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2010.12.02

英語で日記 二〇一〇年十二月二日 木曜日 天皇勢力が退治した土佐の大魚のこと。

二〇一〇年十二月二日 木曜日 天皇勢力が退治した土佐の大魚のこと。

 晴れ。

 午前中、私たちは、文化財基礎実習の授業で、さぬき市志度を歩きました。

 寺に残る伝説で、面白いものを発見しました。
 それは、地蔵寺の伝説です。
 以下のようなものです。
 景行天皇の時代のことです。
 天皇は、日本武尊(やまとたける)の子(または弟)の讃留霊皇子(さるれおうじ)に命令をしました。
 その内容は、土佐の海で船を襲い人を食べて暴れる大魚の退治しなさいということでした。
 これを知った大魚は、瀬戸内海に逃げ込み、志度浦に隠れました。
 讃留霊皇子の軍は、大魚を見つけて攻撃しました。
 しかし、大魚は、軍隊の船を飲み込みました。
 讃留霊皇子は、軍隊の船に火を着け、大魚を退治しました。
 後に、里人は、大魚の祟りを恐れ、霊魚堂と呼ばれる小堂を建立し地蔵菩薩を祀りました。
 私は、この伝説を、つぎのように解釈しました。
 土佐には天皇に服しない武装勢力がいました。
 それを、天皇の軍勢が壊滅させました。
 志度の人々は、天皇の残虐な行為を批判して、地蔵菩薩をまつりました。

 四時間目の博物館実習は、茶道などに使う箱のヒモの結び方でした。
 この手順を図示するように求められています。
 しかし、私は、まだ、それができていません。
 
 夜、インターネットで四国学の授業を受けました。
 東京の先輩から電話が来ました。
 新年の旅行の計画を話しました。

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