« 【短歌】 この僕が、そのうち消えるという理不尽。 | トップページ | 英語で日記 二〇一〇年十二月十七日 金曜日 五分一という地名。 »

2010.12.17

兵庫県の「わが姉」、K子さんのこと。

 ある集いでの私のスピーチの予定原稿です。
 
 K子さんは、高知追手前高校、高知大学での私の二学年下です。
 私と森尚水くん、小池倍夫くんが中心になって、高知追手前高校の私たちの卒業式の日に、門前でビラをまきました。
 追手前高校の二年生は、成績によって生徒を差別するクラス編成で悩んでいる、これでいいのかという内容でした。
 三人とも、高知大学を受験していましたが、このことで不合格になるのではないかと恐れながらの行動でした。
 その何日か後に、私が、住んでいた伊野町から高知市方面の電車に乗っていたときに、二人の可愛い女性が声をかけてくれました。追手前高校の制服を着ていました。二人とも二学年下でした。
 二人に「あんたは、なぜ、こんなことをしたの?」と問いつめられました。
 少しビラに共感してくれている感じも受けました。
 その一人がK子さんです。
 私は高知大学に入ってから、いまでいう暴力学生の行動に憧れました。
 そして、そのリーダーの部屋の前の部屋に下宿しました。
 二人は、ときどき、一緒に、そこに来てくれました。ご飯をつくってくれることもありました。
 二人のいいたかったことは、「あんた、そんな人たちと付き合ったらいかんよ。勉強せないかんよ」ということだったと思います。
 K子さんは高知大学に入学してきました。
 私は、そのとき新入生歓迎実行委員会の実行委員長をしていました。
 歓迎集会では、映画「武器なき斗い」を上映しました。
 私は、この映画を何度か見ていましたが、泣いてしまいました。
 それを見て彼女がいったことは「主催者だけが感激している」というようなことでした。
 私は、ショックを受けました。
 彼女は、いつの間にか、大学で将来の伴侶を見つけていました。
 卒業して、大阪市で小学校の教師になり、彼と結婚しました。
 一度、お宅に一泊したことがあります。文化住宅でした。
 もう彼女たちに小さな子どもがいたころです。
 大阪に単身赴任して、兵庫県の民主首長の選挙を取材することがありました。
 ある民主候補の選挙事務所で彼女に出会いました。
 がんばっていました。
 いつかは、東京の日本母親大会に参加するために東京の私たちの家に泊ってくれたこともあったと思います。
 私は単身赴任をくりかえしましたが、寂しいときに電話すると、いつも相手になってくれました。
 いつも「しっかりせんとあかんよ」という感じで、年下なのにお姉さんという感じでした。
 その励ましに、いつも助けられました。
 彼女は、高知には、あまり帰っていないようです。
 今回、時間をとってもらいました。
 このメンバーでは、もう二度と逢えないと思います。
 この午後のつどいをせいいっぱい楽しいものにしたいと思っています。

|

« 【短歌】 この僕が、そのうち消えるという理不尽。 | トップページ | 英語で日記 二〇一〇年十二月十七日 金曜日 五分一という地名。 »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/30274/50327134

この記事へのトラックバック一覧です: 兵庫県の「わが姉」、K子さんのこと。:

« 【短歌】 この僕が、そのうち消えるという理不尽。 | トップページ | 英語で日記 二〇一〇年十二月十七日 金曜日 五分一という地名。 »