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2010.08.15

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 72 高松中学校の生徒だった人の手記 その五 木太町の誘導路づくり、屋島の飛行場づくりに動員されました。。

 水原良昌さんたちの高松飛行場づくりの勤労動員は四月下旬で終わります。
 五月からは、二週間ほど、木太町の作業に動員されました。
 これは、高松飛行場から飛行機を避難させる誘導路をつくるのが目的でした。
 「木太町の作業場は、旧一一号線の玉藻中学から南へ高徳線を横切って長尾街道に至[いた]る道路沿いであった。現在、整形外科の高畠先生や皮膚科の北村先生の病医院が建っている道路沿いは、かって私たちが作業したなつかしい所あります。一面に麦畑が続く砂地でツルハシはあまり使わずスコップだけで掘れたものである。」
 水原さんたちは、木太町での五月からの二週間程度の作業が終わると高松市の屋島で道路を拡張して滑走路にする作業に、一か月少々、動員されました。
 「屋島は、東照宮の馬場先付近の約一キロにわたる旧一一号線であった。道路下の田んぼで掘った土をモッコで担いで運ぶ作業が中心であったが、幾日間かは庵治[あじ]の丸山峠まで歩いて石の採集に往復する事もあった。太い竹竿でモッコ担ぎを連日続けていると両肩が青く赤く腫れあがって痛んだ。そのうちに血膿が出て来たらどうしょうかと真剣に心配した程であるが顔をしかめながら頑張った。」

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