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2010.08.15

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 68 高松中学校の生徒だった人の手記 その一 高松飛行場づくりに勤労動員されました。

 八月十三日、香川県立図書館で、以下の手記を読みました。
 水原良昌さんの陸軍高松飛行場づくりなどの勤労動員についてのものです
(『香川県医師会誌』百五十九号。一九八八年四月)。
 一九四四年五月、高松市花園町に住んでいた、高松中学校のニ年生だった水原さんは、勤労奉仕で高松飛行場予定地在住者の立ち退き、引っ越しの手伝いにいきました。
 九月からは、学徒動員で、ここに通いました。トンボ草履をはいて土方仕事をしました。
 「……飛行場には田圃の名残りや池、竹藪の繁った川、そして塚や窪みがあちらこちらに残っていて滑走路らしい姿はまだ生まれていなかった。そんな九月の飛行場は青い空と砂ぼこりの中で照りつける太陽が無闇と暑かった。二輪の手押し車で砂ぼこりの中を、土を運ぶ道程が長く暑く苦しくて、どこまで行ったら車が軽くなるのやらと、夢みる想いで土の重さが重さがうらめしかった。喉が乾いても、時々手桶で運ばれて来る湯を、竹で輪切りにした杓[しゃく]で順番待ちして一ぱい飲むのがやっとであった。」。
 彼の作業は、スコップとツルハシで土砂を運んだり、トロッコで土砂を運んだり、トラックに乗って郷東川へ石を採集に行ったりといったことでした。
 水原さんによると、建設中の高松飛行場に、時々、不時着機が着地したといいます。
 「……秋の半ばには、時々不時着機が舞い降りるようになっていた。滑走路の端には、まだトロッコの線路が横切っていて、不時着機が着地して滑走するのを見ながら『止マレ、止マレ』『ソッチヘ行ッタラヒックリカエルゾ』と心配する声援もむなしく、線路にひっかかって飛行機が逆立ちする光景が何回かあった。」

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