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2010.08.01

歴史の自習の時間 讃岐で焼いた互が藤原京の建造に使われ、それが平城京に。すごいね。古代の歴史。

 七世紀後半、讃岐には約三十か所の寺院がありました。
 権力者たちは、前時代の前方後円墳にかわって、寺院をつくりはじめていました。

 香川県三豊市三野町に宗吉互窯(むねよしがよう)跡があります(実は、きょう行ってきました) 。
 そこは、三豊市の宗吉互窯跡史跡公園になっていて、近くに宗吉かわらの里展示館があります。
 同互窯跡からは二十四の互窯と掘立建物跡(工場跡か)が発掘されています。
 七世紀中ごろ、この互窯から南に五キロメートル離れた同市豊中町の妙音寺の創建のための互を焼くためにつくられました。
 十七号互窯(最も古い。全長十三メートル)、十一号互窯、二十四号互窯を使用しています。
 その後、北東へ約十二キロメートル離れた香川県丸亀市の法幢寺(ほうどうじ)創建のための瓦を供給しています。
 八号互窯が使われています。
 そして、藤原京づくりにあたって、ここへの瓦の供給が始まります。
 三号互窯、六号互窯が使われています。
 これらは、藤原京の南面大垣に葺(ふ)かれました。
 藤原京から二百キロメートル離れた場所で焼かれた互が使われたわけです。
 このことは、三号互窯から出土した複弁八葉蓮華文軒丸互が、藤原京跡から出土した軒丸瓦と形状、模様、模様についている傷が同じだったことからわかりました。
 軒丸互をつくるときは、凹凸を逆に彫った木の型に粘土を入れ、丸互をとりつけ、接合部分をとりつけて……というかたちでつくっていきます。しかし、同じ型を使うため、何度も使っているうち型に傷がつき、それが粘土にも反映します。
 その傷までもが同じだったのです。
 その後の調査で、ここから出土した軒丸互五つ、軒平互三つが藤原京跡から出土した瓦と同じだったことがわかりました。
 当時、同互窯を乗せた船は、三野津(三野郡の港)に近く(いまは地形が変わって海から遠くなっていますが)、この港から海に出て、難波津に着き、大和川、飛鳥川を航行し、藤原京にいたりました。
 なお、藤原京をつくるための互は、奈良盆地、阿波、淡路、和泉、近江の互窯からも供給されていました。
 平城京で使われていた互は、のちに平城京をつくるときに、平城京に持っていかれました。
 宗吉互窯が藤原京に供給していた複弁八葉蓮華文軒丸互、編行変形唐草文軒平互も、平城京づくりにつかわれました。
 その後、同互窯跡からは、山田寺系互を妙音寺に供給しています。

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