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2010.11.24

十一月二十三日の朝鮮半島の事態を受けて、いま朝鮮戦争を考える。

 昨日、十一月二十三日の朝鮮半島の事態に、やはりこういうことになったかというかんを強くしました。
 なぜ、こういうことになるのか。
 きちんとした考えを持っておく必要を感じました。

 ○ 大日本帝国の朝鮮支配について。
 ○ アジア太平洋戦争後のソ連とアメリカの朝鮮分割支配(三十八度線)。
 ○ ソ連側の北朝鮮が韓国に侵攻を開始したこと。それにアメリカ、ソ連、中国が介入したこと(朝鮮戦争)。
 ○ 朝鮮戦争の休戦協定が結ばれたこと。
 ○ 時を経て、北朝鮮の軍事挑発が続いてきたこと。

 いくつかのデータをあげておきます。

 ・ 朝鮮戦争について。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

 ・ 一九五〇年に勃発し、一九五三年に休戦した朝鮮戦争の問題。日本共産党は、一九八八年九月八日に発表した「朝鮮問題についての日本共産党中央委員会常任幹部会の見解」で、北朝鮮が「南部全面解放による朝鮮統一の立場から軍事行動をおしすすめた」ことを指摘。この見解が「北の計画的な軍事行動によってはじめられたものであることを明らかにし」「アメリカの朝鮮への侵略だとする従来の主張を改めた」ものであることも公表しました(「赤旗」一九八九年三月十一日付)。

 ・ 休戦協定後の、一九五〇年代の後半から一九六〇年代前半には、北朝鮮の側で、あとの時期に問題になるような国際的な無法行為は見られませんでした。

 ・ 一九六〇年代前半、ソ連が日本共産党を破壊するために、ソ連追従の志賀一派を手先として乱暴な干渉をおこないました。このとき、朝鮮労働党は、この干渉に公然と反対する立場を鮮明にしました。

 ・ 一九六七年十二月、金日成は、北の人民にたいして、「南の革命的大事変」を「主動的に」迎えよう、と呼びかけたました。その数カ月前には、金日成氏は、南で革命が起こったら、北のわれわれも、「解放戦争」でこの革命に参加する、と語っていました。この年の夏ごろから、北朝鮮側の報道では、南での“武装遊撃隊”なるものの活動が、しきりに宣伝されるようになりました。

 ・ 一九六八年一月、首都ソウルの市内に「武装小部隊」が現れ、大統領官邸のある青瓦台(せいがだい)を襲撃して、警察部隊に殲滅(せんめつ)される、という事件が起こりました。これは、南の民衆のなかから生まれた部隊ではなく、北から送りこまれたものだったことは、ただ一人生き残った隊員の証言で、間もなく明らかになりました。しかし、この事件以後、南の各地での“武装遊撃隊”の活動の報道は、北朝鮮ではいよいよ盛んになりました。

 ・ 一九六八年八月、日本共産党は宮本書記長(当時)を団長とする代表団を北朝鮮に送り、金日成との会談で「南進」の企図の誤りを正面から指摘、金日成指導部の「南進」の企図をやめさせる努力をつくしました。金日成は、会談のなかで、これまでの議論を全部打ち消すような形で、「われわれは主動的に(つまり、自分の方から)戦争を始めるつもりはない」といって、「南進」政策を否定しました。そして、南での“武装遊撃隊”の報道も、それ以後、次第にしりつぼみになり、やがて消えてゆきました。当面の事態は、これで一応、一件落着となりました。

 ・ 一九七〇年代に入ってから、予感した異常事態が、金日成への個人崇拝の国際的な押しつけという形で、まず表面化してきました。「金日成思想」あるいは「チュチェ(主体)思想」が、世界革命の指導思想だと宣言され、金日成氏を日本革命の「首領」だとする理論までが、日本に持ち込まれる、その六十歳の誕生日(一九七二年)には、贈り物運動を日本全土にわたって組織しようとする、そんなことが、次々と起こってきました。日本共産党は、日本の運動の自主性を確固として守る立場から、「赤旗」紙上で、外国の指導者を神格化したり、その「思想」を絶対化したりすることは、国際友好・連帯運動の精神にそむくものであることを解明した論文を発表するなどして、これらの動きに対応しました。

 ・ 一九七七、七八年、北がたくさんの拉致事件を起こしました。

 ・ 一九八三年十月九日、ビルマの首都ラングーンで韓国全斗煥大統領一行が爆弾テロにあい、韓国とビルマの高官二十一人が死亡しました。ビルマ政府は十一月四日、テロが北朝鮮の工作員三人のしわざだと発表。日本共産党は、その日のうちに「テロは断じて共産主義運動の態度ではない」(宮本顕治議長)と批判し、以後、一連の見解を発表しました。その後、ラングーン地方裁判所は十二月九日、実行犯である北朝鮮の二人の軍人に死刑判決を言い渡しました

 ・ 日本共産党は、一九八〇年代に入ってからの北朝鮮のかかわった国際的な無法行為にたいして批判をくわえてきました。北は「敵に加担するもの」だといって、日本共産党に攻撃をくわえました。それまで、細々とではあったが続いていた北と日本共産党との関係も、一九八三年、完全に断たれました。

 ・ 一九八四年七月二十八日、公海上で操業していた石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」が北朝鮮警備艇の銃撃をうけて拿捕(だほ)され、船長が死亡しました。北朝鮮が国際法を無視して一方的に設定した「軍事境界線」内に漁船が侵入したとして、銃撃・拿捕したものでした。日本共産党は八月三日、立木洋国際部長が「朝鮮の漁船銃撃事件は国際法上も不法行為である」と題する党見解を発表して北朝鮮を批判、「軍事境界線」の不当性を指摘しました。これにたいして朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、日本漁船銃撃を当然視する態度をとりました。党は、論文「人道も国際法も無視する立場の自己暴露―『労働新聞』の日本共産党攻撃にたいして」(「赤旗」八月十六日付)、「『労働新聞』の乱暴な覇権主義の論法」(同九月二十七日付)で、北朝鮮側の主張を全面的に論破しました。

 ・ 一九八七年十一月二十九日、韓国の大韓航空機がビルマ上空で、時限爆弾によって爆破されました。翌八八年一月十五日、韓国当局から、事件の実行犯は北朝鮮の秘密工作員だったという衝撃的な事実が発表され、記者会見に同席した北朝鮮工作員・金賢姫は、金正日の指示をうけて爆発物をしかけたことを具体的に証言しました。日本共産党の宮本顕治議長は、一月二十二日、韓国当局の発表や生き残った金賢姫の犯行告白などをふまえ、北朝鮮による犯行は明らかだと批判しました。

 ・ 一九八八年、日本共産党国会議員団は、大韓航空機爆破事件に関連して拉致被害者の存在が問題になってきたことを契機に、各地での行方不明事件そのものの調査をおこない、北朝鮮による拉致事件という疑惑があることを明らかにして、国会で取り上げ、政府にその疑惑を認めさせました。

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