皇の太子・大友皇子に対し天智天皇の皇弟・大海人皇子が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものです。
 鸕野讚良皇女は、わが子・草壁皇子、母を異にする大海人の子・忍壁皇子を連れて、夫に従い美濃に向けた脱出の強行軍をおこないました。
 疲労のため大海人一行と別れて伊勢にとどまりましたが、『日本書紀』には大海人皇子と「ともに謀を定め」たとあります。
 この乱は、反乱者である大海人皇子が勝利しました。

 【大海人皇子が天皇になると……】

 大海人皇子が乱に勝利して六七三年に即位すると、鸕野讚良皇女が皇后に立てられました。
 『日本書紀』によれば、天武天皇の在位中、皇后は、ずっと天皇を助け、そばにいて政事について助言しました。
 皇后は病を得たため、天武天皇は、薬師寺の建立を思い立ちました。
 六八一年、天皇は皇后をともなって大極殿にあり、皇子、諸王、諸臣に対して律令の編纂を始め、十九歳の草壁皇子を皇太子にすることを知らせました。
 六八五年頃から、天武天皇は病気がちになり、皇后が代わって統治者としての存在感を高めていきました。
 六八六年七月、天皇は「天下のことは大小を問わずことごとく皇后および皇太子に報告せよ」と勅し、持統天皇・草壁皇子が共同で政務を執るようになりました。
 大津皇子は草壁皇子より一歳年下で、母の身分は草壁皇子と同じでした。
 草壁皇子が皇太子になった後に、大津皇子も朝政に参画しました。

 【天武天皇の死後】

 六八六年十月一日の天武天皇の死の翌日に、大津皇子は謀反が発覚して自殺しました。川島皇子の密告といいます。具体的にどのような計画があったかは史書に記されません。
 六八九年四月、草壁皇子が病気で亡くなりました。
 ?野讃良は、みずから即位することにした。
 その即位の前年、六八九年、前代から編纂事業が続いていた飛鳥浄御原令を制定、施行しました。

 【即位してから】  

 六九〇年二月十九日に即位した後、持統天皇は大規模な人事をおこない、高市皇子を太政大臣に、多治比島を右大臣に任命しました。一人の大臣も任命しなかった天武朝の皇親政治は、ここで修正されることになりました。
 持統天皇は、藤原京の造営を始めます。
 藤原京は、六九〇年に着工され、飛鳥浄御原宮から六九四年に遷都しました。完成は七〇四年といわれます。
 持統天皇は、官人層に武備・武芸を奨励して、天武天皇の政策を引き継ぎました。
 墓記を提出させたました。
 民政においては、戸籍を作成しました(庚寅の造籍)。
 六八七年七月には、六八五年より前の負債の利息を免除しました。
 奴婢身分の整頓を試み、百姓・奴婢に指定の色の衣服を着るよう命じました。
 持統天皇は、柿本人麻呂に天皇を賛仰する歌を作らせたました。人麻呂は官位こそ低かったものの、持統天皇から個人的庇護を受けたらしく、彼女が死ぬまで「宮廷詩人」として天皇とその力を讃える歌を作り続け、その後は地方官僚に転じました。
 天武との違いで特徴的なのは、頻繁な吉野行幸です。
 他に伊勢に一度、紀伊に一度の行幸を記録します。
 持統天皇は、天武天皇が生前に皇后(持統)の病気平癒を祈願して造営を始めた大和国の薬師寺を完成させ、勅願寺としました。
 外交では前代から引き続き新羅と通交し、唐とは公的な関係を持ちませんでした。新羅に対しては対等の関係を認めず、向こうから朝貢するという関係を強いました。日本からは新羅に学問僧など留学生が派遣されました。

 【譲位した後に】

 持統天皇は、八月一日、十五歳の軽皇子に譲位しました。文武天皇です。
 持統は太上天皇(上皇)になりました。
 譲位した後も、持統上皇は、文武天皇と並び座して政務を執りました。
 持統天皇は七〇一年、吉野行きをおこないました。
 翌年、三河まで足を伸ばす長旅に出て、壬申の乱で功労があった地方豪族をねぎらいました。
 七〇二年十二月十三日に病を発し、二十二日に死去しました。

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歴史の自習の時間 讃岐で焼いた互が藤原京の建造に使われ、それが平城京に。すごいね。古代の歴史。

 七世紀後半、讃岐には約三十か所の寺院がありました。
 権力者たちは、前時代の前方後円墳にかわって、寺院をつくりはじめていました。

 香川県三豊市三野町に宗吉互窯(むねよしがよう)跡があります(実は、きょう行ってきました) 。
 そこは、三豊市の宗吉互窯跡史跡公園になっていて、近くに宗吉かわらの里展示館があります。
 同互窯跡からは二十四の互窯と掘立建物跡(工場跡か)が発掘されています。
 七世紀中ごろ、この互窯から南に五キロメートル離れた同市豊中町の妙音寺の創建のための互を焼くためにつくられました。
 十七号互窯(最も古い。全長十三メートル)、十一号互窯、二十四号互窯を使用しています。
 その後、北東へ約十二キロメートル離れた香川県丸亀市の法幢寺(ほうどうじ)創建のための瓦を供給しています。
 八号互窯が使われています。
 そして、藤原京づくりにあたって、ここへの瓦の供給が始まります。
 三号互窯、六号互窯が使われています。
 これらは、藤原京の南面大垣に葺(ふ)かれました。
 藤原京から二百キロメートル離れた場所で焼かれた互が使われたわけです。
 このことは、三号互窯から出土した複弁八葉蓮華文軒丸互が、藤原京跡から出土した軒丸瓦と形状、模様、模様についている傷が同じだったことからわかりました。
 軒丸互をつくるときは、凹凸を逆に彫った木の型に粘土を入れ、丸互をとりつけ、接合部分をとりつけて……というかたちでつくっていきます。しかし、同じ型を使うため、何度も使っているうち型に傷がつき、それが粘土にも反映します。
 その傷までもが同じだったのです。
 その後の調査で、ここから出土した軒丸互五つ、軒平互三つが藤原京跡から出土した瓦と同じだったことがわかりました。
 当時、同互窯を乗せた船は、三野津(三野郡の港)に近く(いまは地形が変わって海から遠くなっていますが)、この港から海に出て、難波津に着き、大和川、飛鳥川を航行し、藤原京にいたりました。
 なお、藤原京をつくるための互は、奈良盆地、阿波、淡路、和泉、近江の互窯からも供給されていました。
 平城京で使われていた互は、のちに平城京をつくるときに、平城京に持っていかれました。
 宗吉互窯が藤原京に供給していた複弁八葉蓮華文軒丸互、編行変形唐草文軒平互も、平城京づくりにつかわれました。
 その後、同互窯跡からは、山田寺系互を妙音寺に供給しています。

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歴史の自習の時間 金日成による朝鮮戦争の悪影響。

 アジア太平洋戦争後の歴史において、金日成による朝鮮戦争の悪影響は特筆しておく必要があります。

 以下、のちほど、じっくり語りたいと思っています。

 今晩は結論だけ。

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2010.08.02

随筆 ピッチャーとバッター。 

 今夜(八月二日)は、すごく高揚しています。
 夕方、私の通っている「丘の上の大学」の前期の試験が、すべて終わったのです。
 十四科目分の成績のための資料を先生方に提供し終わりました。
 すべて合格すれば三十単位になります。
 ことし四月、この大学に三年次編入して以来、私は、よくがんばりました。
 来る日も来る日も勉強しました。
 まず授業にはほとんど出ました(一科目一回だけ休講と勘違いして欠席しました)。
 ノートはA4のものと決めました。とにかく、先生のおっしゃることは、すべて再現できるほどにメモしました(所々、ペンのシミがありますが、これは不覚にも一瞬、宇宙遊泳したときの証拠です)。ノートは、それぞれの科目につき二、三冊になりました。
 押し寄せるリポートの要求と、試験が大変でした。
 試験は、出題する先生がピッチャーで解答する学生がバッターです。
 ピッチャーの「やり口」を研究し、どう塁に出るか。バッターも必至です。
 こんどの試験には、いくつかのパターンがありました。
 一、だいたいのテーマを示し、試験当日にはノートなどの持ち込み不可のもの。
 実は、これが一番大変でした。
 事前にノートを読みなおし、調査をして、パソコンでいくつかの「解答」をつくりました。
 初めは大筋を書いた長いものを書きました。そして、この内容を懸命に覚えました。
 試験が近付くと、それをA3一枚に縮めました。それを懸命に覚えました。
 直前になると、その内容を図や絵にして、頭にたたききこみました。
 配られた試験用紙を表にし、問題を目にしたとたん、「試験の神様」が私の頭に入りこんできました。「さぁ、書きなさい」。神様の、おっしゃるとおり鉛筆を走られました。
 二、教科書のみ持ち込みOKのもの。
 これは一科目でした。前夜に、教科書を読みなおしました。
 あまり暑いので水風呂に入って数時間の苦行をしました。
 試験当日、ものすごい量の問題が出ました。言葉の概念と、その内容が中心です。
 マシーンのように(このマシーンは、かなり、動きが悪くなっていますが……)教科書の該当部分を探し出し、制限時間いっぱいでセーフ。
 これが今期の最難関コースでした。
 三、ノートの持ちこみOKのもの。
 とにかく、ノートを充実させました。
 じっくり読みなおすと、「こんなにすごいことを教わったのか」と、いまさらながら感心しました。
 一科目だけ、一つだけ、用語の説明が書けませんでした。終わってから先生がなぐさめてくれました。「年がいったら試験は大変ですよね」。トホホ……。
 四、何を持ってきてもOKというものです。辞書もOKだといいます。
 これには驚愕(きょうがく)しました。実は、授業中、「これで、このことは証明されたといえるだろうか」と、ずーっと考え込んでいたからです。何を持ちこんでも、わからないものはわからない。
 この試験のために、特別の努力をしました。
 試験問題はA3用紙に一問でした。
 いくつかの問題を想定して書いてきた、いくつかのメモを総動員して、書きました。
 「これは、難しすぎて単位はとれないな」と思っていただけに、試験が終わってから、ものすごい爽快感(「私も、できるんだ」)がありました。
 「藤原義一さん、よくがんばりましたね。すべての科目が優ですよ」
 私が先生だったら、私に、こんな評価をしたい。
 試験中、高知市に住んでいる妻から、こんなメールが来ました。
 「テスト、がんばってください。昔から夢で『テストでの苦戦』を見ていたけど、今の予言? ともあれ、私も中国語では毎週、テストのようなものです。おたがい、がんば!」
 高知大学の学生だったとき、彼女は同じ文理学部文学科の一年下でした。
 彼女は優等生でしたが、私は劣等生でした。
 結局、四年生になる前に大学を辞めました。
 そのころ、その後を知っているからこそのメールでした。
 さて、明日から夏休みです。
 今夜、演習の研究のための取材を二件申し込みました。
 演習の研究のために東京の防衛省の図書館に一週間ほど通うことにしています。
 そして、古墳の発掘への参加、博物館実習のための一泊旅行があります。
 九月十五日の新学期まで、私の「夏休み勉強計画」が続きます。

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短歌集 「前期試験はヘビーだった。」。

 最終の 試験は一問 A3に ぴったりおさめ 悦にいってる

 風邪ひかず 遅刻もせずに 乗り切った 試験らの顔 思いだしてる

 試験後の ポストにまします 短歌誌を ありがたく読む 歌友(とも)は元気か

 つぎつぎと 取材の約束 取りつける 試験を終えた 夕の楽しみ

 夏休み 体をきたえ 学びたい 日程表は 真っ黒になる

 老いらくの 試験体験 エッセイに まとめています 長過ぎたかな

 「冷房の 機械はどこだ」 一間でも 見失ってる 汗だくの夜

 「あす夜中 帰るつもりだ」 えらそうに 電話している 老学生が

 十超える 試験の球を 打ち返し 大関飲んでる 恩師を思い

 試験終え お祝いのかず いま鍋に 今夜のうちに 炊き上げたいもの

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短歌 「フン」なんて うそぶく癖(くせ)が僕にはあるんですよ。困ったもんだ。

 「フン」なんて うそぶく癖(くせ)が 僕にある

 まぁ、いまのとこ

 独りのときだけ

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2010.08.03

短歌 裏返しのパンツやシャツのこと。

 裏返し パンツやシャツを 着こんでる

 だーれも知らない

 僕の勝手さ

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2010.08.04

英語で日記 Sunday,August 1th 2010 宗吉かわらの里展示館。

Sunday,August 1th 2010 宗吉かわらの里展示館。

 朝から香川県三豊市三野町に向かいました。
 目的地は、宗吉かわらの里展示館です。
 JRの、みの駅で下車しました。
 公衆電話でタクシーに来てもらいました。
 数分で、宗吉かわらの里展示館に到着しました。
 ここには、瓦の窯が二十四のあったそうです。
 ここで、ビデオや展示を見ました。
 ここのビデオや展示を見て、ここで、いつころ、どんな互が焼かれていたのか、どこに供給されていたのかがよくわかりました。
 ここから、二百キロメートル離れた奈良の藤原京に互が供給されていたといいます。
 研究者が、そのことを証明したことに感激しました。

Sunday August 1st 2010 The exhibition pavilion of tile of Muneyoshi.

I faced Kagawa Prefecture Mitoyo city in the morning.
My destination is The exhibition pavilion of tile of Muneyoshi.
I got off at JR Mino station.
I called a taxi.
It took few minutes to the exhibition pavilion of tile of Muneyoshi.
There were 24 tile kilns there.
I saw a video and the exhibition here.
It is said that the tile was carried to Fujiwarakeyou of Nara.
Fujiwarakeyou was away from here by 200 kilometers.
I was deeply moved that the researcher prooved that.

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 67 林飛行場ちかくの日山のふもとの十の掩体(えんたい)の役割。

 八月二日午前十時ころから高松市のアジア太平洋戦争中に陸軍林飛行場のあった地域に向かいました。
 近現代史研究者のMさんと会い、彼に同市三谷(みたに)の日山(ひやま。標高一九一・六メートル)のふもとに連れて行ってもらいました。
 彼が入手したアメリカ軍機が一九四五年五月二十八日に撮影した、この地域の写真には、林飛行場から、この山のふもとに二つの道路が延び、それにつながる、この山のふもとの南北に弧を描く形で道路があり、その内側に十つの四角い空白地帯が並んでいます。その空白地帯の中に黒い点のあるものもあります。
 写真を見ると、いかにも、この十の空白地帯に陸軍林飛行場の飛行機が置かれているように見えます。
 これが何だったかというのが、この日のテーマです。
 当時、ここは、香川県木田郡三谷村でした。
 地元の男性KOさん(一九三三年五月生まれ)に話を聴くことができました。
 彼は、当時、近くの三渓(みたに)国民学校(いまは、高松市立三渓小学校)の六年生でした。
 彼によると、南の端の四角い空白地帯には、いま、株式会社たまもが建っています(高松市三谷町二一一八)、そのとなりの空白地帯は、ちょうどいま整地されて工事中の所です。
 これらの空白地帯には掩体(えんたい)があり、その中に実物大の模擬飛行機が入っていたといいます。
 掩体というのは外側が開いた「コ」の字形の土でつくったもので、高さは約二メートルあったといいます。
 なお、同地域の漆原家の屋敷地と、その周辺には軍隊が分駐していました。
 この、ニセの飛行機置き場を狙ったと思われるアメリカ軍機の襲撃もあったといいます。
 『三谷郷土史』(三谷郷土史編集委員会。高松市立三谷公民館内 三谷郷土史編集委員会。一九八八年一月)につぎのようなことが書かれています。
 ・ 一九四五年七月二十四日、B29爆撃機が、この地域に三十キロ爆弾を投下。それは、平石部落の喜多喜八郎さん宅に命中し、家は破壊、火災を起こし、二女・喜多愛さん、近くの蓮井サエさんが被爆によって死亡しました。喜多喜八郎さん所有の役牛も死亡しました。
 ・ 同年八月八日、アメリカ軍の艦載機数十機が陸軍林飛行場を襲撃、西三谷の畑本ユキさんが被弾して死亡しました。

 前述の写真を見ると近くの由良山(標高一二〇・三メートル。高松市由良町)にも、陸軍林飛行場から道路が二本つながっています。その道路の先には、それぞれ一つ空白地帯があります。
 この山には、防空壕が二つ残っているといいます。
 ここにも近々、いってみたいと思っています。

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英語で日記 Monday,August 2nd 2010 前期の試験のすべてが終わりました。

Monday,August 2nd 2010 前期の試験のすべてが終わりました。

 晴れ。

 四つの試験を受けました。
 二つ目の試験は失敗しました。
 この試験問題の用語の説明が一つ書けませんでした。
 この二年半、たくさんの試験を受けました。
 しかし、問題に答えられなかったというのは初めての体験です。
 非常に悔しい思いをしました。
 最後の試験は、私にとっては非常に歓迎する試験問題でした。
 問題の用紙は、A3用紙に一枚で、問題は一つに、何々についてのべよというものでした。
 喜んで三十分で書き終えました。
 それで、解答を読みなおし、誤字などを直しました。
 この科目の先生は、執拗に事実に迫る研究者という感じの人です。
 後期も、この先生の授業を取りたいと思っています。
 これで、私の前期の試験は、すべてが終わりました。

 夜、四月からやっている研究のために二人のかたに取材の約束をとりつけました。

Monday August 2nd 2010 All of the examination at the first term ended.

Fine.
 
I took four examinations.
The second didn't go well.
I was not able to write one explanation of a term in the question.
I took a lot of examinations in this two years half.
However, it was my first experience that I couldn't answer a question.
It was very mortifying.
The last examination was very welcomed for me.
The form of the question was A3 size and, I had to describe about a question.
I was gald to write them and finished writing in 30 minutes.
And, I read the answer again, and mended the erratum etc.
The teacher of this subject is a researcher who obstinately approaches the fact.
I want to take this teacher's class at latter term.
Everything ended in my examination at the first term by this.

I set up an appointment with two people to interview for my research that have been done since April at night.

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英語で日記 Tuesday,August 3nd 2010 アメリカ軍機が写した十の空白地帯。

Tuesday,August 3nd 2010 アメリカ軍機が写した十の空白地帯。

 晴れ。

 午後、近現代史研究者のMさんに、高松市三谷(みたに)の日山(ひやま。標高一九一・六メートル)のふもとに連れて行ってもらいました。
 彼は、アメリカ軍機が一九四五年五月二十八日に撮影した、この地域の写真を入手しています。
 その写真には、この山のふもとの十つの四角い空白地帯が写っています。
 これが何だったかというのが、きょうのテーマです。

 夕方、高速バスで高知市の私たちの家に向かいました。
 原水爆禁止世界大会が、広島市で開かれています。
 妻は、それに参加するため広島に向かいます。
 彼女が、家に帰ってくるのは六日の夜中です。
 それまで、私が、家に居て私たちのネコの世話をすることになったのです。

Tuesday,August 3nd 2010 Ten blank zones that airplane of the U.S. Army took.

Fine.

I walked to the foot of Hiyama mountain in Mitani, Takamatsu city with a history researcher Mr. M in the afternoon.
He has obtained the photograph in this region which the U.S. Army machine took a picture on May 28, 1945.
Ten square blank zones in the foot in this mountain were taken in the photograph.
It is today's theme what this was.

I faced to my house in Kochi city by a high-speed bus in evening.
World Rally against A & H Bombs is held in Hiroshima city.
My wife heads for Hiroshima to participate in it in early morning, tomorrow .
It will be the middle of the night on sixth when she will come back home.
Till then, I am in the house and have to take care of our cat.

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2010.08.06

短歌集 このごろの夢。

 弟が 庭で育てた スイカ切る
 真っ赤っかの
 いい出来である

 勉強の 成果ばっちり
 このごろは
 夢の舞台は 古代の世界

 ドア開けて 「ニャンニャンニャン」を 入れている
 夜中遊びの
 われらの娘

 四つもの 「追試できます」 メール来る
 「さて、わが成績は」
 発表前夜

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英語で日記 Wednesday,August 4 2010 極小のジャングル。

Wednesday,August 4 2010 極小のジャングル。

 晴れ時々雨。

  妻が、早朝、広島市に向かいました。

 あらためて、わが家の庭の畑を見ました。
 弟が管理している部分は、ととのっていてスイカも十個実っています。
 僕の管理している部分は、荒れ果てています。
 前に私が植えていた植物が好きなように伸びているのです。
 それは、極小のジャングルのようです。
 でも、私は、こんな感じの畑が好きです。

 大学を卒業して、この家に帰ってきたら、この畑の近くに寝転んで、本を読んでみたいと思っています。

 一日中、『高知の戦争 証言と調査』十号の原稿を整理しました。

 高知県立高知短期大学を受ける十七歳の女性とメールで対話しました。

Wednesday August 4th 2010 Minimum jungle.

Occasional fine rain.

My wife faced to Hiroshima city early morning.

I saw field in the garden of my house again.
There is a part that my younger brother manages and ten watermelons bear fruit, too.
The part that I manage has been ruined.
Plants that I planted before have grown freely.
However, my field is like this.
It is like a minimum jungle.
When I graduate from the university, and I come back to this house,and I want to lie down near this field and read books.

I arranged the manuscript of the tenth 'War testimony and survey of Kochi' all day long.

I talked with 17-year-old woman who takes an entrance exam of Kochi prefectural Kochi junior college with mail.

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英語で日記 Thursday,August 5 2010 うちのメスネコ。

Thursday,August 5 2010 うちのメスネコ。

 晴れ時々雨。

 私は、きょうも、『高知の戦争 証言と調査』十号の原稿を整理しました。

 うちのネコについて書いておきます。
 彼女は、きれいな三毛ネコです。
 僕は、布団も着ないで大の字になって寝ています。
 彼女は、その両足の間に、ちょこんと丸くなって寝ています。
 私は、彼女にエサをあげますが、彼女は、それを残します。
 しばらくすると、黒ネコが、わが家に侵入してきます。
 そして、彼は、彼女が食べ残したエサを食べます。
 この黒ネコは、彼女の彼氏です。
 彼女は、よく外に出て行きます。
 彼氏とのデートだと思います。
 きょうは、ぼくは、早々と寝ることにしました。
 ネコがいなかったのですが、私は、そのままドアのカギをかけました。

 私が夜中に起きてドアを開けました。
 ドアの所にいた彼女は、「ミヤーミャーミャー」といいながら、わが家に入って来ました。

Thursday August 5th 2010 Our female cat.

Occasional fine rain.

I arranged the manuscript of the tenth 'War testimony and survey of Kochi' today.

I write about our cat.
She is a beautiful tortoiseshell.
I am sleeping without blanckets with arms and legs outstretched.
She curled herself up demurely between my legs.
Though I give her bait, she leaves it.
After a while, a black cat invades my house.
And, he eats the bait that she left half-eaten.
This black cat is her boyfriend.
I think that it is a date with the boyfriend.
I decided to sleep early today.
I locked the door, though there was no cat.

I opened the door getting up in the middle of the night.
She was in frint of the door, and entered my house saying, "Meow meow meow".

(tortoiseshell トリシァウ 三毛。"Meow meow meow" ネコの鳴き声)

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「アジア太平洋戦争中に、道路を拡張してつくられていた香川県の三つの陸軍秘匿飛行場」の中間のまとめ。

 四月から「アジア太平洋戦争中に、道路を拡張してつくられていた香川県の三つの陸軍秘匿飛行場」について調べています。
 本日朝、中間のまとめを書き上げました。
 これを基礎にして、この夏休みに調査を進めていくつもりです。

 残念ながら容量が大きくてアップできません。

 メールをいただければ、お送りできます。

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短歌集 大学のホームページの成績簿。

 大学の ホームページの
 成績簿 にっこり笑う
 妻にも見せよう 

 十八、九
 不可がずらりの 日々でした
 六十三で 上昇気流に 

 庭採れの 最初のスイカ
 真っ赤っか
 孫たち来いよ 毎日、食えるぞ

 庭採れの ムカゴ両手に 乗せてきて
 炒っている午後
 ビールがうまそう

 成績簿 妻に見せれば
 のぞきこむ
 「偉いわねえ」の おほめをいただく

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英語で日記 Friday,August 6 2010 六十五回目の「八時十五分」を迎えました。

Friday,August 6 2010 六十五回目の「八時十五分」を迎えました。

 晴れ時々雨。
 午前一時に起きました。
 そして、四月からやっている研究の中間のまとめを書きました。

 新聞が配達された音がしました。
 時計は、四時四十四分です。

 六十五回目の「八時十五分」を迎えました。
 きょう、高知県からも数十人が広島に行っています。

 午後、私たちの学部の前期の成績が発表されました。
 大学のホームページの個人情報のページに載りました。
 十五科目すべてパスしました。
 先生たち、ありがとうございました。

 私と弟は、庭で育ったスイカを食べました。
 ヤマノイモのムカゴが、庭で、育っていました。
 私は、それらを、採って、炒って食べました。
 夕方、私と弟は近くのレストランに行って、ビーフステーキを食べ、生ビールを飲みました。
 二人の話題は古代における宗教でした。

 夜九時半、妻が、家に帰りました。

Friday August 6th 2010 We received "8:15" of the 65th times.

Occasional fine rain.
 
I got up at one o'clock in the morning.
And, I wrote the summary of the middle of the research that have been done since April.
I heard the sound that newspaper was delivered.
The clock is 4:44.
 
We received "8:15" of the 65th times.
Tens of people have gone to Hiroshima from Kochi Prefecture today.

The result of the first term was announced by our faculty in the afternoon.
They were recorded on the page of individual information on the homepage of the university.
I passed all of the 15 subjects.
I appreciate all teachers.
My younger brother and I ate the watermelon that grew up in our garden.
Propagule of yam grew up in the garden.
I caught them, roasted, and ate them.
We went to the nearby restaurant, ate beefsteaks, and drank draft beer in the evening.
The topic of our conversation was a religion in ancient times.

My wife returned to my house by 9:30 at night.

(propagule ムカゴ。yam ヤマノイモ)

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2010.08.09

英語で日記 二〇一〇年八月七日 土曜日 晴れ 私は、実証にもとづいた本が読みたいと思っています。

二〇一〇年八月七日 土曜日 私は、実証にもとづいた本が読みたいと思っています。

  晴れ。

 高知市の、私たちの家にいました。

 柿本人麻呂についての本を二冊読みました。
 それらは、想像にもとづく記述が多すぎます。
 私は、実証にもとづいた本が読みたいと思っています。

 庭で採れたイチジクを食べました。

 妻と二人で、近くの喫茶店に行って朝食をとりました。
 そして、私は、高速バスで香川県へ向かいました。

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英語で日記 二〇一〇年八月八日 日曜日 一日バスツアーに参加しました。

二〇一〇年八月八日 日曜日 一日バスツアーに参加しました。

 晴れ、一時、雨。
 
 地域の戦争の時代のことを知るためのバスツアーに参加しました。
 私は、バスツアーに参加するため、午前九時半前に、三豊市のJR詫間駅前に着きました。
 バスツアーには、約四十人が参加しました。
 私は、このツアーで、海軍の無線機を見ることができました。

 夕方、さぬき市に帰りつき、会議に参加しました。

 夜十時に、JR高松駅前発の高速バスに乗って東京都に向かいました。

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英語で日記 二〇一〇年八月九日 月曜日 私は、東京都の、ある図書館で七時間も過ごしました。

二〇一〇年八月九日 月曜日 私は、東京都の、ある図書館で七時間も過ごしました。

 雨、ときどき曇り。

 午前九時過ぎに東京都の、ある図書館に入りました。
 ここで七時間も過ごしました。
 しかし、あまり成果はありませんでした。

 娘の家に行きました。
 女の子が二人、私を歓迎してくれました。
 エミは小学校四年生、ユリは一年生です。
 エミは、私のほっぺたにキスをしてくれました。
 ユリは、私にピアノを演奏してくれました。

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短歌 東京行きの高速バスで。

 試験受け こなしている夢 見ています 東京行きの 高速バスで

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2010.08.10

英語で日記 二〇一〇年 八月十日 火曜日 ポケットモンスターのラリー。

二〇一〇年 八月十日 火曜日 ポケットモンスターのラリー。

 晴れ。

 東京の娘たちの家に泊っています。
 私は、本日、娘、二人の少女と行動しました。
 私たち四人は、京王線沿線で、セブンイレブンの店を探しました。
 それは、二人の少女が、ポケットモンスターのスタンプラリーのスタンプをゲットするためです。
 私たちは、セブンイレブンの店を四軒回りました。
 二人の少女は、それぞれ、ポケットモンスターのキャラクターポスターをゲットしました。
 そのあと、四人で府中市美術館に行きました。
 
 娘たちの家に帰ってから、二人の少女は、学習雑誌『チャレンジ』のホームページの問題を解いて楽しみました。
 
 東京都内に住んでいる息子(娘の弟)が、娘たちの家に来訪しました。
 娘の夫の母も、娘たちの家にやってきました。

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2010.08.11

短歌集 東京の一次史料の図書館で。

 五冊ずつ 一次史料を 積み上げて
 生つば飲んで
 次々開く

 「おっ、これは!」
 思わず声を 上げている
 数行分の材料ゲット

 終戦時
 陸軍保有の 飛行機の リストがあったよ
 「高松のもさ」

 「わー、すごい。高知に、こんなに 陸軍が」
 引揚リストを
 パタパタ広げる

 桜花(おうか)やら 軍事鉄道
 それぞれに
 いま八人が 資料のメモ取る

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2010.08.13

小学校一年生のユリのピアノのリサイタルを、高知市の、わが家で開きます。どなたでも、どうぞ。八月十九日です。

「yuri.doc」をダウンロード

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2010.08.14

「第三十一回八・一五戦争体験を語りつぐ集い」での発言 予定原稿。

 私は、戦争を、「どう掘り起こすか」というテーマで話をさせていただきます。
 その前に、新参者ですので自己紹介をさせていたただきます。
  高知新聞の六月二十四日夕刊の「遠境近況」が私を紹介してくれました。
 見出しは、「戦争遺跡を調査したい 徳島文理大文学部文化財学科3年 藤原 義一さん(63)=香川県さぬき市在住=」でした。
 こんな記事でした。

 東京で定年を迎え、性に合っている高知へ戻りました。
 「大学3年生」になったのは、四万十町の掩体壕(えんたいごう)などの戦争遺跡を調査したい、そのためには専門的な知識と発掘技術が要る、と思ったからです。講義は考古学、博物館学が中心。フィールドワークも多く、高松市内の古墳から出土した土器や埴輪(はにわ)を整理しています。
 おじは太平洋戦争で戦死、父の胸には銃弾が残り、母は風船爆弾の紙をすかされたと聞きました。私自身は戦争体験はありませんが、次の世代へ伝えていく必要がある―戦争遺跡を調べる理由です。
 (後略)」

 香川については、二つのことを調べています。
 一つは、高知県出身の妻の父・矢野統一の海軍小豆島突撃隊での体験です。
 学生から海軍に志願、そして特別攻撃隊に志願させられ、小豆島攻撃隊で五人乗りの小型潜水艦の艇長となり、訓練中にアメリカ軍のP51という飛行機に機銃掃射されたという人です。
 調べていくうちに、すごいことがわかりました。この家族全体が戦争に動員されていたのです。
 親は、高知市の中心街で食堂をやっていましたが、夫は山口県の軍の工場に徴用されます。統一の弟は海軍予科練習生に志願し、松山の航空隊に入りますが、そこはアメリカ軍の空襲で壊滅し、彼は南朝鮮の加徳島で終戦を迎えます。
 母と、その下の弟は一九四五年七月四日の高知空襲で焼け出されます。これは、高松空襲、徳島空襲、姫路空襲と同じ時です。
 その下の弟も、海軍予科練習生に志願し、奈良県の天理教の本部を接収した航空隊で終戦を迎えます。
 妹は、長崎県に女子挺身隊として動員されていました。
 実は、海軍小豆島突撃隊については、もう三十年来やっています。このことは、いま、私が編集しています『高知の戦争 証言と調査』で連載しています。いま、十号用の原稿を執筆している最中です。
 もう一つは、一九四五年四月以降に香川県の三カ所につくられていた陸軍の隠匿飛行場についての調査です。
 これは、この四月から始めました。
 高松市の屋島、国分町、そして丸亀市の讃岐富士の近くに、道路を拡張してつくられていました。
 その関連で高松飛行場も調べています。
 夏休みになってから防衛省の図書館にこもって戦争中、終戦直後の資料を読んでみました。
 おかげで流れがわかりました。
 高松飛行場は、沖縄にアメリカ軍が上陸するだろう、それと対抗して特別攻撃をしよう、そのための訓練基地としてつかわれました。
 アメリカ軍の日本本土に上陸しそうだという状況のもと、大本営は、航空作戦専任の陸軍航空軍司令部をつくることにしました。一九四四年十二月二十六日、東京にできた第六航空軍が、それです。これは、西南諸島方面にたいする航空作戦が主任務で、アメリカ軍の沖縄上陸にそなえてのものです。
 高松飛行場は、これに属していました。沖縄の特別攻撃の部隊でした。
 一九四七年八月十日の第一復員局資料整理部がつくった『航空特攻作戦ノ概要(未定稿)』に、沖縄戦での陸軍の特別攻撃の「数字」が載っています。
 九州からは約六百八十機が出撃しています。一隊一隊を○○振武隊と呼びました。戦果は「記録ナク不詳」です。
 沖縄戦がすんで、あらたな部隊が高松飛行場に飛来しますが、これは、訓練もしない、ひたすら飛行機を隠しておく部隊でした。
 一九四五年七月四日にアメリカ軍の空襲があっても飛び立たない、ひたすらアメリカ軍が本土に上陸してきたら特別攻撃をするというために、じっと我慢していました。
 その日のために、一宮方面への誘導路をつくる、県下の三つの道路を拡張しての飛行場もつくるということもしました。
 それでは、隠していた陸軍の飛行機は何機あったのでしょうか。
 結論をいえば、すぐに飛び立てるものは一機もありませんでした。
 大本営陸軍部が一九四五年八月三十一日に調べて『帝国陸軍飛行機現況表』をつくっています。
 それによると、高松飛行場には、戦闘機では、相当整備すれば飛行可能なものが十三機、飛行不能のものが二十六機ありました。
 偵察機の二機は、相当整備すれば飛行可能なものがニ機、飛行不能のものが二機ありました。
 練習機は八機ありましたが、いずれも飛行不能のものです。
 こんなことを調べてリアルに提示していく仕事、みんなでやりませんか。
 当時のことを知っている人が、まだ少しいる、いま、屋島飛行場つくりに協力した国民学校の児童、高松飛行場、屋島飛行場、国分飛行場づくりに動員された高松中学の生徒の話も聴くことができるようになりました。
 こうしたことを調べること、調べたことを発表していくこと、いまやるべき課題ではないでしょうか、というのが私のいいたいことです。
 一緒にやりませんか。

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2010.08.15

英語で日記 二〇一〇年 八月十一日 水曜日 私は、素晴らしい資料を見つけました。

二〇一〇年 八月十一日 水曜日 私は、素晴らしい資料を見つけました。

 曇り。

 私は、また、月曜日に行ったのと同じ図書館に行きました。
 途中から、Iさんも、ここにやって来ました。
 私は、最後に、いい資料を見つけました。
 ここに七時間居続けた甲斐がありました。

Wednesday  August 11th, 2010 I found wonderful material.

Cloudy.

I went to the same library as I went on Monday again.
After a while, Mr. I also came here.
I found good material at the end.
There was an effect that had stayed here for seven hours.

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英語で日記 二〇一〇年 八月十二日 木曜日 原稿を一つ仕上げました。

二〇一〇年 八月十二日 木曜日 原稿を一つ仕上げました。

 晴れ。
 
 私は、東京都の図書館で七時間、資料を探しつづけました。
 そして、私は、夕方、新幹線で、香川県へ向かいました。
 私は、新幹線の座席で、数日来書きつづけてきた原稿を一つ仕上げました。

Thursday August 12th, 2010 One sheet of manuscript was finished up.

Fine.

I kept looking for material for seven hours in the library in Tokyo.
And, I faced to Kagawa Prefecture by Shinkansen in the evening.
I finished up one sheet of manuscript that I had kept writting for several days in the seat of Shinkansen.

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 68 高松中学校の生徒だった人の手記 その一 高松飛行場づくりに勤労動員されました。

 八月十三日、香川県立図書館で、以下の手記を読みました。
 水原良昌さんの陸軍高松飛行場づくりなどの勤労動員についてのものです
(『香川県医師会誌』百五十九号。一九八八年四月)。
 一九四四年五月、高松市花園町に住んでいた、高松中学校のニ年生だった水原さんは、勤労奉仕で高松飛行場予定地在住者の立ち退き、引っ越しの手伝いにいきました。
 九月からは、学徒動員で、ここに通いました。トンボ草履をはいて土方仕事をしました。
 「……飛行場には田圃の名残りや池、竹藪の繁った川、そして塚や窪みがあちらこちらに残っていて滑走路らしい姿はまだ生まれていなかった。そんな九月の飛行場は青い空と砂ぼこりの中で照りつける太陽が無闇と暑かった。二輪の手押し車で砂ぼこりの中を、土を運ぶ道程が長く暑く苦しくて、どこまで行ったら車が軽くなるのやらと、夢みる想いで土の重さが重さがうらめしかった。喉が乾いても、時々手桶で運ばれて来る湯を、竹で輪切りにした杓[しゃく]で順番待ちして一ぱい飲むのがやっとであった。」。
 彼の作業は、スコップとツルハシで土砂を運んだり、トロッコで土砂を運んだり、トラックに乗って郷東川へ石を採集に行ったりといったことでした。
 水原さんによると、建設中の高松飛行場に、時々、不時着機が着地したといいます。
 「……秋の半ばには、時々不時着機が舞い降りるようになっていた。滑走路の端には、まだトロッコの線路が横切っていて、不時着機が着地して滑走するのを見ながら『止マレ、止マレ』『ソッチヘ行ッタラヒックリカエルゾ』と心配する声援もむなしく、線路にひっかかって飛行機が逆立ちする光景が何回かあった。」

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 69 高松中学校の生徒だった人の手記 そのニ。 穴吹智曹長も、高松飛行場に。

 水原良昌さんは、航空隊が高松飛行場にやってきたときのことを書いています。
 「……やがて木枯らしが吹きさらす中で、上半身裸体で土掘りする元気者が幾人か現れる頃には、滑走路も次第に整備されて、九七式戦闘機と陸上攻撃機を中心とした航空隊がやって来た。学徒出陣の学生出身者で編成されていて、教官の中には加藤隼戦闘隊の撃墜王として新聞で馴染みになっていた[香川県]綾上出身の穴吹軍曹が曹長になって来ていた。赤白い顔色でや小柄のがしっとした体格の人であった。練習生の中にはインドネシア[?]出身という色黒の人達も数名いて、航空服をまとって一緒に練習していた。チキンという愛嬌のある呼名の人もいて、皆陽気で和気藹々[わきあいあい]としていた。
 空では教官機が引っ張る長い吹流を目がけて急降下して突込む練習の繰返しが毎日毎日続き、それを地上から時々眺めながらの土方作業が毎日毎日続いた。
 不時着機の種類も多くなった。零戦・彗星・一式陸攻・天山・隼・鍾馗[しょうき]・飛燕・月光・新司偵・ダグラスDC3型等々、いずれも技術の先端を行く冷徹な美しい姿をしていた。」

  穴吹曹長というのは、穴吹智さん(一九二一年十二月五日~二〇〇五年六月)のことです。
 生誕地は、香川県綾歌郡山田村。一九四一年三月、太刀洗陸軍飛行学校卒業(少年飛行兵第六期生)。空中勤務者(戦闘機操縦者)として飛行第五十戦隊第三中隊附。同年十二月、フィリピン戦線に従軍。
 四二年四月には戦隊と共に帰国、九七式戦闘機から一式戦闘機「隼」に機種改変してビルマ戦線に転戦。以後、ビルマ・インド・西南中国、ニューギニア戦線に従軍しました。四三年十月八日には、ビルマ・バイセン上空でP-38戦闘機二機撃墜、さらにB-24爆撃機一機に体当たりしこれを撃墜。曹長に昇進。四四年ニ月、明野陸軍飛行学校附教官、ビルマ留学生等の操縦教育を担当。フィリピンの戦いの中に四式戦闘機「疾風」を空輸する任務につきました。

 九七式戦闘機(きゅうななしきせんとうき)は、大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ27。略称・呼称は九七戦、九七式戦など。陸軍最初の低翼単葉戦闘機として、一九四〇年前後の主力戦闘機です。開発は中島飛行機、製造は中島のほかに立川飛行機と満州飛行機でもおこなわれました。
 零戦(ぜろせん、れいせん)は、零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)のことです。大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。海軍の艦上戦闘機。開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され 彗星(すいせい)は、日本海軍の艦上爆撃機。彗星三三型単発複座の高速艦上爆撃機として設計された彗星は、艦上爆撃機としてはかなりの小型機で、零式艦上戦闘機とほぼ同サイズです。機体下部の爆弾倉と中翼配置、空力を重視した平滑な機体外形が採用されていて、水冷式発動機独特の先細りの機首を持つ前~中期生産型は、空冷式がほとんどだった日本の軍用機の中では特徴的な外見をしています。海軍の航空技術研究機関である空技廠で開発されました。
 一式陸攻は、一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき)。大日本帝国海軍の陸上攻撃機です。前作の九六式陸上攻撃機同様、三菱内燃機株式会社の設計・製造でした。
 天山(てんざん)は、日本海軍の艦上攻撃機。主に、艦艇攻撃用の雷撃機として開発・運用されました。制式採用は四三年八月。九七式艦上攻撃機の後継機として、中島飛行機に開発させたものです。
 隼(はやぶさ)は、一式戦闘機のことです。日本陸軍の南方進出のために航続距離の長い戦闘機の要求によって生まれた軽量戦闘機です。
 鍾馗(しょうき)は、大日本帝国陸軍の二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)。キ番号(試作名称)はキ444。略称・呼称は二式単戦、二単、二式戦闘機、二式戦、ヨンヨンなど。開発・製造は中島飛行機。
 飛燕(ひえん)は、大日本帝国陸軍の三式戦闘機(さんしきせんとうき)。キ番号(試作名称)はキ61。呼称・略称は三式戦、ロクイチなど。開発・製造は川崎航空機。
 月光(げっこう)は、日本海軍の夜間戦闘機です。中島飛行機が開発しました。
 新司偵(しんしてい)は、大日本帝国陸軍の一〇〇式司令部偵察機(ひゃくしきしれいぶていさつき)。キ番号(試作名称)はキ46。略称・呼称は一〇〇式司偵(百式司偵)、一〇〇偵、一〇〇司、ヨンロクなど。開発・製造は三菱重工業。

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 70 高松中学校の生徒だった人の手記 その三 高松飛行場から特別攻撃隊が出撃する姿を見ました。

 水原良昌さんは、高松飛行場から特別攻撃隊が出撃する姿も見ています。
 「昭和二十年[一九四五年]の三月中旬であったろうか、『今日特攻隊ガ出テイクント』と、どこからか伝えられて緊張したムードが流れていた。昼過、噂通りに遠目にそれらしい一隊の整列と儀式が眺められていたが、やがて九七式戦闘機と陸上攻撃機が三機ずつ並んで何回にも別れて離陸を始めた。誰言うとなく皆滑走路の横に走り並んで、帽子をふったりある者は長い竹竿にゲートルの紐[ひも]を結びつけて長い旗がわりにしてふつたりもした。
 飛行機は次々と地上をあとにした後、上空できれいな編隊を組んで飛行場上空をゆっくりと何回も何回も低く旋回した。それからやゝ高度を高めながらずっと東方上空に編隊を移し、やがて三機編隊ずつ風のように滑走路めがけて降下して来て、決別の例であろうか左右に翼をふりながら滑走路上を低く飛んだ後、再び急上昇して後をふりかえる事もなくひたすらに西空に向かって消えて行った。
 当時はまだ十四・五歳の少年達も、死への出発とか訣別[けつべつ]とかいった限界状況を目前にして、言語では表現出来ないどうしようもない重苦しさを各自に感じたようで、しばらくは皆押し黙ったまゝであった。
 それから四・五日してから又[また]二〇機ほど飛び立って行ったのであるが、その数日後の新聞紙上に九州の前線基地からの報道として『出撃を待つ特攻隊長A中尉』の談話が載った。先日林から飛び立っていったA中尉であったが、沖縄に米軍が来襲する少し前の事である。」

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 71 高松中学校の生徒だった人の手記 その四 最新鋭戦闘機「疾風」の集団が高松飛行場にやって来た。

 沖縄戦後、高松飛行場の性格が変わります。
 水原良昌さんの手記を続けます。
 「特攻隊が飛び立つと、入れかわって最新鋭戦闘機『疾風』の集団がやって来た。『隼』や『鍾馗[しょうき]』や『飛燕』よりも一まわり大きい四枚プロペラの重戦闘機の集団である。時を同じくするように、飛行場西北の一偶に遠目には本物そっくりの竹製の『隼』が十数機ずらりと並んだ。(中略)
 いつの間にやら春の気配が飛行場にも訪れる頃になっていたが、相変わらず土方作業に明け暮れていた。この頃になると飛行機の整備は完成期に入っていて、東は由良山の麓から西・南・北、いずれも広大な大航空基地の外観を整えていた。
 しかし冬の間中続いていた九七式戦闘機と陸上攻撃機の離着陸や急降下の練習もなく、飛行場は静かになっていた。不思議な事にやって来た飛行集団の練習風景も『疾風』の離陸するのも見た記憶が浮かんで来ない。」

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 72 高松中学校の生徒だった人の手記 その五 木太町の誘導路づくり、屋島の飛行場づくりに動員されました。。

 水原良昌さんたちの高松飛行場づくりの勤労動員は四月下旬で終わります。
 五月からは、二週間ほど、木太町の作業に動員されました。
 これは、高松飛行場から飛行機を避難させる誘導路をつくるのが目的でした。
 「木太町の作業場は、旧一一号線の玉藻中学から南へ高徳線を横切って長尾街道に至[いた]る道路沿いであった。現在、整形外科の高畠先生や皮膚科の北村先生の病医院が建っている道路沿いは、かって私たちが作業したなつかしい所あります。一面に麦畑が続く砂地でツルハシはあまり使わずスコップだけで掘れたものである。」
 水原さんたちは、木太町での五月からの二週間程度の作業が終わると高松市の屋島で道路を拡張して滑走路にする作業に、一か月少々、動員されました。
 「屋島は、東照宮の馬場先付近の約一キロにわたる旧一一号線であった。道路下の田んぼで掘った土をモッコで担いで運ぶ作業が中心であったが、幾日間かは庵治[あじ]の丸山峠まで歩いて石の採集に往復する事もあった。太い竹竿でモッコ担ぎを連日続けていると両肩が青く赤く腫れあがって痛んだ。そのうちに血膿が出て来たらどうしょうかと真剣に心配した程であるが顔をしかめながら頑張った。」

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英語で日記 二〇一〇年 八月十三日 金曜日 ある手記を読んで、筆者に電話しました。

二〇一〇年 八月十三日 金曜日 ある手記を読んで、筆者に電話しました。

 晴れ、ときどき雨。

 午前一時過ぎ、アパートに到着しました。

 午後から香川県立図書館へ行きました。
 ここで、素晴らしい手記を見つけました。
 この図書館のレファレンスのおかげです。
 私は、これを読んで、いま、私が調べていることの流れがリアルにわかりました。
 夕方、私は、この手記の筆者に電話しました。
 この人は、私のインタビューに答えてくれることになりました。
 やっほー。

Friday August 13th, 2010 I called the author after reading a certain note.

Fine and occasional rain.

I arrived at my apartment at 1 a.m.

I went to Kagawa prefectural library in the afternoon.
I found a wonderful note here.
It is a favor of the Reference of this library.
I have understood the flow of my examining in the round now after reading this.
I called the author of this note in the evening.
This person will answer my interview.
Yahho.

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2010.08.16

英語で日記 二〇一〇年 八月十四日 土曜日 愛知県の平和のための戦争展。

二〇一〇年 八月十四日 土曜日 愛知県の平和のための戦争展。

 晴れ。

 朝一番の列車で名古屋市に行きました。
 それは、愛知県の平和のための戦争展を見るためです。
 その戦争展では、団体ごとにブースをつくっていました。
 ブースに担当者たちが陣取り、周辺に展示を設営するという方式でした。
 それぞれの団体が、新しい研究と工夫をもとに展示をしていることに感激しました。
 そこで何冊も本を買い込みました。

Saturday August 14th, 2010  War exhibition for peace in Aichi Prefecture.

Fine.

I went to Nagoya city by the first train in the morning.
The purpose was tosee the war exhibition for peace in Aichi Prefecture.
In the war exhibition, each groups made their booth.
The person in charge of the booth took the place, and constructed the exhibition in the surrounding.
I was deeply moved that the exhibition of each groups were based on a new research and the device.
Then, I bought books very much.

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英語で日記 二〇一〇年 八月十五日 日曜日 やっほー、やっほー。

二〇一〇年 八月十五日 日曜日 やっほー、やっほー。

 晴れ。

 午後、高松市で、終戦の日のつどいに参加しました。
 私も、ここで、数分間、発言しました。
 このつどいの参加者の中に、貴重な体験をお持ちの方がたくさんいました。

 一人は、中学一年生のとき、高松市の陸軍隠匿飛行場の建設に動員された男性です。
 もう一人は、一九四五年に高知県に派遣されて海沿いで陣地を構築していた陸軍の兵隊だった人です。
 私は、お二人にインタビューさせていただくことになりました。
 やっほー、やっほー。

 オートバイで高知県に帰って来ました。
 まず、友人と話をしました。
 とても楽しいひとときでした。
 その人が幸せに暮らしている様子が、私を喜ばせました。
 

  そして、高知市の家に帰って来ました。
 娘と娘の二人の娘が、わが家に到着していました。

Sunday August 15th, 2010 Yahho,yahho.

Fine.

I participated in a gathering of "the day the war ended" in Takamatsu city in the afternoon.
I also made remarks for several minutes here.
There were a lot of participants who had invaluable experience.
One person is a man mobilized to construct the army concealment airport in Takamatsu city at the first grade of junior high-school.
Another was sent to Kochi Prefecture in 1945 and was the soldier to build up a strong point along the sea. 
I will interview the couple.
Yahho,yahho.

I came back to Kochi Prefecture by my motorcycle.
First of all, I talked with my friend.
It was very happy time for me.
Her appearance which she lived happily made me pleased.

And, I came back to my house in Kochi city.
My daughter and two garnddaughters had arrived at my house.

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短歌 僕も少しだけおとなになりました。

  「君たちが 幸せそうで 幸せだ」
 僕も、すっこし
 おとなになったか

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短歌 オートバイで高知に向かう。

 太陽と 海とのキスを 右に見て
 風になってる
 めざすは高知

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『“九条おじさん”がゆく 署名は愛だ』(新日本出版社)、面白そうです。

 十五日夜、高知市の家に帰ったら、東京都小金井市の「九条おじさん」こと、蓑輪喜作さんから、ご本をいただいていました。

 ありがとうございました。

 ご本は、『“九条おじさん”がゆく 署名は愛だ』(新日本出版社)です。

 まだ読んでいませんが、まずはお礼を。

 あなたの努力、ねばり強さに敬意を表します。

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短歌 本当に詠みたかったうた。

 「本当は、抱きしめたいんだ。君のこと」
 いえないままに
  老いの身となる

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短歌 ぼくの辞世のうた。

 つぎの世に 手渡すものを 織りなして
 手渡し終えて
 「さよなら」したい

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短歌 老年の性愛のうたを……。

 老年の 性愛のうた 詠みたいな
 もしできたなら
 僕も一流

 でも、「経験」が乏しすぎる六十三歳の僕。トホホ。

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香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 73 高松中学校の生徒だった人の手記 その六 国分寺の飛行場づくりの動員されました。

 水原良昌さんたちは、木太町での五月からの二週間程度の作業、高松市の屋島で道路を拡張して滑走路にする作業に、一か月少々、動員され、それがすんだら、七月三日まで国分寺で道路を拡張して滑走路にする作業に動員されました。
 「国分寺での作業は、旧国鉄国分寺駅と端岡駅の間の旧国道の拡張作業である。六月も終りになると昼過ぎから暑さがきびしく、その上、銃も剣も持っていない兵隊集団と一緒の作業で、何となく雑然とした雰囲気であった。
 その上特別幹部候補生出身という伍長が偉そうに号令をかけるのでいらいらした。何の理由で偉らそうに号令を受けなければならないのか不愉快であった。兵隊達は細くて弱々しかったが、この伍長だけはがしっとした体格をしていて四角ばった鬼頭でやたらと大声を出して張り切っていた。
 林の作業場では、広々とした空間と清澄な大気の中で、航空隊という整然としてスマートな技術集団を見ながらの作業であったが、国分寺の作業場では伍長の俗っぽい蛮声と弱々しい軍隊をみながらの作業であったせいか、何となく泥くさいまとまりのない悪印象が残った。
 国分寺で内科をされている三橋先生のお宅の少し東の方に、道から二・三十米程北側に小さな社があって、その広くもない境内でよく昼の休憩をした……」

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英語で日記 二〇一〇年 八月十六日 月曜日 五〇CCのバイク。

二〇一〇年 八月十六日 月曜日 五〇CCのバイク。

 晴れ。

 私は、いま高知市にいます。

 高知短期大学のときの友人が、わが家に、五〇CCのバイクを持ってきてくれました。
 彼は、きちんと整備したうえで、格安で、これを私に譲ってくれました。
 ありがとうございます。

 いま、わが家では、三世代の女性四人が、しゃべり続けています。

 私は、あすからの山登りの準備をしました。

  私は、『高知の戦争 証言と調査』十一号の三つの原稿の整理をしました。

 夜、私は、岡山県の高校時代の同級生夫妻から電話をいただきました。

Monday August 16th, 2010 Motorcycle of 50CC.

Fine.

I am in Kochi city now.

My friend from the Kochi junior college brought a motorcycle of 50CC to my house.
He transferred this to me cheap after it had neatly maintained.
Thank you.

Four women in three generations keep talking in my house now.

I prepared for mountaineering from tomorrow.

I arranged three sheets of manuscript of the 11th 'War testimony and survey of Kochi'.

I got a telephone from Mr. and Mrs., my classmates in Okayama Prefecture at high school days at night.

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2010.08.18

高知市の工石山(くいしやま)で、アジア太平洋戦争中の聴音壕(と思われるもの)。

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 八月十七日、高知市の工石山(くいしやま。標高・一一七六メートル)で、アジア太平洋戦争中の聴音壕(と思われるもの)を見つけました。
 場所は、中腹のサイの河原に行く途中の山側です。
 直径三メートルほどの円形のものです。
 石積みで円をつくり、中は空洞になっています。中は葉っぱが積もって七十センチほどしか見えていませんが、かなり深いと思います。
 この中に入ってアメリカの飛行機の爆音を聴き、来ている方向などを下に知らせたのだと思います。

 十七日から、私は、高知市工石山青少年(高知市土佐山高川)に来ています。
 弟、妻、娘、娘の二人の娘と一緒です。

 【追伸】

 銃座壕かもしれません。

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短歌集 高知市工石山(くいしやま)青少年の家で その一

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 八月に アジサイの花 咲き誇る
 工石(くいし)行く
 街は灼熱(しゃくねつ)

 わが娘 母と娘に 卓球を
 教えている図
 汗だくで見る

 工石山(くいしやま)
 サイの河原に 行く途中
 聴音壕が 残っていたよ

 ケータイは 「圏外です」で
 驚きの 山での発見
 伝えるすべなし

 山盛りの おかわりしてる 山の夕
 亡きヒゲの友
 ブンヤの男

 「よしさま~」と 慕ってくれる 孫二人
 山の仲間が
 増えた、この夏

 窓の外 せせらぎの音 聴きながら
 夕八時ころ
 平らになったよ

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短歌集 高知市工石山(くいしやま)青少年の家で その二

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 山の上 真っすぐ上がる 飛行雲
 「立ち上がる時」
 告げるノロシか

 いまごろは カナダに向かう 空の上
 友らの旅行の
 無事祈ってる

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英語で日記 二〇一〇年 八月十七日 私は、聴音壕を見つけました。

二〇一〇年 八月十七日 火曜日 私は、聴音壕を見つけました。

 晴れ。

 私たちは、いま高知市工石山(くいしやま)青少年の家に泊っています。
 私たちのグループは、弟、妻、娘、孫娘二人、それに私です。

 私は、工石山の山中でアジア太平洋戦争中の聴音壕(敵の飛行機の音を聞くための壕)と思われるものを発見しました。

 この青年の家に体育館があって、私たちは、みんなでスポーツを楽しみました。
 私は、フラフープをしました。
 ところが、フラフープが回らないのでびっくりしました。
 私は、小学生のころ、フラフープが上手でした。

Tuesday August 17, 2010 I discovered the Ciyouongo (trench to hear the sound of enemy's airplane).

Fine.

We are in Kuishiyama youth's house now.
Our group are my younger brother, my wife, my daughter, my two granddaughters, and me.

I discovered Ciyouongo (trench to hear the sound of enemy's airplane) in the Asia Pacific War in Kuishiyama mountain.

There was a gym in this youth house, so we all enjoyed sports .
I did Hula Hoop.
However, I was surprised because Hula Hoop did not turn.
When I was an elementary school student, I was good at Hula Hoop.

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2010.08.19

短歌集 高知市工石山(くいしやま)青少年の家で その三

 工石山(くいしやま) 戦争壕(せんそうごう)に こだわって
 途中退席
 図書館に行く

 鏡川 源流の地で
 大の字で 青空仰ぐ
 赤トンボ飛ぶ

 川のそば キャンピングカー 進出し
 コーヒーなどを
 入れている図

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英語で日記 二〇一〇年 八月十八日 水曜日 屋外での焼肉。

二〇一〇年 八月十八日 水曜日 屋外での焼肉。

 晴れ。
 
 私たちは、高知市の工石山(くいしやま)にいます。

 私は、前日、この山で、アジア太平洋戦争のときの聴音壕(ちょうおんごう。敵の飛行機の音を聞く場所)を見つけました。
 私は、この聴音壕のことを調べるために、途中退席して、高知県立図書館に行きました。
 その間、わがファミリーは、この山の頂上まで登ったそうです。
 私は、夕方の、屋外の焼肉の時間に間に合って、それに参加しました。

Wednesday, August 18, 2010 BBQ in outdoor.

Fine.
 
We are in Kuishiyama mountain in Kochi city.

I found the Chouongou(trench to hear the sound of enemy's airplane) at the Asian Pacific War in this mountain the day before.
I left in the middle of the picnic to search for the Chouongou, and went to Kochi prefectural library.
Meanwhile, my family seem to have climbed even the top of this mountain.
There was B.B.Q outside in the evening, then I came back in time, so I participated in it.

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英語で日記 二〇一〇年 八月十九日 木曜日 ユリのピアノ発表会。

二〇一〇年 八月十九日 木曜日 ユリのピアノ発表会。

 晴れ。

 私たちは、高知市の鏡川の源流で水遊びをしました。

 夕方、私たちは、わが家で、小学校一年生のユリのピアノ発表会をしました。
 司会者は、ユリの姉の、小学校四年生のエミでした。
 聴衆は、私の弟、私の妻、妻の父、妻の母、妻の弟、私の娘、そして、私でした。
 みんなの質問に答えてユリは、「ピアニストになりたい」と答えました。
 私は、ユリの将来を楽しみにしています。

Thursday  August 19th, 2010 Piano concert of Yuri.

Fine.

We did dabbling in water by the source of the Kagamigawa river in Kochi city.

We had a piano concert of Yuri, the first grade in an elementary school in my house in the evening.
The chairperson was Emi, her elder sister, the fourth grade in an elementary school.
The audience was my younger brother, my wife and her father and mother and her younger brother, my daughter, and me.
Yuri answered everyone's question, "I want to become a pianist".
I am looking forward to her future.

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短歌 「小一が 『ガラスの仮面』 読んでいて……」。

 小一が 『ガラスの仮面』 読んでいて

 「わかるの?」に「うん」

 ともに生きるか

 

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2010.08.20

英語で日記 二〇一〇年 八月二十日 金曜日 二〇一〇年 八月二十日 金曜日 香川県の四つ陸軍飛行場の取材を続けています。

二〇一〇年 八月二十日 金曜日 香川県の四つ陸軍飛行場の取材を続けています。

 晴れ。

 午前五時に起床しました。
 そして、高知市から高松市へ行きました。

 高松市に着いて、まず、宮脇書店総本店に行きました。
 本がたくさん置いてある本屋でした。
 私の探していた本を二冊見つけました。

 高松市国分寺地域に行きました。
 そして、そこで、陸軍国分寺飛行場について取材しました。
 この地域に住んでいる人から、次のようなことを聞きました。
 ・国分寺地域に飛行機の格納庫がつくられていた。それは、飛行機が二基が入れるくらいの大きさだった。その格納庫の前面には上から何本もの綱をつるしていた。しかし、飛行場から、そこへの道は幅三メートルほどしかなかった。
 ・国分寺飛行場から「国分寺」側の山の中腹に機関銃が置いてあったらしい。
 ・国分寺駅を通る下りの列車の乗客は、端岡駅(はしおかえき)に差し掛かると国分寺飛行場側を見ないように指示された。

 高知市の、わが家に着いたら夜十時半でした。

Friday August 20th, 2010 I keep covering four army airports of Kagawa prefecture.

Fine.

I got up at 5 a.m.
And, I went to Takamatsu city from Kochi city.
 
I arrived at Takamatsu city, and, first, went to Miyawaki the headbookstore.
The bookstore has a lot of books.
Then, I found two books which I had been looking for.

I went to Kokubunji,Takamatsu city.
Then, I covered the army Kokubunji airport.
I heard the following from the inhabitant in this region.
・The airplane hangar was made in Kokubunji. The size of airplane hanger was as large as it can have about two airplanes. Many ropes were hung on in front of the hangar. However, there were only about three-meter in width road from the airport to there.
・The machine gun had put on the hillside in the nearby mountain.
・When the Hashioka station became near, the passenger of the down train was directed not to see the Kokubunji airport.

It was 10:30 at night when I arrived at my house in Kochi city.

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2010.08.21

短歌 「よしちゃんは 愛がほしいの……」。

 「よしちゃんは 愛がほしいの」

 「わかるわよ。私も同じだもん」

 小四の弁

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短歌 アメリカとイラクの現状。

 五万人 兵残してて 「撤退」か
 イラクは、いまだ
 アメリカ支配

 ある新聞の八月二十日朝刊三面の「イラク 米戦闘部隊 撤退」の記事を読んで。

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新聞を読んで 「出席者は、新学期に向け気持ちを新たにした様子で聴き入っていました。」って……。

 八月二十日朝刊の、ある新聞の高知版に「子に夢中・没頭の場を 高知で教職員に 秋田東大院教授講演」という記事がありました。
 関心を持って読ませていただきました。
 記事の締めが気になりました。
 「出席者は、新学期に向け気持ちを新たにした様子で聴き入っていました。」
 このつどいの参加者は約千人だといいます。
 それぞれに、いろんな思いがあると思います。
 それを外から見た「様子」で「きめつけて」いいでしょうか。
 一考を。

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英語で日記 二〇一〇年八月ニ十一日 土曜日 コントローラーが行方不明。

二〇一〇年八月ニ十一日 土曜日 コントローラーが行方不明。

 晴れ、四国の一部地方で雨。

 月に一度、高知市で二人の医者に診察してもらっています。
 今回は、本日、午後一時前に、診察が終わりました。
 
 その後、オートバイで、さぬき市に帰って来ました。
 さぬき市内の店で、よく汗を吸い取る衣服を買いました。
 発掘作業のための準備です。
 
 私のアパートの部屋は、蒸し暑くて耐えがたいほどです。
 二回、水風呂に入りました。

 その暑さの中で、粘土で女性の顔をつくりました。
 モデル(写真)は、美しい女性なのに、私の指から生み出されるものはグロテスクな女性です。
 私の目、そして、指は、どうなっているのでしょうか。
 私に、美しいものを美しく表現できる力がほしい。

 しかし、暑い。
 クーラーはあるのですが、この間から、コントローラーが行方不明で使えないのです。
 おっと、洗濯機が「ピーッ」と、いっています。

Saturday,August 21st , 2010 The controller is missing.

Fine, and rain in some part of Shikoku provinces.

I go to see two doctors once a month in Kochi city.
This time, medical examination ended before afternoon today.
 
Afterwards, I came back to Sanuki city by my motorcycle.
In a shop in Sanuki city, I bought clothes that absorb sweat.
It is a preparation for the excavation work.
 
The room in my apartment is sultry and unbearable for me.
I soaked in a  cool bathtub twice.

I made woman's face from clay in the heat.
The one made from my finger is a grotesque woman though my model (photograph) is a beautiful woman.
How are my eyes and fingers going?
I want a power to express beautiful things beautifully.

However, it is hot.
I cannot use a controller by missing the other day though there is an air conditioner.
Woops! my washing machine said "Pi-".

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短歌 僕のケータイの料金についての若干の考察。

 「あんたのね ケータイ料金 一万円」

 「早く切ってよ」

 妻は、愛だね

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2010.08.22

英語で日記 二〇一〇年八月二十二日 日曜日 本日のテーマは、香川県の陸軍飛行場でした。Sunday, August 22th, 2010 My theme of today was the army airports in Kagawa prefecture.

二〇一〇年八月二十二日 日曜日 本日のテーマは、香川県の陸軍飛行場でした。

 晴れ。

 午前十時過ぎ、携帯電話の音で目覚めました。

 私の本日のテーマは、香川県の陸軍飛行場でした。
 午前中、調査済みのデータの打ち込みをしました。
 午後は、香川県立図書館に行きました。
 いい本を見つけることができました。
 そして、その図書館の近くのお医者さんに取材しました。
 いい話を聴くことができました。

 夕食は、焼いた豚肉とスライスしたトマトを食べました。
 NHK総合テレビのドラマ「龍馬伝」を見ました。
 そのドラマを見て、いろいろ考えました。

Sunday, August 22th, 2010 My theme of today was the army airports in Kagawa prefecture.

Fine.

I awoke by the sound of my cellular phone at 10 a.m.
My theme of today was the army airports in Kagawa prefecture.
I input the data that had been investigated in the morning.
I went to Kagawa prefectural library in the afternoon.
I was able to find a good book.
And, I interviewed a doctor near the library.
I was able to listen to a good story from him.

I ate grilled pork and sliced tomato for my supper.
I watched a drama "Biography of Ryoma" of NHK General television.
I thought variously things by watching the drama.

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短歌集 NHK総合テレビのドラマ「龍馬伝」を見て。

 イギリスに 行かせたかった 長次郎
 切腹強いた
 サムライ社会

 「みんなぁが 笑うて暮らせる 国つくる」
 維新の思い
 いま、継ぐ党がある

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2010.08.23

英語で日記 二〇一〇年八月二十三日 月曜日 香川県下の、ある古墳の発掘作業に参加しています。

二〇一〇年八月二十三日 月曜日 香川県下の、ある古墳の発掘作業に参加しています。

 晴れ、一時雨。

 本日から香川県下の、ある古墳の発掘作業に参加しています。
 私が、まず驚いたのは、必要な資材の多さです。
 これを揃えるのには大変な手間がかかったと思いました。
 私は、その作業に参加していませんでした。
 私たち十人は、その資材を古墳の上まで運びました。
 三回、上り下りしました。
 古墳の上で、資材を整理しました。
 そして、今回、発掘する場所の測量をしました。
 明日から、この古墳を掘る作業が始まります。
 私が、本日、現場で飲んだ水、お茶は、ペットボトルで六本分でした。
 
 いま、私は、メロメロになった衣服を洗濯しています。
 そして、六本のペットボトルに、お茶を入れています。

Monday, August 23th, 2010 I am participating in the excavation work of a certain old tomb in Kagawa prefecture.

Fine and temporary rain.

I have been participating in the excavation work of a certain old tomb in Kagawa prefecture since today.
First I was surprised that there were many necessary materials.
I thought that it took serious time to arrange this.
I did not participate in the work.
We 10 people carried the materials on the old tomb.
We ascended and descended three times.
We arranged materials on the old tomb.
And, this time, we measured the excavated place.
Work of digging up this old tomb will start from tomorrow.
Water and green tea that I drunk there today were six PET bottles.
 
Now, I am washing clothes that soaked fully sweat.
I am putting green tea to six PET bottles.

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2010.08.24

短歌 妻からの「名湯」。

 妻からの 「名湯」を入れ 久しぶり 沸かし湯に入る 幸せ味わう

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英語で日記 二〇一〇年八月二十四日 火曜日 私のアパートにお客様がやってきました。

二〇一〇年八月二十四日 火曜日 私のアパートにお客様がやってきました。

 晴れ。

 私は、昨日に続き、古墳の発掘作業に参加しました。
 
 午後七時ころ、私が私のアパートに着くと、弟、妻、娘、娘の二人の娘がやってきていました。
 妻が、私の部屋で、エアコンのコントローラーを発見してくれていました。
 弟、娘、娘の二人の娘は、近くの旅館に泊まりました。
 娘、娘の二人の娘は、明日午前中は香川県で観光し、その後、東京都に帰るとのことです。
 私は、古墳発掘作業に向かいます。

Tuesday August 24th, 2010 Guests came to my apartment.
 
Fine.

I participated in the excavation work of the old tomb following yesterday.
 
My younger brother, my wife, my daughter, and my two granddaughters had come when I arrived at my apartment at about 7 p.m.
My wife discovered the controller of the air conditioner in my room and it existed.
My younger brother,my daughter, and my two granddaughters stayed at the nearby inn.
I hear that my daughter and my two granddaughters will go sightseeing in Kagawa prefecture tomorrow morning, and will return to Tokyo afterwards.
I face the old tomb excavation work.

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2010.08.25

英語で日記 二〇一〇年八月二十五日 水曜日 後期の授業の時間割の案。

二〇一〇年八月二十五日 水曜日 後期の授業の時間割の案。

 晴れ。

 私は、昨日に続き、古墳の発掘作業に参加しました。
 発掘作業は、十一人の参加でした。

 夜、私は、後期の授業の時間割の案をつくりました。
 楽しそうな授業がいっぱいで、私は、選択に迷いました。
 私は、後期も、楽しく授業を受けることができそうです。

Wednesday August 25th, 2010 Idea of class schedule at latter term.

Fine.

I participated in the excavation work of the old tomb following yesterday.

The participants were 11 people.

I made an idea of class schedule at latter term at night.

I hesitated over to choose classes because there are many interesting classes.

I think that I will attend the class happily at latter term.

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2010.08.26

英語で日記 二〇一〇年八月二十六日 木曜日 私は、発掘作業の全体像をつかみたい。

二〇一〇年八月二十六日 木曜日 発掘作業の全体像をつかみたい。

 晴れ、一時雨。

 古墳の発掘作業に参加しました。
 四日目です。
 発掘作業の区域の表土を剥ぐ作業でした。
 できるだけ、でしゃばらないようにやっています。
 このさい、発掘作業の全体像をつかみたいと思っています。

 夜、アパートに帰りついて、本日の汚れ物を、風呂場で洗いました。
 そして、それらを、洗濯機にかけました。

Thursday, August 26th, 2010 I want to grip the whole image of the excavation work.
 
Fine and temporary rain.
 
I participated in the excavation work of the old tomb.
This is the fourth day today.
The work was to peel off topsoil in the district of the excavation work same as yesterday.
I'm trying notto intrude as much as possible.
I want to grip the whole image of the excavation work this time.

I returned to my apartment at night,and washed today's soiled things in the bathroom.
And, they were put on the washing machine.

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2010.08.27

世界のみなさん。暑中お見舞いもうしあげます。藤原義一です。 

  世界のみなさん。暑中お見舞いもうしあげます。藤原義一です。 

 アメリカのあなた、韓国のあなた、高知県のあなた、東京や大阪のあなた……、お元気ですか。

 いやーっ、香川県も、ものすごい暑さです。まだ、残暑という感じではないですね。
 香川県さぬき市の「丘の上の大学」の文学部文化財学科の三年生になって半年、前期は、一応、「塁に出た」感じで終わりました。

 八月は、いいことがいっぱいありました。
 ・東京の娘夫妻や孫娘たち(小学校四年生、一年生)と交流できたました。一年生の孫娘は、高知市の、わが家でピアノ発表会をやりました。司会は、四年生の孫娘でした。孫娘たちが、「よしちゃんを批判できる」少女になっていきていることに感動しました。四年生の孫娘は、さぬき市の僕の部屋を見て、掃除をして“よしちゃんは、ひどすぎる。きちんとしてほしい”と批判していたということです(これは妻からの情報)。
 ・「本土決戦下の四国」の調査が進んでいます。東京都の、ある図書館に通いました。取材も続けています。少しずつ、流れがわかってきました。香川県立図書館も、すごく役にたっています。明日、明後日も取材に行きます。『高知の戦争 証言と調査』の十号、十一号を準備中です。
 ・それと少し関連しますが、香川県三豊市の海軍基地へのツアー、愛知県の平和のための戦争展、高松市の終戦記念日のつどいにも参加しました。
 ・後期の授業のために、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)についての勉強を始めています。これも、後期の授業のために『伊勢物語』も、読もうと思っています。
 ・二十三日から県下の、ある古墳の発掘作業に参加しています。とにかく、はじめてのことです。私の場合、調査区域の表土をはぐという作業がおもです。肉体労働は四十数年してきていないので、ここでの作業は、ズシンとこたえます。とにかく水分を、ということで、五百ミリリットル六本分の茶を持参しています。休憩時間に思いっきり茶を飲む、木陰でたゆたう快感を味わっています。
 ・三月末からの「英語で日記」は、継続しています。まだ、中学一年生レベルですが、ことし中に中学校を卒業したいと思っています。

 それは、そうと、妻は、明日早朝から福島県でおこなわれる日本母親大会に参加するそうです。彼女が大学生だった時(僕の一学年下でした)、福島県で日本母親大会がありました。彼女は、それに参加し、「こんなんだった」と生きいきと語ってくれました。今回の大会に参加しての感想も聞いてみたいと思っています。彼女の「感性」は、あのころより、ずっと羽ばたいているはずですから……。

 【これから】

 ・九月に入ると博物館実習の研修旅行に参加します。
 ・九月十五日からは、後期の授業が始まります。

 【後期の目標】

 ・オートバイの事故を起こさないように、病気を悪化させないように、健康で、すべての授業に出席したい。
 ・歴史学の基本的な知識を身につけたい。
 ・香川県の一九四五年四月からつくられたらしい三つの陸軍隠匿(いんとく)飛行場についての調査をまとめたい。
 ・発掘についての技術を身につけたい。
 ・地図の利用、加工について知りたい。
 ・博物館の展示についての技術を身につけたい。
 ・英語を「使える」ようにしたい。
 ・ノートの取り方を改善する。A4のノートを使っています。奇数ページに授業中のメモを書き、偶数ページに復習のメモを書きいれるという形にしたいと思っています。

 【授業以外の目標】

 ・研究誌『高知の戦争 証言と調査』を少なくても二カ月に一冊の割で出していきたい。
 ・短歌を継続して詠み続けたい。

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2010.08.28

英語で日記 二〇一〇年八月二十七日 金曜日 私たちは、五日目の古墳発掘作業を終えました。

二〇一〇年八月二十七日 金曜日 私たちは、五日目の古墳発掘作業を終えました。

 晴れ。

 五日目の古墳発掘作業を終えました。
 私は、肥えているので、それは、きつい作業でした。
 休憩時間が大好きになりました。
 休憩になると、木陰に入ります。
 水を飲んだ後、その場に座り込んで眠ります。
 これは快感です。
 発掘作業は、土曜日、日曜日は、休みです。

Friday  August 27th, 2010 We finished the old tomb excavation work of the fifth day.

Fine.

We finished the old tomb excavation work of the fifth day.
Because I was fat, it was tight work.
I came to love break time.
I enter shade of trees when it's time for a rest.
I drunk water,and sleep sitting down in the place.
This is pleasure.
The excavation work is a rest on Saturday and Sunday.
 

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英語で日記 二〇一〇年八月二十八日 土曜日 私は、陸軍国分寺飛行場づくりに動員されていた人にインタビューしました。

二〇一〇年八月二十八日 土曜日 私は、陸軍国分寺飛行場づくりに動員されていた人にインタビューしました。

 晴れ。
 午前中、私は、高松市に行って、陸軍国分寺飛行場づくりに動員されていた人にインタビューしました。
 この男性は、「高知・空襲と戦災を記録する会」会長だった梅原憲作さん(故人)の友人でした。

Saturday August 28th, 2010 I interviewed a person who had been mobilized to the army Kokubunji airport-making.

Fine.

I went to Takamatsu city, and interviewed a person mobilized to the army Kokubunji airport-making in the morning.
This man was a friend of Umebara Kensaku (deceased) who was "Meeting that recorded Kochi, the air raid, and war damage" chairman.

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2010.08.29

『歌集 丘の上の大学、春から夏へ。』 アップロードしました。

「okanoue_1.doc」をダウンロード

 上のところから、ダウンロードしてください。A4にしています。

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英語で日記 二〇一〇年八月二十九日 日曜日 高松市の由良山の空襲犠牲者慰霊碑。

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二〇一〇年八月二十九日 日曜日 高松市の由良山の空襲犠牲者慰霊碑。

 午前中、文学雑誌の原稿を書き上げました。

 午後、高松市牟礼の手掘りトンネルを見に行きました。

 そして、同市の由良山に行きました。
 中腹の二つの戦争壕を見ました。
 この二つは、中でつながっていました。
 そして、空襲犠牲者慰霊碑を見ました。
 アメリカ軍の空襲の犠牲者たちの碑です。

 夕立ちに遭いました。
 太陽は出ています。雨は、一部地域にだけに降っていました。
 そして、その後、美しい夕焼けを見ました。

 古本屋に行ってアジア太平洋戦争についての本二冊とザ・ビートルズのCDを買いました。

 さぬき市に帰って、うどん屋に入ると、学友がレジを打っていました。
 彼女は、きびきびと働いていました。

 本屋に行って、アジア太平洋戦争を記録したDVDを三つ買いました。

 それで、いま、アパートで買ってきたザ・ビートルズのCDを聴いています。
 「THE LONG AND WINDING ROAD」、「DON'T LET ME DOWN」、「ACROSS THE UNIVESE」、「LET IT BE」、好きな曲がたくさん入っていました。
 ロックで好きなのは、ほかには、プリンセス・プリンセス、ザ・ブルーハーツです。

Sunday, August 29th, 2010 Air raid victim cenotaph at Mt. Yurayama in Takamatsu city.

I finished writing the manuscript of the literary magazine in the morning.

I went to see the hand digging tunnel at Mure in Takamatsu city in the afternoon.

And, I went to the Mt. Yurayama in the same city.
I saw two war trenches in the hillside.
Two war trenches connected to the inside.
And, I saw the air raid victim cenotaph.
This is for victims of the air raid by the U.S. Army.

As for me, I encountered the shower.
The sun has risen. It was rainy in a part of region.
And, I saw a beautiful the glow of sunset afterwards.

I went to a used bookstore and I bought two books on the Asian Pacific War and CD of The Beatles.

I returned to Sanuki city, and I went to a noodle shop.
Then, my schoolmate was in charge of cash register.
She was working energetically.

I went to a bookstore, and bought three DVDs that recorded the Asian Pacific War.

And, I am listening to CD of The Beatles that has just bought in my apartment now.
There were "THE LONG AND WINDING ROAD", "DON'T LET ME DOWN", "ACROSS THE UNIVESE", "LET IT BE".I love those.
I love PRINCESS PRINCESS, and THE BLUE HEARTS in rock music.
 
(air raid 空襲。victim ビクティム 被害者。cenotaph セメターフ 記念碑。 )

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2010.08.30

英語で日記 二〇一〇年八月三十日 月曜日 引き締まったお腹。

二〇一〇年八月三十日 月曜日 引き締まったお腹。

 晴れ、時々曇り。

 古墳発掘作業に参加しました。
 六日目です。
 今日も、調査区の中の表土を剥ぐ作業をやりました。
 昼休み、そして帰り道に雨が降りました。

 作業が終わって、もよりの電車の駅のトイレに行きました。
 そこで、顔を洗い、どろがいっぱい付いた上着を着替えました。 
 ふと鏡を見ると、サウナの後のようなスカッとした男性の顔が映っていました。
 それは、私の顔でした。

 肉体労働をすることで、過去の引き締まったお腹を取り戻したいと思っています。
 しかし、私の、お腹中は少し膨れたままです。

Monday August 30th, 2010 Tightened stomach.

Fine,sometimes cloudy.

I participated in the old tomb excavation work.
It was the sixth day.
I did work to peel off topsoil in the investigation district today.
It rained in lunchtime and on the way back.
The work ended, and I went to a rest room at the nearest station.
Then, I washed my face.
And, I changed the dirty coat.
When I suddenly saw the mirror, a man with a face like a sauna back was reflected.
It was my face.

I want to regain my stomach that had used to be tightened in the past by doing the physical labor.
However, my stomach remains a big a little.

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2010.08.31

英語で日記 二〇一〇年八月三十一日 火曜日 教師のありかたについて。

二〇一〇年八月三十一日 火曜日 教師のありかたについて。

 晴れ。

 私は、古墳発掘作業に参加しました。
 それは、ついに七日目になりました。
 
 これとは、別件ですが、私は、ずーっと、教師のありかたということを考えています。
 私が、いま、ひとついえることは、教師はサービス業なのですから、お客様である児童、生徒、学生にていねいに接する必要があります。
 お客様の名前を呼び捨てにすることなど論外です。
  ちゃんと「さん」をつけるのが常識だと思います。
 教師が、お客様の知識不足、教師の指示を正確に実行できないこと、失敗について、大きな声をあげてなじることなど論外だと、私は思います。
  教師は、お客様に、あくまで穏やかに、優しく、励ます立場で、接するべきだと思います。
  知識不足、教師の指示を正確に実行できないこと、失敗は、教師の、これまでのサービスが通じていなかったことの結果でもあるのですから。
 幸い、私の大学には、いい先生がたくさんいます。

Tuesday, August 31st, 2010 About the way teachers are.

Fine.

I participated in the old tomb excavation work.
It became  the seventh day finally.
 
By the way, I have considered about the way teachers are since my high school days.
I can say one now, it is necessary to treat their children and their students who are their customer politely because teachers job is one of the service industry.
For me, it is out of the question such as calling customer's name without "san".
I think that it is common sense to call with "san" neatly.
I think that it is out of the question to rebuke with big voice about not being to able to do things that teachers ask, customer's limited knowledge and mistakes.
Teachers should be calm and gentle, and encourage them in any situations.
Also because it is a result of teachers' bad way of teaching, so students cannot do things that teachers ask, customer's limited knowledge and mistakes.
Fortunately, there are a lot of good teachers at my university.

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