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2010年11月

2010.11.01

英語で日記 二〇一〇年十一月一日 月曜日 博物館実習の博物館見学のリポートを仕上げました。

二〇一〇年十一月一日 月曜日 博物館実習の博物館見学のリポートを仕上げました。

 雲り。

 博物館実習の博物館見学のリポートを仕上げました。

 午前十時、妻が高知市に向かいました。
 彼女は、午後から会議があるそうです。

 私も、そろそろ二時間目の授業の時間です。

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英語で日記 二〇一〇年十一月一日 月曜日 また、英文のレシピをつくっています。

二〇一〇年十一月一日 月曜日 また、英文のレシピをつくっています。

 雲り、のち晴れ。

 博物館実習の博物館見学のリポートを仕上げました。

 午前十時、妻が高知市に向かいました。
 彼女は、午後から会議があるそうです。

 今夜、難しい課題と四時間も格闘しました。

 英文のレシピづくりです。


Monday, November 1st, 2010 I make a recipe written in English again.

Cloudy,after fine.

I finished a report of museum visit of the museum training.

At 10:00 a.m., my wife returned to Kochi city.
She seems to have a meeting from the afternoon.

I fought with a difficult problem tonight for four hours.

  【こんなレシピをつくりました】

The instructions are things to make an English sentence with all the following verbs.

remove
chop off
press out
make
straighten
dry
sprikle
shake off
coat with
dip
preheat
start
harden
keep fly
boil
become
float
drain


A recipe

Fried cuttlefish and eggplant

For two people

Materials

Rolled cuttlefish
Eggplants / 4
Frying oil / appropriate quantity
Wheat flour / appropriate quantity
Raw eggs / 2
Cold water / appropriate quantity
Pepper / appropriate quantity
Soy sauce / appropriate quantity
Salt / appropriate quantity
Tea / appropriate quantity

Let start cooking.

 【1】

1、Remove calyx of eggplants. Chop off the eggplant to edible size shaped strip of paper.

2、Defrost the cuttlefish of a frozen roll and straighten it. And cut them in the shape of a strip of paper in the same way as eggplants.

3、Sandwich the strip of paper-shaped cuttlefish between two strip of paper-shaped eggplants and press out it and harden it.

4、Put wheat flour in a bowl and put two eggs into it and put the contents. Pour cold water a little extra and stir it. Thus, batter were completed.

5、Dip the cuttlefish and eggplants in batter.

6、Take them out and shake off some batter.And dry them for fifteen minutes .

7、Put the cuttlefish and eggplants with batter in oil which preheated to 170-180 degrees Celsius and fry them.

8、Serve fried eggplants in a plate and pepper and coat with soy sauce.

 【2】

1、Add wheat flour to left batter and harden it a little.

2、Pour them in oil to fly them light brown

3、Put them in a flat plate and salt them.

You will eat with tea.

A recipe

Fried cuttlefish and eggplant
(cuttlefish カドフェッユ イカ。eggplant エッグプランツ ナス)
For two people

Materials
(メティリアル 材料)

Rolled cuttlefish
Eggplants / 4
Frying oil / appropriate quantity
(appropriate アプロプエッツ 適切な。quantity コンテティ 量)
Wheat flour / appropriate quantity
(Wheat ウイーツ コムギ。Flour フラワー 小麦粉)
Raw eggs / 2
(Raw ロー 生の)
Cold water / appropriate quantity
Pepper / appropriate quantity
(Pepper ペパー コショウ)
Soy sauce / appropriate quantity
Salt / appropriate quantity
Tea / appropriate quantity

Let start cooking.

 【1】

1、Remove calyx of eggplants. Chop off the eggplant to edible size shaped strip of paper.
(calyx キャレックス 花のガク。Chop off ぶった切る。edible エデブル 食用に適する。Shape形作る。strip 細長い一片)

2、Defrost the cuttlefish of a frozen roll and straighten it. And cut them in the shape of a strip of paper in the same way as eggplants.
(Defrost  解凍する。frozen 凍った。straighten  ストレイツン 真っすぐにする)

3、Sandwich the strip of paper-shaped cuttlefish between two strip of paper-shaped eggplants and press out it and harden it.
(press 押す。harden ハードン 固める)

4、Put wheat flour in a bowl and put two eggs into it and put the contents. Pour cold water a little extra and stir it. Thus, batter were completed.
(content 中身。Pour ポウア 注ぐ。extra 割増しの。stir スター かき混ぜる。Thus ザース このように。 Batter こねもの。complete仕上げる)

5、Dip the cuttlefish and eggplants in batter.
(Dip デプ ちょっと浸す)

6、Take them out and shake off some batter.And dry them for fifteen minutes .

7、Put the cuttlefish and eggplants with batter in oil which preheated to 170-180 degrees Celsius and fry them.
(preheated プリフィーツ オープンなどを前もって熱する。Degree 度。Celsius ソシアス 摂氏度)

8、Serve fried eggplants in a plate and pepper and coat with soy sauce.
(coat with に塗る)

 【2】

1、Add wheat flour to left batter and harden it a little.

2、Pour them in oil to fly them light brown
(brown  茶色の)

3、Put them in a flat plate and salt them.
(flat 平らな)

You will eat with tea.

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2010.11.02

英語で書きたい!! 「テンプラの衣は、clothes ではありませんよ」。

 「テンプラの衣は、clothesではありませんよ」。

牛乳・小麦粉・卵などのこねもの batter(バラ)

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英語で書きたい!! 「塩を振るは、wave salt ではありませんよ」。

 「塩を振るは、wave salt ではありませんよ」

 塩を振る…… shake salt on~ / salt~

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英語で書きたい!! 「洗濯物は、washing thing ではありませんよ」。

 「洗濯物は、washing thing ではありませんよ」。

 洗濯物 washing / laundry(ランズリィ)

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時の天皇陛下を袖にした、すごい意志の持ち主、「なよたけのがぐや姫」。

 月曜日の授業で平安時代の物語『竹取物語』の話がでました。
 で、きょう、この物語を、もう一度、読み直してみました。

 「なよたけのがぐや姫」は、言い寄ってきた五人の「貴公子」をケチョンケチョンにして追っ払ってしまいます。
 そして、天皇陛下にも、ヒジテツを食わせます。
 「なよたけのがぐや姫」は、すっごく自分の意思を持って行動します。
 時の天皇陛下をも恐れずに。
 すごい物語ですね。
 
 もし、昭和天皇が即位して以降の、一九四五年八月十五日(終戦)までに、こんな内容の、そのときふうの物語が出版されたら……。

 「恐れ多くも……」ということで、発売禁止、作者と出版者は不敬罪で牢獄へとなっていたかもしれませんね。

 以下、『竹取物語』の天皇陛下関連の所のあらすじです。

 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/taketoripage.htm から。

 行がえをしました。

 

 さて、かぐや姫の器量が世に比類なくすばらしいことを帝がお聞きあそばされ、内侍の中臣のふさ子に、「多くの者の身を滅ぼすほどに、かたくなに結婚を拒むというかぐや姫とはどれほどの女か、出かけていって見て参れ」とおっしゃった。

 ふさ子は命令をお聞きして出かけていった。

 竹取の翁の家では恐縮してふさ子を招き入れ、対面した。

 お婆さんに内侍がおっしゃるには、「帝の仰せで、かぐや姫の器量が優れておられると聞いた。とく見て参れとのことでしたので参上しました」と言うと、「それならば、そのように申して参りましょう」と言って奥へ入った。

 かぐや姫に、「すぐに、あの御使者に対面なされよ」と言うと、かぐや姫、「よい器量でもありませぬ。どうしてお目にかかれましょうか」と言ったので、「情けないことをおっしゃる。帝の御使いを、どれほどおろそかになさるのか」と言うと、かぐや姫が答えるには、「たとえ帝がお召しになって仰られたとしても、恐れ多いとも思いません」と言って、いっこうに姿を見せようとしない。

 いつもは生んだ子のようなのに、このたびはこちらがとても気後れするような気配で、つっけんどんに言うので、お婆さんは思い通りに責めたてることができない。

 お婆さんは内侍のもとに戻ってきて、「残念ながら、この幼い娘はものの判断もつかない者ですので、対面しますまい」と申し上げた。

 内侍は、「必ずお会いして参れとの仰せでしたのに、お会いせずにどうして帰れましょうよ。国王の御命令を、この世に住んでおられる人がどうしてお受けせずにいられましょうか。道理に合わないことをなさいますな」と、お婆さんが恥じるほどの言葉遣いで言ったので、これを聞いたかぐや姫はなおさら承知するはずもない。

 「国王の御命令に背いたというならば、早く殺してしまわれよ」と言った。

 この内侍は御所に戻って、このことの次第を奏上した。

 帝はお聞きあそばされて、「多くの男を殺してきた心であるよ」とおっしゃり、その時は沙汰やみになったが、それでもやはりかぐや姫をお思いになられ、この女の心積もりに負けてなるものかと、翁に御命じになった。

 「お前のかぐや姫を献上せよ。顔かたちがよいとお聞きあそばし、御勅使を遣わしたが、その甲斐もなく会わずに終わってしまった。このようなけしからぬままでよいものか」とおっしゃった。

 翁は恐れ入ってお返事を申し上げるには、「この幼い娘は、まったく宮仕えできそうもなく、持て余し悩んでおります。そうは申しましても、戻りまして帝の仰せを娘に申し聞かせましょう」と奏上した。

 これをお聞きあそばされ、帝がおっしゃるには、「どうして、翁の手で育てたのに、自分の自由にならないのか、わが子ならどうにでもなるだろうに。この女をもし献上するなら、翁に五位の位を授けるものを」

 翁は喜び、家に帰ってかぐや姫に相談し、「このように紛れもなく帝は仰せになられた。それでもやはりお仕え申し上げないのか」と言うと、かぐや姫が答えて言うには、「一切、そのような宮仕えはしないと思っておりますので、無理にお仕えさせようとなさるならば消え失せてしまうつもりです。官位を授かるようにして差し上げ、私は死ぬばかりです」。

 翁が答えて、「そんなことをおっしゃるな。官位も、わが子を見られなくなっては何になろうか。それにしても、どうして宮仕えなさらないのか。死ななければならない理由があるものか」と言う。

 「それなら嘘かどうか、お仕えさせ死なずにいるか試してごらんなさい。私への志が並大抵でなかった多くの方々を破滅させてしまったのに、昨日今日に帝がおっしゃったことに従ったのでは、人々に恥ずかしい」と言うと、翁は、「世間がどうあろうと、あなたの命の危険こそが、私にとって重大事であるので、やはり宮仕えいたしかねることを参内して申し上げよう」と言い、参内して、「仰せのおことばのもったいなさに、あの娘を帝の御元に参上させようとあれこれいたしましたが、宮仕えに差し出すなら死ぬと申します。造麻呂の手に生ませた子でもありませぬ。昔、山で見つけた子なのです。そのため、気性の世の普通の人に似ていないのでございます」と奏上してもらった。

 帝が仰せになるには、「造麻呂の家は、山の麓に近いと聞く。御狩りの行幸をなさるような体で、かぐや姫を見ることができるだろうか」と。

 造麻呂が申し上げるには、「たいへん結構なことです。何の何の、かぐや姫がぼんやりしているようなときに、不意に行幸なさり御覧になられたら、きっと大丈夫でしょう」と奏上するので、帝は急に日を決めて、御狩にお出かけになり、かぐや姫の家にお入りになってご覧になると、光に満ちて坐っている人がいた。

 帝は、かぐや姫というのはこの人であろうとお思いになって近くにお寄りになり、奥へ逃げて入ろうとするかぐや姫の袖をとらえなさると、顔を隠したものの、帝は初めてご覧になり、類なく美しくお思いになって、奥に入るのを許さないと言い、連れていらっしゃろうとする、それにかぐや姫が答えて申し上げるには、「私の身は、この国に生まれておりましたら、召使としてお使いにもなれましょうが、そうではないので連れていらっしゃるのはたいそう難しいことでしょう」と申し上げた。

 帝は「どうしてそのようなことがあろうか。やはりどうしても連れていく」と言って、お輿を寄せられると、このかぐや姫は、急に姿が消えて影になってしまった。

 惨めで情けなく無念にお思いになり、まことに普通の人ではなかったと思われ、「それならば御供には連れて行くまい。元の姿におなりなさい。せめてそれを見るだけにして帰ろう」と仰ったので、かぐや姫は元の姿に戻った。

 帝は、なおさらすばらしい女だとお思いになる気持ちが抑えがたい。

 このようにかぐや姫を見せてくれた造麻呂の取り計らいをうれしくお思いになった。

 さて、御供の諸役の人々に、翁はもてなしを盛大にしてさしあげた。

 帝は、かぐや姫を残してお帰りになるのを、飽き足らず残念にお思いになったが、魂はとどめている気持ちで実はお帰りになられたのだ。

 このように、帝はかぐや姫と御心をお互いに慰め合っていらっしゃるうちに、三年ばかりたって、春の初めころから、かぐや姫は、月が趣きをもって出ているのを見て、いつもより物思いにふけるようすになった。

 側に仕えている人が、「月の顔を見るのは忌むことです」と制するが、ともすれば人のいない間にも月を見ては、ひどく泣く。

 七月十五日の月には、奥から出てきて座り込み、ひたすら何かに思い悩んでいるようすである。

 近くの侍女たちが竹取の翁に告げて言うには、「かぐや姫は、ふだんから月をしみじみと御覧になっていますが、このごろではただ事ではございません。ひどく思い嘆かれることがおありに違いありません。よくよくご注意なさってください」と言うものだから、翁がかぐや姫に、「どういう心地で、そのように思い悩んで月を御覧になるのか。けっこうな世の中なのに」と言う。

 かぐや姫は、「月を見ると、世の中が心細くしみじみと悲しく感じられるのです。どうして何かを嘆きましょうか」と言う。

 ある夜、かぐや姫のいる所に行って見ると、それでもやはり何か思いつめているようすでいる。

 これを見て、「私の大切な君よ、何事を思い悩んでおられるのか。思いつめておられるのは何事か」と尋ねると、「思いつめることなどありません。何となく心細いだけです」と言うので、翁は、「月を御覧になるな。これを御覧になるから、物思いをするようになってしまう」と言うと、「どうして月を見ずにいられましょうか」と言って、やはり、月が出ると出て行って座っては嘆いて思い悩んでいる。

 月の出ない夕闇の時分には思わないようである。

 でも、月の出るころになるとやはり、しきりに思い嘆く。

 召使いたちは「やはり思い悩むことがあるに違いない」とささやくが、親を始め、だれもが訳がわからない。

 八月十五日近くの月に縁側に出て、かぐや姫はたいそうひどく泣いておられる。

 今では人目も気にかけずお泣きになる。

 これを見て、親たちも「何ごとか」と大騒ぎして尋ねる。

 かぐや姫が泣く泣く言うには、「以前にも申し上げようと思いましたのですが、お話すればきっと心をお惑わしになると思い、今まで黙って過ごしてきたのでございます。けれどもそうしてばかりもいられないので、打ち明けます。私はこの国の人ではないのです。月の都の人です。前世からの約束によって、この世界に参りました。もう帰らなければならないときになり、この月の十五日に、あのもとの国から迎えがやってくるでしょう。避けることもできず、お二人がこのことを聞けば思い嘆きになることが悲しく、そのことをこの春先から思っては嘆いていたのでございます」と言って、ひどく泣くので、翁、「これは何ということをおっしゃる。竹の中から見つけて、菜種ほどの大きさでいらしたのを、私の背丈に立ち並ぶまでに養い申し上げたわが子を、いったい何者がお迎えするというのか。そんなことをどうして許せようか」と言い、「まずこの私が死のう」と泣き騒ぎ、ひどく堪え難いようすとなった。
 

 かぐや姫が言うには、「私には、月の都の人である父母がいます。ほんの少しの間ということで、あの国からやって参りましたが、このようにこの国で長い年月を経てしまいました。今ではあの国の父母のことも思い出さず、ここでこのように長い間過ごさせていただき、お爺様お婆様に慣れ親しみ申し上げました。月の国に帰るといってうれしい気持ちはありません。ただ悲しいばかりです。それでも自分の心のままにならず、お暇申し上げるのです」と言って、いっしょになって激しく泣く。

 召使いたちも、長年慣れ親しみながらそのまま別れてしまうのは、気立てなどに気品があり愛らしかった、その見慣れた姿を恋しく思うであろうことが堪え難く、湯水ものどを通らず、翁や嫗と同じ心で悲しがった。

 このことを帝がお聞きあそばして、竹取の翁の家に御使者を遣わされた。

 御使者に竹取の翁は出て会ったが、ただ泣くばかりである。

 あまりの嘆きに、ひげも白くなり、腰もかがまり、目もただれてしまった。

 翁は、今年は五十歳ばかりであるのに、思い悩み、まことにわずかな間で老人になってしまうものと見える。

 御使者が、帝の仰せごととして、「周りの者がたいそう心苦しく思うほど思い悩んでいるというのはまことか」とおっしゃる。

 竹取の翁は泣く泣く申し上げる。

 「この十五日に実は、月の都からかぐや姫の迎えがやって来るのです。もったいなくもよくお尋ねくださいました。この十五日は、御家来衆を派遣くださり、月の都の人がやって来たら捕らえさせていただけないものか」。

 御使者は帰り参上して、翁のようすを申し上げ、翁が奏上したことなどを申し上げた。

 帝はそれをお聞きあそばして、おっしゃるには、「一目見た私の心でさえかぐや姫のことを忘れられないのに、明け暮れ見慣れてきたかぐや姫を月の都にやっては、翁はどれほど辛く思うであろうか」

 その十五日、役所役所に命じて、勅使少将高野の大国という人を任命し、六衛府の武官あわせて二千人の人を竹取の翁の家にお遣わしになった。

 家にやって来て、築地の上に千人、屋根の上に千人、翁の家の召使いたちの多人数にあわせて、あいている隙間もなくかぐや姫を守らせた。

 この守護する召使いたちも、男は弓矢を携え、母屋の内では女どもに番をさせて守らせた。

 嫗は、塗籠の中にかぐや姫を抱きかかえている。

 翁は、塗籠の戸を閉ざして、戸口に待機している。

 翁が言うことは、「これほど守りを固めた所で、天人にも負けるものか」と、そして屋根の上にいる人々に言うには、「少しでも何か空を飛んだら、すぐに射殺してくだされ」。

 守る人々は、「これほどにして守っている所に、針一本でも飛んできたら、射殺してのけてしまおうぞ」と言う。

 翁はこれを聞いて頼もしく思った。

 これを聞いてかぐや姫は、「私を閉じ込めて守り戦う準備をしたところで、あの国の人に対して戦うことはできないのです。弓矢でもってしても射ることはできないでしょう。このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまうでしょう。戦おうとしても、あの国の人が来たら、勇ましい心をふるう人もきっといなくなるでしょう」。

 翁は、「あなたをお迎えに来るその人をば、長い爪で眼をつかみつぶそう。そやつの髪の毛を取って、かきむしって落としてやろう。そやつの尻をひんむいて、大勢の役人たちに見せて恥をかかせてやろう」と腹を立てている。

 かぐや姫が言うには、「声高におっしゃいますな。屋根の上にいる人たちが聞くと、たいそう具合が悪い。お爺さん、お婆さんのこれまでの心尽くしを思い知らないかのようにお別れするのが、何とも残念でございます。この世に長くとどまるという前世からの宿縁がなかったために、まもなくお別れしなくてはならないのが悲しいのです。親たちの世話をわずかも致さず帰っていくその道中も、私の心は安らかにはなりますまい。この幾日かの間も、端近に出て座って、今年いっぱいの猶予を願ったのですが、どうしても許されず、思い嘆いています。お爺さん、お婆さんのみ心をばかり悩まして去ってしまうのが、悲しく耐え難く思います。あの月の都の人は、たいそう華やかで美しくて、老いることは実はないのです。思い悩むこともありません。そのような所へ戻りましても、殊更にうれしくもございません。お爺さん、お婆さんが老い衰える姿をみて差し上げられないのが何よりも心残りで、恋しゅうございましょう」と言うと、翁は、「胸が痛くなることをおっしゃいますな。立派な姿の月の国の使者であろうと、じゃまはできまい」と、いまいましがった。

 こうしているうちに、宵の時刻が過ぎ、午前0時ごろに、家の周りが昼の明るさ以上に一面に光りわたり、満月の明るさを十倍にしたようで、そこにいる人の毛穴まで見えるほどだった。

 空から人が雲に乗って降りてきて、地面から五尺ほど上がったところに立ち並んでいる。

 これを見て、家の内外にいる人々の気持ちは、物の怪に襲われるようで、戦おうとする気持ちもなくなった。

 何とか思い起こして弓矢を取って矢をつがえようとするが、手に力が入らず萎えてしまった。

 その中で心のしっかりした者が、恐怖をこらえて矢を放とうとしたが、あらぬ方向へ飛んでいってしまい、荒々しく戦うこともなく、ただ茫然として、お互いに見つめ合っている。

 立っている人たちは、衣装の美しく華やかなこと、比類がない。

 空飛ぶ車を一台ともなっている。

 車には薄絹を張った天蓋(てんがい)が差しかけてあった。

 その行列の中で王と思われる人が、家に向かって、「造麻呂、出て参れ」と言うと、猛々しくふるいたっていた造麻呂も、何か酔ったような心地がして、うつぶせにに伏してしまった。

 王が言うには、「お前、愚か者よ。ちょっとした善行があったから、お前の助けにと、わずかな間ということでかぐや姫を地上に降ろしたのに、多くの年月、多くの黄金を得て、身を変えたようになってしまった。かぐや姫は罪をおつくりになったために、このように卑しいお前のところに、しばらくいらっしゃったのだ。今は罪を償う期限も終わったのでこのように迎えにきているのに、翁は泣いている。できないことだ。かぐや姫を早くお出し申し上げろ」と言う。

 翁が答えて申すには、「かぐや姫を養育申し上げて二十年余りになった。それを『わずかな間』とおっしゃるので、いぶかしく思いました。また、別の所にかぐや姫という人がいらっしゃるだろう」と言う。

 そして「ここにおられるかぐや姫は、思い病気をなさっているので、お出になれますまい」と申し上げると、その返事はなく、屋根の上に飛ぶ車を近づけて、「さあ、かぐや姫。汚れた所にどうして長くおられるのか」と言う。

 締め切っていた戸が、突然、ずんずん開いていく。

 格子なども、人がいないのに開いていく。

 お婆さんが抱きかかえて座っていたかぐや姫は、外に出てしまう。

 とどめることができそうもなく、翁たちはただ空をさし仰いで泣いている。
 

 竹取の翁が心乱れて泣き伏しているところに近寄って、かぐや姫が、「私も心ならずしてこのように出て参りますので、せめて天に上っていくのだけでもお見送りください」と言うものの、「いったい何のために、ただでさえこんなに悲しいのにお見送りするというのか。私にどうせよというおつもりで捨ててお上りになるのか。ぜひ連れて行ってください」と泣き伏すので、かぐや姫も心乱れてしまう。

 「手紙を書き置いて参りましょう。恋しく思ってくださる折々に、取り出して御覧になってください」と言って、泣きながら書いたことばは、
 

 <この国に生れたのであれば、お爺様お婆様を悲しませないころまでごいっしょに過ごさせていただくべきですが、それもできずお別れすることは、重ね重ねも不本意で残念に思います。脱いで残しておく着物を、私の形見と思って御覧ください。月が出る夜には、御覧になってください。お二人をお見捨てして参ります空から、落ちてしまいそうな気がいたします。>と書き置く。

 天人の中の一人に持たせた箱がある。

 天の羽衣が入っている。またもう一つの箱には不死の薬が入っている。

 一人の天人が、「壺に入っている御薬をお飲みなさい。汚れた所のものを召し上がっていたので、きっとご気分が悪いに違いない」と言って、壺を持って寄ってきた。

 かぐや姫はほんのわずか御薬をなめて、少しを形見として脱ぎ置いた着物に包もうとすると、天人は御薬を包ませず、お召し物を取り出して着せようとした。

 その時、かぐや姫は「しばらく待ってください」と言う。

 「羽衣を着せてしまった人は、心が変わってしまうといいます。その前に何か一言、申し上げておかなくてはならないことがありました」と言って、手紙を書き始めた。

 天人は、遅いとじれったがり、一方かぐや姫は、「わけのわからないことをおっしゃらないで」と言って、とても静かに、朝廷に差し上げる御手紙をしたためた。

 ゆったりとしたようすであった。

 「こんなに大勢の人をお遣わしくださり、私をお引きとどめようとあそばされましたが、拒むことのできない迎えが参り、私を連れて行ってしまいますのを、無念で悲しく思います。宮廷に出仕できずに終わってしまいましたのも、このように面倒な身でございましたので。ご納得できずお思いあそばされましたでしょうけれど、帝のお言葉を強情にお受けせず、無礼な者とお思いになり御心におとどめなさっていると、心残りになっております」と書き、

 <今はお別れと天の羽衣を着るときになってはじめて、あなた様をしみじみ思い出します。>

 と書き加え、壺の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて献上させようとした。

 頭中将に天人が手渡した。

 頭中将が受け取ると、天人がいきなりさっと天の羽衣を着せたので、かぐや姫のこれまで翁をいたわしく、いとしいと思っていた気持ちが消えてしまった。

 羽衣を着たかぐや姫は、憂い悩むことがなくなってしまい、そのまま車に乗り、百人ばかりの天人を引き連れて、天に上ってしまった。

 その後、翁も嫗も、血の涙を流して悲嘆にくれたものの、何の甲斐もなかった。

 あのかぐや姫が書き残した手紙を読んで聞かせても、「どうして命が惜しかろうか。いったい誰のためにというのか。何事も無用だ」と言って、薬も飲まず、そのまま起き上がりもせず、病に伏せっている。

 頭中将は、家来たちを引き連れて帰り、かぐや姫を戦いとどめることができなかったことを、事細かに奏上した。薬の壺にかぐや姫からのお手紙を添えて差し上げた。

 帝は手紙を御覧になって、たいそう深くお悲しみになり、食事もお取りにならず、詩歌管弦のお遊びなどもなかった。

 大臣や上達部をお呼びになり、「どこの山が天に近いか」とお尋ねになると、お仕えの者が奏上し、「駿河の国にあるという山が、この都にも近く、天にも近うございます」と申し上げた。

 これをお聞きになり、

 <もう会うこともないので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何の役に立とう。>

 かぐや姫が献上した不死の薬に、また壺を添えて、御使いの者にお渡しになった。

 勅使に対し、つきの岩笠という人を召して、駿河の国にあるという山の頂上に持っていくようお命じになった。

 そして、山の頂でなすべきことをお教えあそばした。

 すなわち、お手紙と不死の薬の壺を並べ、火をつけて燃やすようにとお命じになった。

 その旨をお聞きし、兵士らを大勢連れて山に登ったことから、実はその山を「富士の山(士に富む山)」と名づけたという。

 そのお手紙と壺を焼いた煙が今も雲の中へ立ち上っていると言い伝えている。

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英語で日記 二〇一〇年十一月二日 火曜日 私は、課題に追われています。

二〇一〇年十一月二日 火曜日 私は、課題に追われています。

 今夜は、変わったものをつくって食べました。
 水を入れた鍋に、ハマチのアラ、モヤシ、生のウドン、醤油を入れて煮込むという料理です。
 おいしい。
 明日の朝も、これをつくる予定です。

 今夜、四国学の今週の分が終わらせました。
 そして、英会話の授業の宿題も完成しました。

 やるべきことでいっぱいで、クラクラしています。
 来週の火曜日に提出の博物館実習の手書きで、イラスト入りのリポートを書く必要があります。
 そして、同日の博物館経営論の試験のための準備をする必要があります。
 そのあとの、四国学の試験の準備をしなければなりません。
 製図も仕上げなくてはなりません。
 演習のためのリポートも書かなくてはなりません。
 地理学のリポートも書かなくてはなりません。
 教育学の授業のための視聴覚教材もつくらなくてはなりません。
 それと、『高知の戦争 証言と調査』のための原稿を執筆する必要があります。

 あすは、とにかく、博物館実習のリポートに着手したいと思っています。
 病気で寝込むことだけは避けたいと思っていてます。
 いろんな課題を、正面突破したいと思っています。

Tuesday, November 2nd, 2010 I am pressed by a problem.

I made a strange thing and ate it tonight.
It is meal that bones and heads of young yellowtail, bean sprout, and raw udon were cooked with soy sauce and water in a pan.
It was delicious.
I am going to make this tomorrow morning.

Shikoku study in this week has finished tonight.
And I finished homework of English conversation class.

I feel dizzy because I have many things to do.
I have to write a report with an illustration by handwriting for the presentation of museum training next Tuesday.
I have to prepare for examinations of museum management theory on the same day.
I must prepare for the examination of Shikoku study after that.
I must finish drafting.
I must write report for practice.
I must write geographical report.
I must make audiovisual materials for pedagogic classe.
I have to write a manuscript for "war testimony and investigation of Kochi".

Anyway, I want to start writing a report of the museum training tomorrow.
I want to avoid being in bed by a disease, at least.
I'm thinking about breaking through various problems squarely.

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何てことをするんだ、ロシアのメドベージェフ大統領の国後(くなしり)島を訪問。

 何てことをするんだと思いました。 ロシアのメドベージェフ大統領の国後(くなしり)島訪問のことです。

 ロシアの政権は、アジア太平洋戦争のときの無法に、まったく反省がありません。

 インターネットを探したら、こんな小気味のいい見解が載っていました。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-02/2010110201_01_1.html

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最近の短歌をまとめました。 「探し物は何ですか?」。

「探し物」求め続けて半世紀 まだ旅の中 さぬきで学ぶ
このごろは 大学までの急坂を大股ズシズシ登っているよ
刺激受け やりたいことがいっぱいの 秋の夜長は もう二時過ぎる
押し寄せるリポート、リポート たじろいで何も進まぬこのごろのこと
壁いっぱい リポートなどの締め切りをピン止めしてる 「しっかりしろよ!」
「これでいい。この方向で」 先生の助言受けてる なんて優しい
はがき三つ 書いて今夜は終了か わが人生はかくも短し 
一語ずつ辞書引き続け 二ページの英作文が いま形なす
お隣の「ハクション!」なども聞こえ来る 学生アパート わがイビキもか
「あんたはね、勉強してて」 あとすべて 代わってくれてる妻ではあるが……

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2010.11.03

短歌 「落ちる日と 青い秋空 光る海……」。【写真一枚】

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落ちる日と 青い秋空 光る海 踊ってるさま 百枚も撮る

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英語で日記 二〇一〇年十一月三日 水曜日 DVDで日本映画「ここに、幸あり」を見ました。

二〇一〇年十一月三日 水曜日 DVDで日本映画「ここに、幸あり」を見ました。

 晴れ。

 いい天気です。
 布団を、一枚、乾しました。

 午前十時から午後五時まで、博物館実習の手書きのリポートを書きました。
 少し書けない部分があるので、明日、確認して補充したいと思っています。
 
 「いま海に行けば、いい夕日が見れそうだ」
 突然、そう思いました。
 午後四時半、カメラを持って、オートバイで、志度の海辺に行きました。
 磯で魚を釣っている人たちや海で水上スキーをしている人がいました。
 夕日の写真を百枚ぐらい撮りました。
 しかし、気に入ったのは一枚だけでした。

 夜、DVDで台湾の映画「ターンレフト・ターンライト」と日本映画「ここに、幸あり」を見ました。

 「ここに、幸あり」を表現する言葉は「あ、え、い、う、え、お、あ、お」と「一堂平和」です。

 静かな、すごい映画でした。

 「休日をたっぷり楽しんだ」という気持ちになりました。

Wednesday, November 3rd, 2010  I watched a Japanese movie "Kokonisatiari" with DVD.

Fine weather.

It is fine.
I aired one piece of futon.

I wrote a report of the museum training by handwriting from 10:00 a.m. to 5:00 p.m.
I had several parts which I couldn't write.
I will learn them again tomorrow and want to supplement it.

"I guess, I can watch the good setting sun now if I go to the sea".
I went to the seaside of Shido by my motorcycle with my camera at half past 4 p.m.
There were people who were fishing in the beach and a person who was waterskiing in the sea.
I took around 100 pieces photographs of the setting sun.
However, the photograph which I liked was only one piece.

I watched a Japanese movie "Kokonisatiari" with DVD.
The expression to express this movie was next 2 things.
"A,E,U,E,O,A,O"
"Itidouheiwa(We will live peacefully hand in hand together)"
It was a quiet movie.

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短歌 「カーペンターズ 夜中にかけて 踊ってる……」。

 カーペンターズ 夜中にかけて 踊ってる 何か合うんだ 独りの住まい 

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2010.11.04

英語で日記 二〇一〇年十一月四日 フリーの地図ソフトを探しています。Thursday, November 4th, 2010 I look for free map software.

 二〇一〇年十一月四日 木曜日 フリーの地図ソフトを探しています。

 晴れ。

 地理学の基礎実習は、刺激的でした。
 ここで学んだことを生かしたいと思っています。
 当面の課題は、パソコンで、現在のAの範囲の地図に、アジア太平洋戦争中のAの範囲の空中写真を重ねて、二つの関連がわかるような図版をつくりたいということです。
 こういうことのできる、フリーソフトを探しています。

 アパートに帰ってメールを見ると、大学から、「こんなリポートを提出しなさい」というメールが来ていました。

 DVDで韓国映画「マイ・リトル・ブライド」を見ました。

Thursday, November 4th, 2010 I look for free map software.

Fine weather.

For me, the geographical basics training was stimulating.
I want to make use of what I learned here.
My present problem is putting aerial photo of range A during the Asian Pacific Wars on a current map of the range A with a PC, and I want to make it a plate which is understandable two connection.
I look for the free software that I can do that.

When I returned to my apartment, I watched an email from our university. It says, "submit a report like this" .

I watched Korean movie "My little bride" with DVD.

(range 範囲)

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2010.11.05

日本映画「ここに、幸あり」のこと。

 日本映画「ここに、幸あり」のメモ。

 加藤幸は、アルバイトをしながら演劇研究所でレッスンに励んでいます。

伸び盛りの若手を尻目に、彼は、自分の「個性」を見出すことができません。

そんなある日、彼はマネージャーの指示で玄海灘に浮かぶ離島・姫島に暮らし小さな旅館を一人できりもみしている吉田邦の芸大受験の演技指導に出かけることになります。

家々に「一堂平和」と書かれたの板がついている姫島は、人間どうしのふれあいがある温かい島でした。

シャイで不器用な邦、そんな邦にいらつく幸…二人の演劇レッスンが始まりました。

 監督は、けんもち聡。

 出演、高瀬アラタ、須田邦裕、竹谷佳織。

 浪人生の吉田邦を演じた須田邦裕は、舞台となった姫島の出身です。

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英語で日記 二〇一〇年十一月五日 金曜日 あの人にも、この人にも会いたいと切望しています。

 二〇一〇年十一月五日 金曜日 あの人にも、この人にも会いたいと切望しています。

 晴れ。

 夜、火曜日の試験(一科目)のための勉強をしました。

 土曜日、日曜日に、東京で開かれる全日本規模の祭りに行きます。
 このお祭りで、これまでに知り合いになった、いろんな人たちと再会したいと思っています。
 香川県の人たち。
 高知県の人たち。
 東京都で知り合った人たち。
 北海道で知り合った人たち。
 埼玉県で知り合った人たち。
 茨城県で知り合った人たち。
 広島県で知り合った人たち。
 山口県で知り合った人たち。
 大阪で知り合った人たち。
  京都で知り合った人たち。
 兵庫県で知り合った人たち。
 長野県、富山県、新潟県で知り合った人たち。

Friday, November 5th, 2010 I want to meet this person, that person and so on.

Fine weather.

I studied for examinations (one subject) of Tuesday's class at night.

I will go to an all over Japan scale festival opened up in Tokyo on Sunday and Saturday.
I want to meet various people who got to know by this festival so far again.
People of Kagawa.
People of Kochi.
People who got to know in Tokyo.
People who got to know in Hotukaido.
People who got to know in Saitama.
People who got to know in Ibaraki.
People who got to know in Hiroshima.
People who got to know in Yamaguchi.
People who got to know in Osaka.
People who got to know in Kyoto.
People who got to know in Hyogo.
People who got to know in Nagano, Toyama, Niigata.

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2010.11.07

英語で日記 二〇一〇年十一月六日 土曜日 すごかったよ、赤旗まつりの人間彫刻。【写真一枚】

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二〇一〇年十一月六日 土曜日 赤旗まつりの人間彫刻に感激しました。

 晴れ。

 私たちの息子が、三十六歳になりました。

 息子は、父親に批判の刃を向けてやまない、煙ったい奴です。
 しかし、おめでとうございます。
 父母の彼への誕生日祝いは、年齢にちなんだ額の現ナマです。

 香川県からのツアーで東京都江東区の夢の島公園で開かれた日本共産党の第四十回赤旗まつりに行って来ました。
 このまつりは、すごいですね。
 同時刻に、会場内の、いろんな場所で、いろんな催しがやられていて、そこには、いろいろな楽しさが用意されています。
 この日、一番楽しめたのは、男性一人が、いろんな彫刻になりきるという大道芸です。
 人間彫刻とでもいうのでしょうか。

  実は、妻も高知市から、ここにやって来たのですが別行動でした。
 私たちは、なんか、ちぐはぐな夫婦です。

 実は、私も、いつか高知県で、数万人規模の「青年たちが集まる、『未来を自分たちの手で切り開こう』というテーマの政治的なまつり」を企画してみたいと思っています。
 舞台は、青年の主張の場にします。
 一グループ十五分の持ち時間です。
 主張は、演説でも、パフォーマンスでも、演奏でも朗読でも、踊りでもOKです。 ただし、その中に、みずからの主張がこめられている必要があります。
 観客の投票で五位まで選び、賞金を出します。
 子育て世代のために、子どもの広場も設けます。
 保育園や学校の先生の智恵を借りて、子どもたち自身がやって楽しむ企画をたくさん用意します。
 模擬店も、たくさん出します。
 生産者を組織し、県下の各地から自慢の製品を持って来るというようにしたいと思っています。

Saturday, November 6th, 2010 I was moved with the human being sculpture at the Akahata Festival.

Fine weather.

Our son became 36 years old.
A son is a unapproachable guy who cannot help pointing a blade of criticism to father.
However, congratulations.
His birthday gift from us is actual money of sum associated with his age.

I went to the No. 40 Akahata Festival by Japanese Communist Party with a tour from Kagawa in Yumenoshima Park of Koto-ku, Tokyo.
This festival is terrible.
Various events are held at various places there, and, various pleasure was prepared for.
The most enjoyable thing is a street performance that a man  got into a sculpture, that day.
Will you say it even a human being sculpture?

In fact, my wife came over here from Kochi city, too, but we didn't walk around together.
What we are is an incoherent couple.

In fact, I want to plan "the political festival to attract young men~ theme "open up the future by yourself"~ " of tens of thousands of scales in Kochi, someday.
The stage is for a place to speak assertion for young.
The time limit of one group is 15 minutes.
The assertion can be reading aloud their speech, performance or even dancing.
But it is necessary to be put their own opinion in that.
5 groups are choosen by spectator vote and get the prize money.
For a child care generation, I prepare open space for childlen.
I gather advice from teachers of a nursery school and a school, and prepare fun plans that children can enjoy thmeselves .
I put refreshment stand a lot.
I organize producers association and want them to bring their products from each area in a prefecture.

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英語で日記 二〇一〇年十一月七日 日曜日 赤旗まつりのミニSLは、思い出を乗せて走る。【写真四枚】

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二〇一〇年十一月七日 日曜日 赤旗まつりのミニSLは、思い出を乗せて走る。

 赤旗まつりは、二日目になりました。
 ずっと子ども向け企画を見ていました。
 ミニSLは、すごいですね。
 本当に石炭を炊いて走っています。

 私が高知大学の学生のころには、まだ、土讃線は蒸気機関車でしたね。
 トンネルに差し掛かると急いで窓を閉めたものです。
 高知女子大学の学生たちと一緒に、この列車に乗って、どこかの会議のために出かけたことがあります。
 車内で、私が甘えて、年上の学生に膝枕をしてもらって居眠りしました。
 甘酸っぱい思い出です。
 あの素敵な女性は、いま、どこで、どうしているでしょうか。

 おっと、そんな話ではありません。
 妻が、東京都に住んでいる娘と二人の娘を連れて、会場にやって来ました。
 一緒に猿回しを見ました。
 すごいショーです。
 でも、首に綱をつけられて芸をさせられている猿が、現代のサラリーマンを思わせて、ちょっと哀れです。
 
 孫たち二人をミニSLに乗せました。
 そのころに、東京都に住んでいる息子の「つれあい」も、ここにやって来ました。
 娘、二人の孫、息子の「つれあい」は泥で球をつくる企画にはまってしまいました。

 上の孫は、球が思い通りにできなくて、目にいっぱい涙をためながらやっていました。

 この子は器用ではありません。

 しかし、この涙があるかぎり、どこまでも新しいことを獲得しながら生きていくのだと思います。

 いい子です。

 ここで、私は、みんなとお別れをしました。
 そろそろ、香川県に帰る時間です。

Sunday, November 7th, 2010 Mini-SL of the Akahata Festival runs with memories.

The Akahata Festival was the second day.
I watched plans for children all the time.
Mini-SL is awesome.
It really runs with coals.

When I was a student of Kochi University, Dosan line was a steam locomotive.
I closed a window hastily when it approached a tunnel.
With students of Kochi Women's University, I got on this train, and we went out for a meeting.
In the train, I behaved like a baby and I put my head on an older student's laps and dozed off.
It is my bittersweet memory.
How is the wonderful woman doing now, where is she?

My wife came to the festival with our daughter and her two daughters who lived in Tokyo .
We watched a monkey trainer together.
It was a wonderful show.
But the monkey who was attached a rope to the neck was controlled to perform. And he reminds me of a modern office worker and looks slightly poor.
 
We took our two grandchildren to mini-SL.
"The spouse" of my son who lived in Tokyo came over here.
My daughter, my two grandchildren, "the spouse" of my son were absorbed in a plan to make a ball with mud.

The older grandchild cannot play the ball just as she wanted while saving eyeful tears.
She is not skillful.
However, I think that she lives with acquiring a new thing forever as long as there are these tears.
She is a very good girl.
I am moved to tears by her admiration when I watch her.

Here, I said goodbye to everybody.
It was time to return to Kagawa soon.

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2010.11.08

英語で日記 二〇一〇年十一月八日 月曜日 脳みそに汗をかいた一日。

二〇一〇年十一月八日 月曜日 脳みそに汗をかいた一日。

  晴れ。

 忙しい一日でした。
 朝、英会話の授業の宿題の、英文のレシピを直しました。
 「I+動詞」の文章にしていましたが、ぜんぶ主語なしの命令形に変えました。

 二時間目、視聴覚教育メディア論の授業を受けました。

 昼休み、博物館実習の十五ページのリポートを見直しました。

 三時間目、英会話の授業を受けました。
 先生に、学生が板書した英語のテンプラのレシピの間違いを正しなさいと指示されました。
 かなりおたおたしましたが、仲間のアドバイスで完璧に直すことができました。
 先生に宿題を提出しました。
 先生は、前の宿題を返してくれました。
 それには、丁寧にチェックが入っていました。

 四時間目、図書館に行って、例のリポートの見直しを終えました。
 このリポートと合わせて二つのリポートを提出しました。
 そして、喫茶店に行って『伊勢物語』の勉強をしました。

 五時間目、『伊勢物語』の授業を受けました。

 私のアパートに帰ってから、明日の、博物館経営の試験ための勉強をしました。 
 さて、これからインターネットで四国学の授業を受けます。

Monday, November 8th, 2010 It was the day when my brain sweated today.

Fine weather.

Tt was a busy day today.
I corrected the recipe written in English which is homework of English conversation class in the morning.
I wrote it in "I+ verb", but I changed it all into an imperative without the subject.
The second lesson, I took a class of the audiovisual education media theory.
For lunch break, I reviewed 15 pages of reports of the museum training.
The third lesson, I took a class of English conversation.
The teacher asked me to correct mistakes of the tempura recipe in English which a student wrote on a blackboard.
I considerably got flustered, but I was able to get over this by advice from my friends completely.
I submitted homework to the teacher.
She returned other homework to me.
It contained checks carefully.
The fourth lesson, I went to the library and finished review of the report in question.
I submitted this report and another reports.
And I went to a coffee shop and studied "Isemonogatari".
The fifth lesson, I took a class of "Isemonogatari".
I returned to my apartment.
I studied the museum management for tomorrow examination.
By the way, I take a class of the Shikoku study on the Internet from now on.

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『伊勢物語』の十二段の「女」を盗んだ「男」は捕まったの、逃げおおせたの??

 『伊勢物語』の十二段を読みました。

 むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野(むさしの)へ率(ゐ)て行(ゆ)くほどに、盗人(むすびと)なりければ、国の守(かみ)にからめられにけり、女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、「この野は盗人(ぬすびと)あなり」とて、火つけむとす。女、わびて、
  武蔵野(むさしの)は今日(けふ)はな焼きそ若草の
   つまもこもれりわれもこもれり
 とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率(ゐ)ていにけり。

 「男」は、国の守に捕まったとの解釈が一般的なようですが(そうすると、いつの時点で捕まったのでしょうか……)、私は、「男」は逃げおおせたと解釈しています。

 「男」は国の守に捕まりかけたけれど、「女」とともに若草のなかに逃げ込みました。追う側が、若草に火を放って二人をあぶり出そうとします。そこで、「女」が歌います。「夫も私も、この中にいるので、そんなことをしないで」と。そして、「女」は出頭します。そのすきを突いて若草の「女」とは別の所にいた「男」は、姿をくらまします。女をばとりて、ともに率(ゐ)ていにけり。」の「ともに」は「男」とともにではなくて、捕まえた側とともにという意味です。

 それにしても、男の行動は情けないですね。

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You Tubeの「 尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ」。

  You Tubeに 「尖閣諸島中国漁船衝突事件 流出ビデオ 」があります。

 このことで思うのですが、そもそも、なぜ、民主党政権が、このビデオを国民に見せようとしなかったのかが大問題ですね。

  変です。変すぎます。

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2010.11.09

短歌集 うれしいね、若い衆の心配り。

 菓子配る 女子学生が 一人いて 老学生にも 一つくれたよ

 若い衆 電話をくれて 「飲みましょう」 うれしいっす、君の気持ちが

  前者は、歴史地理学の始まる前の教室で。

 後者は、十一月八日夜のことです。

 二人に「ありがとう」。

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2010.11.10

英語で日記  二〇一〇年十一月九日 火曜日 七時間かけてリポートづくり。

 二〇一〇年十一月九日 火曜日 七時間かけてリポートづくり。

 晴れ。

 四時間目、私たちは、博物館経営論の試験を受けました。
 試験が終わってから、いやなことが分かりました。
 私は、重要な点で、間違ったことを書いてしまっていました。

 私は、夜七時から午前二時まで演習のリポートを書きました。
 

Tuesday, November 9th, 2010 I took seven hours and wrote a report.

Fine weather.

The fourth lesson, we took an examination of the museum management theory.
I noticed what I didn't want to know after the examination was over.
I have written a wrong thing in an important point.

I wrote a report of the practice from 7:00 p.m. to 2:00 a.m.

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英語で日記 二〇一〇年十一月十日 水曜日 私と、そのネコとの出合い。

 二〇一〇年十一月十日 水曜日 私と、そのネコとの出合い。

 雲り。

 考古学の時間に、新しい製図の方法を学び、「こんなこともできるのか」ということを学びました。
 しかし、まだ、うまく製図することがきません。
 演習の時間に、提出したリポートは、いつものように鋭い評価を受けました。
 おかげで、いい勉強をさせていただいています。

 アパートに帰ったら、香美市の女性から『高知の戦争 証言』の原稿が届いていました。
 それは、すごく、いい内容でした。
 感激しました。

 それはそうと、昨日から、あるネコに慕われています。
 昨日の夕がた、アパートの下で、そのネコと、すれ違いました。
 気が付いたら、そのネコは、三階の私の部屋の前まで、つけて来ていました。
 部屋のドアを閉めても、そのネコは、ドアの外で、「ウンニャー、ウンニャー」と鳴き続けるのです。
 「エサがほしいのだろう」と思って、そのネコに、魚を一切れ上げました。
 しばらくして、ドアの外を見ると、そのネコは、エサを食べつくして、どこかへいってしまっていました。
 そして、きょう、アパートにに帰り着くと、また、同じネコがついてきました。
 そのネコに、また、エサをあげました。

Wednesday, November 10th, 2010 An encounter with a cat and me.

Cloudy.

I learned a new method of drafting in archeological time and learned things that I was moved.
However, I cannot draw well, yet.
A report which I submitted in a practice class had scathing evaluation as usual.
I can study very much thanks to the grace.

When I returned to my apartment, a manuscript of "the war testimony of Kochi" arrived from a woman in Kami city.
It was very good contents.
I was moved.

Apart from that, I am loved by a certain cat from yesterday.
Yesterday evening, I passed the cat under my apartment.
When I noticed, the cat followed me to my room on the third floor.
Even if I close the door of my room, the cat continues crying "mew mew "outside the door.
I thought that the cat wanted bait" and, gave the cat one slice of fish.
The cat ate up bait and went somewhere when I looked the outside of the door.
And the same cat came again today when I came back to home my apartment.
I gave bait to the cat again.

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2010.11.11

香川県さぬき市津田 見て歩き ① 江戸時代からの津田の松原 【写真四枚】

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 二〇一〇年十一月十一日午前中、香川県さぬき市津田を見て歩きました。
 そこで見たものを、何回かにわけて紹介します。

 まず、津田の松原(香川県立琴林=きんりん=公園)です。
 さぬき市の津田支所を目指します。
 津田の松原は、その周辺にあります。
 松原は、約一キロメートルにわたって続いています。
 「樹齢六百年を超える」松もあるといいます(リーフレット「五感で感じるさぬき市の旅 ニッポンのすべてが感じられる町」。さぬき観光協会)。
 しめ縄を巻いた松を二つ見つけました。
 なるほど大きい。
 こんな松が、七本あるとのことです(前出のリーフレットによります)。
 これらの松は「江戸時代の初期に石清水八幡宮の防風林として植えられたのがはじまりとされています」(小冊子『「自立する都市」人いきいき 親自然・真健康・新創造 さぬき市』。さぬき市商工観光課)。
 「アジア太平洋戦争中に松の根を切り出して松根油(しょうこんゆ)をとったというけれど、この松原ではどんなことが起こったんだろう?」なんて、考えながら歩きました。
 海岸へ続く、願い橋・叶(かに)え橋の橋げたを見たら、いっぱい貝がついていました。
 海の水は透き通っていました。
 右手に、前期に行った、けぼ山古墳が見えました。
 来年の夏は、この海で、しっかり泳ぎたいなと思いました。

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香川県さぬき市津田 見て歩き ② ニホンオオカミの像が二つある津田の石清水八幡宮。【写真三枚】 

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 さて、その石清水八幡宮です。
 最初は、江戸時代にできたものでしょうか。
 入口の鳥居は、明神鳥居でした(ほか神明=しんめい=鳥居などがあります)。
 鳥居を抜けると門があります。
 随神門(ずいしんもん)です。金剛柵(こんごうざく。もともとは、仏を守るためのもの)、花頭窓(かとうまど。鎌倉時代からの禅宗様のものです)があります。八脚門で、両側に神の家来・隋神の像が納められています。
 拝殿に行って驚いたのは、その前に二対のニホンオオカミの像があったことです。獅子の代わりのような様子でひかえています。アウンには、なっていません。
 拝殿は、平面五軒の建物です。舞良戸(まいらど)になっています。私たちは、木の床に座り込んで天井を見上げました。天井は、真ん中は格天井(ごうてんじょう)になっていて、その左右は平天井(ひらてんじょう)です。両側の平天井には、麒麟(きりん)、獅子(しし)の絵が描かれています。この拝殿の向こうに、へい殿、祭殿があります。
 この建物にくっついた形で本殿があります。
 ここの、いくつかある蟇股(かえるまた)には、動物の彫刻が施してあります。
 この神社には、神明鳥居もありました(伊勢神宮は、この形です)。
 しかし、変形でした。

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香川県さぬき市津田 見て歩き ③ 門の屋根に鯱鉾(しゃちほこ)がある津田の光西寺。【写真一枚】

 

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 石清水八幡宮から東のほうに行くと、寺があります。
 まずは、光西寺(こうせいじ)に行きましょう。
 正面の門は、二階建ての楼門(ろうもん)形式です(鎌倉時代のはじめに日本で考え出されたものです)。
 一階には屋根がありません。二階には縁がついています。ここに鐘(かね)がおいてあります。下にヒモがたれていますので、これで鳴らすようにしているようです。一階の親柱を支える柱は、曲がっています。一本の木を、こうした形に削り出したようです。四角い柱は、コーナーを少し削り取って面を取っています(几帳面=きちょうめん)。屋根の左右に鯱鉾(しゃちほこ)があるのにはびっくりしました。
 本堂の入口の左右は、ケヤキの丸柱をつかっていました。
 左側の門から外に出ましたが、棒を二つ立てて、上の方に横に棒を一本つらぬくという形の冠木門(かぶきもん)でした。

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香川県さぬき市津田 見て歩き ④ 津田の法道寺 香川は愛媛県だったんですね。

 その近くの法道寺です。
 門柱に彫られた文字を見ておどろきました。
 「愛媛県さぬき国香川郡高松……」
 明治十九年のものです。
 このころは、まだ香川県というのはなかったようです。
 本堂は、三軒堂です。

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香川県さぬき市津田 見て歩き ⑤ 屋根で天女が舞っている津田の実相寺。【写真一二枚】 

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 実相寺にやって来ました。
 立派な寺です。
 門は、八脚門です。
 本堂の戸は、住宅風の舞良戸(まいらど)です。屋根の互にある彫刻は、天女が向かい合っている構図です。

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香川県さぬき市津田 見て歩き ⑥ 津田のまち並み 「右 白とり道」、「左 やくり道」の道標もありました。

 津田のまち並みを見ました。
 歴史をしっかり留めている家がたくさんあります。
 ・ 杉皮づくり屋根を持った木製のショーウインドウのある家。
 ・ 中二階のある家。
 ・ 洗い出しの壁の二階建ての洋館。
 ・ きりこみはぎの石垣のある家。
 ・ うちこみはぎの石垣のある家。
 石の道標がありました。「右 白とり道」、「左 やくり道」とありました。
 白鳥、八栗です。

 

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英語で日記 二〇一〇年十一月十一日 木曜日 『高知の戦争 証言と調査』十号が、刷り上がりました。Thursday, November 11th, 2010 "War testimony and investigation 10 of Kochi" came off the press.

二〇一〇年十一月十一日 木曜日 『高知の戦争 証言と調査』十号が、刷り上がりました。

 私たちは、朝から、基礎演習の建築史の授業で、さぬき市津田に行きました。
 それは、私にとって、とても刺激的な授業でした。
 私は、とくに、石清水神社で、ニホンオオカミの像を見たのに感激しました。
 
  高知市の妻からの連絡によると、『高知の戦争 証言と調査』十号が刷り上がったとのことです。
 私は、この研究誌の原稿を集めているだけです。
 この研究誌の、編集・印刷・製本のみなさんは、大変、苦労しています。
 ありがとうございました。

Thursday, November 11th, 2010 "War testimony and investigation 10 of Kochi" came off the press.

We went to Sanuki city Tsuda by the building history class of the basic practice from morning.
It was a very stimulating class for me.
I watched the image of the Japanese wolf in Iwasimizu Shinto shrine, I was moved.

According to the communication from my wife in Kochi city, "war testimony and investigation 10 of Kochi" seem to have come off the press.
I collect manuscripts of this study magazine.
All of editing / print / bookbinding of this study magazine has a hard time very much.
Thank you.

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短歌 「ブログ読み 涙ためてる 友を思って」。

 「やめようよ。自分いじめは」 ブログ読み 涙ためてる 友を思って

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2010.11.12

讃岐うどん おいしいから好き。

  四月から香川県に住むようになりましたが、住んで良かったのが、おいしい讃岐うどんを毎日のように食べられることです。また、讃岐うどんの需要を広めるとりくみにも関心を持ちました。
 香川県の、うどん製造業は百十五軒(二〇〇八年十二月三十一日現在)、うどん店は約九百軒あります。
 讃岐うどん振興で特筆しなければならないのが、讃岐うどん用の県内産小麦「さぬきの夢」の開発・生産です。
 香川県内におけるうどんの原料小麦は県内産が使用されていましたが、作付面積の大幅な減少と全国への宣伝によるブームによって消費量が増大したことにより、一九八〇年代以降はオーストラリア産のASW(Australian Standard White Noodle Blend)が主流となっていました。
 二〇〇年の香川県内生産の小麦は六百二ヘクタールという状態でした。
 そうしたなか、香川県製粉製麺協同組合、本場讃岐うどん協同組合、JA香川県、香川県が、新たな讃岐うどんに適した県内産小麦の開発、推進を始めました。
 そして、「さぬきの夢2000(さぬきのゆめにせん)」品種が開発されました。
 二〇〇一年、まず二十三ヘクタールの耕地で栽培が始められました。
 そして、その後、「さぬきの夢2009」も開発されました。 
 両者の二〇一〇年産は、「さぬきの夢2000」が千四百九十七ヘクタール、「さぬきの夢2009」が二十産ヘクタールになっています。
 この「さぬきの夢」の使用は、讃岐うどんのイメージを高めています。
 香川県の製麺業界は、讃岐うどんの需要を広めるために、つぎのようなことをおこなっています。
 香川県の製麺業界は、いろんな知恵を出しています。
 さぬき麺業は、小学校などで「うどん教室」をやっています。うどんに親しんでもらおうという企画です。私は、こうした、讃岐うどんそのものの魅力を体験的に知ってもらう企画は大切だと思います。
 香川県生麺事業協同組合(現・さぬきうどん協同組合)は、一九八〇年に、七月二日を「さぬきうどんの日」に定めました。
 業界は、この日に、讃岐うどんの無料接待などをやっています。 
 新しい食習慣を定着させる運動もやっています。
 さぬきうどん振興協議会(真部正敏会長)の「年明けうどん」のキャンペーンです。
 これは、同協議会が、二〇〇八年十月に提唱しました。
 それによると、「年明けうどん」とは、元旦から一月十五日までに食べるうどんのことで、メニューとしてうどんに紅いトッピングなどを添えることとするというものです。
 PR用のポスター、のぼり、ハッピなどをつくっています。このキャンペーンの推進のためのホームページも開設されています。
 十一月六日、七日に東京でおこなわれた日本共産党の赤旗まつりでも讃岐うどんの店が出て、「年明けうどん」のハッピを着た人たちが立ち働いていました。
讃岐うどんの今後の課題は、「すべての讃岐うどんを県内産小麦で」を実現することではないでしょうか。
 「さぬきの夢」は、がんばっていますが、まだ、香川県のうどん生産量の5%程度しか供給量がありません。ASWなどとの併用を余儀なくされています。
 宇高連絡船の船のうどん屋がスタートしたのは、一九六九年だったそうですが、私も、そのころ、宇高連絡船に乗船したら一番先に、そのうどんを食べに行きました。 おいしくて、讃岐うどんのファンになりました。
 讃岐うどんの強みは、そのおいしさです。
 讃岐うどん普及の活動では、やはり讃岐うどんのおいしさを体験していただいて、納得していただいて広げていくというのが大切だと思っています。

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藤原義一の提案 高知県立総合芸術大学をつくりたい。ご意見を!!

  以下、藤原義一の提案です。お読みいただいて、ご意見をいただければ、うれしい!!

 私は、高知県立総合芸術大学をつくることを提案します。

  中学校、高校、大学のクラブ、サークルでやってきた芸術活動を発展させるために、再度、学びたい。
 いま、職場や地域で、ある芸術活動をやっているが、レベルを上げたい。
 定年を機に、こんな芸術活動をやりたい。
 こういった人の思いにこたえられる高知県で初めての芸術大学です。

 科目は、以下のとおりです。
 音楽(各分野の基礎理論。観賞。作詞。作曲。声楽、合唱、各種楽器、日本舞踊、バレエ、ストリートダンスの初級、中級、上級)、美術(各分野の基礎理論。観賞。デッサン。日本画、油絵、一こま・四こま漫画、ストーリー漫画、彫塑、木彫、陶芸、染色などの初級、中級、上級)、写真(各分野の基礎理論。ポートレート、人物、風景、ニュース写真の初級、中級、上級)、映画(各分野の基礎理論。記録映画、フィクション、コマーシャル、アニメーションの初級、中級、上級)、文学(各分野の基礎理論。俳句、川柳、短歌、エッセイ、ルポルタージュ、小説の初級、中級、上級)。
全体として、実際に「やってみる」ことを重視した授業にします。

 新聞、雑誌などの募集に応募し、発表会に参加しなど、学んだ成果を世間の評価にさらしていくことを重視します。

 特徴は、学科をもうけないことです。全学生が、メーンを定めながら、いくつかの分野の科目を総合的に受講できるようにします。
 たとえば、私なら、まず、短歌の初級、彫塑の初級をメーンにしながら声楽の初級、ピアノの初級、デッサン、写真の人物の初級、記録映画の初級を受けたいですね。
極めるために、同じ科目を二度、三度……と受講することも可能です。

 教員は、高知県内の一人者を選任します。ストーリー漫画など、県内で見つけられない分野の教員は、県外からベテランをお願いします。

 四年制、一学年定員二百人。一時限百二十分で、月曜日から金曜日は午後六時から二時限の授業、土曜日、日曜日は午前九時から五時限の授業とします。科目は、半年で二単位とします。正規の学生にはなれないが、単位を履修したいという人を歓迎します。学生と同人数までいていいと思います。

 現実問題として、校舎は昼間にやっている既成の大学に同居します(大学の授業がないときです。しかし、音楽や美術の授業のための設備投資は必要です)。

 高知県は、日本で一番貧乏な県です。
 しかし、県民は芸術活動に熱心です。いろんな分野の音楽家がいっせいに街に出て 演奏するイベントもあります。ストリートダンスでは一つのメッカになっています。高知が彫刻や絵画の講座を盛んに開催しています。漫画家についての博物館も二つあります。民間の文学学校もあります。短歌や俳句もさかんです。出版も盛んです。
 こうした高知県には、芸術大学が必要です。
 卒業生は、県下の各芸術分野の、よき創造者として、いい働きをすると思います。
 「芸術が花咲く、人が集い楽しむ」高知県で人も呼びませんか。

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英語で日記 二〇一〇年十一月十二日 金曜日 おいしい味噌汁ができました。

二〇一〇年十一月十二日 金曜日 おいしい味噌汁ができました。

 雲り、後晴れ。

 登校のときはカッパを着て行きました。
 一時限目が終わったとき外を見ると晴れあがっていました。

 二時限目が終わり、一目散にアパートに帰りました。
 まずは、洗濯をしました。
 よく乾きそうです。
 そして、サバのアラとナスを使って味噌汁をつくりました。
 「う、うまい!!!」
 これは、商売になりそうなできです。

 午後一時から勉強をしました。
 電話やインターネットで調べながら四国学の試験のためのメモをまとめました。
 できあがりました。
 しかし、もう、午後五時半です。
 近くに買い物に行きました。
 そして、つぎの課題にとりくみました。
 生涯教育論のリポートです。
 これは、のりのりで書きました。
 実は、何度も考えて、下書は、すでにできていました。
 で、それが終わったのが、午後八時半でした。

Friday, November 12th, 2010 I made delicious miso soup.

Cloudy,and fine.

I wore a rain jacket when I went to school.
When I looked at the outside after the first period was over, the sky cleared up.

The second period was over, and I returned to my apartment.
At first I washed laundry.
Because it was fine, it seemed to dry well.
And I made miso soup with mackere and eggplant.
"Good!"

I studied from 1:00 p.m.
I wrote a notes for examinations of the Shikoku study.
I have finished my notes.

It was already half past 5 p.m.
I went for shopping near my apartment.
And I started with the next assighnment.
It was a paper of the lifetime education theory.
I enjoyed this and wrote it.
In fact, I thought about the contents of the paper many times, and there was already the rough copy.
Well, it was half past 8 p.m. when it was over.

(mackere マクロ サバ)

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2010.11.15

英語で日記 二〇一〇年十一月十三日 土曜日 瀬戸内地域のジャーナリストの懇親会に参加。

二〇一〇年十一月十三日 土曜日 瀬戸内地域のジャーナリストの懇親会に参加。

 晴れ。

 午後、松山市の愛媛大学で開かれた「松山から『坂の上の雲』を問う」の集いに参加しました。
 これは、「大韓帝国強制併合百年」にちなんだ愛媛大学学生祭行事でした。

 夜は、同市で開かれた瀬戸内地域のジャーナリストの懇親会に参加しました。

Saturday, November 13th, 2010 I participated in a social gathering of journalists in Setouti.

Fine weather.

I participated in a gathering of "Think about the Sakanouenokumo from Matsuyama" held in Ehime University in Matsuyama city in the afternoon.
It was an event of Ehime University student festival that was related to 100 years  since Japan merged Korea.

At night,I participated in a social gathering of journalists in Setouti  opend in the city.

(merge 併合する)

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英語で日記 二〇一〇年十一月十四日 日曜日 平和資料館・草の家創立二十一周年記念の行事。

二〇一〇年十一月十四日 日曜日 平和資料館・草の家創立二十一周年記念の行事。

 晴れ。

 夜、高知市の高知城ホールで、平和資料館・草の家創立二十一周年記念行事が開かれました。
 私も、それに参加しました。
 盛会でした。

Sunday, November 14th, 2010 The 21st anniversary foundation memory event of the Grass Roots House Peace Museum.

Fine weather.

In Kochi-jo Castle hall in Kochi city, the 21st anniversary foundation memory event of the Grass Roots House Peace Museum was held at night.
I participated in it, too.
It was a successful meeting.

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英語で日記 二〇一〇年十一月十五日 月曜日 アメリカ軍が一九四五年五月二十八日に香川県を撮影した空中写真。

二〇一〇年十一月十五日 月曜日 アメリカ軍が一九四五年五月二十八日に香川県を撮影した空中写真。

 雲り。

 午前六時、高知駅発の列車に乗り、二度乗り替えて志度に帰ってきました。
 一休みして、授業に出ました。

 夜、日本地図センターから、アメリカ軍が一九四五年五月二十八日に香川県を撮影した空中写真と、そのデジタルデータ五枚分が届きました。
 しかし、データ量が多すぎてか、パソコンで開くことができません。
 パソコンのハードディスクのローカルディスクを見たら九割がた使用していました。
 これでは、開くことができないのは当たり前です。
 データを、せっせと外付けのハードディスクに移動しました。
 それで、やっと写真を開くことができました。
 しかし、もうかなりの時間になりました。
 あわてて、あす提出の博物館情報論のリポートを書き上げました。
 構想は、できていたので比較的短時間に仕上がりました。

Monday, November 15th, 2010 The aerial photo that U.S. forces photographed Kagawa on May 28, 1945.

Cloudy.

I got on a train from Kochi Station at 6:00 a.m. and I transferred twice and returned to Shido.
I took a short break and went for a class.

Aerial photo that U.S. forces photographed Kagawa on May 28, 1945 and the five pieces of digital data reached my apartment from the Japanese map center at night.
However, they cannot be opened with my PC probably because there is too much quantity of data.
I watched the local disk of the hard disk of my PC.
It was used 90%.
In this, it is natural that I cannot open.
I moved data to an external hard disk.
Thus at last I was able to open a photograph.
However, it already took considerable time.
I finished writing a report of the museum information theory which tomorrow is deadline in a hurry.
Because my design was done, I could finish it comparatively in a short time.

(aerial 空中の。external 外部の。considerable 相当な。comparatively 比較的)

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【写真】 松山城の堀の鳥。

 

Photo

  十一月十三日、松山市の松山城の堀で出合った鳥です。

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【写真】 秋と出会った午後 松山市。

 

Photo_2

 十一月十四日、松山市で見た紅葉です。

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2010.11.17

英語で日記 二〇一〇年十一月十六日 火曜日 風邪、風邪、どっかへ行ってくれ。

 二〇一〇年十一月十六日 火曜日 風邪、風邪、どっかへ行ってくれ。

 晴れ。

 オートバイで走っていると、お腹の所や足元が寒いですね。
 季節は、もう冬になっているのですね。

 日曜日に撮影したたくさんの写真を、写真店でプリントしてもらいました。

  高松市役所の地下の生協で、高松市内の都市計画図を五枚買いました。
 それらは、いまやっている陸軍秘匿飛行場の調査のためのものです。
 帰りに、さぬき市の作業着の店で、長い靴下、暖かそうな作業着などを買いました。
  
 午後五時半から、あすの演習のためのリポートを書き始めました。
 午後十一時五十分に終了しました。
 二十二ページのものになりました。
 
 それはそうと、私は、風邪を引いたようです。
 明日は、もう一つリポートを書かなくてはいけませんし、あさっては試験が一つあります。
 風邪、風邪、どっかへ行ってくれ。 

Tuesday, November 16th, 2010 A cold, a cold, go somewhere.

Fine weather.

I move by my motorcycle.
My stomach and steps are cold when I run by my motorcycle.
It has been already winter.
I took a lot of photographs on Sunday.I printed them in a photograph shop today.

I bought five pieces of figures of city planning in Takamatsu city at a consumers cooperative shop in the basement of Takamatsu city government office.
They are things for investigation of the army concealment airport that I study now.
I bought long socks and work wears which seemed to be warm in a shop of work wears in Sanuki city on the way home.
  
I have begun to write a report for tomorrow's practice from half past 5 p.m.
It was finished at 11:50 p.m.
As for it, it had 22 pages.

Apart from that, I seem to have caught cold.
I must write one more report tomorrow, and there will be one examination the day after tomorrow.
A cold, a cold, go somewhere.

(consumer コンシューマー 消費者。cooperative コーオペレイティブ 協同の。investigation インバスティゲイション 調査、研究。concealment コンチオメンツ 隠すこと。wears 衣服)

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二〇一〇年十一月十七日 水曜日 「どこでもドア」が欲しい。

二〇一〇年十一月十七日 水曜日 私は、「どこでもドア」が欲しい。

 晴れ。

 ふと、漫画の「ドラえもん」に出てくる「どこでもドア」が欲しいなぁと思いました。
 念じると、ドアが出現して、それに入ると、行きたいと思っている所に瞬時に到着するというものです。
 たとえば、高知県にいる友人に、こう電話します。
 「あと半時間後に、そっちへ行くから、二人でビールを飲もうよ」
 OKなら、ビールを一抱え持って「どこでもドア」から、彼の近くの公園に行きます。
 そこで、二人でビールを飲んで、おしゃべりします。
 しゃべって、すっきりしたら、「じゃあ、お休みなさい」といって、「どこでもドア」でアパートに帰って来ます。

 本日の三時間目、四時間目は、ヘビーな授業でした。
 夜は、四国学を受講しました。

 夜九時半から遅い夕食をとりました。
 インスタントラーメンの「豚キムチ」に生のキムチを追加して湯を注ぎました。
 そして、数分待ちます。
 おいしい。

Wednesday, November 17th, 2010 I want "Dokodemo door".

Fine weather.

I thought that I wanted "Dokodemo door" which came out in "Doraemon" of comics, incidentally.
When a door appears when I pray God, and you can enter it, it is a thing to arrive at the place that I want to go instantly.
For example, I call a friend in Kochi.
I talk to him as follows.
"I will go there a half-hour more later. How about drinking beer together?"
If he is OK, I bring a armful of beers from "Dokodemo door".
Therefore I drink beer with him and talk.
If I talk and feel fine,
I say that "Then, good night." and return to my apartment with "Dokodemo door".

The third lesson and the fourth lesson were heavy for me today.
I attended Shikoku study at night.

I took late supper from half past 9 p.m.
I added raw kimchi to "the pork kimchi" of instant noodles and poured hot water.
And I waited for several minutes.
This dish was delicious for me.

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妻のひとこと 「きっと、あんたが死んでも暇にはならん」。

 夜、高知市の妻に電話しました(私は、さぬき市に住んでいます)。
 「土曜日に、そっちで用があるから、金曜日の夜中に帰るから……」
 「私は、日曜日の朝から愛媛県に行きます」
 妻は、最近、活動分野を、グーンと広げています。
 「いやーっ、忙しいなか、お世話をかけます」
 と、いうと、
 「きっと、あんたが死んでも暇にはならん」
 ゲーッ。
 夫は迷惑な存在である、しかし、夫は、私より早く死ぬ、しかし、私は、やりたいことが多いので、夫が死んでも、ほかのことで忙しい……、だから、あんたは、当分、生きていてもいいよ。
 なんと優しい、お言葉でしょうか。

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星野哲郎さん作詞の「男がつらいよ」を聴くことができるサイトがありました。

 作曲家の星野哲郎さんが十一月十五日亡くなりました。八十五歳でした。
 死去の記事を見て、星野さんが「男がつらいよ」の作詞者だったことを知りました。
 大好きな歌です。
 インターネットで、その歌を聴くことができないかと探しました。
 ありました。
 ここです。

 http://www.d-score.com/ar/A06112023.html

 渥美清さんの歌もいい。聴いていると涙が出そうな歌ですね。
 私も、この歌詞にあるように、いつかは「ハチスの花と咲く」という状態になりたいものです。

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平野レミさん(料理愛好家、シャンソン歌手)の「憲法9条は変えちゃダメ。」の論理。

 平野レミさん(料理愛好家、シャンソン歌手)へのインタビューが「しんぶん赤旗」十一月六日に載っていました(インタビュアーは吉岡瑞代さん)。
 平野さん、なんかの集いで、お話を聞いたことがありますが感性の豊かな人です。
 このインタビューで、こんなことをいっています。
 「憲法9条は変えちゃダメ。せっかく生まれてきて愛情もって育てられたのに、国の都合で戦争にまきこまれるなんて変よ。この気持ちはちゃんと言っておかないとね。」

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2010.11.18

短歌集 「せな(愛しい男性)などと 呼ばれたことなし……」。

 布団に入って本を読む、寝る前の半時間が楽しい。
 そんなとき、ふと思いついて近くにある用紙に短歌をメモします。
 最近、こんな短歌ができました。

 【十一月十六日】

 去る前に やっとくことを 書き出すと 二百年でも 僕は生きてる

 【十一月十七日】

 せな(愛しい男性)などと 呼ばれたことなし このままで 消えさる定めか 独り居の宿

 「うふふふ」と 笑い声あげ 読んでいる 万智さんの書く 古典の恋歌

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英語で日記 二〇一〇年十一月十八日 木曜日 コメをパンにする機械のこと。

二〇一〇年十一月十八日 木曜日 コメをパンにする機械のこと。

 雲り、後、晴れ。

 建築史の基礎実習で、朝から、さぬき市長尾に行きました。
 午後も三時限目、四時限目と授業を受けました。
 そして、五時限目は、四国学のうちの一科目の中間試験を受けました。
 問題は、一問でした。
 数日前から、試験勉強していたので、三十五分で書ききりました。
 その内容でいいかどうかは、採点者の決めることですが、私としては必要なことは書いたという気がしています。
 終わってから、食材の買い出しに行きました。
 いま、ホタテ貝とエノキを使った、うどんの煮こみをつくっています。

 ところで、再来年の三月に、さぬき市の大学を卒業してからは、高知市に帰り、妻と同居し、県内の大学に行こうと思ってます。
 困るのは食生活です。
 私は、ご飯が好きです。
 一方、私の妻はパンが主流です。
 で、考えました。
 この間、新聞に載っていた、コメをパンにする機械のことです。
 コメ粒を、その機械に入れると、自動的にパンができあがるというのです。
 これを、わが家に導入すれば解決できるのではないかと思っています。
 これは、いまは五万円します。
 まあ、そのうちに少しは安くなるでしょうから……。

Thursday, November 18th, 2010  A machine can make bread from rice
 
Cloudy and fine.

We went to Sanuki city Nagao,in the basic training of the building history from morning.
I took the fourth period and the third period in the afternoon.
And my fifth period was midterm examination of one subject of the Shikoku study.
The question of the examination was 1.
Because I studied for this examination for a few days, I could finish writing the answer in 35 minutes.
Though the grader decides whether the contents are good or bad, I feel that I wrote necessary things. 
I went for buying ingredients after the examination was over.
I am making stew udon with scallop and nettle tree now.

By the way, I will return to Kochi city after graduate from university of Sanuki city in March in the year after next, and I will live with my wife and think to go to the university in the prefecture.
When I live with my wife, eating habits can be troubled.
I like rice.
On the other hand, as for my wife, bread is the mainstream.
Thus I thought.
It is a machine which can make bread from rice which appeared in a newspaper the other day.
When I put rice grain into the machine, breads are baked automatically.
I think the problem can be settled if I introduce it into my home.
This costs 50,000 yen now.
Anyway it slightly will cheap soon…….

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2010.11.19

仙谷由人官房長官の「秘密保護法」を「早急に検討して成立をはかる方向で努力したい」の発言。

 仙谷由人官房長官は十一月八日の衆院予算委員会で、軍事機密を対象にした「秘密保護法」について「早急に検討して成立をはかる方向で努力したい」とのべました。
 「秘密保護法」は、軍事情報の漏洩(ろうえい)防止を口実に、言論、出版、表現の自由を定めた憲法ニ十一条をじゅうりんし、国民の知る権利と表現の自由をじゅうりんする憲法違反の法律です。
 この政権、まことに恐ろしいことをやろうとしています。

 くわしくは、つぎのページを、ご覧ください。「しんぶん赤旗」の記事です。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-09/2010110901_03_1.html

 【以下、関連記事です】

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-22/2006032201_03_0.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-30/2006033002_01_0.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-20/2007082002_01_0.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-08-21/2008082102_01_0.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-15/ftp20070215faq12_01_0.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-03/2007020312_01faq_0.html
 
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-22/2006032204_03_0.html

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2010.11.21

英語で日記 二〇一〇年十一月十九日 金曜日 彼は、いい先生です。

二〇一〇年十一月十九日 金曜日 彼は、いい先生です。

 晴れ。

 課題になっていた文章を、先生に提出しました。
 先生は、それを読んで「これでいいと思います」と言ってくれました。
 そして、私は、先生から、次の、より難しい課題をいただきました。
 先生の対応はいいですね。
 彼のやり方は、学生を、やる気にさせてくれます。

Friday, November 19th, 2010 He is a good teacher.

Fine weather.

I submitted a composition of my assignment to my teacher.
He read it and said to me that  "I think it is good."
And he gave a more difficult assignment of the next to me.
I was pleased with his correspondence.
He makes student motivative.

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十日 土曜日 南国市稲生(いなぶ)の大谷という場所。

二〇一〇年十一月二十日 土曜日 南国市稲生(いなぶ)の大谷という場所。

 晴れ。

 南国市稲生(いなぶ)の大谷というのがどこにあるか探していました。
 その地名は、地図には載っていません。
 午後、稲生に住んでいる県立高知短期大学のときの同学年生に電話でたずねました。
 「知っちゅう人が、ここにおるから」
 彼女は、電話を代わってくれました。
 年上の男性でした。
 夜、その場所を教えてもらうために彼に会いに行きました。
 彼によると、それは、西谷と小久保との間を南に登っていく谷筋だということでした。
 体調を整えて、近々、そこに登ってみることにしています。

Saturday, November 20th, 2010 A place called Otaniin Nankoku city Inabu.

Fine weather.

I looked for a place where Otani in Nankoku city Inabu was.
The name of place does not appear in a map.
I asked a fellow at the age of prefectural Kochi junior college who lived in Inao on the telephone in the afternoon.
"There is a person you know around me now"
She put him on the phone.
It was an older man.
I went there to meet him at night to know the place from him.
According to him, it was in the valley in the south between Nishitani and Kokubo.
I make my physical condition good, and I will climb there soon.

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十一日 日曜日 高知市介良(けら)でも対戦車特別攻撃の訓練をしていたという話。

二〇一〇年十一月二十一日 日曜日 高知市介良(けら)で対戦車特別攻撃の訓練をしていたという話。

 曇り、後、晴れ。

 ある人から、『高知の戦争 証言と調査』に、ある陸軍上等兵のビルマでの戦闘の聞き書きの原稿をいただけることになりました。
 前日夜、その原稿を整理しました。
 それが終わったら、本日の午前三時になっていました。

  午後、高知市介良(けら)を歩きました。
  一九四五年の終戦前の、この地域のことを調べるためです。
 ある男性のお宅に行きました。
 彼は、当時、国民学校六年生です。
 彼の家の、二階建ての納屋が軍の食糧倉庫になっていたといいます。
 「その中には、乾パンの中に金平糖の入ったものもありました」
 彼によると、裏の家の茶室では部隊長が寝起きしていたといいます。
 彼は、こんなことを私に語ってくれました。
 「私の家の周辺で、物陰に隠れていた長さ三十センチくらいの丸太を担いで兵隊たちがアメリカ軍の戦車に飛び込む訓練をしていた」
 なお、介良は当時、高知県介良村でした。

Sunday, November 21st, 2010 A story that there were trainings the anti-tank special attack in Kochi Kera.

Cloudiness and fine weather.

From a certain person, I may have a manuscript of a note about the battle in Burma from a certain army first class private for "war testimony and investigation of Kochi".
I arranged the manuscript in the pre-day and night.
When it was over, it was 3:00 a.m. of today.

I walked Kochi city Kera in the afternoon.
It is to examine this area before the end of the war in 1945.
I went to a home of a certain man.
He was a national elementary school sixth grader in those days.
He said that a shed of 2 stories of his house became the food warehouse of the armed forces.
According to him, it had things which had confetto in biscuits.
He said that the commanding officer slept and woke in the tea-ceremony room in the back of the house.
He told such things to me.
"They carried a log of around 30 centimeters in length hidden in the shade around my house, and soldiers trained to jump into the tank of U.S. forces".
In addition, Kera was Kera-mura, Kochi in those days.

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高知市升形の視力障害者・吉岡邦広さん(三十二歳)が、県職員の採用試験に合格しました。

 毎日新聞、高知新聞、十一月二十日付朝刊によると、高知市升形の視力障害者・吉岡邦広さん(三十二歳。二〇〇五年に高知大学を卒業)が県職員の採用試験に合格しました。
 吉岡さん、よく盲導犬と升形あたりを歩いているのを見かけます。
 人当たりのいい、きちんとした青年です。
 吉岡さん、よかったね。おめでとうございます。

 【参考】

  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101121-00000002-maiall-soci

  全盲の32歳サクラ咲く 県職員採用試験を突破

 毎日新聞 11月21日(日)4時34分配信

 【高知】大学生のころ全盲となり、現在「県視覚障害者の就労を促進する会」会長の吉岡邦広さん(32)=高知市=が19日、身体障害者を対象とした県職員採用試験に合格した。点字試験導入を求めて請願活動を行い、導入が実現した08年度から毎年挑戦していた。点字試験での合格者は県内初。(中略)【千脇康平】
 (中略)障害者雇用を進めたいとの思いで、3年の浪人生活を耐えてきた。1日平均6時間してきた勉強は、今年の夏ごろから2時間増。(中略)
 幼少のころ、白血病の治療時の副作用で緑内障に。右目が見えなくなった。左目の視力も少しずつ低下していく。高知大に入ったが、レーザー治療など治療との両立が難しく、2年生になる前に休学。見える期間と見えない期間が繰り返しやってくる中、完全に光を失った。
 京都ライトハウス(京都市)でリハビリを受けた。「自分は卒業できるのか」。迷っていると、父一之さん(64)が言った。「結果はどうであれ、頑張っているところだけ見せてくれたらいい」。真っ暗闇の中、一歩、また一歩と踏み出せた一言だった。
 (中略)08年に県内の視覚障害者らとともに「促進する会」をつくり、県職員採用試験などに点字試験導入を実現させる運動を続け、点字試験の門戸を開いた。
 試験は2年連続で不合格。今年は、高知市立高知点字図書館のボランティアが試験対策用の参考書3冊を「そのまま試験に使えるほどきれいに」点訳してくれた。(中略)
 午後5時。県庁玄関ホールの掲示板に紙が張り出された。室戸市から駆けつけた母由加里さん(56)が受験番号「3」を見つけ、「あった!」。涙をこらえきれず、「良かった。ありがとうございます」と何度も繰り返した吉岡さん。「大変な道だった。一緒に頑張ってくれた人たちのおかげです」と語った。
 (後略)

 http://203.139.202.230/?&nwSrl=267418&nwIW=1&nwVt=knd

 高知県職員採用試験に視覚障害の男性が初合格

 2010年11月20日08時50分

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短歌 「門前で 彼待っていた 小学生……」。

 門前で 彼待っていた 小学生 ランドセル二つ 並んで走る

 十一月十八日の朝の、JR志度駅近くで見た光景です。

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短歌  妻の愛のこもった「お帰り!」の声……。

 「お帰り!」と 愛のこもった 妻の声 わが家のネコの ご帰還である

 十一月二十一日夜のことです。
 夫が帰ってきても、このな言葉はありませんが……。

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2010.11.22

短歌 二十年ほど会ってない友。

 「死ぬ前に 一度会いたい」 電話する 二十年ほど 会ってない友

 十一月十八日のことです。

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十二日 月曜日 一九四五年七月五日にアメリカ軍機が写した高松市の写真。

二〇一〇年十一月二十二日 月曜日 一九四五年七月五日にアメリカ軍機が写した高松市の写真。

  雲り、ときどき雨。

 JR高知駅を朝六時に出て、九時前に志度駅に到着しました。
 金曜日の夕方に志度を出て、高知市に三泊して、また志度に帰って来ました。
 私は、このやり方で、少し高知での滞在を増やしていこうと思っています。

 朝、三時間目の英会話の授業のためにアパートで英語の聞き取りの練習をしました。
 三時間目が英会話の授業でした。
 先生は、私たちに、聞き取った内容について、いくつか質問しました。
 私は、ほとんど答えられませんでした。
 非常に残念でした。
 夜、日本地図センターから、私のアパートに、一九四五年七月五日にアメリカ軍機が写した高松市の写真四枚が到着しました。
 七月四日のアメリカ軍の高松空襲の「成果」を撮影したものです。
 写真を見ると、高松市の中心部は廃墟になっています。

Monday, November 22nd, 2010 The photographs of Takamatsu city that an American military plane took on July 5, 1945.

I left JR Kochi Station at 6:00 a.m. and arrived at Shido Station before 9:00.
I left Shido at the evening of Friday and stayed at Kochi city for 3 days and returned to Shido again.
I intend to increase stays in Kochi in this way a little.

I practiced English hearing for the class of the third lesson English conversation in the morning in my apartment.
As for us, the third lesson was English conversation.
Our teacher asked us some questions about the contents which we heard.
As for me, they were hardly answered.
It was very disappointing.

From the Japanese map center, four pieces of photographs of Takamatsu city that an American military plane took on July 5, 1945 arrived at my apartment at night.
They photographed "the result" of the Takamatsu air raid of U.S. forces of July 4.
The center of Takamatsu city has become the ruins when I see those photographs.

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「折り込み」箇所十四の本、俵万智さんの『恋する伊勢物語』。

  俵万智さんの『恋する伊勢物語』(筑摩書房。一九九二年五月七日)を、本日の朝、読み終えました。
 彼女の感性が生かされたいい本です。
 参考になったページや、ここを参考にもう少し調べたいという所に「折り込み」をつくるのが、私のくせです。
 いま調べてみたら、この本には、「折り込み」が十四もありました。

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 『伊勢物語』二十三段に出てくる男性のこと。大和から高安に通うには何時間かかったのでしょうか?

 『伊勢物語』二十三段に出てくる男性の行動を点検してい見ると、この男性はどんな仕事をしていたのかなぁ、仕事にはちゃんと行けていたのかなぁと考えてしまいます。

 まずは、この段を読んでみましょう。
 私の関心事は、この男性と、幼なじみの女性が結婚した後の、この段の後半です。

 さて年ごろ経(ふ)るほどに、女、親なく、頼りなくなるままに、「もろともにいふかひなくてあらむやは」とて、河内(かふち)の国、高安(たかやす)の郡(こほり)に、行(い)き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へる気色もなくて、いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽(せんざい)の中に隠れゐて、河内(かふち)へいぬるかほにて見れば、この女、いとよう化粧(けそう)して、うちながめて、

  風吹けば沖つ白波(しらなみ)龍田(たつた)山
    夜半(よは)にや君がひとり越ゆらむ

 とよみけるを聞きて、限りなくかなしと思ひて、河内(かふち)へも行(い)かずなりにけり。まれまれかの高安(たかやす)に来て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙(いひがひ)とりて、笥子(けこ)のうつはものに盛(も)りけるを見て、心憂(う)がりて行かずなりにけり。
 さりければ、かの女、大和(やまと)の方を見やりて、

  君があたり見つつををらむ生駒山(いこまやま)
    雲な隠しそ雨は降(ふ)るとも

 と言ひて見いだすに、からうじて大和人(やまとびと)、「来む」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、

  君来むと言ひし夜(よる)ごとに過ぎぬれば
    頼まぬものの恋ひつつぞ経(ふ)る

 と言ひけれど、男住まずなりにけり。  

 男性は大和(いまの奈良県)に住んでいるようです。
 最初の妻も、すぐ近くに住んでいるようです。
 妻のもとに通っていたわけです。
 ここでの暮らしについての男性の費用は、妻の家が持つようですね。
 しかし、妻の親が亡くなり、妻は経済的に頼りなくなりました。
 そこで、男性は、妻と一緒に不自由をするのは嫌ということで、「河内(かふち)の国、高安(たかやす)の郡(こほり)に、行(い)き通ふ所」をつくって、ということで、ここなる女性のもとに通い始めます(いやーーな男ですねえ)。
 男性の家は、生駒山の奈良県側のようですね。
 生駒山というのは、奈良県生駒郡の南部と大阪府中河内郡の境をなす山です。
 河内の国高安の郡は、いまの大阪府東南部、信貴山西麓の地だといいます。
 夜、大和から龍田山を越えて、ここに通うのですから大変な道のりだったと思われます。
 最初の妻は、男性が高安の女性のもとに通うことを「あしと思へる気色もなくて、いだしやりければ……」というのですから、すごい。
 さすがに男性は、妻が「こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽(せんざい)の中に隠れゐて、河内(かふち)へいぬるかほにて見れば……」という行動をとります。
 高安に行くふりをして、彼女の家の庭に隠れて、ほかの男性が通ってきているのではないかとのぞき見しているわけです。
 そうすると妻は、しっかり化粧して、くだんの歌を朗々と読みます。
 その歌に心をうたれる夫……。
 私は、ひねくれているので(みなさんは、ごぞんじでしょうか……)、妻は、こんな態度をとれば夫は、きっとのぞき見するだろうと思って名演技をしたのだと思います。かしこい女性です。
 「なんという非文学的な読み方か!!」と、私自身も自分の性格を好きにはなれないのですが……。
 ところで、夜、大和と高安までは龍田山を歩いて越えて行くと何時間かかるのでしょうか。
 かなりの時間がかかると思います。
 この男性は、一時は、夜、通って、また、大和に帰ってきてという暮らしをしていたようですが、こんな状態で仕事はどうなっていたのでしょうか。
 無職だったのでしょうか。
 何か、そこんところが理解できません。
 高安の女性が「今はうちとけて、手づから飯匙(いひがひ)とりて、笥子(けこ)のうつはものに盛(も)りけるを見て、心憂(う)がりて……」という状態になるのですから、まったく生活感のない「上流階級」の人のようですが……。
 いつか、彼のコースで奈良から高安まで歩きながら考えてみたいと思っています。

 どなたか、私と、一緒に行ってくれませんか。

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【写真】 高知市の、わが家の紫の花。

Photo

 十一月二十日に撮影しました。

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【写真】 高知県南国市稲生(いなぶ)のコスモスの花。

Photo_2

 十一月二十日夕に撮影しました。

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2010.11.24

「ふくい」さん、ありがとう。あの花の名前、クロッカスでしたね。

 高知市の、わが家に咲いていた花のことですが、「ふくい」さんからメールで、その花の名前を思い出しました。

 クロッカスでした。

 たしか三年ほど前に私が庭に植えました。

 それ以後、毎年咲いてくれます。

 うれしいですよね。 

 

 

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十三日 火曜日 陸軍屋島飛行場の位置。

二〇一〇年十一月二十三日 火曜日 陸軍屋島飛行場の位置。

  晴れ。

 朝十時からリポートを書く作業にとりかかりました。

リポートのテーマは、高松市の古高松に一九四五年五月ころからつくられていた陸軍屋島飛行場のことです。

 これは、どこにあって、どんな形をしていたのでしょうか。

 それが、今日、知りたかったことです。

 アメリカ軍機が撮った屋島飛行場の形と、当時の地図、いまの地図をと見比べて分析していくという作業をしました。

 そして、古高松に行きました。

 屋島に登りました。

 それは、現場に行って、歴史を確かめるためにです。

 アパートに帰ってから、そのリポートをまとめました。

 A4判で六枚にまとめました。

 時計を見ると午前零時前でした。

Tuesday, November 23rd, 2010 The position of the army Yashima airport.

Fine.

I started work to write a report from 10:00 a.m.
The theme of my report is about army Yashima airport was prepared in Takamatsu city Furutakamatsu since about May, 1945.
What kind of form was it and where in?
It is what I wanted to know today.
I worked to compare the form of the Yashima airport that an American military plane shot, a map at that time and the present map, and analyzed it.
And I went to Furutakamatsu.
I climbed Yashima.
Because I have to go to the spot to check the history.
I completed the report after I returned to my apartment.
I summarized it in six pieces with A4 size.
When I watched a clock, it was before 0:00 a.m.

I ate properly, though.
Breakfast. Instant Chinese noodles.
Lunch. A cake and coffee.
Supper. The set of the beefsteak.
And I went to two bookstores on that day.

 といっても、私は、ちゃんと食事はしていました。

 朝食。即席ラーメン。

 昼食。ケーキとコーヒー。

 夕食。ビフテキのセット。

 そして、この日、本屋に二軒行っています。

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十一月二十三日の朝鮮半島の事態を受けて、いま朝鮮戦争を考える。

 昨日、十一月二十三日の朝鮮半島の事態に、やはりこういうことになったかというかんを強くしました。
 なぜ、こういうことになるのか。
 きちんとした考えを持っておく必要を感じました。

 ○ 大日本帝国の朝鮮支配について。
 ○ アジア太平洋戦争後のソ連とアメリカの朝鮮分割支配(三十八度線)。
 ○ ソ連側の北朝鮮が韓国に侵攻を開始したこと。それにアメリカ、ソ連、中国が介入したこと(朝鮮戦争)。
 ○ 朝鮮戦争の休戦協定が結ばれたこと。
 ○ 時を経て、北朝鮮の軍事挑発が続いてきたこと。

 いくつかのデータをあげておきます。

 ・ 朝鮮戦争について。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

 ・ 一九五〇年に勃発し、一九五三年に休戦した朝鮮戦争の問題。日本共産党は、一九八八年九月八日に発表した「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」で、北朝鮮が「南部全面解放による朝鮮統一の立場から軍事行動をおしすすめた」ことを指摘。この見解が「北の計画的な軍事行動によってはじめられたものであることを明らかにし」「アメリカの朝鮮への侵略だとする従来の主張を改めた」ものであることも公表しました(「赤旗」一九八九年三月十一日付)。

 ・ 休戦協定後の、一九五〇年代の後半から一九六〇年代前半には、北朝鮮の側で、あとの時期に問題になるような国際的な無法行為は見られませんでした。

 ・ 一九六〇年代前半、ソ連が日本共産党を破壊するために、ソ連追従の志賀一派を手先として乱暴な干渉をおこないました。このとき、朝鮮労働党は、この干渉に公然と反対する立場を鮮明にしました。

 ・ 一九六七年十二月、金日成は、北の人民にたいして、「南の革命的大事変」を「主動的に」迎えよう、と呼びかけたました。その数カ月前には、金日成氏は、南で革命が起こったら、北のわれわれも、「解放戦争」でこの革命に参加する、と語っていました。この年の夏ごろから、北朝鮮側の報道では、南での“武装遊撃隊”なるものの活動が、しきりに宣伝されるようになりました。

 ・ 一九六八年一月、首都ソウルの市内に「武装小部隊」が現れ、大統領官邸のある青瓦台(せいがだい)を襲撃して、警察部隊に殲滅(せんめつ)される、という事件が起こりました。これは、南の民衆のなかから生まれた部隊ではなく、北から送りこまれたものだったことは、ただ一人生き残った隊員の証言で、間もなく明らかになりました。しかし、この事件以後、南の各地での“武装遊撃隊”の活動の報道は、北朝鮮ではいよいよ盛んになりました。

 ・ 一九六八年八月、日本共産党は宮本書記長(当時)を団長とする代表団を北朝鮮に送り、金日成との会談で「南進」の企図の誤りを正面から指摘、金日成指導部の「南進」の企図をやめさせる努力をつくしました。金日成は、会談のなかで、これまでの議論を全部打ち消すような形で、「われわれは主動的に(つまり、自分の方から)戦争を始めるつもりはない」といって、「南進」政策を否定しました。そして、南での“武装遊撃隊”の報道も、それ以後、次第にしりつぼみになり、やがて消えてゆきました。当面の事態は、これで一応、一件落着となりました。

 ・ 一九七〇年代に入ってから、予感した異常事態が、金日成への個人崇拝の国際的な押しつけという形で、まず表面化してきました。「金日成思想」あるいは「チュチェ(主体)思想」が、世界革命の指導思想だと宣言され、金日成氏を日本革命の「首領」だとする理論までが、日本に持ち込まれる、その六十歳の誕生日(一九七二年)には、贈り物運動を日本全土にわたって組織しようとする、そんなことが、次々と起こってきました。日本共産党は、日本の運動の自主性を確固として守る立場から、「赤旗」紙上で、外国の指導者を神格化したり、その「思想」を絶対化したりすることは、国際友好・連帯運動の精神にそむくものであることを解明した論文を発表するなどして、これらの動きに対応しました。

 ・ 一九七七、七八年、北がたくさんの拉致事件を起こしました。

 ・ 一九八三年十月九日、ビルマの首都ラングーンで韓国全斗煥大統領一行が爆弾テロにあい、韓国とビルマの高官二十一人が死亡しました。ビルマ政府は十一月四日、テロが北朝鮮の工作員三人のしわざだと発表。日本共産党は、その日のうちに「テロは断じて共産主義運動の態度ではない」(宮本顕治議長)と批判し、以後、一連の見解を発表しました。その後、ラングーン地方裁判所は十二月九日、実行犯である北朝鮮の二人の軍人に死刑判決を言い渡しました

 ・ 日本共産党は、一九八〇年代に入ってからの北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして批判をくわえてきました。北は「敵に加担するもの」だといって、日本共産党に攻撃をくわえました。それまで、細々とではあったが続いていた北と日本共産党との関係も、一九八三年、完全に断たれました。

 ・ 一九八四年七月二十八日、公海上で操業していた石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」が北朝鮮警備艇の銃撃をうけて拿捕(だほ)され、船長が死亡しました。北朝鮮が国際法を無視して一方的に設定した「軍事境界線」内に漁船が侵入したとして、銃撃・拿捕したものでした。日本共産党は八月三日、立木洋国際部長が「朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である」と題する党見解を発表して北朝鮮を批判、「軍事境界線」の不当性を指摘しました。これにたいして朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、日本漁船銃撃を当然視する態度をとりました。党は、論文「人道も国際法も無視する立場の自己暴露―『労働新聞』の日本共産党攻撃にたいして」(「赤旗」八月十六日付)、「『労働新聞』の乱暴な覇権主義の論法」(同九月二十七日付)で、北朝鮮側の主張を全面的に論破しました。

 ・ 一九八七年十一月二十九日、韓国の大韓航空機がビルマ上空で、時限爆弾によって爆破されました。翌八八年一月十五日、韓国当局から、事件の実行犯は北朝鮮の秘密工作員だったという衝撃的な事実が発表され、記者会見に同席した北朝鮮工作員・金賢姫は、金正日の指示をうけて爆発物をしかけたことを具体的に証言しました。日本共産党の宮本顕治議長は、一月二十二日、韓国当局の発表や生き残った金賢姫の犯行告白などをふまえ、北朝鮮による犯行は明らかだと批判しました。

 ・ 一九八八年、日本共産党国会議員団は、大韓航空機爆破事件に関連して拉致被害者の存在が問題になってきたことを契機に、各地での行方不明事件そのものの調査をおこない、北朝鮮による拉致事件という疑惑があることを明らかにして、国会で取り上げ、政府にその疑惑を認めさせました。

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英語  pigとporkの違い。

 ブタはブタでも、pigとporkは違います。
 食べ物になったブタを表す言葉は、porkです。

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十四日 水曜日 ラーメンの汁の味。

二〇一〇年十一月二十四日 水曜日 ラーメンの汁の味。

 晴れ。

 昼に中華料理の店に行って日替わり定食を食べました。
 店で出されたラーメンの汁をすすって驚きました。
 濃すぎて、辛いだけという感じなのです。
 ほかの客は、このラーメンを、おいしそうに食べていますので、私だけの味覚なのでしょうか。
 高知市はりまや橋近くに若い人が経営しているラーメン店があります。
 ここのは、こってりした味です。
 これは、一流の味だと思っています。
 そういえば、最近、そこにいっていませんね。
 
 三時間目、四時間目は、緊張したけれど、私にとって楽しい授業でした。

 夜、サーモンと、うどんを煮込んだものをつくりました。
 これは、単純な料理ですが、おいしかった。
 そして、四国学の一科目を、インターネットで受講しました。

November 24th, 2010 Taste of the soup of the chinese noodles.

Fine.

I went to a Chinese food shop at noon and ate today's set meal.
I was surprised that I slurped soup of ramen there.
For me, it was too strong, and it was like just spicy.
Because other visitors taste this ramen with great relish, is it only my taste?
There is a ramen shop that a young person manages in the vicinity of Harimayabashi in Kochi city.
Things there are heavy taste.
As for me, they are first-class and the best.
That reminds me I do not go there recently.
 
Though I was in a tense, the third lesson and the fourth lesson were pleasant for me.

I made a meal salmon and noodle were cooked at night.
This was simple cooking, but, for me, was delicious. 
And I attended one subject of the Shikoku study on the Internet.

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2010.11.25

【ニュース】 アメリカ海軍横須賀基地を出港した原子力空母「ジョージ・ワシントン」も参加へ アメリカと韓国の合同軍事訓練。

  北朝鮮軍による韓国・延坪島(ヨンピョンド)への砲撃を受け、在韓米軍司令部と韓国軍合同参謀本部は十一月二十四日、黄海で二十八日から来月一日まで合同軍事訓練を実施すると発表しました。
 米海軍横須賀基地を二十四日出港した原子力空母「ジョージ・ワシントン」も参加します。

 【以下、読売新聞の記事です】

 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101124-OYT1T01327.htm

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【ニュース】 北朝鮮の砲撃を厳しく非難 北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃について志位委員長が談話。

 北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃について日本共産党が非難しました。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-25/2010112501_01_1.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-25/2010112501_07_1.html

  http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-24/2010112401_02_1.html

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いまの北朝鮮の問題を考える上での貴重な文書。

 いまの北朝鮮の問題を考える上での貴重な文書を紹介します。
 お読みいただければ幸いです。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2004-01-05/04_01.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2004-01-06/04_01.html

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2004-01-07/00_01.html

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【短歌】 博物館実習の時間。

それぞれが 巻子(かんす)の扱い 自習する この実習は 身に付く感じ

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十五日 木曜日 暖かい上着を買いました。

二〇一〇年十一月二十五日 木曜日 暖かい上着を買いました。

 晴れ。

 一時間目、二時間目の文化財基礎実習を受けました。この授業は、一年生と一緒です。

 四時間目が終わってから、暖かい上着を買いに行きました。
 いつもの店で理想的な上着を見つけて買いました。
 妻が、この日記を読んだら「それは、ぜいたくだ」と怒ると思います。
 しかし、風邪をひかないように、暖かく過ごしたいのです。

 夜、インターネットで四国学の講義を受けました。

Thursday, November 25th, 2010 I bought a warm coat.

Fine.

I took cultural asset base practice of the second hour and the first hour. There are the first graders in this class.

I went to a shop to buy a warm coat after the fourth hour had ended.
I found an ideal jacket in the shop and bought it.
I think, my wife will get angry if she reads this diary, "It is luxurious".
However, not to catch a cold, I want to spend in warm.

I attended the lecture of the Shikoku study on the Internet at night.

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2010.11.26

英語で日記 二〇一〇年十一月二十六日 金曜日 視聴覚教材をつくりました。

二〇一〇年十一月二十六日 金曜日 歴史地理学のリポートをつくりました。

 晴れ。

 午後一時からアパートで歴史地理学のリポートをつくりました。
 そのリポートは、陸軍屋島飛行場のことをテーマにしました。
 部屋の中にある写真や地図のデータを使って作業しました。
 四時間の作業で、それは、できました。
 しかし、それは、A4で、二十ページにもなってしまいました。
  
 夜六時半、JR高松駅前にいました。
 ここで、歌手のMIMIKAさんが歌っていました。
 彼女は、ピューピュー風が吹いている中で歌っていました。
 この人は偉い人だなとと思いました。

 夜九時半、高知市の、わが家に着きました。
 妻は、テレビのドラマ「球形の荒野」に夢中です。
 「ビールはありますか?」と聴くと、「ない」という答えが返って来ました。
 そう言うと思ったので、高松駅前でビールを買ってきていました。

Friday, November 26th, 2010 I made a report of the historical geography.

Fine.

I made a report of the historical geography in my apartment at 1 p.m.
The report was about the army Yashima airport.
I worked by using a data of photographs and maps in my room.
I finished the report in four hours.
However, it has become as much as 20 pages in A4.
  
Six thirty at night, I was in front of JR Takamatsu Station.
Here, Ms. Minika, a singer was singing.
She was singing in a cutting wind.
I thought she was a great woman.

I arrived at my house in Kochi city at p.m.9:30.
My wife was watching TV with fervor.The program was drama "Kiyukeinokouya".
"Do you have any beer?"
I asked my wife.
"No"
That was her answer.
Her answer was just I assumed.
So I bought 2 beers at Takamatsu Station.

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環太平洋連携協定(TPP)への日本の参加問題について、よくわかる記事。

 環太平洋連携協定(TPP)への日本の参加問題について、よくわかる記事がありました。
 これです。

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-11-24/2010112406_01_0.html

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【尋子発】 今日から私も、このブログの筆者になることを宣言します。

 【尋子発】 今日から私も、このブログの筆者になることを宣言します。

 義一は、27~28日は高知県立短期大学の経済学クラブの京都研修旅行に行くそうです。いいなあ。紅葉や京料理を楽しんできてくださいね。

 私は明日は高知市一宮(いっく)のシナネ様の文化行事をのぞいてくるつもりです。その地域に住む友人が舞台で踊りを披露するとのことなので、応援のつもり。4時からは「音の会」という、朗読の同好者の集まり。もう数回目ですが、目標が遠大なので月1回の集まりとはいえ、気が抜けません。

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2010.11.28

『高知の戦争 証言と調査』十号のこと、高知新聞が載せてくれたそうです。

 『高知の戦争 証言と調査』十号についての記事が十一月二十五日付朝刊の二十五面に載ったそうです。
 平和資料館・草の家に来て、十部買っていってくださった女性もあったといいます。

 本日二十八日に、この雑誌を二十四部普及しました。
 カンパが、五千七十五円集まりました。
 ありがとうございました。みんな優しい。

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十七日 晴れ 京都大学にて。 

二〇一〇年十一月二十七日 土曜日 京都大学にて。 

 晴れ。

 県立高知短期大学経済学クラブの研修旅行に参加しました。
 それは、二十七日朝から二十八日夜までの日程です。
 参加者は二十代から七十代の二十数人です。
 きょうは京都大学に行きました。
 ここは、建物が素敵ですね。
 シックです。
 東京大学本郷に隣接した教員住宅に住んでいたことがあります。
 よく、東京大学の構内を歩きました。
 東京大学と比べても、ここは、素敵です。
 私は、歴史展示室に行きました。
 そこに、河上肇さんの講義ノートが展示してありました。
 友人で、彼の子孫と結婚している男性がいます。
 学徒出陣で特別攻撃隊員として亡くなった学生の手紙が展示されていました。
 ここで、『京都大学における「学徒出陣」 調査報告書 一巻、二巻』を、京都大学校がつくっていることを知りました。
 京都大学総合博物館に行きました。
 十七世紀の京都にあったキリシタンの墓碑が十一も展示されていました。
 十字架がついていて、洗礼名も刻み込んでいるものです。
 宗教弾圧のなか、みずからの信心を貫いて亡くなった人たちの熱い思いに触れました。

Saturday, November 27th, 2010 In Kyoto University.

Fine.

I participated in a training trip of prefectural Kochi junior college economics club.
This schedule was from the morning on 27th to the night on 28th.
The participants were 20.
They were from twenties to seventies.
We went to Kyoto University today.
The building of here is wonderful.
It is chic.
I have lived in a teacher house that is adjacent to Tokyo University ( Hongou).
I often walked in premises of Tokyo University.
Here is more wonderful than Tokyo University.
I went to a history exhibition room.
The lecture note of Kawakami Hajime was exhibited there.
My male friend married his descendant.
A letter of a student was exhibited there.
He has died in a battlefield as a special attack member.
Here, I knew Kyoto University made "Record of students going to the front at Kyoto University" volume 2.
I went to Kyoto University synthesis museum.
Here,11 tombstones of flock of Christian in Kyoto in the 17th century were exhibited.
The tombstones have a cross and were engraved given names on the font.
I was touched a belief of people who ran through in the religious
oppression and had died with their own believes.
The power at the time oppressed Christianity.
I was touched thought of people who kept their piety and passed away under such circumstances.

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十八日 晴れ 京都市の琵琶湖疏水のイノシシ。 

二〇一〇年十一月二十八日 晴れ 京都市の琵琶湖疏水のイノシシ。 
 
 きょうは、県立高知短期大学経済学クラブの研修旅行の二日目です。
 南禅寺の琵琶湖疏水を見ました。
 疎水にイノシシがはまっていました。
 イノシシは、いつのまにか流されていきました。

 各地で燃えるような紅葉を見ました。

 哲学の道も歩きました。
 若い男女が、手をつないで歩いています。
 何年か前に、妻と、黙々と、手もつながないで、この道を歩いたことを思い出しました。
 私も、妻も、愛情表現がへたです。

 高知市の家に帰って、妻に、京都市の土産を渡しました。妻、娘、娘の二人の娘のための髪飾りです。

Sunday, November 28th, 2010 Wild boar in Biwako canal in Kyoto city.
Fine.
 
It is the second day of a training trip of prefectural Kochi junior college economics club today.
We saw Biwako canal in Nanzenji Temple.
A wild boar fell into the canal.
And the wild boar carried away.

We saw burnt autumn tints in various places.

We walked in Path of Philosophy.
A young man and woman were walking hand in hand.
I recalled having walked on this road with my wife several years ago.
We walked not hand in hand and silently.
As for my wife and me, the expression of our love is botchy.

I returned to my house in Kochi city, and I passed the souvenirs of Kyoto city to my wife.
They are hair accessories for my wife, my daughter, and my two granddaughters.

(boar ボーワ イノシシ。canal カナル 水路。autumn tint 紅葉。botch バーチ …をやり損なう。souvenir スーベニア みやげ)

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2010.11.29

【短歌】 なに? 用なし!!

 「洋なし」を 「用なし」なんて 読み違う 年よりいじめの 政治のゆえに

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【短歌】 昼休みに資料狩り など。

 テーマ得て 昼休みにも 資料狩り 六十三歳 跳びはねている

 アラを煮て 酒のさかなに しています 独居男の これも楽しみ

 「よっしゃー!」と 掛け声かけて さぁ、書くぞ 今夜のリポート 十枚分を

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2010.11.30

【短歌】 来年のこと。

二月には 六十四か 四月には 大学四年 いい年になれ

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英語で日記 二〇一〇年十一月二十九日 月曜日 さぬき市の鴨庄湾で航空母艦しまね丸が襲撃された日々。

二〇一〇年十一月二十九日 月曜日 さぬき市の鴨庄湾で航空母艦しまね丸が襲撃された日々。

 晴れ。

 夜、アパートで視聴覚教材をつくりました。
 「さぬき市志度も戦場でした 鴨庄湾で航空母艦しまね丸が襲撃された日々」がテーマです。
 A4で十二ページになりました。
 しかし、完成させるのには写真が四枚足りません。
 土曜日までに撮影しようと思っています。
 より良くするためには、もう少し調べる必要があります。
 そのための本を二冊注文しました。

Monday, November 29th, 2010 Days when aircraft carrier Shimanemaru of Kamoshiyowan bay was attacked.

Fine.

I made Audio-Visual Material in my apartment at night.
This title was "Sanuki city Shido was done in the arena of warfare. Days when aircraft carrier Shimanemaru of Kamoshiyowan bay was attacked".
It became 12 page in A4.

However,I need four photographs to complete it.
I will take a picture by Saturday.
It is necessary to examine it a little more to make it better.
Two books for that were ordered.

 (arena アリーナ 闘争の場。warfare ウオーサー …との戦争)

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