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2010.08.15

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 69 高松中学校の生徒だった人の手記 そのニ。 穴吹智曹長も、高松飛行場に。

 水原良昌さんは、航空隊が高松飛行場にやってきたときのことを書いています。
 「……やがて木枯らしが吹きさらす中で、上半身裸体で土掘りする元気者が幾人か現れる頃には、滑走路も次第に整備されて、九七式戦闘機と陸上攻撃機を中心とした航空隊がやって来た。学徒出陣の学生出身者で編成されていて、教官の中には加藤隼戦闘隊の撃墜王として新聞で馴染みになっていた[香川県]綾上出身の穴吹軍曹が曹長になって来ていた。赤白い顔色でや小柄のがしっとした体格の人であった。練習生の中にはインドネシア[?]出身という色黒の人達も数名いて、航空服をまとって一緒に練習していた。チキンという愛嬌のある呼名の人もいて、皆陽気で和気藹々[わきあいあい]としていた。
 空では教官機が引っ張る長い吹流を目がけて急降下して突込む練習の繰返しが毎日毎日続き、それを地上から時々眺めながらの土方作業が毎日毎日続いた。
 不時着機の種類も多くなった。零戦・彗星・一式陸攻・天山・隼・鍾馗[しょうき]・飛燕・月光・新司偵・ダグラスDC3型等々、いずれも技術の先端を行く冷徹な美しい姿をしていた。」

  穴吹曹長というのは、穴吹智さん(一九二一年十二月五日~二〇〇五年六月)のことです。
 生誕地は、香川県綾歌郡山田村。一九四一年三月、太刀洗陸軍飛行学校卒業(少年飛行兵第六期生)。空中勤務者(戦闘機操縦者)として飛行第五十戦隊第三中隊附。同年十二月、フィリピン戦線に従軍。
 四二年四月には戦隊と共に帰国、九七式戦闘機から一式戦闘機「隼」に機種改変してビルマ戦線に転戦。以後、ビルマ・インド・西南中国、ニューギニア戦線に従軍しました。四三年十月八日には、ビルマ・バイセン上空でP-38戦闘機二機撃墜、さらにB-24爆撃機一機に体当たりしこれを撃墜。曹長に昇進。四四年ニ月、明野陸軍飛行学校附教官、ビルマ留学生等の操縦教育を担当。フィリピンの戦いの中に四式戦闘機「疾風」を空輸する任務につきました。

 九七式戦闘機(きゅうななしきせんとうき)は、大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ27。略称・呼称は九七戦、九七式戦など。陸軍最初の低翼単葉戦闘機として、一九四〇年前後の主力戦闘機です。開発は中島飛行機、製造は中島のほかに立川飛行機と満州飛行機でもおこなわれました。
 零戦(ぜろせん、れいせん)は、零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)のことです。大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。海軍の艦上戦闘機。開発元は三菱重工業。中島飛行機でもライセンス生産され 彗星(すいせい)は、日本海軍の艦上爆撃機。彗星三三型単発複座の高速艦上爆撃機として設計された彗星は、艦上爆撃機としてはかなりの小型機で、零式艦上戦闘機とほぼ同サイズです。機体下部の爆弾倉と中翼配置、空力を重視した平滑な機体外形が採用されていて、水冷式発動機独特の先細りの機首を持つ前~中期生産型は、空冷式がほとんどだった日本の軍用機の中では特徴的な外見をしています。海軍の航空技術研究機関である空技廠で開発されました。
 一式陸攻は、一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき)。大日本帝国海軍の陸上攻撃機です。前作の九六式陸上攻撃機同様、三菱内燃機株式会社の設計・製造でした。
 天山(てんざん)は、日本海軍の艦上攻撃機。主に、艦艇攻撃用の雷撃機として開発・運用されました。制式採用は四三年八月。九七式艦上攻撃機の後継機として、中島飛行機に開発させたものです。
 隼(はやぶさ)は、一式戦闘機のことです。日本陸軍の南方進出のために航続距離の長い戦闘機の要求によって生まれた軽量戦闘機です。
 鍾馗(しょうき)は、大日本帝国陸軍の二式単座戦闘機(にしきたんざせんとうき)。キ番号(試作名称)はキ444。略称・呼称は二式単戦、二単、二式戦闘機、二式戦、ヨンヨンなど。開発・製造は中島飛行機。
 飛燕(ひえん)は、大日本帝国陸軍の三式戦闘機(さんしきせんとうき)。キ番号(試作名称)はキ61。呼称・略称は三式戦、ロクイチなど。開発・製造は川崎航空機。
 月光(げっこう)は、日本海軍の夜間戦闘機です。中島飛行機が開発しました。
 新司偵(しんしてい)は、大日本帝国陸軍の一〇〇式司令部偵察機(ひゃくしきしれいぶていさつき)。キ番号(試作名称)はキ46。略称・呼称は一〇〇式司偵(百式司偵)、一〇〇偵、一〇〇司、ヨンロクなど。開発・製造は三菱重工業。

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