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2010.12.14

香川県の道路を拡張してつくった三つの陸軍飛行場 85 陸軍丸亀飛行場づくり 私の家の倉庫が武器庫にされていました。

  十二月十二日、丸亀市の陸軍丸亀飛行場をつくっていた地域に住む男性・Hさん(終戦時・国民学校二年生)の話を聞きました。彼の自宅前でのインタビューです。
 この家は、飛行場になっていた、いまの県道18号のに接していて、北側の「山の越」にあります。県道18号から斜めに道がついていて、それをとおって本宅の門に入ります。その道の、県道18号から向かって右側に倉庫があったといいます。そして、左側にも倉庫があったそうです。この二つの倉庫跡は、いま空地になっています。
 Hさんの話を、忘れないうちにメモをしておきます。

 父は地主で二十町歩の土地を持っていました。そして、家にあった二つの倉庫をつかって肥料問屋をしていました。私が幼稚園児のころ、私の家に近衛師団の人が三十、四十人来て食事をしたことがあります。
 飛行場づくりのことですが、ここらでは、おもに県道18号の南を広げていました。田んぼの土をのけてバラスを入れていました。
 土居からレールが敷かれ、トロッコで物を運んでいました。線路は、ここらでは県道18号の南に敷いてありました。私は、そのトロッコに乗せてもらったことがあります。
 牛でひく荷車でも砂利を運んでいました。 
 飛行場の東端は、土居の鶴岡さんの家の北の所で、こちらから行くと、県道18号が下り坂になるキワの所でした。
 この近く、県道18号の南の土手のようなものがありますが、あれは、戦後、田んぼに入れてあったバラスをのけて積み上げたものです。
 私の家の右手の倉庫は、陸軍の弾薬庫にされました。小銃、機関銃、大砲が入っていました。錠が二つかけてありました。そのカギの一つを父が、もう一つを軍隊が持っていました。
 左手の倉庫は、飛行場づくりのために壊されました。
 本宅も、壊される予定になっていました。
 戦後、零戦が、この飛行場に降りようとして、何度も旋回しました。子どもの竹ざおが届くような距離まで降りてきていました。しかし、降りれそうにもないと判断したのか去って行きました。飛行士は、この近くの川西の人だったようです。
 戦後、丸亀の連隊が、この倉庫の倉庫の武器をトラックで取りに来ました。
 それは、丸亀の連隊で焼かれました。日本の兵隊が作業し、駐留軍の兵隊が、まわりで見てました。
 私は、家から歩いて、丸亀の連隊に行って、この武器が燃やされるさまを見ました。

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